駄文
蒼海 零



 アイデンティティ。

自己同一性の確立。
モラトリアム。
早期完了。
自己同一性の拡散。


私は、どこだろう?




腕を、今でも切れる・・・と思う。
たとえば今この瞬間とか。いつでも切れる。
それを止めているのは、「皆に嫌悪を思われたくない」から。

夏が来るね。
もう平Pもいないし、さっちゃんのあの太陽の似合う笑顔も見れないし、
きっと暑さにだらけてそうな彼も見ない。

ねえ、夏が来るよ。
去年とは余りにも違う夏が来て、私をまた苛むのだろう。
夏が来るね。夏が来るね。夏が来るね。



2002年05月17日(金)



 恋う

胸がうずく。
誰かを好きになっているのだろうか。
・・・教育の委員のみんなに恋しているのかも。
好きだ好きだって。
だから、同じくらい構われたいのか。
愛されたいのか?
私は愛されて育ってきてないのか?
否、5歳までは母を独り占めしていただろう?
好きになるのか、誰かを。
さっちゃんのように、小畑先生のように、好きになるのか。

・・・それもいいだろう、全ては苦しきものなれば。

2002年05月07日(火)



 教研レポート要旨。

お題 → 私の前に「他者」があらわれたとき。


「他者」と出会う儀式はしんどい。疲れる。

でもネット上で出会うだけなら、儀式がないので疲れは少ない。
それは付き合い下手な人間にはちょっと救いである。
そういった出会いをけなす人も多いが、それで「他者」との軽い関係を数多くこなすうちに、
だんだん経験も増えて、限界はあるだろうが様々な場面に対応できるようにもなり、
リハビリのような役目はあるのじゃないだろーか。

ただ、そんな立場である限り、
儀式の欠如からどうしても得られないこと(雰囲気を読むとか)があることや、
思い込みが最近増加してるのはほっとけない。
「思い込むな」「こういうデメリットもある」という注意を増やすのも手である。
それだけでは効果がないかもしれないが。
会っていても尚知らない側面があったりするものである、
ネットでの楽な出会いは、「他者」の一部と出会っているだけであることを
自覚するべきである。

また、これからネットを使う世代に自覚させるべきである。



2002年05月06日(月)



 世界の在り方


私が私であること
私がここにいること
貴方が私と会話していること
私が貴方を好きであること
貴方が私を見て笑うこと

世界がここにあること。

2002年04月24日(水)



 (傲慢な戯言)


・・・これは、ここに書くべきことやないのかもしれへんけど・・・
傲慢ととられるなら、それも仕方が無い。そうかもしれん。
メチャメチャ嫌なことも書いてる。
せっかく祝ってやったのに、と気分を害する人もいるやろう。
それでもいい人だけ読んでな。


「おめでとう」といわれることは嬉しい。
そう言ってくれる人々の気持ちに心から感謝してる。間違いなく本気で感謝してる。
ただ、時々。何人かのふとした言葉が、私の気分を重くさせる。

私は、そんなにすごい人間やないよ?

大学の名前はたしかに価値あるもんなんやろうけど、
「私」にはそこまで言われるほどの価値はないよ。
受験っていうのは、自分の元々の実力からどんだけジャンプアップしたか、が
大事やと思う。大学名なんかどうだっていい。
私は最後の数ヶ月ですごく伸びたから(それが自分でもわかるほどに)、
たとえ今年落ちてもそれを誇りにしたやろなっていう自信がある。
確かに私かってがんばったけど、私の友達には私よりも明らかに努力して、
そして落ちていった子がたくさんいるよ。
私のまわりに、本当の私よりもっとスゴイ虚像を描いてるように聞こえるときが
少なくないよ。
『京大生』ってくくらんといてよ。
私は、私なんやから。



御祝いのことばは、ほんまに嬉しいねんで。ホントやで。
・・・・・支離滅裂な戯言でした。気にせんといてな。

2002年03月11日(月)
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