日の想い
幸花



 2日目

朝、コンミス・コンマスへの花束の発案者からのメールがきていることに気が付く。
しかし話がよくわからなかったので返信せずそのまま練習へ。
スタッフに集金もろもろやると宣言し発案者から全権を移行したところで
そこらへんに来た人から適当に各パートごとの集金を頼む。
シェリさんのはコンミスの発案だったので彼女の到着を待って集金担当を請け負う旨を伝え
こそこそと集金の目処をたてていた。
するとと、更なる企画が立ち上がったことが判明。
ずっと練習を支えてくれているスタッフの方々へもなにか、というのである。

結局、シェリさん企画+スタッフ企画+コンミス・コンマス企画で集金することになった。
因みにそのことをパートごとの集金者に伝えようとしてあちこち動いたが、
人が多いので意外と目立たなかったようだ。

そうこうしている間に、シェリさんがいらしてまずは火の鳥から練習開始。
火の鳥を作曲したストラビンスキーはモーツァルトよりもずっと新しい人なので
リズムが結構面倒なところが沢山あり、特に裏うちのリズムが頻繁にある。
つまり指揮者の表拍、1拍目が分かりにくいと裏は入りにくいのである。
…シェリさんの指揮は裏打ちにとっては非常に分かりにくかったのと
皆疲れていたこともあり結構ぐちゃぐちゃに。

本番をみに来た母には、よくあの指揮できちっと合ったわねぇと言われたが
前日の苦労とそれまでの分奏の練習の賜物としかいいようがない。

各団体の練習が終わり、楽器とケースを持って私たち合同演奏のメンバーがホールへ。
音がよく響くので粗が聴こえやすい。
真中あたりの席に座っていたモーツァルト降りばんの人に録音を頼み
コントラバス(ベース)にN響の池松さん、チェロに村井先生が混じって練習スタート。

体調いまいちだったのと、動き回ったのとで疲れていたのだろう。
後ろにいた先生達の音が、たまらなくなるほどうるさく
更には一体今までやってきたのはなんだったのかと不安に駆られ
でもシェリさんの音は素晴らしくてと情緒不安定になり、何故だかじわりと泣けてきてたのだ。

隣を心配させつつ個人的には最悪な気分であっという間に練習終了。
火の鳥の練習へとうつった。
暫くすると気分も落ち着いたので、オーボエの子がシェリさんのサインを貰うのに、
スコアを持って便乗しに楽屋へ伺い、サインと写真を頂く。
そしてパートごとの集金を終え、この日は疲れているからと急いで家路についた。

帰宅途中に後輩から相談のメールが携帯に入っていることに気が付く。
しかも運営に関するとても大切なことだったから無視できるものではなかった。
23時頃帰宅予定だったので、その頃に電話をくれるか木曜に話そうと返すと
本当に23時頃に電話がありそのまま1時間半話しこんだ。
話し終わってからはお金を計算しつつさめてしまった夕飯をがつがつと食べた。

最後に録音してもらったものを地べたにすわりこんで聴いてみて、少し安心した。
シェリさんの音にくってかかる勢いでベースが弾きそれにチェロが張り合っただけだった。
ベースの先生は本番乗らないのであまり気にせずいままで通りに弾けばいいと思えた。

結局寝たのは2時近く。

2003年11月23日(日)



 1日目

11時頃に集合。
オペラシティーの地下1階のリサイタルホールにて
モーツァルトオーボエ協奏曲の弦分奏(バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスだけの練習)開始。
但しアシスタント・コンダクター内藤先生の指示のもと、
弦楽器は各楽器のトップ(最前列の片側の人・その楽器の責任者のようなもの)
と先生(プロの方が各楽器の下支えに数名入っています)の席を残して席をシャッフルする。

大抵のオーケストラ(オケ)の場合弦楽器は、前にいくほど上手な人が多いが
このオケの場合はむしろいつもと違う音が響いて楽しい。

そうして2時間ほとの練習の後、ストラビンスキーの火の鳥の合奏となり
モーツァルト1曲のりのチェロとオーボエは待ち時間となった。
練習する場所として小リハーサルが提供されていたものの
しばらく火の鳥の合奏を聴いていた。

