エスムラネット・日記

2003年12月20日(土) しゃべり場

 この「失業日記」は当初、「無職状態にある自分が、どのような生活を送っているか」を記録し、自分の(主に精神?)状態をチェックするために毎日書こうと思っていたのだが……。ずいぶん間があいてしまった。毎日、それなりにいろいろな出来事があるのだが、「いろいろなことがある→書きたいことが増える→しかしなかなかまとまった時間がとれない→たまっていく→どんどん面倒くさくなる」という、ありがちな悪循環に陥ってしまっている。同様に、一年前から「会社を辞めたら一通り目を通し、それから捨てよう」と思っていた新聞も、玄関脇に積み上げたまま放置してある。「やることがたまればたまるほど、それに比例して面倒くささが増していく」この心理は、どうにかならないものだろうか。しかも季節は冬。「会社や学校に行く」という社会的な枷を失った今、身体は完全に冬眠モードに入っている。「人間は、動物である」という事実を思い知らされている、今日この頃である。
 そんなわけで、ことさらに冷え込んだ今朝も、昼近くまで布団にくるまっていたのだが、点けっぱなしにしていたテレビから「真剣10代しゃべり場」(再放送)が流れ始めたので、ついつい見てしまった。
 私がこの番組を見るのは、ずいぶん久しぶりである。そういえば以前、ホームページに「真剣10代しゃべり場を見たが、若者たちの賢さにびっくりした」などと書いたことがあるのだが、今日の放送を見て、そんな自分の過去の行為をひどく悔やんだ。何なんだ、あの番組は。腹立たしいことこの上ない。今回のテーマは「フリーターをバカにしないで!」という、今の私にとってはかなりタイムリーなものだったのだが(というか、今の私はフリーターでさえないのだが)、「安定は大事」「自分がどうキャリアを積み上げていくか、しっかり考えなきゃ」などとのたまう10代たちは、見ているだけで息苦しかったし、「自分は夢のためにフリーターをやっているのだが、世間からよく批判される。自分の生き方を認めてほしい」という、テーマ提唱者にも共感できなかった。
 今回のメンバー(第12期らしい)には、「17歳ですでに1児の母」という女性がいた。私はもちろん、「17歳で子供を産んだ」ということ自体をとやかく言うつもりはないのだが、気になったのは、その言動である。フリーターの彼女にしてもそうだが、「『世間一般の生き方』とは異なる人生を歩んでいる」という意識のある人」は往々にして、「自分は、他の『<世間一般の生き方>から外れた道を歩んでいる人』とは違う」ことを、やたらとアピールしたがる。「自分はフリーターだが、夢がある。夢がないフリーターと一緒にしないでほしい」「自分は17歳で1児の母だが、安定した仕事に就いて、しっかり働いている。その辺の、フラフラしている連中と一緒にしないでほしい」といった具合に。彼らが一生懸命に生きているのもよくわかるし、「『世間』の風当たりが強いのだろう」「その分、攻撃的にならざるをえないのだろう」というのも容易に想像できるが、「世間」や「常識」とのせめぎあいを経て、自分たちが、恐らく自分たちを疎外してきた(であろう)「常識」の強烈な支持者になってしまっていることに、彼らは気づいていない。「常識でしか物事を考えられない人」(これも極めて曖昧な概念だが)というのは、まだかわいい方である。世の中でもっとも始末に負えないのは、「『常識なんて関係ないよ』などとうそぶきつつ、『常識』にすがりついている人」ではないか、という気がする。
 全体的に、「朝まで生テレビ」並に不愉快な番組であったが(コロッと考えを変える自分もどうかと思う)、第12期のメンバーの中には、一度だけ会ったことのある、役者志望の青年(夏の終わりに、自主制作映画の手伝いをしたのだが、その映画に彼も出ていたのである)も混じっていた。その点だけは何だか嬉しかった。 

●今日の行動
・夜、27日(土)に行われるイベント「gaku-GAY-kai」(ミュージカル「贋作・大奥」)の練習のため、世田谷区下馬の公民館へ行く。この公民館を訪れるのは一年ぶりなのだが、昨年の記憶がやたらと鮮明で、とてもそうは思えなかった。改めて「月日の経つのは早いなあ」と思った。
・練習の後、友人が無職の私を哀れんで、高円寺で鮨をご馳走してくれた。ありがたかった。
・明日から大阪。十数年ぶりに、8歳まで住んでいた町(毒蜘蛛発生騒ぎがあった高石市)を訪れようと思っている。何だか今年は、過去を振り返る機会が多いような気がする。
・名古屋や京都が大雪にみまわれているらしい。「関が原で新幹線が止まったりするかもッ」「京都の雪景色が見られるかもッ(これは「かも」どころか、間違いなく見られるであろう)」と思うと、何だかワクワクしてくる。



