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しもさんの「新聞・書籍掲載文」
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1997年10月01日(水)
明日の地域を知る未来新聞との出逢い(39歳)

建通新聞 朝刊(遊歩道)連載1

「建通新聞」たるものが存在することすら知らなかった私が、
この新聞に興味を持ち出したのは、五年ほど前に遡る。
奉職して十年は、総務課電子計算係、税務課資産税係の仕事に従事し、
他課の仕事に関する情報はあまり必要としなかった。
いや、与えられた仕事をこなすだけで精一杯だった、
というのが本音かも知れない。
そんな私が、企画管財課企画係長の辞令を受け、
与えられた仕事が「総合計画策定」「広域行政」であった。
それらの仕事をこなすには、多量な情報が必要であった。
それも最新情報が。
今、わが町はどんな状態なのか、これからどうしていくのか、
近隣の市町村ではどんなまちづくりをしているのか、
むさぼりつくように情報に飢えていた時期に、この新聞と出逢った。
全国紙から地方紙、あらゆる住民を対象にした新聞は、
事後記事が多く、将来の計画を策定していた私にとっては
物足りなかった。
そんな時、まちづくりでアドバイスをしていただいた
高木滋生氏の名前を本紙で見つけたことも重なり、
読み込んでみると、私の欲しかった情報が満載であることに気付いた。
これからの情報、近隣市町村の情報は、
なかなか手に入らないのが現状であるし、
人間のネットワークが必要とされる企画係としては、
話題づくりに大変役に立った事も事実である。
そして今年の四月。人事異動でイベント主体の課に配属された。
「未来新聞」と勝手に呼び愛読している私は、
今度は是非ハード整備だけでなく、ソフト関連の情報も
提供していただきたい、と願うわがまま公務員である。



1997年09月27日(土)
「自然との会話」共生に不可欠(39歳)

静岡新聞 夕刊(読者のことば)

中学校の修学旅行以来の金閣寺、銀閣寺を訪れた。
何十人ぶりに訪れた金閣寺、銀閣寺は、中学生の時、
脳裏に焼き付けた大きさより、予想外に小さかった。
今回、のんびり歩いてみると、
庭園のコケがきれいにそろっていることが気が付いた。
その庭園を、多くの老人が丁寧に作業していた。
「ご苦労さまです。ところで、何をしているのですか」と
声を掛けてみた。
返ってきた答えは「落ち葉を拾っているんだよ。
そのままにしておくと、コケが死んでしまうから。
このコケも自然だけでは保存できない。
人間が助けてやらないと」という意味の京都弁であった。
「人間と自然の共生」
頭では分かっていても、なかなか理解できなかった共生の意味が、
こんな老人との会話でヒントを掴むことができた。
彼らは、この作業をとても楽しそうにしている。
「将来の子供たちに、この景色を残したいんだ」
という意味の京都弁が、妙に新鮮に聞こえた。
自然を残す、ということは、簡単そうで難しい。
共生とは、共に生きることであるから、私たちのできることは何か。
自然との会話をするところから始まる気がする。



1997年09月17日(水)
北海道でみた真の住民参加(39歳)

東京新聞 朝刊(発言)

仕事で北海道を訪れた。
以前から、北海道のまちづくりに関心があったので、
大変興味を持って視察できた気がする。
あんなに広大な土地があり、
まっすぐな道路が延びている北海道でも、
本州のまちづくりと同じ悩みを抱えていることも知った。
人口の減少、郊外大型ショッピングセンターの進出による
市街地の空洞化など私には想像できない北海道であった。
そんな中、「ワイン」でまちおこしをした池田町を訪れ、
得るところが多かった。
ブドウの収穫は短い時間に大量のブドウを摘まなければならない。
猫の手も借りたい忙しさという。
そんな作業を手伝うために池田町の中学校には、
授業としてプログラムされていると聞き驚いた。
彼らが卒業する時、まちではテーブルマナーを実施し、
感謝の意を表す。
もちろん成人式には、ワインで乾杯なのだろう。
最近、流行語に近い状態で頻繁に使われている
「住民参加」という言葉の意味を教えていただいた。
形だけの住民参加ほど、行政の手を煩わせることはない。
本当の住民参加とは
住民を本気にさせる「仕組み」であることを知った。



