白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年05月28日(水) 宇宙へ行った犬の話。

自分ち(HP)の掲示板でクドリャフカの話題になった。

クドリャフカって言うのは、初めて宇宙へ行った地球生物である。
なにげに書いた話だったのだが、知っている人がいて嬉しかった。

ちなみにクドリャフカは人間ではなくて犬である。
ロシアで暮らしていたライカ犬だった。女の子であった。
ねぇ。みなさん。はじめての宇宙旅行体験をしたのは女性だったんですよ。

……犬だけど。

人類初の宇宙旅行なんだもの。成功するかどうかなんて誰にも分からない旅だった。
て・ゆ・か。最初から「帰り道」は用意されていない旅だったのだ。
スプートニク2号は、地球から飛び出して、宇宙を泳ぐだけで精一杯だったのだ。
クドリャフカは死ぬために宇宙へ行ったのだ。
まぁね。特攻隊とか、自爆テロなんかも「死ぬための目的」て感じなので
クドリャフカの犬生が、取り立てて不幸だとは言えないような気もする。
世の中には、彼女よりも不幸な犬がいるかも知れないのだし。

だけど私は、彼女のことを考えると、泣きたいような気持ちになってしまうのだ。

訴える術を持たないクドリャフカは狭い宇宙船の中で
1人ぼっちで、なにを考えていたのだろうなぁ……とか
そ・ゆ・ことを、思ってしまったりするのだ。
犬好きだから……とか、動物好きだから……て訳ではなくて
彼女は、なんの因果で、そんなとこで死ななきゃいけなかったのか。
「死ぬ時は畳の上で」ではないけれど「犬小屋で死にたい」とか
そ・ゆ・ささやかな幸せもなかったのだと思うだに切ないのだ。

クドリャフカの人生は、あまりにも悲劇的ではあるけれども
人間の一生も、クドリャフカの人生と、少し似ているように思ったりもする。
個人の意思とか、努力とか、そういうものとは関係なしに
乗っていかねばならないことが、あったりするとか、そう言う部分で。
ただ人間は、ライカ犬ではないので
自分の気持ちを訴えたり、伝えたりできる分だけラッキーだけど。

余談ではいるけれど、クドリャフカは打ち上げから数時間のには死んでいたらしい。
打ち上げ直後から衛星内の温度と湿度が上昇して
5〜7時間後にはライフサインがなくなっていたそうな。
ゆえに、案外、寂しかったり、切なかったりはしなかったのかも知れない。
そりゃあ……まぁ……拷問されて死んだも同然ではあるのだけれど
私などがクドリャフカを偲んで感じるセンチメンタルとは
ほど遠い最後を迎えたようである。

犬も人間も、その真実を、そう簡単には、はかれないと言うことか?
それとも「何を感じ・考える」のかが大切なのか?
その辺のことは、ちびりちびりと考えてみるということで
今日の日記は、これにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年05月28日(火) 女の便秘。男の下痢。

白蓮 |MAILHP