2003年11月05日(水) 紛失

 買ったばかりの携帯端末(カメラ代わり)をなくしてしまった。メトロポリタン美術館からの帰り道で。さすが宇宙征服を目論んでいる私である。落し物までワールドワイドだ。
 などと言っている場合ではないのだが、今年の5月にソウルに行った時も、コンタクトレンズをなくしてしまったので、今年は海外旅行に行くと「なくしても生活には困らないが、かなりショックなもの」をなくす運命にあるのかもしれない。そういえば父も以前、「出張などで海外に行くたびに、カメラとか時計とか、機械類が一つだけ壊れる」と言っており、我が家では「それはきっと、機械類が厄落としをしてくれているのだ」ということになっていた。
 メトロポリタンではいろいろと発見や感動があったのだが割と台無しである。あーあ。買ったばかりで、それほど情報が詰まっていなかったのが不幸中の幸いか。
 しかもその後、東99丁目の宿へ戻ろうと思って東86丁目からバスに乗ったら、行く先を間違えてしまったらしく、西207丁目という、とんでもなく遠いところまで連れて行かれてしまった。泣き面に蜂とは、まさにこのことである。が、困り果てている私を哀れに思ったのか、ビジネスマン紳士が丁寧に帰り道を教えてくれた。地獄に仏とは、まさにこのことである。自分勝手に生きているようなニューヨーカーたちだが、極東から来ている小柄で子供っぽい(といっても実際には31だが)日本人には、意外と優しい。

 詳細はまた、改めて。



2003年11月03日(月) 出発前夜

自分でも信じられないのだが、明日からNYである。NYといっても「日本の山形」ではない(誰もそんなこと言ってない)。今朝まで女装仕事をしていて、これから原稿を最低2本(本当は5本)書いてから出発しなければならないのだが、荷造りを何一つしていない。ガイドブックはさっき購入した。「後手に回る」とは、こういう状態を指すのであろう。

というわけで、8日ほど日本を離れるのだが、宿泊先のホテルには日本語対応のPCがあるそうなので、ひょっとしたら更新するかもしれない。しないかもしれない。



2003年10月07日(火) 座頭市

 昼頃、両親と共に家を出て、南大沢のヴァージンシネマへ映画「座頭市」を観に行った。言い出しっぺは私である。
 家から20分ほど歩くと、「南大沢」の駅に出る。忘れもしない13年前の正月、「今度ここに引っ越すんだよ」と親に連れられてこの駅へ降り立った時は、目の前に広がった荒涼たる草原を見て「何の因果で、こんな所に……」と我が身の不幸を嘆いたものだった。それが今ではどうだろう。かつて草原だった場所にはイトーヨーカドーがそびえ(その前に、そごう、ダイエーなどが次々にやって来てはつぶれていったが)、かつてDJパトリックが来て野外レイブ(?)をやった空き地には巨大アウトレットモールが広がり、かつて断崖絶壁だった場所には、スターバックスやヴァージンシネマが軒を並べている。諸行無常である。
 映画「座頭市」は、とにかく殺しのシーンが多いなあ、という印象であった。駅へ向かう道すがら、両親の間で「『座頭市』は、何が売りなの?」「殺しのシーンだろ?」「私、そういうのダメだわ」といった会話が繰り広げられていたため、人が死んで血がピューッと飛び散ったり、斬り落とされた腕がアップになったりするたびに、隣りに座っている母が気になって仕方がなかったのだが、映画が終わって母に「キツくなかった?」と訊ねたところ、「そんなの気にしてたら、観てらんないわよ。でもあの映画、外国の人はどう思って観たのかしらね」という答えが返ってきた。評判の「タップダンス」シーンは、確かに「蛇足」感はあったが、個人的には「華やかで良いなあ」と思った。何より「大楠道代がタップを!」というのが、衝撃的であった。
 ちなみに、ここでも私は、安い親孝行をしようと試みて、アイスウーロン茶を3つ購入したのだが、「映画を観ながら飲食する」というアメリカナイズされた行動様式は、60過ぎの両親には受け入れがたかったらしく、映画終了時、ウーロン茶はほとんど口をつけられないまま、破棄されることとなった。がっかりである。また、私が言い出しっぺであったにもかかわらず、映画のチケット代は全額、父が負担してくれた。両親はシニア料金で、各1,000円ずつ。私は一般料金で1,800円。これで昨日のケーキも、今日のウーロン茶もチャラである。「いつか大金持ちになったら、必ず豪華海外旅行でもプレゼントするからね」と、心の中で手を合わせた。「いつか大金持ちになったら」って……。30過ぎて、この仮定法未来は、我ながらどうかと思う。

