2005年03月31日(木) |
メンテナンスフリーな子どもの親は誰か |
昔の用便はどのようにしていたか、という子供向けの絵本。 ロール状のトイレットペーパーとそれ以前の単用紙の、 そのまた前はどうなっていたのか、そういえば知らなかった。
少し昔の話では、新聞を切って使ったらしい。 大変昔の話−地方によっては3・4世代ぐらい前−では、 稲藁や葉や竹を使っていたらしい。 稲藁や葉を採取したり竹を小割りにしたりと、 それなりの仕様に加工することは、大切な日常作業の一つだったと、その本には書かれている。
その中の記述に、子どもの世話に関する部分があって、 親は子どもが用足しをしている間に、硬い稲藁を やわらかくほぐしてやったものでしたと書かれている。 子どもが用便する度に、やるのだそうだ。
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小さい子どもの衣食住は、何もできないところから始まって少しずつ自立に向かう。 そしてこの過程に寄り添っていくのは、親の名誉ある仕事なのだ。 過干渉とか過保護とはちょっと違う。
父親や母親が、自分の日常が滞りなく進行していかれるように黙々と段取りをし、 細かい作業をし、自分にあてがってくれるのを見ることで、 根拠のはっきりした感謝や信頼の気持ちをもてるとすれば、 それは幸せな親子の姿だろうなと思う。
犬や猫だって、世話をやいてくれる人に信頼を寄せるから、 人間もおそらくそういうものだろうと思う。
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現代の日常生活から面倒な世話や手間が失われていく中で、 あるいは、親の自己実現や社会参加とのせめぎあいの中で、 親が子どもに具体的な世話をするという機会が、圧倒的に失われている。
それに、大人でなければできない作業というものが、見渡せばほとんどない。 カメラというのは昔は複雑な操作が必要なものばかりで、 あれは完全に大人の道具だったけれど、今やどうだ。 車の運転だって、小学生高学年にもなればきっと物理的にはできる。 ゴーカートみたいな、そういう仕様を目指してきたのだから。
子どもに、大人を尊敬しろと言っても、現実が乖離していて理由がみつからない。 大人は大人で、子どもにしてやることがなく、自信を失いがちである。
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育児業界では、メンテナンスフリーの子育てに向けて、 便利な道具やサービスを編み出してくれるけど、 「子どもに甲斐甲斐しく世話をやく」という親の特権を 手放しで市場に売り渡す必要はないだろうと思う。
2004年03月31日(水) 書を捨てよ街へ出よう
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