このごろの。
このごろの。
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2002年10月02日(水) こわれてもこわれても。

簡単に

ころり

と落ちてしまったりしても

小さな小さなひとことで

く い  っと

立ち直れたりすることの

くり返しで生きていけるんですね。


ほんとうにほんとうに。

すばらしい日々を半音ずつ上がり下がりしながらやがて忘れる / 本田瑞穂




2002年10月01日(火) postpet v3

帰ってきてメールをみれば

大半のダイレクトメールの中に

postpet v3 β版が始まったというものが。

やろうかなー。どうしようかなー。

思えばpostpet のβ版をお試ししていたのは

もう何年前だろうか。

あの「画期的」をまたやろうと思ったら

ものすごい努力なんだろうな。


2002年09月30日(月) 帰ってきました。

コペンハーゲンとストックホルム



行ってきました。

旅日記、そのうち作る予定です。

かわいーものや

きれーなものが

たくさんありましたよ。


明日から会社。

起きれるのか!

ただいま時差7時間で生活中です。


ぐちゃぐちゃのスーツケースと

自分の部屋と

似ているなぁと思いつつ。



2002年09月22日(日) あきやすみ。

あそびにきてくださっている方々

いつもありがとうございます。

遅いなつやすみをとります。

(あきやすみ、って感じですね)


なので、今月いっぱいは

なくや。も更新されません。


また来月御会いしましょう。

帰ってきたらお休み報告する予定です。




2002年09月17日(火) 田中一光というひと。

「たて組ヨコ組」(モリサワ発行)をやっと読んだ。

田中一光(今年1月に急逝)特集である。

彼のデザインはかなり好きであるし

それに文を寄せている方々も憧れのひとばかりなので

これは、と思ってかなり前に買っていたのだった。

名前に覚えがない方のために書くと

田中一光というひとは

西武デパートの緑と青の◎の包みや

無印良品の立ち上げや「タント」という紙の開発や

Loftや雑誌「太陽」のロゴや…とあげるときりがない。


いくつかメモがわりに気になった言葉を自分のために。


―(横尾忠則さんの文から)
 
 ぼくなんか面倒臭いのでついつい四原色の
 組み合わせだけでやってしまう。だから制作の場は
 一光さんには見られたくない。
 そんな理性的判断を導入して色を決定する一光さんにも
 実にいい加減なところがあることを知った。
 かなり前のことだけれでも一光さんが神戸労音のポスターを
 デザインしていた頃だ。
 労音の事務局のTさんから直接聞いた話である。
 何度校正刷りを出しても黄色が指定の色と違って
 上がってくる。とうとう業を煮やした一光さんが
 
 「きなこの黄だよ!」と電話の向こうで言ったという。
 
―(勝井三雄さんの文から) 
 
 元来、グラフィックデザインには一瞬の刹那のなかに散る美がある。
 建築のようにその美しさを永遠ならしめようと努力するのとは違い
 一過性のいのちだからこそ意味を持つ。
 ましてポスターの使命は短期間に終わる。花の美しさに似て
 散らすまいとするのではない、散るからこそ待ち焦がれる
 期待感ゆえに、現れ出たその一瞬に艶やかに咲き、
 強烈に印象づけるのである。ポスターのデザインが完成するのは
 印刷され所定の場所に掲示された時である。
 「ただ花は見る人の心に珍しきが花なり」と世阿弥が言う
 ファーストインプレッションの鮮度こそが、そのデザインの
 出来の善し悪しを決定する。

―(柏木博さんの文から)

 このことは、かつてふれたことがあるのだが、
 とても興味深い発言を田中はしている。
 「私は『私のかたち』を持っていないのではないかと
  考えることがある。もちろん狭義な『かたち』をいうのだが、
  長い間のデザイナーとしての習慣がそうさせたのか、あるいは
  自己を主張する厳しさが欠けていたからかもしれない。
  ともかく、頑固でなかった自分が残念だが、
  しかし、それがデザイナーにとって決定的に不名誉なことだとは
  少しも思ったことがない。」と述べている。

―(太田徹也さんの文から)

