広島・山口旅行の最終日。
めったに会えない人と別れる時は、いつも必ず、何か忘れものをしたような気になる。自分の発した一言一言に妙にセンシティブになり、「あれで良かったんだろうか」と後でくよくよしてしまう。今回は、非常に楽しい旅行だったのだが、短期間にいろんな人と話をしたため、特にその感覚が強い。昨日別れた祖母に対しても、今日の昼に別れた叔父一家に対しても、今日の夕方に別れた広島の学生さんに対しても、そんな思いが心にからみつき、東京についてからも離れない。 少しでも楽になろうと思って、今、この日記を書いている。
●その他の行動 ・午前中は、ホテルに迎えに来てくれた叔父といとこと共に、錦帯橋や岩国城を見て回った。このいとこは同い年なのだが、やはり最近退職したばかりで、今日は午後からハローワークへ行っていた。「お互いに、いいタイミングで(?)会えて良かったなァ」と思った。錦帯橋は架け替え工事中だったのだが、その技術に驚いた。また久々に訪れた岩国城はやたら小さく感じられ、こちらも驚いた。 ・錦帯橋の近くの白蛇博物館に立ち寄ったところ、白蛇が(餌の)ねずみを飲み込む瞬間を目撃。「うわァ」と思いつつ、目が離せなかった。「怖いものみたさ」とは、このことであろう。はじめのうち蛇は、ねずみを半分くわえたまま、しばらくじっとしていたのだが、突然すごい勢いで首を振り回し、あっという間に全体を飲み込んでしまった。身体を半分飲まれながらも、穏やかな表情をこちらに向けていたねずみの顔と、飲み込まれた後、蛇の皮膚ごしに見えた暴れるねずみの脚が忘れられない。 ・羽田からリムジンで帰ると、新宿駅に着いてからどっと疲れが押し寄せる。そこで今日は、京急とJRで帰ったのだが、山手線に乗ってから激しく後悔した。とにかく人が多い……。しかも山手線は、事もあろうに新型車両であった。この車両は、天気予報やら「英語で答えよう! シャベリオーネ!」やらを映し出す液晶モニタが各ドアの両脇に設置されているせいで、網棚が長さ50〜60cm、奥行20〜30cmほどしかなく、とても荷物を置けたものではない。一体何をとち狂ってあんな設計にしたのか。やや理解に苦しむ。
2004年03月05日(金) |
ダウンタウン・フォーリーズ |
夜、青山円形劇場へミュージカル・レビュー「ダウンタウン・フォーリーズ」(第2弾)を見に行った。 これは、島田歌穂(敬称略)ら4人の出演者が、ポップスからミュージカルのナンバーまで、いろんな曲を歌いつつ、タップダンスをやったりコントをしたりする、というものである。約2年ほど前に観に行った第1弾が非常に面白かったので、かなり期待していたのだが、今回も次から次へと繰り出される技に圧倒されたし、いろいろと勉強にもなった。たとえば、「レストラン殺人事件」(死体をめぐるコント)。最近、テレビで若手芸人が同じようなことをやっていたので、ついつい「どっちがどっちをパクったんだろう」などと考えてしまったのだが、これは「古くからある名作コント」なのだそうである(パンフレットに書いてあった)。「名作コント」というものが存在するなんて……知らなかった……。 ちなみに、このレビューの中には「マリリン・モンローに扮した島田歌穂と北村岳子が、その月生まれの観客(開演前に申請する必要あり)を祝う」というコーナーもあったのだが、いつもどおり、開演ギリギリに到着した(時間を無駄にしない主義)3月生まれの私の替わりに、友人が申請しておいてくれた。「エスムラルダ」の名前で……。そのため島田歌穂は「次は……ミス・エス……エスム……ごめんなさい、(紙に目を近づけ)エスムラルダさん」と、まず名前で戸惑い、立ち上がった人間が男であることに驚き、全ての人の紹介が終わった後、「今日は全員女の方で……」と言いかけて動揺し、次の手順を間違えて「エスムラルダさんが頭から離れなくて……」とコメントしていた。申し訳ないことこの上もない感じである。