日記でもなく、手紙でもなく
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2003年08月05日(火) 雷雨

 午後、西の空が真っ暗になり、大粒の雨に変わる。
 夕方の時点で、この大雨のために、JRで運転見合わせがずらっと出てくることになる。

 午後7時を過ぎる頃にやっと小降りに。8時少し前会社を出ると、かなり温度が下がっていた。上着を着ていても良いくらい。

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 夜、友人から電話で、同じクラスだった人の訃報が入る。癌。
 少し切ない気分。


2003年08月04日(月) 削除しました



2003年08月03日(日) 麻生圭子<京都で町家に出会った。>を読みました

 京都の家は、時々「鰻の寝床」に喩えられます。
 もちろん京都の町家づくりのことを指しているのですが、京都の人が、そのような家のことを以前から<町家>などと呼んでいたわけではありません。下降イントネーションで、「うち」とか「いえ」(関東・標準語ではほぼ同じ音程か僅かに上がる)とか言っているだけで、その中には、大店もアパートも、基本的には全て含まれます。
 (他所に住んでいる人から見ると、独特の形態ですが、京都のこのような家に住んでいる人からすると、普通の家。もちろん、かなり古びた感じがするのも事実ですから、今風にもっと住みやすく手を入れている家が大半ですが。)

 最近になって、この町家という呼び方をする人も、中には少しいるようです。
 碁盤の目に区切られた町並みで、平屋か二階建ての建物を建てていくとき、土地を最も効率的に使う方法が、結果としてこのような住まいを生み出していった、というような話をどこかで読んだ記憶があります。
 角地はお店のような建物として使われたりすることも多いようですが。

 入り口(間口)が狭くて奥行きがある、という形態を、「鰻」のイメージと重ねているわけです。
 ただ、このような形態の家がほとんど隙間なく並んでいるため、一見すると長屋のようにも見えなくもありませんが、しかしこれは間違いで、京都の街中の家というのは、本来的に(そして現在でも)一戸建ての家であることには変わりません。
 通りからではわかりにくいのですが、屋根の部分を注意して見ていくと、それがよくわかります。

 見せかけが「いかにも」の家というのは、京風ではありません。できるだけ《へりくだって》見せる、そのため間口が狭いわけですが、一見たいしたことなさそうな家と見せながら、奥へ行くと凄い(蔵まであったりする!)というのが京風、というよりも京都そのもののような気がします。

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 東京育ちの麻生圭子さんが、この京都の町家に住みたいと考え、建築をやっているご主人と悪戦苦闘の末、(昔のままの)町家に住むようになった「いきさつ」が書かれているのが、この本です。エッセイというよりも、麻生流ドキュメンタリー。同時に、町家の構造をかなり明瞭に描いているようにも感じます。

 入り口から土間が続き、その土間に面して、手前〜中〜奥の部屋が置かれています。そして、土間は家屋の一番先まで続き、その先には小さな庭があったりする、そんな家のイメージ。従って、入り口から庭の明かりが見えると同時に、家の中にまで通りを引き込んでいる、というのが麻生さんの捉え方。面白い見方だと思いました。

 子供の頃、南禅寺(のすぐ手前のエリア)にあった親戚の家が、まさにこのような町家でした。
 2階へ上がっていく傾斜角60度くらいは十分ある急な階段。通りからは、この家に2階があるというのはあまりわかり難いところも京都です。ただ、この2階というのは、屋根裏に毛が生えたような雰囲気もあり、天井が低いのも特徴です。

 さて、このような町家ですが、京都市内でも、さすがに古臭い、冬は一層寒い、というようなことで、実際にはどんどんその姿を消しています。残っていても、ある場合は倉庫代わりに使われていたり、京都風の遺産相続の少し複雑な権利関係の問題などがあって、一人が「うん」というだけで貸してもらえるような町家というのは、極めて少ないようです。おまけに、麻生さんの希望である、以前のままの町家ではなく、新建材をやたら使って、変な形で手が入ってしまっている町家のほうが圧倒的に多いわけですね。
 貸そうとすると、そのような形で不動産屋が手を入れてしまう....、そのため大家さんとしては、昔のままに戻して使おうとすることはご法度、といことになって、なかなか希望に添うような物件が見つからない、わけです。

 このあたりのやりとりを描いているところは、本当に京都です。笑ってしまうものの、もの悲しいくらい。

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 引越しに際して、新しい床板を、この漆塗りにすることになるのですが、小松(石川県)から漆塗りの職人さんを呼び、漆の塗り方(拭き塗りという方法)を習い、自分たちで漆塗りをやってしまいます。

 この本を読んでいて、知っていたふりをして全く知らなかったのが<漆>についてです。
 漆塗りの箸や椀というのは、何百年も土台の木の部分が腐らないから、それだけ長く使える、ということはよく知っていました。もっとも、硫酸にも溶けない(!)、というのは初めて知りましたが、それでも、まあ認識レベルの違いというような話にして、逃げられないこともありません。

 これはともかく、一番肝心なところは、イメージとして<ニス>を塗るのも、漆を塗るのも、似たような作業だろうと思っていたわけですが、これが全然違う。もちろん、漆というのは、その液が皮膚につくと、かぶれるということくらいは、フツウの人なら誰でも知っていることですけど、もちろんこのことではありません。

 実は、漆というのは、それを塗った後、空気中の酸素が漆の中に含まれる特殊な酵素を活性化させ、ウルシオールというものを硬化させる、つまり生化学的な変質が生じる、ということらしいのです。結果として極めて頑丈な変化を生み出すのですが、気温20℃前後、湿度80%程度の環境でないと、この硬化が生じてこないというところ、知らなかったとはいえ、本当にへえっ!と思ったのでした。
 温度を高くしても、低くしても、あるいは極めて乾燥した(低湿度の)状態では、この硬化が全く促進されず、漆はいつまでたってもベトベトしたまま。ニスやペンキなどと異なるところは、まさにこの部分です。

 もう一つは、土壁について。
 土の壁というと、ひ弱そうで、地震への耐性が小さそうな印象を受けるのですが、この印象も修正したほうが良いのかもしれない、とも思いました。
 例えば新建材などで壁面を作るときには、ボンドでくっつけていくことになります。ところが、当初はしっかりついていても、ボンドの寿命が尽きたときに、壁が剥がれてしまうことになります。
 土壁でも、きちんと手を入れて作られているものは、なかなか落ちてこないようです。
 
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 そんなところ、こんなところ、結構面白く読みました。
 以前、単行本で出ていた時に、この人の<東京育ちの京都案内>を読み、ちょっと面白かったので作者の名前を覚えていたのですが、その後本屋でこの人の本に、なかなか出会うことがありませんでした。
 今回は、文庫の新刊を店頭で眺めていたら、これが平台に積み上げられており、早速買って読んでしまいました。

 もともと、2000年に<東京育ちの京町家暮らし>というタイトルで文芸春秋から出ていたものを、文庫(文春文庫)化するにあたり、「暮らし」について書かれているのはごく僅かで、むしろ町家そのものについて、関心を持って書かれている、ということから、標記の書名に変えた、ということが後書きで触れられています。
 「古民家ひっこし顛末記」という副題も付いていて、こちらもよく分かりますね、読んでみると。


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