練習を見学する時の席は当然指揮者から見て一番奥である。
つまり普段チェロの位置からだと見られない楽器のそばに陣取ることとなる。
今回、金管(トランペット・トロンボーン・ホルン・チューバ他)の中でも
舞台右奥にくるチューバがミュート(弱音器)をつける様子を初めて見た。
楽器が大きいので当然ミュートも大きい。
他の金管だとスライムのように刺す部分が細いのだがチューバの場合、
メガホンを2、3回り大きくしたような形で、しかも取っ手がついていた。

さてそのような観察も合奏の合間の休憩時間になると終了し、
チェロ同士で合奏しようという話になった。
前回の練習の時にチェロ4重奏用の譜面をもっていた人がいたので
それを借りて5、6人で即席チェロアンサンブルを楽しむ。
丁度パーカッション(ティンパニ・バスドラム・小太鼓他)が練習していて
音が良くきこえず、また皆が初見大会ではあったが
出せるところはがしがしと音を出せて楽しかった。
コピーさせてもらえるよう頼んだところ、快く6重層までも貸してくれたので
同じ階にあるコンビににいって沢山コピーさせてもらう。


因みに期間中オペラィティの地下1階はどこにいってもオケ大のメンバーがいた。
演奏する学生だけで84人もいたので、同じフロアのコンビニやロッテリア、サブウェイなど
かなり儲かったのではなかろうか。
ロッテリアの店長などは、スタッフに問い合わせたらしい。


その後モーツァルトの合奏となる。
これはあっという間に終了し―オーボエのソロがいないから尚更である―
再びストラビンスキーの合奏練習の時間になった。
この時も私は練習をきいていたのだが、その時に本番の時のサプライズ企画を知る。
火の鳥のコンサートミストレスいわく、
マエストロ(指揮者)でありオーボエのソロもやる、シェレンベルガー(以下シェリ先生)へ
演奏が終わってから皆でダンケシェンを言い、花束と色紙を渡すという内容だ。

しかしそれ以前の休憩中に、火の鳥の降りばんである私達チェロ・オーボエの
6人にはもう1つの計画もきかされていた。
モーツァルトのコンサートマスターと火の鳥のコンサートミストレスの両名へも
シェリ先生へ渡すと同時に花束を渡すというものである。

全日本大学オーケストラ大会、通称オケ大(おけたい)の運営は
全てボランティアの学生スタッフが行っている。
けれどもこの企画は奏者から出されたので奏者がことを進めなければならない。
しかしこれらのサプライズ企画はそれぞれ発案者はいたが、責任者がいなかった。
そこででしゃばりかとは思いつつも集金などもろもろ自分が引き受けることにする。

つまり明日は忙しくなることがこの時点で決定したわけであった。

練習が終了したのは21時頃。
そのまままたしても新宿へ20人ほどが流れ飲み会となる。
ほとんどが地方からきたホテル組、つまり品川の人達だったので長々と居座る様子だったが、
私は風邪をひいていたのであまり飲まずに食べて終電頃にとっとと引き上げる。
因みにその後きいた話ではホテルでもまた飲んでいたらしい。
若いって素晴らしいと感じた私は…あまり若くはないのかもしれなかった。

2003年11月22日(土)



 選考

まずは書類。
銀行系列や大手のもので弾かれることは少ないが、
情報系の小さなところ、その他などは弾かれる傾向にある。

また不思議なもので、楽しそうだな。やりたいな。
と受けた試筆記験は気力が充実しているらしく、たいがい落ちることがない。
しかしこれは嫌だな、もしくは疲れたなと感じつつも
とりあえず受けたものには必ずと言っていいほど落ちる。

上記2つの足切りに対して、面接は判断が微妙である。
何故ならこの場合、運が半分以上を占めるように感じられるからである。
なにせ30分未満の時間で自己主張、または自分自慢を
しすぎるではなく、しなさすぎるではなく、しなければならないのだから、
聞いてくれる相手に非常に左右されるのである。

1次面接は割合と人当たりの良い人が多いような気がする。
しかし2次面接はシビアなのか、はたまた私の主張のしようがまずいのか
いまいち結果は芳しくない。
因みに最終面接までいったセゾン情報システムズに、
不合格の理由を問い合わせたところ、意外にもきちんと対応してもらえた。
総合して言うと、どうも一押し決め手にかけたようである。


