2004年11月11日(木) |
ゼロワン後楽園大会1 |
久しぶりのゼロワン大会。(最後に観たのは9月だったかな?) ゼロワンが旗揚げして3年、初めは客入りもまばら、 最初の火祭り大会では直前に猪木指示による選手の引き上げがあったり 本当に苦難の船出だった。
それでも、いつのまにか「ゼロワンは面白い」という評判が出来た。 小さな団体でお金が無い分を 選手一丸となったハートの熱さとアイディアで補って、 プロレスの面白さを提供したからだと思う。 会場いっぱいのファンは第1試合から盛り上がって 帰りには一様にハッピーな顔で家路に着いていた。 私などは余りの興奮で何度も酸欠状態になった程だ。
だがそれも今は昔。 最近のゼロワンには興行の恐ろしさというものをまざまざと見せつけられる気がする。 会場がガラガラで、以前のあの、選手とファンが一体になった熱気が感じられないのだ。 どこからフロントとファンの間に齟齬が生じたのか、 その原因はいいろあるのだろうが 落ちた客足を引き止めようとあの手この手をフロントが打っても それが全部外れていく。 ファンのニーズを掴みかねているのだ。
外国人選手を多数使っていたために興行収入に対してコストがかかり過ぎ、 利益を上げらにくい体質だったということも大きいだろう。 そこで外国人路線から日本のインディーや長州のWJとの対抗・交流戦路線に切り替えた。 これが大きく裏目に出てしまったのではないだろうか。
ゼロワンの良さ・カラーというのは 「何でもありのしっちゃかめっちゃか、奇想天外、天衣無縫」スタイルだったと思う。 しかし、その「何でもあり」とは、安易な流血試合のことではなかった。 ハードコアが観たければ大日本に行った方がよっぽど満足できる。 きっちりしたプロレスを見せるというのが基本にあってその上での何でもあり。 それがファンが求めているものだったのではないか。
ゼロワンは一体どこへ向かおうとしているのかと思い始めた頃 私の熱に水を浴びせられる思いをしたのは長州率いるWJの参戦。
橋本はかつて長州体制に叛旗を翻して新団体を旗揚げしたのでは無かったのか? 橋本の新団体に付いてきたファンというのは 橋本ファンでもあっただろうが同時に反長州という人が多かったのではないか。 私は橋本と小川の「政治権力には負けません」という言葉を 信じたからこそゼロワンを応援してきたのだ。 それがあっさりと権力の象徴であった長州を 「長州さん」という形で礼を尽くしてゼロワンリングに 迎え入れるとは・・・。 私の熱は冷めていった。
そして経営危機が噂され、ギャラ未払いが噂され・・・ 所属選手ではなかったがゼロワンの「売り」だった小川直也の離脱 外国人人気選手の他団体への進出(ハワード・プレデター・ロウキー) ハッスルというゼロワンに似たスタイルのプロレスイベントの出現 (このプロレスイベントの中心は小川直也) 橋本の肩の負傷による長期欠場 星川の試合中の事故(いまだ意識不明状態とか)
弱り目に祟り目を地で行っているとはまさにゼロワンのこと(涙)
そしてここに来てついに、ゼロワン崩壊危機の記事がプロレスマスコミを賑わした。 最近はかなり熱が冷めていたが、それでも一番好きな団体はゼロワンだ。 (女子はLLPW) ゼロチューとしてこれは11日後楽園大会にぜひとも行かずばなるまい。 それに発表カードを見ると、 ハードコア路線が消え、本来のゼロワンのカードに戻っているあたり、 フロントや選手の決意が見えているような気がする。 それでこの日、会場に足を運んだのだった。
(*ハードコアプロレスを否定しているのではありません。 あくまで「ゼロワンに於ける」ハードコアは見たくないだけです)
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