●今日の行動
・父から「最近、読み返してみたが、やはり良かった」と、夏目漱石の「こころ」を手渡された。学校の先生からも「漱石を読め」と言われているので、「陽暉楼」はとりあえず、後回しにしようと思う。岩波文庫はリニューアルしたのか、非常に活字が読みやすい。
・今日になって発見したのだが、この枠の下にある「MAIL」をクリックすると、「森村明生(三十路・シングル・失業中)さんにメールを送る」と書かれたメールフォームが出てくる。自分でつけたタイトルなので仕方がないが、名前の後にこういうカッコがつくと、何だかダメ押しされているようで腹が立つ。



2003年10月06日(月) 帰省

 夜、阿佐ヶ谷を出て、八王子へ。
 実家へ帰るのは、8月以来である。7年前に家を出て以来、2か月の間に2回も帰省するというのは、恐らく初めてだと思う。これも退職の「副産物」といったところか。本当は、退職したら一週間ぐらい、実家でのんびりしようと思っていたのだが、女装やら何やらで、結局果たせないまま、今に至っている。それにしても、同じ都内に住んでいながら、こんなに疎遠になるとは……。一人暮らしを始めるまでは23年間、毎日顔を合わせていただけに、何だか不思議な感じがする。諸行無常である。
 電車に乗る前に、阿佐ヶ谷のケーキ屋で、3人分のケーキを購入した。孫の顔も見せてやれず(それはもう、仕方ないと思っているが)、30過ぎて、親に小遣いの一つも渡してやれない甲斐性なしな娘の、せめてもの孝行のつもりである。ちなみに、この阿佐ヶ谷のケーキ屋は、聞くところによると、漫画「西洋骨董洋菓子店」のモデルとなった店らしい。値段は割と高いのだが、美味しいし、深夜2時まで開いているので、何かと便利である。
 実家では、ドラマ「夢見る葡萄」を観ながら、母の手料理を食べた。母はとにかく、人にものを食わせるのが好きらしく、料理の品数がいつもやたらと多い。完食どころか、全品目に手をつけることすら困難である。そう言えば以前、会社の仕事で、実家の近くで写真撮影をしたことがあったのだが、カメラマンの方を連れて実家に立ち寄ったところ、母は「突然だから何もなくて……」と言いながら、菓子やらスイカやらを次から次へと出してきた。「ヘンゼルとグレーテル」の魔女さながらである。ありがたいことではあるが、満艦飾状態の食卓を見るにつけ、普段の自分の貧しい食生活を省みて、「何で一人暮らしなんかしてるんだろうなァ」と、後悔とも哀しみともつかぬ感情が押し寄せてくる。困ったものである。

●今日の行動
・またまた国内で、狂牛病の牛が発見されたらしい。「秋になったらまた現れるのでは?」という大方の予想通り、SARSも復活したそうである。あーあ。
・某出版社の契約社員に応募しようと思っていたのだが、断念する。9月半ばに父から「応募してみろ」と言われ、応募書類はダウンロードしておいたのだが、ハッと気づいたら、締め切り前日になっていた。慌てて書店へ行き「履歴書・職務経歴書はこう書く」などという本を購入してみたのだが、あまりにも大変そうだったのであきらめた。昔から、こういった書類(「当社で手がけたい企画」などを書かされるもの)は苦手だったのだが、いまだにそれは改善されていないらしい。しかも最近は、自分の努力不足を「縁がなかった」という言葉で誤魔化すようになってしまっている分、タチが悪い。父にはとりあえず、「応募書類は出したが、落ちてしまった」と言っておこうと思う。嘘も方便である。
・実家の近くには野生の雉がいるらしい。両親は早朝ウォーキングの際に、時折見かけるのだそうだ。食卓のマットの下に、父が描いた「雉出没記録」が挟んであった。何故か雉のイラスト入りである。こういうものを目にする度に、あるいは父が孫(私にとっては、姪)に振り回される姿を見る度に、私の頭に「好々爺」という言葉が浮かんでくる。
・ホームページのカウンターが20万を超えた。第1シリーズを終えた段階では確か、15万くらいだったと思うので、ロクに更新もしていない2年近くの間に、のべ5万人の方がカンカラカンカラ、無駄にカウンターを回してくださったということになる。ありがたいことである。


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