2007年12月02日(日) |
「シビリアン」再考の時 |
防衛省をめぐる騒動への関心を押し静めるように、 スキャンダラスな人殺しのニュースが目の前に並ぶ日々。 そう、私達はフォアグラの鴨みたいに、情報を強制給餌されている。
防衛省だけではない。 火の粉を消したがっているのは厚生労働省も然り、である。
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専門家による審議は、ずいぶんその信用を落としている。
米国産牛肉の輸入をめぐる食品安全委員会頃からぼんやりとその不信感は醸成され、 その後は、愛国心教育に熱心な教育再生会議、 柏崎原子力発電所の安全性をめぐる原子力安全委員会と続く。
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文民統制というのは一般に軍人以外の文官が軍隊を統制することを意味するけれど、 文民統制を必要とする脅威は、軍事以外にもある。 科学技術の暴走もその一つだと思う。
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文民−シビリアン−の本質は、文官を指すのではないと私は思う。
行政という巨大なシステムは、それは頑丈にできている。 そしてそれは、まるでUボートみたいにただ巨大で頑丈な鉄の塊ともいえる。 小回りがきかないし、目の前の危険に迅速に対処できない。
そういうものが危うくならないように、 「凡人」が小回りをきかせて「嫌だ」と方向転換できるのが、 本当のシビリアンコントロールではないかと思う。 迷走する専門家には、その役目はできないのである。
2005年12月02日(金) Think Think Think
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