が、私は15年くらい前から島田歌穂ファンだし、何と言っても彼女は、エリザベス女王の前で「on my own」を歌ったという、華々しい経歴の持ち主である。その同じ口から、何度も「エスムラルダ」という単語が飛び出したのは、とても嬉しかった。 しかし、そのままではタダの「ちょっと目立ちたがり屋な、イタイ人」になってしまいかねないので、終演後、劇場の駐車場からご主人の運転する車に乗って出てきた彼女(ものすごく気さくないい方で、きちんと車を停めて、ファンに応対していた)に駆け寄り、「エスムラルダ」が女装名であることを伝え、女装写真入りの名刺を無理矢理押しつけてしまった。「イタイ人」を解消するつもりが、恥の上塗りである。
というわけで、島田歌穂さん、いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ありません……。名刺は、邪魔になるようでしたらお捨てください……。
●今日の行動 ・「ダウンタウン・フォーリーズ」の後、新宿2丁目で行われていたイベント「glitter」に遊びに行った。このイベントは毎回、懐かしい曲がたくさんかかるので、ついつい帰りそびれてしまう。今日も結局、朝まで遊んでしまった。年寄りの冷や水とは、このことであろう。 しかし前半は、海外からいらした方々(と、彼らをひたすら崇め奉り、甘やかす日本人)が多く、閉口した。いや、単にいるだけならもちろん構わないのだが、クラブ等で見かける彼らの多くはとにかくガサツで、自分たちのことしか眼中にない。ドラァグクイーンのショウが始まっても、演者や観客を全く無視して、うんじゃらかんじゃらと、英語で大声でまくしたてている(英語が理解できる人に聞いたところ、言っている内容も腹立たしいものだったようだ)。 もちろん「海外からいらした方々」などとひとくくりにしてしまうのはあまりにも乱暴な話だし、私自身、知的で奥ゆかしい(海外からいらした)方を何人も知っている。それでもいざ、一部のデリカシーのない人たちを目にすると、ついつい「これだから欧米の中華思想(帝国主義思想?)は嫌だッ」などと思ってしまうのが、「偏見」の恐ろしさであろう。ただでさえ、海外に行く度に(って、そう何度も行っているわけではないが)「日本って、なんて親切で丁寧な国なんだろッ」だの「『謙虚さ』は日本の美徳ッ。何でもかんでもグローバル化されるのは絶対反対ッ」だのと考えてしまう、今日この頃である。「国粋主義」(?)や「偏見」とは無縁なつもりでいたのに……。まだまだ未熟な私である。
2004年02月28日(土) |
チーム・エスムラルダ |
明日、新宿・歌舞伎町の「code」で行われるイベント「tokyo gay night」で、23時頃からショウをやることになっている(いきなり宣伝)。そのため今日は夕方から夜にかけて、いつもショウを手伝ってもらっている友人数人と、練習を行った。 彼らと初めて一緒にショウをやったのは、2001年のパレードの前夜祭である。選んだのが、大人数向きの曲だった上に、会場(代々木公園の野外ステージ)が広く「一人ではとてももたせられない」と思ったため、ホームページでダンサー募集をかけたのだが……。それを見て応募してくれた猛者はたった1人(彼は時々、「MIKO」という名でドラァグクイーンもやっている)で、結局、ネットを通じて知り合った数人の友達が、快く(?)手伝ってくれることとなった。 しかし、何となく集まったにもかかわらず、このメンバーは、服飾関係の仕事をしている人やら印刷物・WEBのデザインをしている人、大工仕事の得意な人など、やたら芸達者ぞろいであった。特に一昨年の夏などは、私がパレードの仕事でバタバタしている間に、みんなでショウの細かい部分をつめ、人体切断用の箱まで作り上げてくれた。あの時はガラにもなく、「みんなで力を合わせれば、本当にいろんなことができるんだなァ」などと思ったものである。いつも私は、自分ひとりでショウを作ったような顔をしているが、実際には、彼らの力によるところが非常に大きい。 明日は、そんな彼らと作ってきたショウの中でも特に大きなネタを2つ、持っていこうと思っている。お時間等の都合のつく方は、是非。
