文芸春秋12月号に、玄侑宗久氏の「お墓はあなたのものじゃない」という記事。
「千の風になって」という歌に後押しされて昨今ブームになっているという、 埋葬の個性化、個別化への問題提起をしている。面白く読んだ。
墓という場所で自分という存在を永遠にしておきたいという欲望について、 それは幻想であると氏は一喝し、成仏せよと言っている。
また氏は、個としての存在はいずれ溶けてなくなるものであり、 その事実を受け入れて生きてきた昔の人々の、覚悟の美しさにも触れている。
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死に際までセルフプロデュースするような最近の風潮に、 なんか変だという違和感を言葉にできずにいた。
ある世代が戦争でぽっかり死んでしまっているということは、 死に方の良い前例や慣習的な死生観を知らないということだ。 これは、とても深刻な文化的損失だと思う。
千の風を歌う世代の人達は、どういう風に自分の人生を締めくくっていいかわからず、子どものように戸惑っている。 私にはそんなふうに見える。
だから、少しの間、奇妙な埋葬のトライアルがあったとしても、 −生前に行ったこともないエーゲ海に骨を撒いてほしいとか−、 それは仕方がないのかもしれない。
このことについては、まだ自分でも未整理である。
2006年11月15日(水) 西陽の幻 2004年11月15日(月) サラリーをもらって戦地へ行く人
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