とはいえそろそろ大手にしろ中堅どころにせよクローズという所が多い。
最終選考になんとかひっかからないものか。
と感じる一方、
まぁどんな時でも、間違ったことをしてなければなんとかしてくれるさ。
というかなり楽観的な自分もいる。
また最終面接と聞いたとたん風邪をひいたのだが、
不合格になった次の日にはほとんどおさまってしまった。

就活を通じて、自分のことをこれほど良く考えた期間はなかった。と聞くが、
本当にその通りで自分という人間が
いっそう不思議だなと思われるこの頃である。

2003年05月17日(土)



 経過

何となく書くコトが決まらず放置してしまった。
明日初めて2次面接ということで
ちょっとこれまでのことを振り返ってみようかと。

12月
とりあえず、情報・金融・食品・出版に興味があった。
しかしバイトがケーキ販売だったコトもあって食品関係を考慮していたのだが
とりあえず参加してみた合同説明会での印象が極端に悪く早々に取りやめ。
身内がやっている親しみから金融を見るも、その時点では先物しか
出展している企業がなかった。
また出版もほとんどがまだ。
最後に情報系統は通信大手のKDDIやらNTTとか
そこいらの説明会しかなく受けてみるもあえなく玉砕。

着慣れぬスーツを着て就職って何だろうぐらいな勢いであった。


1〜2月
とにかくあちこちかけめぐる。
金融系だと銀行の一般は特に始まっていないし
保険業界はもってのほかだった為、先物をめぐってみる。
そして日本ユニコムの1次の筆記が受かったが、
2次は作文にひっかかったのか落ちる。

情報系、今にして思えば独立系ばかり受けていたように思う。
しかし何を間違ってか1つだけ面接までいった。
雨の降りしきる中迷子になりかけつつ朝1で面接を受けたが
いまいち何が聞かれているか分からずしどろもどりになり、当然おっこちた。

出版系、資料請求するも、なんとなく興味が失せ
一気に使わない紙袋行きとなる。

訳がわからずとにかく活動していた時期で、だから後に結びつかない。
また面接で初めて落ちたことのショックにより
3月の活動は少々停滞するコトとなった。


3月
金融系は説明会があまりなかったので小休止。
情報系をめぐる。
しかしあまりやる気も出ず活動に空きがあったので
ゆっくり周りを見回す余裕が出来たのもこの時期である。

で、リクルートからきていたメールに情報系の企業だけ条件を入れて
検索できるものがあり、やってみてひっかかったところの
ユーザー系や文系積極採用のところを受けてみる。
また独立系でも金融に傾いたとこや
学校に求人票の来ているとこなども受けてみる。

リクナビの情報、企業HP、そして説明会
どれをとっても結構あてにならないよなぁと感じるようになる。


4月
上記に書いたものの1次の適性試験だけがとりあえず合格。
自分がどうやらSEとして勢力的に技術を身に付けるにしても
意外と保守的なものを求めているらしいのだなと感じ
ユーザー系の金融にひっかかりやすいようだ、と考える。
で銀行系列のシステムやってる企業の説明会予定を詰め込んでおく。

また市民オケで一緒にチェロを隣で弾いているおじさん(情報系企業の社長)が
英和生がいるからとOG訪問を設定して下さる。
喫茶店などではなく、面接のように会議室を使って1時間ほど話こむ。
ちょっと元気付けられた気がした。

選考のあんばいは
2次の筆記がやたらと難しく玉砕したとこ。
ちょっと勤めるにはなぁと面接当日辞退。
他には銀行系を受け現在進行中である。

全体として適性は流石に自社で作ったものでもなければ
だいたい受けたタイプのものが出てくるようになったし、
また1次面接はあなたはどんな人間で何をしてきたのか
と聞きたいのだとようやく分かった気がする。
あと今月はまさか受かるまいと受けた適性ひっかかり
さらには1次面接に受かってしまったというコトがあるので
企業の基準て本当に分からないなぁと感じる。

5月を過ぎるとセミナーがぱたっとなくなる、との話を聞いているので
とりあえず1社でもいいから決まってくれと切実な気持ちでいっぱいである。

2003年04月21日(月)



 就職日記

印象にのこったとこのだけ、載せていく予定。

要は自分のメモ代り、振り返ってみるための代物。

とりあえず今日もこれから、説明会&選考会の為に

渋谷に出かける予定である。

はてさてどうだか。

2003年03月19日(水)
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