群青

wandervogel /目次 /一覧 my

090218
2009年02月18日(水)




 Nさんが現れる。抱いているのか抱かれているのか分からない半身の融け合ったやたら親密な夢だった。その間にTは何処にいたのだろう。夢の中で鉢合わせたことが一度とてない。眠りながら見ているものに意味を求めるのも馬鹿げたことだが、しかし。

 光に包まれた眩い列車に、知己が続々と乗り込んで行く。僕は乗り込むことなく、ここで手を振っている。見送ることには慣れている。それにしても、僕のいない世界のなんと眩しいことか。


 『あんたは及川さんのことを愛してなかったと全部否定して女房に走っ
 て、その女房が自分を裏切ったら今度は、女房があんたのことを愛して
 なかったと全部否定する。あんたの人生は、いつもそうやって過去にあ
 ったことを消し去って成り立っているんだ。だからあんたは……いつも
 ひとりぼっちなんだよ』





 早食いは病気、という文を目にした。端的な表現であり、なおかつ与えられる病名のないことは自明だが、まさに当を得ていると思った。ひとつところに拘束されるのが嫌で、息つく暇なく一気呵成に平らげる自分をさもしいと思う。待つことができない。味わって食べる精神的な余地がない。

 「あなたは完璧に仕事をこなす。聞かれれば何でも答えられるし、一人で何でもやろうとして、それができてしまう」けれど、それでは同僚や後輩が育たないのだそうだ。この敵愾心は。この苛立ちは。Sさんに愚痴をこぼしながら、もう一人の俯瞰している自分は愚痴をこぼしている僕をせせら笑っていた。予め見下してかかってしまえれば楽だろうに。それを誠実でないと思うほど僕はまだ若いらしい。間が持たなくなって仕事の話を始めた自分にまた苛立った。これだから冬は。


-----------------------------------------------------------


渋谷HOMEでひょうたん
「LessThanTV presents『another channel#18』」

NTTインターコミュニケーション・センターで
「ライト・[イン]サイト -拡張する光、変容する知覚」
エプサイトで「森永 純写真展『瞬〜揺』」
山本現代で「西尾康之“DROWN”」
資生堂ギャラリーで「佐々木加奈子展『オキナワ アーク』」
ヴァニラ画廊で「デパートメントHの全貌展
~ゴッホ今泉とアンダーグラウンドパーティーの表現者たち~」
プンクトゥムで「倉田精二 都市の造景」
東京国立近代美術館で「高梨豊 光のフィールドノート」
「コラージュ -切断と再構築による創造」
「特別公開 横山大観《生々流転》」


-----------------------------------------------------------


柴田よしき「聖なる黒夜」
宮部みゆき「龍は眠る」
種田山頭火「山頭火句集」

読了。



090131
2009年01月31日(土)




 連日、悪夢を見る。内面のグロテスクさが強調されているようで、夢を夢だと認識しながらも、起きてから束の間はその意味するところから離れられない。

 『私はいまだに苛立っていた。鬱積した憎悪と敵意とをいまだ煮えたぎ
 らせていた。アルマ・グルンドなど怖くはなかったが、自分の怒りのす
 さまじさは怖かった。自分のなかに何物が棲んでいるのか、もはやまっ
 たくわからなかった。去年の春のテレフソン家での激昂以来、私は世間
 から離れて暮らし、他人と口をきく習慣も失っていた。一緒にいてどう
 接したらいいかわかる相手は自分だけであり、その自分はもう誰でもな
 く、本当に生きているとは言えなかった。単に生きているふりをしてい
 る誰か、死んだ男の本を翻訳して日々を送っている死んだ男でしかなか
 った』





 強迫的な諸々から逃げるように(それすら強迫的なことなのかもしれないが)、自分が点在している場所を巡った。土地はまだささやかな安心感を僕に与えてくれる。自分本位なのは否めないが、僕は一緒に行った誰かよりも、その、行った場所にこそ愛着を感じてならない。短期的には同行者が景観に変化を与えるかもしれないが、中長期的にはそのような屈曲も霧消している。残り香はいつか消え、そのものだけがただそこにある。

 『ドクター、私は無意識状態を求めているだけです。死じゃありません
 。薬で眠らせてもらう。意識がないあいだは、自分が何をやっているの
 か考えずに済む。そこにいても、そこにいない。そこにいない限りにお
 いて、私は護られているんです』





 弱っているのだろう。風景に意図的な操作が加わるがために忌避していた音楽は、外界を遮断する装置として外出時に常時手放せなくなっている。音量で押し込んだ皮膜の薄い頼りない自我と、見たくもないものを次々に見せる信用ならざる無意識を伴って、かつてそこにあった自分を拾い集めてまた一つに再構築しようと試みる。それはまるで故郷を回収する作業のようで、行っていることの浅ましさに着込んでも着込んでもただ寒さだけを感じる。

 『何かを意のままにできるということが〈いのち〉の成熟なのではない。
 そうではなくて、意のままにならないということの受容、そういう「不
 自由」の経験をおのれの内に深く湛えつつ、何かを意のままにするとい
 う強迫から下りることを自然に受け入れるようになるのが、〈いのち〉
 の成熟であろう』





