2003年09月11日(木) |
Septembefr 11,2001 その当日 (追加しました 9/24) |
朝早く起きて東海岸のローカル空港から、アトランタ国際空港へ向かいまいした。そこで乗り換えてヒューストンへ行きます。飛行機を乗り換えて座席に座り飛び立つのを待つばかりだったのですが・・・・・・・・
なぜか、客室乗務員の指示で飛行機を降りなくてはならなくなりました。 乗客はみな、”なにごとー!” ”故障なの?”と不平をぶつぶつ・・・ 搭乗待合室で、座って待っていると、NY行きの手続きカウンターが異常な 騒ぎになっています。係員の放送が怖かった、引きつった表情でアナウンスした内容は・・・”理由はわかりませんがNYの空港は閉鎖になりました。!フライトはキャンセルします。カウンターに詰めよる乗客たち・・”ちょっと!いったいなにが起こったの? 私たちはテキサスに行けるの? 騒然とするエアポート内で夫と二人でぼーぜんと待ち続けることしかできませんでした。・・・・・・
離発着を知らせるTVモニターが一斉に噴煙を上げる国際貿易センタービルを映し出しました。”なんじゃりゃ! 戦争がおきたのだろうか??”エアポートの乗客たちは一斉に大騒ぎです。掃除の女の子たちは、仕事をほっぽり出して帰ろうとしています。おもわず叫んでしまいました、”ちょっとーここ(アトランタ)はCNNの本拠地でしょ?ちゃんとニュースを流してよ。” アナウンスは早口で英語の内容は二転三転して変り、昼ごろにわかったことは、全てのフライトはキャンセルだということだ。レンタカーのカウンターや国内線のカウンターは、黒山の人だかりです。とても外国人である私たちが入っていけるものではありません。しかたがないので、サブを食べて腹ごしらえです。そして、ダウンタウンへ行くことにしたのです。
2003年09月10日(水) |
Septembefr 11,2001 前夜 |
2001年の9月10日、私は、アメリカの東海岸の中都市に暮らしていました。 3年間のアメリカ生活を残り10日として、翌日からは、南部に旅行を予定していました。さて、引越しの荷物は送ったし、明日からは、テキサスをめぐって思い出としよう。と気分はうきうきしていたのですが・・・・・
翌日に、大惨事が起ころうとは、思いもよらなかったのです。明日の朝は、早起きして飛行機にのって、乗り換え空港のアトランタへ行きます。 アトランタに到着するのは、朝の8時半くらいだっと思います。その後に とんでもないイベントがあるとはまったく予想してませんでした。・・・
まだまだ 暑さは続きます。営業のAさん(典型的な日本のお父さんタイプ)が”暑い 暑い ネクタイなんかしてられない”とか言って、ネクタイをとり、シャツのボタンを二つ、三つ外していた。胸毛が見えた。
なんか、すごくいやっだった。何年たっても胸毛には、慣れない。見てはいけない物を見た気分だ。 他の人は、何も感じでないようだ。見る人によっては、これがセクシーなのかもしれん。
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