先週の土曜日は 表参道のおしゃれなお店 (店員さんの一人が、すごくかっこよかったです)で行われた 結婚式の3次会でショウ ↓ メイクしたままタクシーで自宅へ ↓ ママチャリをガタピシこいで、阿佐ヶ谷駅前のクラブへ
という、不思議な日でした。
3次会の方は、新婦が自ら司会をやり 客に自分達への拍手などを強要するという 滅多にないパターンで 聞いててかなりおかしかったです。 ビンゴも、新婦が自分の思いついた数字をどんどん言っていく (本人は「インスピレーション・ビンゴ」と呼んでいました) という、これまた滅多にないパターンで とても勉強になりました。
この新婦は、8月の「PLAYBOY PLAYGIRL」で ちっとも似ていないのに、キャラだけで 「カアリイ(とエスムラルダ)の妹コンテスト」に優勝した とんでもない人なので これからもっと仲良くなりたいです。 新郎の方も、とても好青年で 人のものでなければ、きっと惚れていたと思います。
そして阿佐ヶ谷ナイトは、ビックリするほど盛り上がってました。 僕が行った時点で、さほど広くない店内はぎゅうぎゅう (というか、阿佐ヶ谷にクラブがあることにビックリ)。 しかも近所に住んでいる 女装のHossy先生やPINKOさんまで、すっぴんで遊びにきてました。 阿佐ヶ谷、本当に侮れません。
今回は「sosotte」と「孤独なハリケーン」をかけたのですが 「ちょっとマイナーかな?」と思った「孤独なハリケーン」で みんながこぶしを振り上げつつ踊って?くれたので すごく嬉しかったです。
というか「孤独なハリケーン」、 「やがて空に吸い込まれて眠る時まで」とか 「今 私の 生きるすべて 捨ててもいい」とか いま聴くと、結構歌詞が意味深ですね…。
それにしても、毎回、本田美奈子の歌を大音量で聴くと やはり「上手かったんだなあ」と改めて思います。 でも個人的にはやっぱり、アイドル時代の方が好きなんだけどね…。
先日、行きつけのお店で、プチ「美奈子追悼カラオケ」をやったのですが それは単に、秋元康や松本隆、筒見京平らを 儲けさせているだけだということに途中で気づき 愕然としました。
あと、お葬式の際の、南野陽子の 「私を筆頭に、何の努力もしていない人はたくさんいるのに」 というコメントは、何だか良かったです (友だちに聞いたのですが 「私のコメントなんかより、彼女の歌を流してください」とも 言っていたみたいですね)。
南野陽子といえば 「スケバン刑事」(実話) 「性格が悪い」(20年くらい前に脳内に刷り込まれたイメージ) 「カールスモーキー石井に殴られていた」(実話?) 「何かの映画でヌードに」(実話) というイメージが強すぎたのですが 「性格が悪い」を 「気は強いが頭は良さそう」に置き換えてもいいかな、と ちょっと思いました。
ところで、僕の体調の方ですが 頭の重さも、しばらく続いていた背中の痛みもとれ ほぼ全快しました。
ちなみに、この間の月曜日に、地元の病院に行ったところ CTだけ撮られて、「問題ないですね」と言われました。 「あの、脳波とか、とらなくてもいいですか?」と おずおずと尋ねたところ 「全部検査すると、とても大変だし 特に問題なさそうだから、いいでしょう。 また倒れるようなことがあったら、検査しましょう」 とのお返事でした…。
ただ、また無理をして、あんなことになるのは怖いので これからはもっと、身体を大事にしようと思います。 昼間働いて、それとは別に毎日原稿書いて、 週末は女装して(数えたら、今年46本くらい出てました…)、 週イチでバイトして、パレードの仕事をして… というのは、やはり無茶でした。 どれもこれも、一応「楽しい」と思ってやっていたことなのですが 「楽しい」からって、何でもかんでもやっていいわけじゃ ないんですね。
しかし、昼間の仕事と原稿の仕事は大事にしたいので、 来年は女装の仕事は月1〜2本にし しばらくバイトはお休みし パレードも、サポート程度の関わり方にさせていただこうと 思っています。
