2014年05月02日(金) |
卑屈である、ということについて。 |
卑屈であるということについて。
てめえは卑屈さが大嫌いである。好きな人もあまりいないとは思うが、ここまで徹底して嫌いなのは、てめえがかつてそうだったからだと思う。そう、てめえはかつては極めて卑屈な人間だった。だから、ほとんど同族嫌悪に似たところはあると思う。
てめえの人生は、両親に翻弄され続けた人生だったと思う。
小学校の時、何を思ったか突然父親が仕事を辞めて選挙に立候補した。おそらく親父なりに社会を憂いていたのだろうと思う。てめえはまったくそのあたりの事情は知らないが、母は最後まで選挙に出ることには反対していた。そりゃあそうだろうと思う。男のロマンと女の事情が戦った結果、母の父への愛が勝って親父は選挙に出馬し、そしてみごとに上位で当選した。
しかし子供にとってはそこから地獄のような日々が待っていた。
選挙は終わった。しかし、若くて上位当選した親父はたちまち地域で話題となった。
「おい○○の息子やろお前」と、知らないクソガキに突然頭を叩かれる。てめえが振り返ると「おい、やり返す気か? おれを殴ったらてめえの父ちゃんは仕事なくなるぞ」と言われ、無抵抗のまま殴られた。クソ田舎はまあこんなもんである。
議論するのなら。脳みそでの勝負ならば、負ける自信はなかった。もちろん殴り合いでも負ける気はしなかったが、その手段は封印され、てめえは結果的にただ殴られるだけになった。肉体的にも、精神的にも。
親父が議会で教育委員会の役職に就いたことで、教師の態度も腫れものに触れるようなものになった。
そんなクソみたいな、親父に起因するエピソードは、両親の突然の離婚にて終結した。それまで議員として成功していた親父は「嫁に逃げられた議員」というレッテルを貼られて公人としての進路を絶たれ、次の選挙の出馬を断念した。
そして、てめえ的には別の地獄の日々が始まった。詳細は省く(過去のどっかにあります)が、いろいろあって父側に残らざるを得なかったてめえは、最終的に親父を捨てた。
母との生活は、経済的には最低だったが精神的には最高だった。母は貧乏でも笑いを忘れず、家族での楽しみを優先した。土日になれば家族で近くにレクリエーションに出た。弁当を作り、御所とかその辺の川べりとか、とにかく金のかからないところに家族みんなで出かけた。笑いの絶えない貧乏レクリエーションはとても楽しかった。心を満たすのはお金ではないということを心の底から実感した。
しかしそんな生活をしていても、ないものはなかったのだ。てめえは知らなかったが、母はいろんなところからお金を借りまくっていた。しかも、それだけではなかった。詳細はさすがに書かない。
ある時、妹たちが寝静まってからてめえは母に相談された、実は贅沢を何もしていないが家計は火の車だったということ、ヤバい筋からも生きるためにお金を借りたこと。実は一家心中も考えていたということ。でもなんとか頑張って働いてお金を作ったので返しに行きたいが、正直一人で行くのは怖いということ。ので、てめえもついてきてほしいと。
そうか。てめえは一人で納得した。そしててめえは我が家に横たわる闇を悟った。さすがにその金をどうやって作ったのかは聞けなかった。
それはその数日前の夕方だった。母は、何気なく「ちょっと散歩に行こうか」と、てめえを誘いだしたのだ。その言葉とは裏腹に、母の表情は曇っていた。散歩に行く人のものでは少なくともなかった。
自転車に乗って川べりの道を二人で走った。先行する母は振り向きもせず、ただペダルを漕いでいた。
ひたすらペダルを漕ぐ母の背中には、いつしか殺気が漂っていた。ああ、てめえはおそらく、このまま人気のないところで道連れになるのだろうなと覚悟した。しかし恐怖はなかった。親に殺されれば、それはそれで一つの理屈だろう。てめえを産んだ人に殺されるのはある意味もっとも幸せなことではないだろうかと思った。