 あれは錯覚だったのだろうか。川に映る光を眺めていた。相対的に(並列に)存在していた諸相が重層的に内包されるような気がした。目を凝らすともう見えなくなっていた。


-----------------------------------------------------------


渋谷クラブクアトロでイースタンユース、
スパルタ・ローカルズ「極東最前線 ~ファイトバック現代~」

シアターイワトでZORA
「エレベーターの鍵・灰色の時刻、あるいは最後の客」

早稲田松竹でアダム・シャンクマン「ヘアスプレー」
ジュリー・テイモア「アクロス・ザ・ユニバース」

東京都写真美術館で「ランドスケープ 柴田敏雄展」
INAXギャラリーで「水野勝規 展 -グレースケール・ランドスケープ-」
ギャラリー燕子花で「山中漆と九谷焼」
日比谷パティオで「テオ・ヤンセン展」
ギャラリーバウハウスで「横谷宣写真展『黙想録』」


-----------------------------------------------------------


鷲田清一「死なないでいる理由」
アーサー・C・クラーク「幼年期の終り」
森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」

読了。



0818
2008年12月25日(木)




 毎日夢を見る。眠る間際と起きがけの混沌が少しずつ拡大して行くようだ。頭のなかが騒々しい。夢が洩れ出し、現実を浸食するのに比例して、強迫性障害が日常に支障をきたすようになった。頓服とは違う新たに処方された常用を口にすると、頭のなかはしんとなり静けさを取り戻す。

 熱いシャワーを浴びる。身体はあたたまるのに、胸のなかはどんどん冷たくなって行く。暗く冷たいところに落下して行くような気がする。またここに戻ってきてしまった。

 Sさんをもてなそうと大量に食材を買い込んだ。のだが、自分の調子を考慮に入れていなかったせいで、結局それらを全て持て余してしまった。ちっとも食が進まないものの、平時の勢いでバイキングの店に行く。「(Mさんが発病した)あのときから時間が止まっている」とSさんが言う。傍らでは細身の女性独り客が猛烈に食べ物をかき込んでいる。水の入ったペットボトルを持って度々用足しに行くことから、その症状はうかがい知れた。コートとバックが投げ出された席と、荒れに荒れたテーブルを交互に見て、Sさんと目を合わせる。気の毒だね(それは一体誰が?)。


 『我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システ
 ムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定して
 いる。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場
 所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かない
 し、降りることも乗りかえることもできない。誰をも抜かないし、誰に
 も抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に
 向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。
  事実というものがある場合に奇妙にそして不自然に映るのは、あるい
 はそのせいかもしれない。我々が意志と称するある種の内在的な力の圧
 倒的に多くの部分は、その発生と同時に失われてしまっているのに、我
 々はそれを認めることができず、その空白が我々の人生の様々な位相に
 奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ』


 冷蔵庫のなかでゆっくりと肉が腐る。それを見てもはや僕は片付けようとしない。衛生の観念だとか、身の回りを整頓することだとかがすっかり遠くに隔たってしまった。自分が何を食べたいのか(食べていいのか)すら分からない。一時間近く街をうろつき廻って、一大決心のもとに飲食店に入るものの、口に入れた途端、これじゃなかったと後悔の念に駆られる。

 夏の間に失った体重を取り戻すかのように、食べて食べて食べる。そうして存在をつなぎ止めているようでもある。詮方なく入ったどうしようもなく薄っぺらいファミレスで、以前関係を持った相手を見かける。一つ間を挟んだ席に、ベビーカーの子供と妻であろう女性とで食事をとっている。胃に詰め込んだ、誰が作ったのか、どこで作られたのかも分からない食物が逆流を起こしそうになった。


 『それで僕はからっぽになってしまいました。生まれてこのかたあれほ
 ど空虚な思いをしたことはありません。ちょうど心の中から出ている何
 本かのコードをわしづかみにされて力まかせに引きちぎられたような、
 そんな具合でした。胃がむかむかとして、何を考えることもできません
 でした。僕は孤独で、一瞬一瞬もっと惨めな場所に向けて押し流されて
 いっているような気がしました』


 Tと日生へ行く。長い時間をかけて行き、同じだけの時間をかけて帰る。頭を窓に傾けてTが眠っている。Tの健やかさを疎ましく思う僕が疎ましかった。


-----------------------------------------------------------


アートエリアB1でアートミーツケア学会「呼吸する〈からだ〉と〈こころ〉」
青山ブックセンターで石川直樹トークショー。

ワタリウム美術館でSoulit、SEKI-NE「Living Together Lounge」

TOHOシネマズでアンドリュー・スタントン「WALL・E」

表参道GYREで「ダレン・アーモンド 眠るように甦る」
国立西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」


-----------------------------------------------------------


村上春樹「回転木馬のデッド・ヒート」
鹿島田真希「六〇〇〇度の愛」
村上龍「五分後の世界」
イアン・マキューアン「愛の続き」
ポール・オースター「幻影の書」

読了。





過日   後日