というわけでみなさん、 「付き合い悪ゥい」とか 「ウチの仕事だけ断る気?」とか思わずに 一つ、よろしくお願いいたします…。
2005年11月10日(木) |
あの世について・3 僕のことなど |
ちなみに、僕が倒れたのは 母から、最初の報告があった日でした (病院から職場へ戻り、帰宅すると、留守電に電話が入っていた)。 突然のことだったし、何せ倒れた瞬間の記憶がないので、もしや…と思ったのですが その霊能者の方には 「憑依とは関係ない」 「食事にはそれなりに気をつかっているみたいだけど、カルシウムが足りてないから、 ほうれんそうとかいくら食べても、鉄分が全部流れてしまっている」 「八方美人すぎる。頭の中が整理できてなくて飽和状態。人に甘える時は甘え、自分の主張を貫く時はちゃんと貫け」 と、とても現実的なアドバイスをいただきました。
ただ、今回のこと(失神)は、もちろん蓄積疲労と睡眠不足が最大の原因だと思いますが 自分の中に、思い違いをしたりしていた部分があって それを戒められたんじゃないかなあ、と、僕は勝手に考えています。
たとえば、姉の病気のことを聞いた時に 「自分は一人だけど、姉には娘がいる。自分は何だかんだ言って、やりたいように生きていたので、今死んでも意外と悔いはない。人間、死んだら終わりじゃない可能性は高いし、自分の命、できれば姉にあげたいなあ(もちろん自殺しようとは思わないけど)」 みたいなことを、考えたりしたのです。 ややヒロイズム?に浸って、感傷的になったりしながら。 後で母から「自分で自分の命をどうこうしようなんて、思い違いもはなはだしい」と 叱られたのですが 「姉のため」とかきれいごとを言いつつ、結局はエゴ以外の何ものでもなかったなあ、と 今では反省しています。
あと、「人間、死んだらおしまい」ではない、という考えが 変な方へ行ってしまって (というか、疲れから、思考を停止させたかったのかもしれません) ちょっと、いろんなことに興味をなくしていた部分もありました。 「どんなできごとも、しょせんこの世のこと」と思うと 腹は立たないし 執着や欲はなくなるし あきらめはよくなるし 結構平和です。
でも一方で、全てがどうでもよくなってしまうんですよね。 誰かに何かを批判されても 「ああ、この人はわかっていないから仕方がないや」と考えて あまり悩まないようにしたり。
しかし最近、「本当にそれでいいの?」という気がしてきました。 自分ではちょっぴり達観したつもりで、いい気になっていたのですが 単に他の人をシャットアウトして、自分の中だけで完結していたような。 もっとガンガン喜怒哀楽を味わって その上でなお、人をしっかり愛せるようにならないと 「本物」ではないのかもしれない。
自分ではそれなりに構築してきたと思いこんでいた価値観が いま、グラグラ揺れています。
でも、いずれにせよ 「人間、死んだらおしまい」ではなく その先は因果応報の世界である可能性が高いので 将来の自分のためにも あまり人にひどいことはしないようにしたいと思います…。
あ、それから。 何よりも大きな衝撃を受けた出来事が、10月頭にありました。 しかし、その霊能者の方とお話をしていた時 その彼が現れて メッセージを残してくれました。 僕はもちろん、見ていないのですが 言っている内容が、あまりにも本人そのものだったので 信じています。 彼は、きちんと行くべきところへ行って 頑張っているそうです。
本田美奈子さんのことも衝撃でした。 昨年末、コンサートの感想日記で 意地悪なことを書いてごめんね…。 もう一度コンサートやミュージカルで 彼女の歌声を聴きたかったけど 引き止めるようなことを考えてはいけませんね。 そういえば、昨年のコンサートの後 10月に亡くなった彼から急に電話があって、お茶をしたのでした。 あの日、元気だった二人が 今、この世にいないのは 悲しまないようにしようと思いつつ、やはり切ないです。
