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2005年06月11日(土) |
虹を見て、明るい未来を思う |
かずぴーの試合を観に有明まで行く。
帰り道、台場で首都高に入り損ね レインボーブリッジの一段下の橋を渡るはめに。 首都高はすぐ上を走っているのに、入れない。 首都高はすぐ横を走っているのに、入れない そんなことを思いながら 気がつけば、芝浦ふ頭あたりをさまよい 『私は迷子』と何度も頭の中でつぶやきながら 増上寺と東京タワーを通り過ぎ いつの間にか皇居のほとりに出て 国会議事堂を見た後、ようやく霞ヶ関で首都高に入る。 ほっ。
レインボーブリッジは渡り損ねたが 高速を下りるときに綺麗な虹を見た。
日没間際の太陽に照らされた、はっきりくっきりとした虹だった。 きっと、いいことがあるだろう。
今日の試合 かずぴ−は、大事なところで勝利に後一歩届かず 手に汗握る長時間戦に、私は思わず座り込みそうになったが 彼の精神力の成長を見て、負けはしたが良かったと思う。
チームは関東大会に進んだ。 本当に良かった。 再びチャンスをくれたチームメイトに感謝して 次は頑張れよ。
2005年06月09日(木) |
どこでどうしてそうなったのか |
かずぴーのクラスでごたごたがあって ごたごたと言うには、悲惨すぎる出来事かもしれなくて 私としてはなんとも形容しがたいが 「映画の『リリイ・シュシュのすべて』を思い出したよ」 と言うあやぽんの一言で、その映画を見るのはやめようと思う そんな出来事だった。
14〜5歳の、特に男の子は やり場のないエネルギーと、何かが上手くいかない焦燥感を どう扱っていいかわからずに、ただただ持て余すに違いない。 やがては彼らも、たとえどんな理由があるにせよ 自分のしたことは全て、自分で責任を取らなければならなくなるのだから その日のためにも、今はまだまだ大人の手助けが必要だと私は思う。 彼らを囲む大人達も、結局ちゃんとした大人じゃなくて そのしわ寄せが、わかりやすい所に出ているだけだと そんな風にも思う。
かずぴーも、決して、諸々が上手くいっているとは言えないが テニスに没頭している分、体が疲れるからいいかもしれない。 「今度の大会が終わったら、しばらくテニス休もうかな。」 かずぴーにそう言われて、胸中がざわついた。
2005年06月07日(火) |
どこかにいる、きっといるはず! |
なんともやるせない出来事が続いて ちょっとぐらいは、いいこともあるのに とても追いつかない。
なつかしソングはいい。 歌詞がとてもシンプルだ。 『悲しくて 悲しくて とてもやりきれない この限りない むなしさの 救いは ないだろうか』 歌詞だけ書くと、なんともだが 淡々とした曲にのって 歌詞だけが切々と気持ちを表している感じが好きだ。
オムニパスCDなので 曲調が急に変わって ぶるーらいとよっこーはまーの街の明かりが綺麗だとか フランシーヌが3月30日にどうしたとか 白いブランコが揺れているとか そうかと思うと 少年っぽい声のショーケンがおとぎ話のような恋を歌っていたり 奥村ちよは、妙にこびた歌い方で、あなた好みの女になりたいと歌う 共通点は、ただ同じ時代のヒット曲ということだけだが それはそれで、またいい感じ。
あの時代の匂いが好きなのだ。 ませた子どもの私は 歌に歌われているオトナの世界に憧れた。 フォークソング=大学生=かっこいいオトナ、だった。
いつの間にか、憧れていたオトナの時期も過ぎ 歌のような愛や恋は、ただのメルヘンだと思う時期も過ぎ 大学生なんて、まだまだ子どもだと思うようになったのもかなり前のことで とうとう、本当に自分の子どもが、その歳になろうとしている。
そして突然 私が探している恋人は それなりに年齢を重ねてきた当時の大学生が いまだ心の奥深いところに熱い思いを秘めつつ どこかそんな自分を自嘲気味に見つめている そんなふつうのおやじの中にいるかも、という気がした。 これもメルヘンか?
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