午後から、ネットで見つけた千駄ヶ谷のダンススタジオへ、タップダンスを習いに行った。 「タップダンスをやろう」と思ったのは、NYで観た「42nd street」と、先日銀座で観たダンス・レビュー「shoes on」に触発されたためである。今日は、とりあえず「体験入学」で行ったのだが、丁寧に教えてくれそうな所だったので、結局入会してしまった。 実は、タップダンスの「体験入学」は、今回が初めてではない。昨年の5月頃に一度、友人と共に、中野にあるダンススタジオに行ったのだが……。そのクラスには、ステージママたちに連れられた、希望と野心に燃える10代の少女たちしかいなかった上(そんな彼女たちがツッタカツッタカ達者に踊っているのを観ると、何だか息苦しいような腹立たしいような、複雑な気持ちになった)、レンタルシューズがあまり充実していなかったため、入会をためらってしまったのである。今日のクラスには、20代〜30代と思われる男性もかなりいて、その点も何だかホッとした(しかし彼らも、ツッタカツッタカ達者に踊っていた)。 私はとにかく不器用で、要領も飲み込みも悪く、何をしても最初は確実に出遅れる。高校時代のスキー教室では、初日からみなについて行けず、「教頭先生の特別レッスン」で徹底的にボーゲンを叩き込まれたし、受験勉強(特に理数系)や大学での勉強も、理解するまでに本当に時間がかかった。そのため、早々にあきらめてしまったこともたくさんある。だが一方で、あきらめなかった……というか、やるしかなかったいくつかのものに関しては、「もうダメかな」と思いながら続けているうちに、「目からウロコが落ちる瞬間」が何となく訪れた。おかげで今では、たいていのコブは、ボーゲンで乗り越えられる(他のスキーヤーにとってはかなり迷惑)。シナリオにしてもタップダンスにしても、人並みに書いたり踊ったりできるようになるまで相当時間がかかると思うが、あせらず地道にやっていこうと思う。 ちなみに、5月に行ったクラスには、何故か女優のS田A矢子も(恐らく)「体験コース」で来ていた(私は友人に指摘されるまで、S田A矢子とは気づかなかった)。しかし、やはりツッタカツッタカ踊る少女たちから取り残され、授業の中盤以降は私の友人と2人で「ついていけないわよねェ」などとボヤきつつサボっていた。
●その他 ・帰宅途中に、近所の区民センターに立ち寄ったところ、「初心者マジック入門開講」(月曜昼間開催)の文字を発見。さっそく申し込む。急に習い事の数が増えてしまった。しかもマジックやらタップダンスやら、金にもならなければ、仮に再就職を志したとしても、何のキャリアアップにもならない(むしろダウンか)ものばかりである。そんな自分がちょっと愛しいと思う、今日この頃である。 ・夜、友人と仕事の打ち合わせ。一昨年から昨年にかけて、この友人と2人で、ある音楽関係の会社のサイトにストーリーものを書いたのだが、その流れできた仕事である。書く仕事をいただくのは、やはり嬉しい。 ・その後、10月に沖縄に行ったメンバーと、近所の沖縄料理店で飲み会。いずれ旅行記録を書きたい、と思っているのだが、彼らとの旅行は本当に楽しかった。今日の飲み会も終始、良い雰囲気だった。
