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おとなの隠れ家/日記
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2008年03月24日(月)
時間。



右腕が痛いのは、さほど変化がない。
あまり痛い思いをしなくなってきたけれど
それは治ってきたんじゃなくて、痛いことを避けているから。
右手で持とうとして、あ、こっちはダメだったんだと
左に持ち替えているだけのこと。
湿布も3日で飽きた。
知り合いから、忘れたころに治ったって話を聞いたのもあり
そか、わたしも自然治癒力を信じようと、現在は放置中だ。苦笑

風邪薬なんかもそうなんだけど
どうも3日ぐらいが限度なのよねぇ、わたし。
それで効かなきゃ、あとは飲まなくなる。
わたしの中での時間がある。
向き合う時間が、コトそれぞれについて
流動的でありながら確実にある。

たとえば、すっぽかし。
2回までは許容範囲だが、3回目には気分がわるくなる。
相手によって、3回目まで容認する場合と、3回目は無い場合がある。

人付き合いに関しては、もともと付き合いを始めることにオープンではないほうなので
スタートするものは少ないということを前提に
一旦スタートさせると、そう縁は切れないほうだ。
が、人付き合いの中で違和感を感じた一回目からその後一年あまりの間に
もう一度、致命的な違和感があると、すぱっと切る。
その一年の間に、打診はしても直接伝えたりはしない。
人それぞれに生き方だのやり方だの好みだのあるわけだから
それを尊重しているつもり。
打診に対して問いかけがあれば、いつでも答える用意はあるが
往々にして、相手は気づかない。
ならば結構、さようなら、ってのがわたしだ。
合わないこと、伝わらないこと、くみとってもらえないことについて
無理な行動をするつもりは、さらさら無い。
これら時間的なもの、何回とか一年とかいうのは
これまで生きてきた中に見られる統計でしかなく、意識しているような風はない。
わたしの中の何かがオートで働いた結果みたいなもんだ。

人付き合いというのは、フィフティ・フィフティが基本だと思っている。
いつも、必ず、というのではない。
あるときは、かたよっていてもいい。
けれども、自分だけが大変なのだと思い込んでいるようでは
人付き合いは成り立たないね、わたしの場合。
助け助けられ、譲り譲られ、結果的にフィフティ・フィフティであればいい。
これもまた意識しているわけじゃなく、付き合いが長いものを振り返るとそうだから。
ところが世の中には、このわたしの基本を踏みにじる輩が少なくない。

わたしは、とりあえず人が言うことは信じる。
明らかに信じがたいことならば、適当にやりすごすけれども
別にそれがウソでもホントでも、わたしにとって差し支えのないようなことは
疑う必要もないだろう?
が、ときどき、どうしてそんなどうでもいいことや
あとからバレるとまずいような内容でウソをつくんだろう、ということに遭遇する。
すると、人間性を疑う。
まあ、厳密に言えばウソの内容にもよるけれど
ひとつのウソで、どうこう言う気はない。
けれども、そのウソがふたつ、みっつと重なれば、まともに付き合う気にはなれない。
特に相手を批判すもりはない。
うそつきさんで結構、さようなら、ってね。
どうでもいいんだよね、ウソでも騙しでも。
間もなく付き合いが終わるだけのこと。

わたしはネットだから、リアルだからといって付き合い方を分けることは稀だ
ということは、何度も書いてきた。
わたしとネット上で出会い、書き物を読んだり、言葉の交流で
わたしという人物をどう描こうが、それはその人の勝手であり
どう思われようが、他人の心なんてわかんないからさ、わたしの関知するところじゃない。
良くも悪くもわたしはわたし。
昨日と今日で同じかもしれないし、違うかもしれない。
何があって、何を感じ、何を思い、何に気をもんでいるか書いているだけ。
ただのど素人の言葉が並んでいる中から浮き上がってくる「わたし」と「わたしの言葉」に
何かしらの興味を持った方々が言葉をかけてくる。
これはわたしも同じで、誰かの書いたものを読んで言葉を残すところから出会いは始まる。
行きかう言葉の中に付き合いが出来上がっていく。
言葉だけでもね、時を重ねると人間性は見えてくるもんなんだよ。
顔が見えても見えなくても、相性のようなものはやはりあるしね。
顔が見えないことを逆手にとるのは、本人が楽しければいいという世界で
そういう楽しみ方をするのも勝手だが、わたしには必要ない。

人付き合いは、出会ったもの同士が、その後のお互いの時間をどう共有していくかによる。
ネットだと人付き合いの縁が切れやすいということも耳にするけど
それは「人付き合い」と呼べるほどのものじゃなくても、そう呼ぶからだとわたしは思う。
リアルであれば、通りすがりみたいな程度の付き合いが、そうなんじゃないかとね。
人と人である以上、ネット上でも感情はついてまわるわけで
だから友情や恋愛、間違えばいじめだってあるわけで。


いずれにせよ、人付き合いにうんざりしているわたしが、今ここに居る。
で、気分は引きこもり風。
言葉を交わしたい人たち、大切にしたい付き合いがあって
アクション起こしたいのだけれど、つい先送りしてしまっている。
心の中でごめんなさいと言いながら、もちょっと待ってくださいと
明日は元気になってるかもだし、なんて言い訳している。
わたしの中で、モヤモヤした時間が流れていて、原因は自分でもわかっている。
どうにかしたいけれどエネルギーがわかない。
溺れている感覚がある。
こうなると、わたしの性分のひとつである逃避に走る。
走りながら、今まで納得できずにいたいくつものことが思い出され、すごく腹が立つ。
時間を無駄にしている自分にも腹が立つ。
とはいえ、トーンダウンなもんだから、爆発もできずにいる。

友人が「書く」という表現方法で、自分と格闘していることを知った。
わたしも見習ってみようと思って、今書いているわけだけど
まとまんねぇな、わたしの場合。自爆
まあ、いいや。
もちょっと書いてみよう。





人それぞれに時間が流れている。
人それぞれに何かを抱えていて
人それぞれに感情がある。

意見や気持ちの問題でぶつかりあったり
ささやかなウソや、創作があったり
ときには感情的になって大喧嘩したとしても
それらが相手のことを知りたかったり、相手に何か伝えたかったりするような
熱の入ったことならば、縁はそう簡単には切れないものだ。
そこに自分かわいさ、打算、ひとりよがり、思い込みなんかが
あまりにも見えてくると、喧嘩する気もおこらない。
萎える。

人付き合いというのは、必ず自分の時間を割くものだ。
しかもエネルギーを使う。
それが、イヤなわけじゃない。
そういうものだ。
相手が嬉しそうにしていれば、こっちも笑顔になるし
相手が辛そうにしていれば、うまく言葉をかけられなくても心配になる。






一度始めた人間関係が続くも終わるも、わたしが決める。

(そうそう、それで良し! と、何気に自分にハッパかけてみる)