読書日記

2004年09月19日(日) 『小説トリッパー AUTUMN2004』(朝日新聞社)をつい読む。

『小説トリッパー AUTUMN2004(週刊朝日別冊)』(朝日新聞社)をつい読んでしまった。
あざとい特集名「本と書店をめぐる冒険」と表紙の出演者、佐野眞一、橋本治、中島梓、永江朗、鹿島茂、山形浩生にごまかされてしまった。
テレビのワイドショーのごとし。
読むまでもなかった。別の、たとえば創元推理文庫の新刊を買えばよかった。
全404頁のこの雑誌、中ほどにある書評欄を足しても80頁程度しか特集にあてていない。仮にも「冒険」と称するならば、日曜の新聞書評欄に毛の生えた程度以上の力の入れ具合というものを見せてほしかった。
どこが冒険なのか、どこに冒険があるのか、
と夜中に書く文章はつい暴走を始める。そうだ。
最近出た単行本と似た特集名でなくどうせつけるなら「本と本屋に関わる重要な暴走」とか「村上春樹に助けられたい冒険」あるいは「ハリー・ポッターを囲む冒険」などとか。
天下のノンフィクション作家にインタビューして終わりなんて逆の展開。もっと深く掘り下げて拡げてくれないと困る。
これでは『本コロ』文庫版の巻末解説のおまけにではないか。
以上、問題の大きさのわりに随分読みごたえのない内容だったので残念でした。
この私の文章の拙さについてはもっと無念。



2004年09月18日(土) 中条省平『クリント・イーストウッド』(朝日新聞社)を読む。

中条省平『クリント・イーストウッド』(朝日新聞社)を読む。
副題「アメリカ映画史を再生する男」の通り、映画監督かつ俳優としてのイーストウッドの歩みがアメリカ映画の歴史的展開と重なることを好意的に実証している。
アメリカ映画が大作主義に走り内容面で行き詰まった後も、イーストウッドの進化は続き、その存在感は薄れることがない。すでに重要な映画監督の一人である。

彼の映画を見たくなる刺激にあふれている。
私は『ダーティ・ハリー』シリーズの三作目で、新米婦人警官(タイン・デリー)と組んだハリーが好きで二回も見てしまった。



2004年09月17日(金) 山崎まどか『ブック・イン・ピンク』(晶文社)を読んだ。

山崎まどか『ブック・イン・ピンク』(晶文社)を読んだ。
今年2004年2月初版のこの本を読むきっかけは何かで読んだ書評または紹介である。晶文社の本はそのことだけで点検の心が向くから得だが、ピンクとイエローの表紙からは遠ざかりたいものだ。表題の下に「おしゃれ古本ガイド」の「古本」の二文字がなければ素通りしてしまうところだ。
題名はいわゆる素人っぽいが、中身はれっきとした玄人の仕事である。
ピンク、レッド、ブルー、ブラウン、グレーの五部構成で、さらに乙女御用達風テーマ別「本棚」が配置されている。各本棚の本については平均四百五十文字前後のコメントがつき、著者が相当の読み上手、紹介上手であることがわかる。
「スラプスティックな本棚」などというものまであり、守備範囲の広さというか攻撃力の確かさというか、とてもかなわないなと思う今日この頃である。
こういう本を空想したことがないわけではないので、感心するのみ。
別の本棚には、アイリス・マードックの「ユニコーン」まで並んでいる。



2004年09月16日(木) 『季刊 本とコンピュータ 2004秋号(第二期13) 』トランスアート

『季刊 本とコンピュータ 2004秋号(第二期13) 』(トランスアート)を通読。真摯な議論や文章は娯楽に近づく。一気に最後まで読んでしまう面白さである。「『本』のために『コンピュータ』はなにができたか」という特集テーマのもと、梁山泊のごとく有能な執筆者たちの熱心な文章、インタビュー、対談、議論が集まった。
第一部の討論には、北田暁大、清水徹、永江朗、荻野正昭が登場。
第二部は、次の通り。
ルポ「マンガ電子化、その『夢』の行方」栗原裕一郎
鼎談「雑誌と百科事典と新聞が、電子化の大波を受け止めた」元木昌彦、矢野直明、龍沢武
座談会「戯曲の『版木』を残したい」佐藤信、和久田頼男、津野海太郎
「技術よりも人が見えてきたー電子テキストの八年」廣瀬克哉

ほかにも、小熊英二、東浩紀、山之口洋、仁木麻里などの文章も良い。
これからも折に触れて読み直すためのきっかけとなる魅力ある内容になっている。
あと三回で終わりとは残念だ。まだまだ読み続けていたい。


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