自分ち(HP)の掲示板でクドリャフカの話題になった。
クドリャフカって言うのは、初めて宇宙へ行った地球生物である。
なにげに書いた話だったのだが、知っている人がいて嬉しかった。
ちなみにクドリャフカは人間ではなくて犬である。
ロシアで暮らしていたライカ犬だった。女の子であった。
ねぇ。みなさん。はじめての宇宙旅行体験をしたのは女性だったんですよ。
……犬だけど。
人類初の宇宙旅行なんだもの。成功するかどうかなんて誰にも分からない旅だった。
て・ゆ・か。最初から「帰り道」は用意されていない旅だったのだ。
スプートニク2号は、地球から飛び出して、宇宙を泳ぐだけで精一杯だったのだ。
クドリャフカは死ぬために宇宙へ行ったのだ。
まぁね。特攻隊とか、自爆テロなんかも「死ぬための目的」て感じなので
クドリャフカの犬生が、取り立てて不幸だとは言えないような気もする。
世の中には、彼女よりも不幸な犬がいるかも知れないのだし。
だけど私は、彼女のことを考えると、泣きたいような気持ちになってしまうのだ。
訴える術を持たないクドリャフカは狭い宇宙船の中で
1人ぼっちで、なにを考えていたのだろうなぁ……とか
そ・ゆ・ことを、思ってしまったりするのだ。
犬好きだから……とか、動物好きだから……て訳ではなくて
彼女は、なんの因果で、そんなとこで死ななきゃいけなかったのか。
「死ぬ時は畳の上で」ではないけれど「犬小屋で死にたい」とか
そ・ゆ・ささやかな幸せもなかったのだと思うだに切ないのだ。
クドリャフカの人生は、あまりにも悲劇的ではあるけれども
人間の一生も、クドリャフカの人生と、少し似ているように思ったりもする。
個人の意思とか、努力とか、そういうものとは関係なしに
乗っていかねばならないことが、あったりするとか、そう言う部分で。
ただ人間は、ライカ犬ではないので
自分の気持ちを訴えたり、伝えたりできる分だけラッキーだけど。
余談ではいるけれど、クドリャフカは打ち上げから数時間のには死んでいたらしい。
打ち上げ直後から衛星内の温度と湿度が上昇して
5〜7時間後にはライフサインがなくなっていたそうな。
ゆえに、案外、寂しかったり、切なかったりはしなかったのかも知れない。
そりゃあ……まぁ……拷問されて死んだも同然ではあるのだけれど
私などがクドリャフカを偲んで感じるセンチメンタルとは
ほど遠い最後を迎えたようである。
犬も人間も、その真実を、そう簡単には、はかれないと言うことか?
それとも「何を感じ・考える」のかが大切なのか?
その辺のことは、ちびりちびりと考えてみるということで
今日の日記は、これにてオシマイ。