母はきっと途中で考えが変わったのだろうと思う。何も言わずに川に架かる橋を渡り、反対方向を走って家に帰った。その間いっさいてめえの方を見なかった。
それから数日後、母と二人で祇園近くの一軒家に行った。「ここから先は私一人で行く。30分たっても出て来なかったら警察に連絡してほしい」と母はてめえに告げて、その家に入って行った。
何かあればすぐに飛び込んでいくつもりだった。てめえはこう見えても柔道の心得もある。そう、何かあれば。数日前に、妄想かもしれないが母に殺されかけたてめえは、人を殺す覚悟ができていた。そして母が家に入ったその後の数分間をよく耐えた。ただ、数分後には殺人マシーンと化した自分が想像できた。
幸いなことに、母は数分で出てきた。よくわからんが、借金の返済はうまくいったようだ。その家から出てきて母はてめえを呼び、二人でその家の主に深く頭を下げた。
なんで、うちだけこんなことになるのだろ。世の中は腐っている。苦労してい ない人もたくさんいるし、こんなてめえのような世界を知らずに真っ直ぐに大人になっていく人がほとんどではないか。
てめえはそうして卑屈な人になっていった。努力は報われず、貧乏人の子は救われない。
家計を助けるために、ずっとアルバイト三昧だった。公立高校では禁止されていたアルバイトだったが、背に腹は代えられない。学校にばれたら学校を辞めるしかなかった。
高校一年のときの夏休みは、40日間休みなく倉庫のアルバイトをした。「おい、休み中は暇で死にそうやし、遊ぼうや」という同級生には殺意が湧いた。
40日間休みなく働き、20万円ほどの賃金を得た。当時の高校生にしてはとんでもない稼ぎだった。自分へのご褒美に安いギターを一台買って、残りは家計に入れた。
高校一年生の冬休みは、その後もお世話になる郵便局アルバイトをした。暖かい部屋の中で仕分け作業をする女性とは異なり、男性は寒い中かじかむ手をてめえの息で暖めながら、自転車を漕いでひたすら郵便物を配達をした。もちろん、得たお金は家計に消えた。
なんで、てめえだけこんなことになっているのだろ。同級生の連中は休みを満喫しているというのに。
そんなてめえはどんどん卑屈になっていった。残念なことに負の力を正に変えるほどの器は10代の人間にはなかったのだ。世の中はクソの塊で、苦労していないやつはクソして死ね。
そんなわけで自然とてめえはロックに走った。今思えば適切な鬱憤晴らし。卑屈さ満開のてめえ作の歌を、恥を忍んでさらしてみる。「ひと(親とか、その他)の金」がなかったてめえの妄想が爆発している。
「クソして死ね」words by てめえ music by 今祇園で歌ってる人。笑
ひとの金で着飾って 気取った大人が歩いてる ひとの金でメシ食って 女口説いてクソしてる
バイトもせずに コンパでナンパ 勉強せずに 理想は高く
お前らみんな クソして死ね お前らみんな クソして死ね
ひとの金で酒飲んで ゲロってアジって騒いでる ひとの金で部屋借りて 男連れ込みしゃぶってる ひとの金で免許取って 車の中で口説いてる ひとの金でエロ本買って ティッシュ片手に自家発電
その電気で パンでも焼こう コーヒー淹れて もう一発抜こう
お前らみんな 感電して死ね お前らみんな 感電して死ね
ひとの金でお茶飲んで ウンチク垂れていばってる ひとの金で学校行って 授業サボってクソしてる ひとの金で旅行して 一夜限りのmake love ひとの金でビデオ見て ティッシュ片手に自家発電
その電気で お風呂を沸かそう ○○○(自主規制)洗って もう一発抜こう
お前らみんな 感電して死ね お前らみんな 感電して死ね
お前らみんな クソして死ね お前らみんな クソして死ね
高校3年生の冬休み。てめえは毎年恒例となった郵便局バイトに応募し、漫画のようだが正月の一番くそ忙しい時に、道端に落ちていたバナナで転んだ。
高校2年、及び3年も同じ感じなので省略。学校に禁止されているアルバイトをせざるを得なかった高校生活。大学進学って何? それ美味しいの?
