読書日記

2003年01月25日(土) 鹿島茂「勝つための論文の書き方」(文春新書)

鹿島茂「勝つための論文の書き方」(文春新書700円2003年1月20日第1刷発行222p)
従来の類書では意外にも見過ごしてきたと思われる「問題の立て方」を重視しているのが新しく、日本では独創的である。
論文指導とは問題の立て方を教えること(36ページ)とあるように今まで看過されてきた最も必要なことを具体的に指南している
この本は、真に独創的で説得力のある論文を書くためのスターゲイト。
熟読、実践、応用が利く有益な一冊。




2003年01月24日(金) 大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』(講談社)

大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』(講談社 2000年12月5日 第1刷発行 1900円 342P)
 大江健三郎が久々に一気に読める小説を書いた。もともとエッセイや評論的な文章はきちっとしていて読みやすく面白かったがいざ小説に向かうと妙に難渋な感じがして読み続けるのが苦痛で挫折が多かった。
 それは私の修行不足。大江健三郎が文章に刻みつけた思いやイメージはなまじっかの覚悟では読み解けないようにできている。
 今回この作品を読んでそう思った。
 一気に一度読んでおいて、後でまた全8章を1章ごとにじっくり読み直す。
 ある意味モデル小説でとっかかりがよさそうだが、主人公の気持ちからか徐々に息苦しくなっていく。それを救うのが主人公の妻や息子の存在である。その話題のページや文章は私たち読者の救済となっている。
 大江健三郎健在の一冊。



2003年01月23日(木) 舞城王太郎『熊の場所』(講談社)

舞城王太郎『熊の場所』(講談社 2002年10月15日第1刷発行 1600円205P)
「熊の場所」「バット男」「ピコーン!」
 表題作の中編と「バット男」「ピコーン!」の3作品を収める。
 同級生の鞄から猫のしっぽが飛び出した。それを見た小学校5年生男子の主人公は放課後真っ先に教室を出て、学校を飛び出した。彼はかつて熊と遭遇した父親の記憶をたどり始め・・・、という『熊の場所』は破壊的な筒井康隆風。文章は、石川淳風。
 バットを持って街をうろつく男は弱すぎ。逆に民間人に袋叩きにされたりしているうちに、死んだという噂が・・・。これは『バット男』の話のほんのさわりで、実は孤独な魂のあり方を追究する一種の願望小説。
 最愛の男を失った悲しみを癒すのは直感的にでもなんでも前向きに生きるための「証明書」が必要と、それを求めて一種の探偵として女は男の死の謎を解明しようと疾走感あふれる推理力を働かして現場に乗りだした。ある禁句を際限なく繰り出しておいて最後は割とさわやか系で締まる、やはりこれも筒井康隆風ある意味吉田健一風怪談という気がしないでもない「ピコーン!」だいたいこれは題名からしてまともでない。
 吉田健一または石川淳を想起させる(?)ようなうねる超長文を繰り出してダイナミックな人物と話を語る。三作とも忘れ難い印象を残すがそれぞれ風味が違うのは作者の引き出しが多いからかな。
 今世間で結構な評判の作者の短編集はある意味名人芸に近いストリーテリングを見事証明した。
 ノン・ジャンルのちょっと苦笑も誘う傑作短編集。



2003年01月22日(水) 内田樹『期間限定の思想ー「おじさん」的思考2』(晶文社)

内田樹『期間限定の思想ー「おじさん」的思考2』(晶文社 2002年11月11日初版 1800円260P)
 題名の通り「おじさん的思考」の続編。前作よりもパワーアップして世間が語り難いことをどんどん話題にしてゆく。そして、どんな問題でも快刀乱麻、見事に解きほぐす。目から鱗が落ちるような面白さ。筆者の舞台裏を伝えるおまけの文章もあってお徳用。

「多くの人が考えているのとは反対に、人が奇矯な服装や奇怪な身体操作をする理由は「目立つ」ためではない。「見られない」ためなのである。ヤクザであれ、右翼であれ、パンクであれ、その「異様さ」は「私を見つめてはいけない」を意味する記号なのである。」(「子どもたちはなぜ街で坐るのか 93ページ) 

 ほかにも「女は何を望んでいるか」「ほんとうの恋がうまくいかない理由」「なぜ教室で私語をしてはいけないか」「マンガしか読まない子をもつ親のマンガ擁護論」「覚悟も責任感も欠落した日本の官僚たち」などなどちょっと刺激的な話題には事欠かない。
 フランスの現代思想の専門家の面目躍如の、地に足がつき、なおかつ頭が空の雲を突き抜ける独創的な面白文章空間が現出している。


 < 過去  INDEX  未来 >


イセ [MAIL]

My追加