【読書記録】中田永一「百瀬、こっちを向いて。」 |
ストーリー:脳死の一歩手前である遷延性意識障害に陥った患者が目を覚ます確立は極めて低い。しかし、奇跡的にも意識を取り戻し、そして5年の月日が過ぎていることを家族から聞かされた主人公・姫子。5年前に高校1年生で、近所の小学生・小太郎の家庭教師をしていた記憶で時間が完全に止まっている姫子は、今という名の現実に違和感を覚えながらも、なんとか受け入れ、溶け込もうとする。そんな中、あの日の記憶がゆっくりとつながってみえてきた真実は、とても鋭利で苦しいものだった。(『なみうちぎわ』より)
表題作の『百瀬、こっちを向いて。』をアンソロジーで読んで「誰だこの作家さんは…!」と仰天したのも記憶に新しいが、気がついたら一冊の本になっていた。ということで、待ちに待った中田さんの一冊。 百瀬〜と『なみうちぎわ』はそれぞれアンソロで読んでいたので、『キャベツ畑に彼の声』『小梅が通る』(書き下ろし)が初読。んー、それぞれに面白かったけど、私が中でも好きなのは『なみうちぎわ』かな。姫子に悪態をついて、減らず口ばかりたたく登校拒否児の小太郎。どことなくサルを連想するような少年なのに、その実抱く不条理にいらだつ様子はまさに通りが通っているからこそ、彼じゃなくてもどうすることもできなかったように思う。その一方で、姫子という人間のしっかりした堅実な人間像、そして5年後の小太郎の様子がとても緻密でこれがとてもきれいだな…と人間的な魅力を感じた。繊細さ、といえばいいのかな。最後まで読んだとき、小太郎が何を抱え、姫子が何を見て、二人が焚き火をしたとき、どう変化していくのかまで全部が一本の細くて綺麗な糸になったようで、作風が好きでした。
巻末の初出一覧を見ていると、百瀬が05年、なみうちぎわが06年、キャベツが07年で出版が08年なので、一年に一本のペースで書かれていることがわかります。それを意識して読んだわけではないのですが、一編ずつちょっとずつ作風が違うようにも感じました。 そもそも中田さんというのは、もともとプロの作家で別名義でも出版しているような方だといううわさがしたたかに流れたように、百瀬〜ではうわさされる作家さんの名前を見ても、「なるほど文章の特徴がなんとなく似ているかもしれない」と連想できるものですが、後半になるにしたがって、ちょっとずつ変化が見られる。なんと表現すればいいのか、うまく伝わらないかもしれないけれど、初期にあったシュールな感じが、ちょっと違うものに変化しているように見受けられた。
ただ、どの作品もちょっと違った角度から物事を捉えていて、みんなに共通するのが地味な主人公。なのに、それぞれがいいキャラクター。 そういった意味では『小梅〜』はちょっと別の意味での地味なのですが…。実は母はかつて女優をしていた人間で自分も町を歩けば男性が振り返らずにはいられないほどの美貌の持ち主なのにもかかわらず、人に注目されるのがいやな主人公(『小梅〜』)だとか、自分は地味で恋愛なんておこがましいと思っている自称クラスの底辺主人公(百瀬〜)だとか、個性はあってもクラスでは埋没しているような子が主人公で、特に『小梅〜』の主人公の見られるのが得意ではない、むしろ苦痛で、自分の生まれ持った顔に普通とは逆の意味でのコンプレックスがある、という展開はとても興味深く、彼女がそれゆえに経験したことはある意味リアルで悲しい。
ああ、まとまってませんが、とにかくどれも面白かった。思いっきり恋愛ものかと思いきや、実は軽いどんでん返しが用意されたりしていて、恋愛小説といっても過言ではないのに、あっと驚かされる仕組みはとても新鮮で楽しく感じられました。今後もアンソロを中心に活動なさるのでしょうかねー。 NO.21■p260/祥伝社/08/05
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2009年09月01日(火)
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