そんなてめえの卑屈さを癒してくれたのは、主に二つ。
一つ目。負のエネルギーを始めて正の方向に燃やし、てめえは奇跡的に大学受験に合格した。世の中の最底辺から、初めて表舞台に出ることができた。大学生活で出会った友人たちは本物のエリートで、卑屈さの欠片もない眩しい人たちだった。てめえは卑屈さを全く持っていない人たちに初めて会った。そして、卑屈さに囲まれたてめえの人生を初めて恥じた。
二つ目は、娘が生まれたこと。無垢な娘を見て、てめえが卑屈であったということの恥ずかしさと、娘にはこうなってほしくない、と言うことを強く感じた。
そしててめえは変わった。と思いたい。「今も卑屈さ全開やんけ!」と言われるかもしれないが、自分ではそうでないように気をつけているつもり。そして逆に、大人になっても卑屈であり続ける人には可哀想だと思わざるを得ないし、同族嫌悪的なものを感じる。ていうか、30超えたらさすがに克服しようや。出来ない人はそれまでだし、てめえもそうであった可能性は否定できない。
てめえの人生は、20歳くらいまではいくつも小説が書けるくらい悲惨だったが、その後は比較的ありがたい人生を送っている。そのせいか、たいがいのことは苦労とは思えず、自分としては平坦な人生を歩んだために20歳から全く齢を取っていない顔になった。「男の顔は履歴書である」と言うのとは裏腹に、てめえは残念なことに深みのない顔をしているらしい。逆に、20歳のころはすげえ老けてたぜ? ワイルドだろ?
前回の続き。
さて今日も疲れ果ててしまった。あまりに疲れすぎてドッグフードで晩酌してしまった前回を反省し、今日はどこか帰り道にある店で適当に食べて帰ろうか。
そう考えながらとぼとぼと歩いていると、ぽつりと営業している一軒の中華料理屋が目に入った。いかにも場末の店と言った風情で、疲れ果てた労働者が飲んだり食べたりするのがぴったりな店に思え、気が付くとてめえは吸い込まれるようにその店の暖簾をくぐっていた。
店の中は意外と込み合っており、思った通り客はほぼ労働者と思しき男性だった。てめえは僅かに空いたカウンターの椅子に座った。
テーブルでは家族連れも食事を楽しみながら寛いでいたりして、きっとご近所さんから愛されている店なのだろうなと思う。今まで全く気が付かなかったことがとても残念に思えてくるくらい、不思議とこの店のカウンターは落ち着く。
さっそく餃子とビールを注文する。すぐに運ばれてきたビールで、一人乾杯した。旨い! よく冷えたビールが五臓六腑に沁み渡り、てめえのたまった疲れを心地よくほぐしていく。
あっという間に餃子も焼き上がった。さっそく一口頬張ると、パリッと焼けた皮の中から肉汁がほとばしった。熱っ。慌ててビールで流し込むが、これがまた最高の組み合わせ。
餃子とビールという黄金の組み合わせで疲れがほぐれ、ようやく食欲が湧いてきた。追加で炒飯を注文する。あいよ、と注文を受けたご主人は、さっそくよく熱された中華鍋にごま油を垂らして調理を始めた。目の前のカウンターに、ごま油のよい香りが漂う。
目の前で、リズミカルにご飯が炒められていく。小刻みに鍋が降られていく様はまるでセックスしている時のようだ。
しかしそのセックスも早いこと。あっという間にぱらっと炒められた炒飯がカウンターに並んだ。さっそく一口頂くが、ぱらりと炒められており旨い。味は濃すぎず、よく噛みしめるごとに旨いのだ。てめえはセックスの余韻をゆっくりと楽しむかのように炒飯を咀嚼する。ああ、じんわりと旨いぞ。
なんだか炭水化物満点の食事になってしまったが、脳が糖分を欲していたのだろう。なんだか意味のわからん妄想が湧いてくる元気も出てきたことだし、帰って風呂入って寝て明日も頑張ろう、とてめえは満腹になった腹をさすりつつ帰路についた。
今日はひどく疲れてしまった。
仕事で予想もしなかった事態が起こって後始末に追われ、気が付けばもうこんな時間だ。さすがにこんな時間になると自宅に帰ってから自分で料理する気力もない。
かと言ってコンビニで手頃な弁当を買う気にもならない。ちょっと前に、同じように疲れ切ったある日の出来事を思い出す。
あの日は今日よりも疲れていた。本当に精根尽き果てていた。ようやく仕事を終えて、その後どうやって職場から出てきたのかすら覚えていない。
気が付くと自宅近くのコンビニに居た。帰る道の途中にある飲食店に立ち寄って軽く食べて帰る、という選択肢すら思い浮かばなかった。そして、どうやってその自宅近くのコンビニまでたどり着いたのか全く覚えていない。
家に帰ったら、食べるものはないが飲むものはある。このまま飲んだくれるというのも悪くないが、肴も用意せずに空きっ腹にそのままアルコールを流し込むのはよくないだろうということくらいはさすがに理解していた。
コンビニの棚を一通り物色するが、いまいち食欲を刺激するものは見当たらない。冷え切った弁当はいくらチンしようが食欲を湧かせることはないだろうし、びろんびろんに伸び切った麺類を買う気もしない。
そんなことを考える余裕もないくらいに、徐々に意識も朦朧としてきた。疲れすぎたのだな。
そう、もう何も考えたくなかった。
とりあえず、何も考えずに適当に肴になりそうな缶詰をかごに放り込み、レジで会計を済ませた。後は帰ってから、一人この缶詰で今日の一日を乾杯しよう。そしてただ深く泥のように眠ろうと思った。
家に帰り、さっそく缶詰を開ける。ようやくやって来た至福の時だ。まずは家にあった缶ビールを開け、一人で空に向かって乾杯した。
ビールを一気に飲み干す。旨い! まるで砂漠に降る雨のように、乾ききった体に水分とアルコールが沁み渡る。至福の瞬間だ。
次いで缶詰を一口。さらなる至福の時が訪れるはずだった。そしててめえは旨いっ! と叫ぶはずだったが、あれ? 全く味がない。さっそくビールで舌が馬鹿になったか?
