日の想い
幸花



 

今から数えてそう、たったの6年ほど昔のお話。
私は日本海に面した新潟の糸魚川から長野の大町までの100kmを
約7日間1週間かけてあるき通した。

家族などで行ったわけではなくてそういう企画に参加した。

それから2、3年ぐらいたった後、私はアメリカに行った。
知り合いの家と語学学校との行きかえり
乾いた夏にロスアルトスヒルとある通り
大きな丘、というよりは山道に近い道のりをマウンテンパクで行き来した。


この2つの体験は私に1つの大切なことを残した。


地道なりとも進めば終わらぬものなどない。
必ず、1歩ずつなりとも進めば達成できないことはない。


塩の道と呼ばれる100kmの道のりは、山道を6人1組ぐらいの班に分けて進む。
果てしなくゴールが遠く思えていた。
7日分の着替えと装備をもって、
いつまでこの上り道が下りが続くのだろうかと、そう、考えた。
しかし疲れたといって座り込んでは先に進むことが出来ない。
泊まるところまで辿りつくことが出来ない。


いくらあつくて疲れたからといってペダルをこぐことをやめれば
家につくことが出来ず、治安が良いとは言われる地域であろうとも危険。


もう限界だと、そうひしひしと感じつつ、他人に苦労をしられずとも
それでも一歩。
自分がひどくちっぽけだと感じてもそこにある、あなた。
自分が一歩出すことから始めなければなんにも
おこらない。




けれどもその1歩ですら踏み込むことのできず悩む領域も確かにある。
それが現実で事実。

2001年11月13日(火)



 高所恐怖症

私は高いところがことのほか嫌いである。
観覧車に乗ろうものならなにかにしがみついてでもいなければ
とても平静を保ってなどいられないほどに。
下を眺めると、
そのまま落ちていくという強迫観念が頭いっぱいに支配してくれる。

夢で落下する感覚を味わったことはあるだろうか。
それを高いところに上っているとつねに感じてしまうのである。

話はかわって。

オーケストラの話し合いの合宿のとき、私はひたすら議事録をうっていた。
3日間で約1万文字以上。
決まったことは誰よりも覚えている方だろう。

市民のオーケストラでは年に一回だけ、総会が行われる。
私は大学1年の時それに訳もわからぬままに参加した。
代表が議事録について克明に覚えていることに鮮明な驚きを感じていた。
一度話して決定した事項はもうそれで終わっているのだ。
変更がない限りにおいては。
何について話しをしたか代表は本当によく覚えていた。
私はそのことが印象に残りすぎていたのだろうか。

ここでの体験は非常に貴重でその後の私の行動を多いに支えてくれただろう。

なにせ議事録についてよく覚えることが出来たのだから。
決定したことは履行しなければ信用を失う。人がいなくなる。
生まれたての組織にとって、人がいなくなることは致命的だというのに。
決定事項を忘れるとはなんとのんきなのだろうか。
承認済みなのに。むしかえされるそのロスが惜しい。

いらいらするのに
それでもおしのけて私が上になろうとは出来ない自分に頭にくる。

そう、私は上に立つのではなく、それを補佐する任しか、できないのだ。
それが最も私に向いている立ち回り。
なにか、確固たるものが、足りない。
これだけは譲るまいという心構えが足りないのだろうか。
それとも1人立ちしていないということなのだろうか。

とにもかくにも、高いところは、いやなのだ。
いつか突き止めるべきなのだろうけれども。

2001年10月04日(木)



 事件

台風が日本をまたも襲ったまさにその時。
私は丁度屋内にいた
屋内とはいえほぼ外にひとしいそのバイト先には拭いても拭いても水が入ってくる
しばらくしたらデパートの方が扉を閉めてしまうことになって、
そうしたらようやくまるで洪水の後のような狭いまっすぐの店内は落ち着いた。

横殴りの雨

目の前にあるバスのロータリーに人影はほとんど見当たらぬ。
雨が落ち着いてきて、お店を再び開けたなら、ロータリーは黄色の
タクシーで埋め尽くされ自家用車とバスとごっちゃになって
すごい渋滞となっていた。

17:00までそこにいて、帰宅して立ち仕事で非常に疲れたから
しばらく何も考えず、動かずにいてTVを眺めたりしていた。
ウソコイをフェイオンが可愛いと眺めていた時のことである。
臨時ニュースが画面の上に流れたと思ったら数分後には
ドラマが打ち切られ、特番になっていた。

にわかには信じがたい。

合衆国の世界貿易センタービルが燃えている。
さながら煙突のごとく黒い煙を上げている。
もう随分昔の社会科の教科書だかなんだかで習った
世界一高いらしいその高層ビルは
時間をおいてもろくも崩れ去る。

