日記でもなく、手紙でもなく
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2003年08月01日(金) 歌の聞かせどころを自動的に頭出しする....

 ネット上でCDの検索をすると、しっかりしたサイトでは、曲目一覧はもとより、一部(場合によりほとんど全曲目)30秒程度ながら、そのCDに収録されている曲を聞くことができたりもする。

 問題は、この30秒というところ。一曲あたり、たとえば3〜4分とすると、30秒というのは、その曲の6分の1〜8分の1程度。決して短いとは思わないが、十分楽しめるという長さではない。
 以前も、検索をしてみて、おお、曲が聞ける!と喜んだものの、これがヌカ喜びに終わった。曲の頭の30秒で、サビのところに行き着かずに終わってしまったからだ。いわゆる、ヴァースの部分だけで終わり。

 頭の30秒ということで、ちょっと有名な曲、例えばイヴ・モンタンがフィリップスに録音した<枯葉>という曲のことを考えると、モンタンがぶつぶつと呟いている(この部分にも、本来はメロディがついてはいるが、モンタンはディクションでこの部分をやってしまったから、ぶつぶつ呟いている)ところでオシマイ。
 有名なメロディの(日本語訳詞では)「か〜れ〜は〜(枯葉)よ〜.....」(C'est une chanson−−)という部分は、聞けないから、この部分だけを知っている人は、一体自分が知っている枯葉なのかどうかは、分からないままになるわけだ。

 ま、これはしょうがないのだろうなぁ、などと思っていた。
 サビの部分を選ぶとなると、これはなかなか大変な作業になってしまう。人手で(人の耳で)確認しながら、30秒を切り出す、という作業だから。

 では、30秒だと、いい曲かどうかわからないか、というとそうではないこともよく知っている。
 TVCMだと、15秒か30秒という短い時間なのだけれど、とても印象的な曲をそれで初めて知ったり、CMでその曲が好きになったりしたことがある人はかなり多いはずだ。

 曲の聞かせどころというのがあって、CMの場合はその部分をうまく使っている。

 今日の新聞(日経朝刊15面、中ほどの囲み)に、産業技術総合研究所(後藤真孝氏)が、「コンピュータで楽曲の構成を分析し、さわりの部分を素早く見付けて再生するソフトを開発した」という記事があった。
 性能テストでは、約8割の曲で、適切な頭出しができたという。

 曲の試聴はもとより、携帯の着信メロディを切り出すという使い道がある、ということも書かれていて、これはなるほど、と思ってしまう。


2003年07月30日(水) 千両箱入り金貨、売れているらしい

 今どき、千両箱というのは、なんとも時代錯誤のような感じがしないでもないが、その千両箱に、ウィーン金貨を詰めて売っているのが、田中貴金属。
 ウィーン金貨は、現在一枚5万円程度らしいのだが、100枚〜500枚、詰めてある。100枚入りだと500万円。

 今年の1〜6月上期で、千両箱入り金貨の販売量は3万3千枚弱に達し、発売1年半で、この金貨の販売は10万枚を突破したことが発表されていた(本日付日経朝刊)。
 しかも、この販売総量の10万枚強のうち、千両箱入りで売れたものが、全体の48%、ほぼ半分はまとめ買い、ということになる。

 一時期、金というのは、かなり底値を這いずっていたような気がするが、最近はまた人気が出てきているようだ。長い不況期には、この金というのは、必ず見直されてくるようなところもある。
 なお、金貨500枚入り(約2500万円)の千両箱は、合計29個売れたという。やはりお金は、あるところにある、こればかりは疑うことのできない昔からの真実。


2003年07月29日(火) 神保町

 もうずいぶんここに来ていなかった気がする。
 地下鉄の駅を下り外へ出てみると、なぜかそんなふうに実感してしまう。

 別に、すごく変わったということではない。古書店は相変わらず多い。昔よく探しに来た佐々木レコードも健在。<さぼうる>などという名前の喫茶店もまだある。集英社と小学館のビルも記憶の中にあるままだし、神保町の交差点のキムラヤの看板も、(かなり古びてきているような印象はあるものの)そのまま。
 新世界菜館という、縦書きに書かれた店名が、なかなか中国風なのも変わらない。

 ただ、すずらん通りなどを歩いてみると、食べ物やの風情が昔とは全般的に変わってきているようだし、その食べ物やが増えているような感じもする。

 すずらん通りの南側のエリアに、比較的背の高いビルが2つ並んでいて、地下鉄の駅から見て右側のビルには、いかにも今風の店の装いをした店が、ずらっと並んでいたりする。
 左側の三井ビルの東側には、タリーズのかなり大きな看板が見える。

 何か、神保町界隈、基本的なところが変わってきているような印象を受けてしまって、それで一層ずいぶん来ていなかった、というような実感を持ったのかもしれない。
 その基本的な部分というのが何かは、どうも説明し難いのだけれど、以前はもっと本を(真剣というか、必死になって?というか、そんな雰囲気で)探しに来ていた――ような人が多かった、そんなふうにも思える。
 その辺が希薄になっているような.....

 ちょっとした用事の後、ほんの少しだけ、神保町をぶらっとしてみた感想。


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