2004年07月15日(木) 老人のような若者
ルソーの『孤独な散歩者の夢想』は、高校時代のバイブル。 というより、高校3年のときのバイブルかな? 当時は(これほど似た人間はいない!)って思ってた。 その一年前、夏目漱石の『こころ』を読んで、(先生と私はなんて似ているんだろう)と思ったけれど、その2年前、『山月記』を読んで(李徴は私だ。わたしもいつか虎になる)と思ったけれど。その類似性をはるかに超えて似ているように思った。 今思えば、あんな嫌な奴と同じ思考パターンだと思うと、うんざりする。
だけど、やはり今でも、似てるとは思う。 考え方のベースが一緒。 何度読もうとも、「その通り、その通り」と頷いてしまう。当時受けた感動と衝撃は、今読んでも変わらない。私の気持ちを、こんなに表現してくれている文があるのだから、私はもう自分の気持ちについては文章を書かなくていいと思った、あの時と同じ。 そして私は、高校3年だった私がつけたラインに、もう一度ラインを引く。
そうした騒々しい生活には、内心の平和も、肉体の休息も感じることが出来なかった。表面は幸福そうにみえても、わたしには反省の試練にたえうる感情、それを感じてほんとうに楽しんでいられるような感情はひとつもなかった。わたしは他人にも自分にも、完全に満足することは決してなかった。
わたしの肉体の利害につながるものは、なにひとつとして、わたしの魂をほんとうにみたすことはできない。わたしがこのうえなく快い思いに沈み、夢みるのは、自分というものを忘れたときなのだ。
65歳を過ぎた老人と同じような考え方をするのは、褒められたものじゃないとはわかっている。 老人のような若者こそ、嘲笑すべき対象だということを知っている。 だけど、老人のような脳みそを、どうやって若返らせろと? 偉人と自分を重ねて、それを自慢にするほど自分は愚かでないと願う。ただ、ほんとうに似ているという悲しさがあるだけだと。
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