恐る恐るもう一口。やっぱり全く味がない。どうした、てめえはあまりに疲れすぎているのか。
まあいいやと思い、味のない缶詰で晩酌をした。なんだか味気がなかったが、それ以上に食事ができているということに喜びを感じた。
そろそろ食べ終わる頃だった。てめえは初めて缶詰の表記に気が付いた。コンビニで出会ってから食べ終わるこの瞬間まで、全く気が付かなかった。
そう、缶詰にはしっかりと「犬用」と書かれていた。
(当然フィクションです、そして続く)
2014年04月29日(火) |
あるラーメン屋の風景。 |
あれはそろそろ残暑も落ち着き始めて、ようやく食欲も出てきて熱いラーメンを食べようとする意欲がわずかながら出てきた日だったと記憶している。
てめえは暑さに極端に弱く、夏になるとたちまち食欲が失せる。
灼熱の太陽の下で働いていた植木屋時代は、夏になんとか喉を通るのはとろろそばだけだった。あの時は、昼食時になると現場近くの蕎麦屋に駆け込んではとろろそばをなんとか喉に流し込み、滝のように溢れる汗を補うためにただひたすら麦茶を飲んだ。今でも、夏の日に屋外で仕事をしている人を見ると思わず頭が垂れる。
暑さも幾分か和らいできたその日、てめえはとあるラーメン屋の暖簾をくぐった。午前中の仕事に忙殺され、午後の勤務先に向かう僅かな時間に、ファストフードであるラーメンはとても都合が良かった。
きれいに清められたカウンターに座り、てめえはその店のおすすめラーメンの一つを注文した。先客は一人だけで、てめえとは少し離れたところに座って、すでに提供されているラーメンを一人で啜っておられた。
食べながら、写真を一枚ぱちりと撮られる。この写真は、自分のブログにでも載せられるのだろうか。あるいは単なる趣味で記録を残されているのか。
てめえは食事の時は食べることに集中したいので、食べながら写真を撮るという行為を全く理解できないのだ。もちろん、食べる前に、きれいに盛り付けされた料理を、記憶にだけではなく記録に残しておきたいという気持ちはよくわかる。しかし、食べながら写真を撮るという行為に関しては全く理解できないし、そういった意味でやや奇妙な印象がてめえの中に残った。
しかしまあその辺は好き好きである。商品の代金を払った上で、店主の了解を得ているのであればまあ好きにすればよい。
すこし奇妙な印象はあったが、そういったどうでもいいことを考えている間にすぐにてめえのラーメンが運ばれてきて、それきりてめえは彼への関心を失った。
あっさり清湯系のラーメンを売りにしている店で、この日はこってり濁っているスープの麺を注文したのだが、残念なことに動物系の臭いが少し気になった。やっぱり臭みのない清湯系の方がこの店はいいんだろうな、などと考えていたその時だった。先客が箸を置いてゆっくりと立ち上がった。通常は食事が終わった合図である。思わず彼の方を見たら、驚いたことに丼の中の麺はほぼ残っていた。確かに食べることよりも撮影などに集中されていたのだが、それはないだろう。
彼が立ち上がった瞬間、店主が足早に彼のところへ歩み寄った。もしや「おいこら、写真ばっかり撮りやがって麺をこれだけ残すなんて太え野郎だ!」とお怒りになり、職人と客とのバトルが始まるのではないかとてめえは恐れ慄いたが、てめえの思いとは裏腹に店主は意外な行動に出た。
「お味は、いかがでしたか」 と、てめえが驚くほどの恐縮ぶりを見せたのだ。
「いや、いつも通り旨かったです」 と、その彼は返した。じゃあなんで残すねんお前は、とてめえがてめえの麺をすすりながら心の中で思った時、彼はこう続けた。
「すんません、次があるので残してしまって…」 「いやいいですよ。…あ、お代は結構です」 と言う店主のひそひそ声を聞いて、てめえは思わず椅子から転げ落ちそうになった。なんだこの会話?