イープラスでハーフプライスチケットを入手したので(B席2000円。一番後ろの席だった……)、無名塾のミュージカル「森は生きている」を観に行った。 前にも、少しだけ書いたことがあるのだが、私はこの、「森は生きている」という戯曲が大好きである。 最初にこの作品と出会ったのは、小学3年の時であった。当時住んでいた家の近くに市民会館があって、そこでアニメ「森は生きている」を上映していたのだ(「東映アニメ祭り」とか、そんな類のイベントで、同時上映は「サイボーグ009」だったと思う)。主人公の声をやっていたのは大竹しのぶであった。確かこの同じ年の正月に、ドラマ「和宮様御留」を観て、すっかりしのぶファンになってしまった私は(おかげでそれから長い間、両親はおろか親戚からも「あっちゃんは、大竹しのぶが好きなのよねェ」と言われ続けた。彼らは明らかに「好き」の意味を取り違えていた)、「しのぶが声をやっているから観るのだ」という、かなり明確な目的意識をもって、市民会館へ赴いたような気がする。 しかし、「しのぶ目当て」で観たこの映画は、幼い私にすさまじいインパクトを与えた。あまりにもインパクトが強すぎて、その年の学芸会では、「みなしごの王子」(町の片隅で、兄と肩を寄せ合って暮らしていた少年が王の家来に誘拐され、病死した王子の代役にされてしまう話)などという、「和宮様御留」と「森は生きている」を足して2で割ったような劇までやってしまったほどである。 「森は生きている」は、「いつも継母と姉にいじめられている気立ての良い娘が、その国のわがままな女王に無理難題を吹っかけられたりしながらも、森で出会った1月〜12月の精たちのおかげで、最後には幸せになる」という話である。「いじめ」「わがままな女王」「サクセス」という、オカマ心(と一括りにしてしまうのは乱暴だが)を刺激しまくる3大要素に加え、主人公の声が大竹しのぶ。「ハマるな」という方が無理であろう。だが、私の心を本当に鷲づかみにしたのは、クライマックスシーンであった。主人公は、「4月の精」から「何か危険なことが起こったら、これを湖の上に投げて、呪文を唱えろ」と指輪を渡されるのだが、その指輪が強欲な姉に盗まれ、さらに女王の手に渡ってしまう。クライマックスで女王は、主人公に無茶な命令を下し、その命令を聞けば指輪を返してやる、と言う。頑として従わない主人公に怒った女王は、主人公を苦しめようとして指輪を湖の上に放り投げるのだが、その瞬間に主人公が機転をきかせて呪文を唱える。――それぞれの思惑が交錯して、予想外の方向へ向かっていくこの展開が見事で、幼い私は気が狂わんばかりに興奮したものだ。 で、今日の舞台はどうだったか、というと……。物語自体はやはり素晴らしいし(新たな発見もあり、味わい深かった)、セットなどもなかなか良く出来ていたと思うのだが、やはり曲が……イマイチであった。 これに限らず、日本製のミュージカルを観るといつも思ってしまうのだが(そして、あまりこういう言い方をしたくはないのだが)、ミュージカルに関しては、日本は本当に未熟である。大人(というか、若者以上)の文化に全くなりえていない。(ひょっとしたら、私が今までに観たものが良くないのかもしれないが)曲はどれも文部省唱歌的で、ユニゾンか、せいぜい2重唱。耳に残るメロディもなければ立体的な構造もない。また、観客や役者の感情の盛り上がりとは関係なく歌を突っ込んでいる(としか思えない)ので、タダの「歌入り芝居」になってしまっている。11月にも、ある和製ミュージカルを観たのだが、曲を杏里等が書いている、というだけで根本的には他のものと何ら変わらず、がっかりであった。演出家は「笑っていいとも」で「これを観たらタモリさんのミュージカル嫌いも治りますよ」と豪語していたのだが……。あれを観たらますます嫌いになるであろう。 恥をしのんで書くが、現時点での私の最大の夢は「日本を舞台にした、若者〜大人向けのミュージカルを作ること」である。もう少し力がついたら、必ずそのための台本を書く。
ので、誰か、作曲の作業を一緒にやって下さい。
それから、成人して以来、アニメ「森は生きている」を探し回っているのだが、ビデオ化されていないらしく、いまだに入手できていない。
ので、もし持っている方がいらっしゃいましたら、ご一報下さい。
●その他 ・数日前から「ホワイトアウト」を読んでいたのだが、昨夜、どうにも止められなくなり、結局朝の5時まで読みつづけてしまった(プーの特権)。 ・今日からエッセイ「ナースの味な生き方」を読み始める。
|