2005年11月09日(水) |
あの世について・2 姉のこと |
まずは、うちの姉の話を書きます。 姉は、ここ15年くらい、「身体のどこも悪くない日はない」という状態でした。 僕なんかよりよほど健康的な生活をしているはずなのに 頭痛や肩こり、足の冷えやむくみは常にあり そこに時おり何かの病気が加わる、という感じで 西洋医学から鍼やカイロプラクティックに至るまで、いろいろ試してはみたものの どこかが治っても、またどこかが悪くなる、という、その繰り返しでした。 でまあ、僕も「スピリチュアル9割信奉者」だったので 「どうも変だ」「何かあるんじゃないか」と何となく思ってはいたのですが 「誰に、どう相談すればいいのか」とか、よくわからないので 何も行動せずにいました。
ところが、8月に、友だちの紹介で知り合った方に 「お姉さんの病気について、西洋医学以外の治療方法を見つけるのは あなたの役目みたいですよ」と言われ しかもその後、母から、姉が「今までなかったくらい重い病気にかかっている可能性がある」 ことを知らされました。 で、どうしようか、と思っていたところ…。 1か月ほど前に突然、元の職場でつきあいのあったデザイン事務所の社長(退職してから、しょっちゅう、仕事をいただいていました)から 「知り合いの奥さんが、今度霊能者として本格的に活動を開始するらしいのだが うちで本を作ろうと思う。その本作りに協力してもらえないか」と頼まれたのです。
その話の流れで、社長に「何か、みてほしいことないの?」と聞かれ 姉の写真を見てもらったところ 「母方の、こういう方が、こういう病気でこういう亡くなり方をしていて、その方があなたのお姉さんの肩から頭に、おぶさるように乗っていらっしゃる。そのため、頭はすごく痛いはずだし、肩もこるし、エネルギーがそこに使われてしまって、身体の他の部分までいきわたっていない。もし身体の具合が悪いとしたら、症状が出るのは胸から下(肺や胃ではない)で、足も冷えるはず」 と言われました。びっくりしました。
それから数日間は、驚きの連続でした。ざっと書くと
・まず、姉に確認したところ、症状は言われたとおり。 ・実家に電話をかけると、母はちょうどその日から、山口の実家(祖母が住んでいる)に帰っていた(僕の従妹が海外で出産をすることになり、叔父夫婦がその手伝いでいなくなるため)。 ・山口に電話をしたところ、母は、その亡くなった方のことを知らなかった。 ・数日後、母から電話で「どうもおばあちゃんが生まれる前に、そういう病気で亡くなったらしい。でも、その方のお墓の場所とかはわからない」と報告があった(もし母が山口に行っていなかったら、最近耳の遠い祖母とは電話ではなかなか意思疎通ができないので、確認がもっと遅れたはず)。 ・さらにその翌日、母から電話で「今日、近くのお地蔵様に散歩に行って、帰りに本家の庭の花をボーッと眺めていたら、ちょうど中から叔父さんが出てこられた。『お茶でも飲んで行け』と強引に勧められ、通された部屋にお仏壇があったので、『もしや』と思って見てみたら、その方のお位牌があって、戒名がわかった」と報告があった。
で…。その頃から、薬を飲んでも何をしても治らなかった姉の頭痛と肩こりが、嘘のようになくなったそうです。 病気の方は、現在検査の結果待ちですが、よくなっているといいなあ。
姉にかぶさっていたのは、その方や、その方のお母さんの思いだったそうです。祖母はもう、94歳(確か)なので、ひょっとしたら「うかうかしていると、その方のことを知っている人がいなくなってしまう」とあせっていたのかもしれないなあ、と、僕はちょっぴり思います。
しかし、どう考えても偶然とは思えないことばかりで 「霊魂は存在しない」と仮定したとしても 「その霊能者の方は並み外れたカンなり超能力の持ち主である」ということになり 結局、人間の五感以外のものを認めざるをえないわけです。
