2004年09月25日(土) バカにすること


あまり心乱されることなく、穏やかに生きたいなあと思います。

私は、かなり感情の起伏が激しくて、他人のちょっとした言葉にすごく腹を立てます。そして心の中で罵倒したりする。つくづく狭量だと思います。

相手に何かを言われて、それに対して「バカじゃないの?」と腹を立てるのは、自分も相手並みにバカだから、もしくは相手が羨ましいんだと思います。
私がよく腹を立てるのは、自分に疑問を持っていない人。自分を客観的に見つめられずに、また、相手がどう思うかも構わずに自慢話をしたりする自信満々な人を見ると「おめでてーなー」「自慰はひとりでやってろよ」と思うわけです。しかし、本当は自分も自慢話したい!心のおもむくままにえらそうな発言をしたいと思っているわけですね。要するに羨ましいのです。そして、相手と同レベルなんです。近親憎悪とはよく言ったものです。

そして、そういう自信満々な人は放っておけばいいのに、ついつい嫌味を言ってしまって、しかもそいつはぜんぜん自分の皮肉に気付いてくれなくて(なにせ、自信満々だから)、ますますこちらのイライラが募り、放置(無視)できなかった自分に自己嫌悪、というのが実によくあるパターンです。

しかしですね、(注)私は「自己嫌悪」というものも非常にずるいシステムだなあと思っておりまして・・・話せば長くなるのですが、たとえば上記の例でいうと、私は「皮肉を言いたい!」「このバカになんとかして自分のバカさ加減をわからせてやりたい」と思う欲求を持っているわけですね。
しかし一方で「そんな皮肉を言うのは人間ができてない」「自分も決して立派な人間でないのに、他人をバカにするなんて間違っている」という羞恥心もあるわけです。しかし、皮肉を言いたいという欲求が、他人をバカにするなんて品がないという羞恥心に勝ったから、私は皮肉を言ったわけです。

だけど、欲求に負けてしまった自分を認めたくない、あれは本来の自分じゃなかったんだと思っているから「自己嫌悪」するわけです。このプロセスによって「皮肉を言ってしまった」ということはリセットされ、むしろ「私はこうやって自分の行動を冷静に振り返ることができる、客観的な人間なんだ」とうぬぼれることまでできます。

すなわち、「皮肉を言いたい」という欲求、そして「私は他人をバカにするような人間ではない」という自尊心(羞恥心)を両方満たせる、便利なシステムが「自己嫌悪」なわけです。
まさに自己欺瞞以外のなにものでもありません。

ここまで書いてきて思ったのですが、私って傲慢だなあ。「相手と同レベルになりたくない」って、何様だよって感じですね。こんなに傲慢なら、心穏やかに生きていくことなんて無理ですね。いっそ、多少のことではびくともしないほどの傲慢さを身につけてやろうかしら。


(注)「自己嫌悪」云々のあたりは、岸田秀の「ものぐさ精神分析」の受け売りです。私の文章よりもずっとわかりやすいので(←当たり前だけど)、未読の人はぜひどうぞ。私は大学時代にこの本を読んで、かなり影響されました。


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