サウンドトラック

トレーニングの成果か?
脳年齢62歳から43歳に進化したカオルです。

無能ぶりをご紹介。

サントラというと、映画音楽のイメージなのです。
サントラ・・・サウンドトラック。

ちょっと興味があって、gooの辞書で調べてみました

サウンド-トラック [sound track]
映画フィルムの録音帯。音声を記録した、フィルムの縁の部分。また、そこに録音された音楽。サントラ。


学生の頃に購入していたサントラCDというのは映画音楽の
ものばかりで、映画で流れるBGMともいえる音楽がクラッシックで
再録されたものだったりしました。歌の入らない楽器のみのCD。
テーマ曲もinstrumentalだった記憶があります。

なので、まさか歌ありだなんて思ってもみなかった私。

今度、ある舞台のサントラ盤が出るようなのですが
着メロ、着うたがありますと宣伝を聞いて
疑問符が頭をよぎっていました。

色々と考えて、インストあり、歌ありと判明。
個人的に今更驚愕。びっくり。楽しみ。

今更デスネ。


2006年01月06日(金)

衝撃的なショックな出来事。

新年早々、私的心臓が止まるようなことを体験しました。

夫実家に挨拶にいったときのこと。

わんことにゃんがいるのですが、
にゃんはジジという黒猫です。魔女の宅急便から名づけられました。
久しぶりに会ったのに、にゃぁーーと足元に甘えてくるので
「かわいいやつだ・・」とにゃぁにゃぁしていたのですが・・・

モモの市販のおやつを持参するのを忘れたため、台所で鶏肉を茹でて
いました。ジジにもあげようかなぁと台所に来たジジに
「ジジ」と声をかけたら・・・

なんか・・・・クワエテル。
そして・・・・私に見せてくれようとしている。





いやいや、見せてくれなくても全然いいから。
いやいや、ちらっと見えてしまった。
はじめてみた。噂には聞いたことがあったけども。




ちゅーちゅーねずみちゃんをくわえたジジ。
まかり間違えても私にプレゼントとか言わなくていいよ。
震え上がり、われも忘れて、叫び!!
机に乗ろうかと思ったのですが、親切なジジが机の上まで
持ってきてもらっても困るので

一応、悲鳴をあげておきました。


びっくりした・・・・衝撃ショックを味わいました。
やっぱり冬はショックな時期だわ。




2006年01月05日(木)

初詣に行きました。



モモちゃんと初詣に行きました。
今年は戌年なのですよねぇ。
モモは1999年生まれなので、何年なんだろう?
でも戌年にちなんで(笑)破魔矢をいただきました。

そしておみくじ!!!
なんと、今年は「吉」でした。嬉しい〜嬉しい〜
ちなみに去年は「凶」

よい年になりますように。

年末年始です。

私は実家に帰っておりました。
移動は飛行機。時間的には飛行機も新幹線もあまり変わりません。
ここ半年ほどは、飛行機移動が不安だったので、新幹線を使っていましたが、色々と面倒なので今回は飛行機にしました。

年末の20日頃、いつものようにネットで予約をとったら、3日以内に航空券を購入してほしいとのこと。航空券を購入しに行くのも面倒だなと思ってJALに電話をかけたら、JALのお姉さんが愚痴るように「予約ばかり入れて乗らない人が多くて、予約では満席なのに、空っぽで運行することがあるため、航空券を発券してもらうシステムになったのです・・」と訴えていました。私は優待券使用なのでその旨電話をすれば、当日発券に変更してくれるということです。一日中全便に予約を入れる人も多いらしい・・・

最近は大人になったので、飛行場の混雑を緩和するために
待ち時間はラウンジを使ったり(トイレも並ばなくていいし、ソファーもある、フリードリンク!)座席もクラスJに乗ったりします。座席も広いし飛行機から降りるのも最初だし、荷物を上に入れるのも混雑していなくていいし。大人っていいな。

帰りの便は窓際でした。
JALしか乗らないので、他の飛行機会社は知らないのですが、飛行場で出発のときに整備の人が並んで手を振ってくれるのですよね。あれが好きです。
あと滑走路を飛行機が順番待ちして並んでいる姿とか好き。
飛行機が飛び立つときも、好き。
おりるときに逆噴射するのも好き。

地上の天気は雨だったのですが、空の上はもちろんアオゾラで
雲の絨毯の上を飛んでいるみたいでした〜
快適。

そうそう、クラスJに乗るとドリンクを配るときに
「●○さま、いつもありがとうございます。お飲み物は?」と聞かれるのですよね。凄い!名前まで把握されるのか?50分の飛行時間で。
おやつもいただきました。

寝ていたら、このおやつを袋にいれてお土産でもらえるサービスを
うけた人のことを思い出しましたよ。さすがVIP!!

うちの祖父が飛行機大好きだったのですが、祖父母はハイジャックに遭ったことがあります。どこからか(JALか外務省?)からテレビの速報よりも前に自宅に電話がかかってきて、母親が「これから騒ぎになって外に出れなくなるから、スーパーに買い物に行こう」と数日分の食料をどっさりと買いにいったことを覚えています。もちろん無事に帰ってきました。子ども心に記憶に残っているのはそのときに会社の黒塗りの車で祖父と私が2人で一緒に飛行場から家に帰ってきたこと。あとは家にメロン(当時は高級だった)と蘭のお花がどっさりと届いて、毎日メロンが食べれて嬉しかったことです。結構単純。

でも飛行機なんてコリゴリなのかと思ったら
祖父は翌月には所用で飛行機に乗っていました。この神経は凄い!
祖母も数ヶ月は乗らなかったですが、夏は北海道で毎年過ごしていたので恒例だからと飛行機で行っていましたねぇ。逆境をものともしない(拘らない)のはこの辺の血筋でしょうか?

そう、買い物に走った母は、阪神大震災のときに(地震が起こった直後、私は関西でこんなに大きな地震があったからには和歌山か東海に違いないからと心配で実家に電話をかけたのでした。)すぐにお風呂にお水をためなさいといったのでした。直後にはマンションの貯水タンクにはまだ残っていたのですね。とりあえず、ためたお水はその後出なくなった一週間のトイレの水として活躍したりしました。そういう危機時のひらめきが凄かったです。
2006年01月04日(水)

たからもも / 薫

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