1997年08月13日(水)
小椋佳さんの奇麗な日本語堪能(39歳)

毎日新聞 朝刊(みんなの広場) 

妻と小椋佳さんのコンサートに出かけた。
昨年、娘と出かけたリンドバーグのコンサートとは違い、
観客には年配の方が多かった。
帰りの車で妻に感想を聞いたら、
「う〜ん、久しぶりに奇麗な日本語を味わったね」であった。
最近の流行歌には、必ず横文字が入り、テンポも速い。
歌詞の意味もよく分からない。
時代の流れが早い分、じっくり歌詞など味わっている時間は
ないかもしれないが、もう一度日本語を見直したいと思う。
美空ひばりさんの「愛燦燦」なども彼の作品であるが、
英語には直せない日本語独特の響きがある気がする。
自分の夢を追い続け、「夢合わせ、夢重ね、夢積み上げて」
と歌う彼は、大学に入り直して、
美しい日本語を研究していることも知った。
すてきな時間を過ごさせていだいた彼に、心から感謝したい。



1997年08月12日(火)
自然の涼風に猛暑吹っ飛ぶ(39歳)

静岡新聞 朝刊(読者の広場)

うだるような猛暑の中、わが町最大のイベント「湧水まつり」が
多くの方の協力を得て、無事終了した。
富士山の雪解け水がこつ然とわき出し、柿田川となって地表に現れる。
そんな天の恵み、水に感謝する祭りだが、
自然の力を再確認させられた行事でもあった。
日中、セミの鳴き声が会場内に響きわたり、体感以上の暑さを感じていたのは、
私だけではないだろう。
ジュースやビール、その他いろいろな飲料水を補給するのであるが、
汗はいっこうに収まることがなかった。
そんな時である。
なぎに近い状態から、すうっと涼風が体全体を包みこんだ瞬間、
今までの暑さが吹き飛んでしまった。
横でだれかがつぶやいた。「あぁー生き返った」と。
台風の影響で予定されていたイベントが中止になった前週も、
自然の威力を感じていたが、今回の涼風はさらに格別である。
夜になり気が付くと、昼間あれほど鳴いていたセミの声はどこかへ消え、
かすかであるが鈴虫の鳴き声が聞こえてきた。
猛暑の中に、しっかりと秋の気配を感じた一日であった。



1997年07月03日(木)
知人通じて生きた情報得る(39歳)

読売新聞 朝刊(気流)

パソコンでインターネットを楽しむのがブームだが、
自分自身で使ってみて気づいたことがある。
パソコンの情報があまりにも大量なため、取捨選択に困るのである。
パソコンの画面に映し出される情報のごく一部しか自分が必要としておらず、
そのために、真に必要な情報を容易に入手できないという状況が生まれるのだ。
そこで思い出したのが、最近読んだ本の一節。
それによると、生活していく上で一番必要な情報は「ノウ・ハウ」ではなく、
「ノウ・フー」であるという。
つまり、本当に役に立つ情報は、「どうすれば入手できるか」よりも、
「誰に聞くのが最も適切か」ということだ。
その分野に詳しい人に聞けば、自分で一から覚えるよりも早く、
しかも、詳しく知ることができる。
身近にも、このような達人は多くいるはずだ。
しかし、一日中、パソコンの前にいては、こうした人物と知り合うことは無理だ。
例えば、知人と一緒に遊びに行ったり、食事を共にすることが必要だ。
より多く、共通の体験を作ることで、生きた情報が得られる。
「ノウ・フー」のためにも、家に閉じこもらないで
人に会う機会をたくさん持ちたいと思う。



1997年06月14日(土)
お祭りはシンプルな踊りが一番(39歳)

東京新聞 朝刊(発言)

