ヤグネットの毎日
DiaryINDEX|past|will
僕は息子の話しになると、とくに涙腺がゆるみがちになる。 昨日もウルウルとしてしまったことが2回もあった。一つは、朝、保育園に送るときのこと。 「ねぇ、お父ちゃん、うちもペットを飼うことにしようよ。ずっとほしかったんだ。」と息子。 「どんな、ペットがほしいの?育てるのは大変だよ。(君を育てるのだけでも大変なのに…)」と父。 「う〜ん、小鳥さんがいいかな。かわいがってあげたいんだぁ」と息子。
「さびしい」という言葉はでてこなかったけれど、一人っ子の息子は、家でも親以外に遊び相手がほしいんだろうな。家にいるときには、もっともっとかかわってあげたい、と思ったとたんにウルウルときてしまった。
もう一つは、お迎えの車の中。保育園のノートに、今日からはじまった「水浴び」で、シャワーの浴び方とタオルの使い方を先生が説明をするのに、息子がお手本をみせてあげたそうだ。それを、とても自慢げに話してくれた。頭をおもいきりなでながら、「よくできたね〜〜♪」とほめてあげたら、顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。その姿をみたら、またウルウル。やはり、基本的に「親ばか」なのだ。
庭に咲く紫陽花がとてもきれいだ。 僕が小さいころ、家の庭先に咲く紫陽花は、庭木の手入れをする母親の姿といつもダブっていた。家の思い出は母親の思い出といろんな部分で重なる。 共働きの我が家では、「紫陽花がきれいだ」とその前を通りながら思っても、ゆっくり鑑賞する休日にはもう紫陽花の輝きは失われてしまっているだろう。忙しい中だからこそ、そのときどきの感動やおもいを家族が語りあって、共有することが大切なのだ。
|