 「君の方が向いているよ」と先生はダイヤグラムへの取り組みを
 僕に勧めてくれたが、田中先生の直感力は
 人の資質を見抜くことにも発揮された。それを支えていたのは
 自分を無にして周りを見通す済んだ眼差しである。




田中先生が太田先生にダイヤグラムを勧めてくれなかったら

今のわたしはいなかったと思うと なみだが でた。



2002年09月15日(日) ピンポン。

映画「ピンポン」をみました。

原作を知らないまま行ったのでしたが

とても楽しめました。

ドラゴンかっこいい。

あれ、あのひとしかできないな。台詞、いくつも残ってる。

アクマもすごい。

あの人の演技力にだいぶ救われているのではないかな。

夏木マリも素敵だ。さすがわたしの将来の目標(笑)

それにしてもCGの発展には目をみはるばかり。



南Q太「夢の温度」買う。

1巻、改装しただけと気づかず2冊目に…。(涙)





2002年09月14日(土) おいしいもの。

根津駅で降りて

ものすごおくおいしいものを、食べた。


2002年09月13日(金) 三日月ロックを聴きながら。

早く帰れるとわかっていたので

美容院にいってきた。

雑誌の山に手をつければ

欲しいものがひとつふたつできて困る。

(たとえばコンバースのあたらしいハイカット)



帰りに本屋に寄れば(渋谷ブックファースト)

新刊とかではない書棚に

吉野朔実さんが表紙を描いている

「赤毛のアン」と「少女パレアナ」(だったよね?)が。

そしてその隣には「弟の家には本棚がない」が。

これだったのかと納得。

他にもその本の雑誌社のシリーズと

「ましまる」「プレゼントをあげる」まで揃っている。

さらに隣には「短歌パラダイス」

「短歌はプロに訊け!」「世界音痴」他まみ、シンジケートと続き

上の段には高野文子のほぼ全部(マンガの階ではないのに!)

そして下の段には大島弓子。

なんて!なんて!と思う。

書店員さんになりたいと思った瞬間。



帰りにもう一つ本屋によれば

かかっていたBGMが突如とまり

とてもとても長い10秒間くらいの後

ドビュッシーのピアノにかわった。

背表紙の洪水とドビュッシーで気を失いたいと思った。



美容師さんに「耳を切ったことがあるか」と質問したら

「一度だけ男性のカリアゲ中に

 切ったことがあるけど

 とてもデキた人で

 切ったぼく(美容師)もちょっと動いたその人も

 両方悪いけどほんとに一番悪いのは

 切れすぎるハサミですよね、と言ったんだ」

と答えがかえってきた。



歩いているとまた不用意に大きな声で

自宅の電話番号をいっている子どもがいる。

やめてほしい。残ってしまう。


 


2002年09月12日(木) あたらしい、ブゥツ!

こっそり会社をぬけて

おとりおきしていた

すてきなブゥツを買ってきた。



お昼をたべたマクドナルドには

分別のあるゴミ箱と分別のないゴミ箱があった。



あと何日ノースリーブが着られるだろう。

だいすきな、ノースリーブ。

でも 

だいすきな、ハイソックスの日々がはじまる。


2002年09月11日(水) 赤テントさんと黒テントさん。

仙台から友だち(Mac次郎の飼い主)がきたので

その彼とともに3人でご飯を食べる。

表参道でベトナム料理。

ベトナムコーヒーが初めての二人をみて

うきき、と思ったりする。



記憶の話をした。

彼女はよけーなことをいろいろ覚えている。

いろんなストーリーも覚えている。

わたしはそうゆうの覚えられない。

数字なら、覚えられる。

(電車で子供が自分の家の電話を
 しゃべっていたりすると覚えてしまって困る)



涙腺の話もした。

みんなで涙腺ポイントを探る。

わたしのポイントは理解されなかった。(ものが多かった)

たとえば

風の谷のナウシカの映画で

蟲を飛ばせるためにナウシカが蟲笛で気をひき、

蟲が羽ばたいてきた瞬間、

ヒュッ と空に笛を投げて自分も一緒に

メーヴェに乗って上昇、そして笛をキャッチするところ。

キャッチの瞬間で涙がでる。


まぁ、でもわたしには他のひとの涙腺ポイントが

理解できないのが多いからおたがいさまか。





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