彼が代金を払わずに店から出て行ってしばらくは、その意味を考えることに忙しくて、残念ながらその後の麺の味は全く分からなかった。
世間知らずのてめえは、麺を全部食べ終わり、彼と違ってきっちり自分の食べた分を支払い、釈然としないままバイクに跨ってから、ようやく気が付いた。
おおそうか。そういうことか。
てめえがまだ子供であるということに気が付いた、ある残暑の厳しい昼下がりだった。
むかし、ある大きな川の畔にカエルとサソリがいました。
サソリは、そのゆったりと流れる大きな川の向こう側に、一度でいいから行ってみたいと思っていました。彼の背からは向こう岸すら眺めることのできない川の向こう側を、たった一度でいいから見てみたい。違う世界をこの目で見てみたい。そう願っていました。
そこでサソリは、近くにいたカエルに相談しました。おれ、一度でいいから川の向こうを見てみたいんだ。だから、たった一度でいい。一度でいいから君の背中に乗せて、川を渡ってくれないか? 君は自由に泳げるだろう? おれは泳げないんだよ。
いやだよ、とカエルは言いました。だって、君を背中に乗せたら、君は僕のことを刺すだろう?
そんなこと、するわけないじゃないか。とサソリは笑い飛ばしました。だって、君を刺したらおれも一緒に溺れてしまうだろう?
それも理屈だな、とカエルは納得して、サソリを背に乗せ川を渡り始めました。川は小さく波打ちながらゆったりと流れており、川底近くでは小さな魚が群れをなして泳ぎ、上空からの穏やかな風は水面を撫でていました。
川を半分くらいまで渡った頃でしょうか、カエルは突然背中に焼けるような痛みを感じました。痛みはたちまち全身を貫き、背を振り返る間もなく四肢の端までが痺れ始めました。
耐えがたい眠りに落ちる時のような意識の混濁を感じながら、カエルは溺れないように手足を大の字に大きく広げ、わずかに残った力を振り絞ってサソリに言いました。
サソリ君、君は僕のことを刺さないって言ったよね? ほら、このままじゃ僕も君も死んでしまうよ。君の言った通り、このまま僕たちは溺れてしまうじゃないか!
サソリは言いました。
"I can't help it. It's my nature"
仕方がない。これはおれの性(さが)なんだ。
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クライングゲームはてめえの大好きな映画の一つで、てめえには珍しく「恋愛映画」である。あまりに好きだったので、劇場公開中に幾度となく足繁く劇場に通った。この素晴らしさを感受性の高い若者に伝えたいと思い、てめえは数回目に当時中学生だった妹を連れて劇場に行った。
妹を連れていったその時まで全く知らなかったのだが、実はこの映画は「R-15」であった。つまり、15歳以下はダメ。確かに大人なラブシーンもあるが、それはそれとしてとても美しい映像だった。まあ、要はR15指定を食らったのは「大人の事情」である(性器を露出するシーンがあり、無修正だったため。実は激しいラブシーンは全くと言っていいほどない上に、性器を露出するシーンはストーリー上とても大事な場面であった。詳細はネタばれなので書かないが)。
妹は確か中1くらいで、しかも年齢より幼くみえたので、妹の容姿を見た窓口のお姉さんは妹の分の切符を売ってくれなかった。
てめえは猛抗議した。てめえは何度もこの映画を観に来ており、とても感動したので妹にも観てほしいと思った。むしろ多感なこの年の子にこそ観てもらうべき映画なのではないか?
てめえの抗議にうんざりされたのか、あるいは共感されたのか。最終的には妹の入場は許され、妹と二人で映画を観た。妹はとても感動していたぜ。
予告編。はっきり言って、編集がクソ。
そしてまた恐ろしいことに、今やyoutubeで全編が観れる。字幕ないけど。「カエルとサソリの話」は23:50くらいから。
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