夏まつりというと、つきものの踊り。
最近は盆踊りではなく、サンバ等を中心としたリズミカルな踊りも多い。
いろいろ仮装した住民が、振り付けにアレンジをし、競い合っている。
しかし意外と振り付けが難しく、お祭り前に何回となく練習を繰り返し、
息を合わせている光景が目につく。
住民参加型のイベントには踊りのコンクールは欠かせないが、その昔、
お祭りの踊りとは、豊作や大漁を祈願する踊りが中心であり、
息がピッタリ合っていなくても構わなかったはずである。
ステップも振り付けも、気にならない。
心から豊作・大漁を祈念して、全身で表現していれば、
それだけで良かったに違いする。
最近の踊りは、どうもスマート過ぎる気がする。
踊り疲れて倒れるくらいの勢いが欲しい。
もう一度、踊りの原点に戻ってみよう。
見ている人が、突然でも参加できる踊り、非常にシンプルな踊りこそが、
これからのお祭りの踊りとして、生き残ってくる予感がする。



1997年06月13日(金)
スポーツ通し親子触れ合い(39歳)

産経新聞 朝刊(談話室)

最近、子供のスポーツ活動に対する親のバックアップが頼もしい。
子供の球技大会に向けての練習には、
普段、運動には縁のないような親まで参加して、
我が子と一緒になって頑張っている。
スポーツ少年団のサッカーやバスケットボールのチームに所属する子供の親となると、
試合の送り迎えから飲み物の準備、マッサージまでする親もいるという。
過保護だ、という批判もあるだろう。
しかし、親子の触れ合いが少なくなってきた今、翌日の筋肉痛もかえりみず、
ジャージーに革靴の姿もほほえましい。
仕事で疲れた、と昼間でごろごろしていたり、
テレビゲームで高得点を出して喜ぶよりも、
下手でもいいから青空の下、わが子とスポーツを楽しんでもらいたい。
汗を流したり、風を感じることの喜びを思い出してほしい。
きっと夕飯には、いつもと違ったビールが飲めるに違いない。



1997年06月09日(月)
知識見直したい39歳は私に意味(39歳)

静岡新聞 朝刊(読者のことば)

三十九歳の誕生日を迎えた。
今までにない思いが、頭の中を駆け巡っていた。
四十歳ではない、この三十九歳こそ私にとって、
非常に大きな意味を持っていると感じているからだろう。
孔子は「四十にして惑わず」と言った。
あと一年で、そんな境地になれるか、挑戦である。
いままで広げてきた人間関係から、積み上げてきた実績、
そして、いろいろな経験から得た知識を、見直してみようと思う。
残すものは残す。捨てるものは捨てる。
その上で、自分の人生に必要なものを、自分の判断で見極め、
身軽な状態で四十歳を迎えたい。
そんなステップを踏みながら
「五十にして天命を知る」状態に近づけたら、最高である。
情報過多の時代、
自分に必要な情報だけを選択する習慣をつけたいと願う。
そりためにも、今からやっておかなければならないことはたくさんある。
位置について、ヨーイドン。



1996年11月23日(土)
草の根で進む開発支援(38歳)

読売新聞 朝刊(LOOKにっぽん)

激動するアジア・・。
その中でも最近とくに注目を集めているベトナムを訪れる機会に恵まれた。
ベトナムは「ドイモイ(刷新)」政策で市場経済化を急いでおり、
昨年七月には東南アジア諸国連合(ASEAN)への加盟も果たした。
社会全体が豊かな国造りへの意欲に燃え、活気に満ちている。
「一人一人がレベルアップすることが社会を大きくする。
それが国を発展させる。現地の従業員にそう話しているんです」
ベトナムに進出した日系企業の幹部社員がそう語った。
ベトナム人を単なる低賃金の労働力として扱うのではなく、
「明日のベトナムを担う人材」として接する。
そういう考え方を念頭に雇用しているという。
ベトナム人たちも、そうした思いにこたえて働いているようだ。
とにかくベトナム人たちは勤勉で頑張り屋だ。
仕事が終わると日本語学校をはじめ、いろいろな学校に通っている。
英語・日本語をマスターし、将来、欧米系、日本企業で働きたい、
通訳になりたいという若者が多いのもうなずける。
その一人一人のパワーが国全体のエネルギーとなって、
ものすごい力を生み出してきている。
きっと終戦直後の日本もこんな雰囲気だったに違いない。
現在の日本の安定志向が悪いというわけではない。
が、彼らはそれぞれが何か目標を持ち、
それに向かって懸命に努力しながら生活している。
そういう向上心のある人々が集まることで活気ある町、
豊かさを実感できる国が実現するのだろう。
アジアの国々で日本の企業が、そのお手伝いができれば・・と思う。