2005年11月08日(火) |
あの世について・1 今までのこと |
これから数回分の日記に関しては 拒否反応を示す人もいるかもしれないし 「むらぽん、とうとう(やっぱり?)おかしくなっちゃった」と思う人もいるかもしれませんが なんか、書かなければいけない気がするので、書きます。 長くなりますが、よかったらおつきあいください。
「ホラー女装」を標榜していながら 僕は今まで、不思議な体験をしたことはほとんどありません。 強いて言えば
・高校2年のある日、家の靴べらの先がポキンと折れてて、変だな…と思ったら、その日の柔道の授業で右足人差し指の骨を折った ・数年前、引越しを考えて夜中にいろんな物件を見て回った時、ある物件の裏手にある駐車場が妙に怖かった(一段深い闇で、「この中に入っちゃいけない」という気がした)。変だな…と思ってよく見たら、その物件の隣りがお寺だった。あの駐車場は、墓地の跡地?(未確認) ・僕が生まれる前(両親が結婚する前)、山口の母の実家が山津波に襲われたが、その時母は、父宛ての手紙を出しに郵便局に行っていて無事だった。帰ってきたら、今まで座っていた座敷の、ちょうど母の頭があったあたりを、大木が貫いていたらしい。また同じ頃、青森に住んでいた叔父のギターの弦が、全部切れた ・自分が頭で考えた選択が間違っていると、必ず軌道修正が入る
くらいの出来事が、身の周りにあっただけです。
それでも、子どもの頃から、「霊」や「あの世」の存在は9割方、信じていて 毎晩寝る前には、何となくお祈りをして 神様や仏様、守護霊様、ご先祖様、観音菩薩様、お地蔵様に (どの方に話しかけたらいいのか、よくわからないので…) お願い事をしたり、お礼を言ったり、文句を言ったりしてきました。 誰かに見られたら、かなり危ない人だと思われそうです。
で、ここ数年は、佐藤愛子さんの「私の遺言」や江原さんの本を読んだりして 世界の仕組み?について「そういうものかもしれないな」と思っていました。 江原さん、最近テレビで見るとちょっと胡散臭いけど 「人は、自分が克服するべき課題を設定し、そのために適した家や場所、容姿などを、自分で選んで生まれてきている」とか 「人はこの世でもあの世でも、自分が出しているのと同じ波動を持った人や出来事としか出会わない」とか 本に書いてあることは、結構いいなあ、と思うのです。 「何で自分だけが」とか「こうなったのはアイツのせいだ」とか 本当に思わなくなるし (というより、歳をとってそういう感情が抜けてきたところに、この考え方がぴったりきたのかもしれません) 結局その方が、自分もラクなんですよね。 人のせいにしたりすると、その瞬間はストレス発散できるかもしれないけど 心の奥底で、何かが「違うッ」と叫んでいて なんか、スッキリしないものが残ってしまう。
ただ、何せ、目に見えないことなので 自分の中では「暫定的に信じている」という感じが、どこかにありました。 「あの世」の存在にしても
・「あの世はある」と信じていた場合 …死んだ後、実際にあの世があったら対処できるし、もしあの世がなくても、そこでおしまいなので困らない ・「あの世はない」と信じていた場合 …死んだ後、実際にあの世がなければ問題ないが、もしあの世があったら、対処に困る
ので、「あの世はある、と信じていた方が、どちらにも対応できて便利だな」と 思っていたわけです。わー、打算的。
しかし、ここ数か月(特にこの1か月)は びっくりするほど次々と「生」や「死」に関する出来事に襲われ 完全に人生観を変えさせられた…というか 少なくとも「人間、死んだら終わりではない」ことに関しては 100%の確信を持つに至りました。
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