映画のようにすぐには現実と結びつきにくい

そうこうしているうち形が印象的なペンタゴンに
ヘリコプターのようなものが墜落したという。

それは後に否定されることとなったけれども。

私はとりあえずその時にドラマの打ち切りに頭にきていた。
結局のところ何故だかそっちに頭がいっていたのである。
そしてその後もっと頭にきたのが、やたら分かりにくい報道だったこと。

TVのチャンネルをその時回していた人には分かるだろう。
局によって報道の仕方はかなり異なるものである。
だからそこのカラーがとてもよく、出る。出てしまうというべきか。

因みに、元々つけていた局の報道ははっきり言おう。
慌てた臨場感のみでニュースとはとても言いがたい。
キャスターがどうやら断片的な情報しか
渡されていないらしく日本語になっていない。

次にまわした局はイスラム原理主義などといったことの
解説が主になっていた。

他はあまり印象にない。
ただやはりというかダントツでしっかりしていた局は1局だけであった。

そうやって事態が知れるにつれ、なんともやるせない気分になる。
そんな中で今ごろ新聞社では記事の差し替えなんだろうななどと
結構のんきなことも考えたりしていた。

再びTVを見たら、ジョージ・W・ブッシュこと大統領がいた。
内容はやはりアメリカ的という印象がぬぐえず、
そしてそのみせる表情はに私はどこか違和感があった。

そう『強いアメリカ』、という表現に。

2001年09月12日(水)



 事件

私は学校で何をやっているのかと問われ答えると多くの人は困惑して
次に必ずこう言うだろう。
一体なにをやっているのだと。
否定はしない。
なにせ社会科学部社会化学科などという
どこからが学ぶ範囲なんだと言いたくもなる名称だからだ。

しかし想像はつくだろう。
少なくとも新聞の三面記事に載るようなことは勉強することが多い。


だから指定図書などに
合衆国などについて書かれたものも読むわけなのだが、
その中で楽しいことを知った。
確か国益を巡るドラマとかいっただろうか、
書き手の元官僚の言うところがつぼだった
合衆国は宣教師的な面とやたらと閉鎖的、孤立的な面があると。

今回非常に極端ながらそれを見た気がする。
強い、自由に対する攻撃、といった表現から
未だに民主主義の伝道師的なところを。


合衆国のこういったものいいを聞いているとどうにも
やんちゃな少年といった感じが拭えない。
ーもちろん若いながらも多くの経験をかさねて一方においては
飛躍的な躍進を遂げているとはいえー

だから怖い。



私はよく洋楽中心のFMラジオ局をつけっぱなしにしておく。
言葉が理解できなくても言葉の中で一番耳につくのは固有名詞である。

「パールハーバー」

私は始め全く今回の一連の事件とのかかわりを理解することができなかった。
しかし、新聞を読んで理解できた。
ようするに合衆国にとって上記の以来なのだこういった事件が。

当時の大統領はこれを受けて参戦を表明した。
又日本がこの奇襲攻撃をかけ、太平洋戦争に突入していったことの背景には
日本が経済的にも孤立化させられていたことも原因だとも言う。


NATOも中国でさえも共通の敵と認識し合衆国と手を携えようとしている今。
中東が再び大規模に荒れることが原爆と重なって見えるのは私だけだろうか?


平和ではなかったけれども、
平和な状態を保っていた国々が報復といいつつ
世界各国が全面的に戦争に向かっていくようなそんな不安が、ぬぐえない。
不況なことも手伝ってなおのこと。


私が彼、大統領に感じた違和感は、
お国芸ともいうべきか
彼の国民感情に火をつけて煽るかのごときあの自信たっぷりな物言いだった。

私は戦争がいやです。

2001年09月11日(火)



 

12日間、食事をつくっていた。

母が旅行のようなものにでたりしていたからだ。
家族でまとものなものが作れるのが私唯一人だったから。

納得しているつもりで凄まじい、ストレスだったらしい。
母が帰ってきたその日に
ーその日バイトがあまりにうまくいかなかったこともあってかー
爆発してしまった。

そうしたら何故だかすっきりした。


そこで私に疑問がのこった。


私はもうあと半年もたたずして社会的には成人となる。
1人で生きていかねばならなくなった時、

あまりに不安定でありはしないか?
自分が自分にふりまわされるそのときに
怒鳴り散らすぐらいの爆発を起こしてしまう。

毎回お膳立てしてもらっていやしないか?
事実自分のやりたいことに自信が持てずに
いつもうろうろしてる。
中途半端。
宙ぶらりん。



今のアルバイトをしているとつくづく自分に似合わない世界だと感じる。
だから焦る。
このまま就職先がもし無事にきまって、
めでたく大学を卒業できたとして、
所謂OLになったとして
ある意味人並みに生活できるのだろうか?


悩みは尽きることもないのだが、
それでも現実にはとりあえずレポートが5本ほど。
とりあえずそれを片付けねばはじまらない。

2001年08月18日(土)
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