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2003年10月18日(土)

今までここに書く事は無かったが、私は癌の摘出手術を受けている。
2000年暮れに大腸癌の告知を受けた。
そして2001年2月に腹部切開による摘出手術。
告知を受けた時に「転移は腹を開けてみなければ判らない」という事だった。
まあ、色々な検査である程度は判るが、細かい癌までは判らないという事である。
不思議と恐怖は無かった。
それよりも淡々と「死」というものを身近に感ていた。
無事手術が終るまでの約2ヶ月間は「生と死」というものについて両方考えた時期であった。
正確に言えば「どう死ぬべきか」という事が心の多くを占めていた。
やっておきたい事…というものがやたらと浮かんできた。
我が人生を遡ってみれば、死にかけた事は4回あった。
しかしその内の3回は突発的な出来事であり、じっくりと「死」と向き合うという
事は初めての経験であった。
それを体験して私の中に自分なりの「死生観」というものが生まれたのである。
何故、今になってこんな事を書いたかというと私は最近「甲冑」を誂えた。
甲冑というものは「生き装束」であり「死に装束」でもある。
そこに私の死生観とダブる何かがあったのである。
今、こうして生きていられる事。これは様々な縁に依るものと思っている。
時が経てば色々な事を忘れがちになるものである。
あの2ヶ月間を忘れない為に「死生観の象徴」として甲冑を誂えたのである。


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