2005年10月02日(日) 旅行したことがあるのはそんなにえらいことか


バリでテロが起きましたね。

海外でテロが起きると、そこに旅行したことのあるひとがひとこともの申したがるのはなぜだろうと思います。「わたしは一般の何も関係のない日本人とはちょっと違うのよ」ってかんじでテロを語りたがるのはなぜなんでしょう。

しかも語る内容といえば「テロはいけません」「でも弾圧した政府もいけません」「差別はいけません」という幼稚園児の感想文みたいなものか「わたしはいろんなことを考えました。うまく表現できませんけれども/敢えてここには書きませんが」という何も調べていない/考えていないことを曖昧な表現で誤魔化そうとするもの。

わたしは4年位前にバリに行ったことがあります。ビーチで寝転がってインドネシアビールを飲み、夜は日本円で支払えるレストランでご飯を食べました。かんぜんに観光客としてバリを旅行して、楽しかったなあと思って帰ってきました。

今回のテロにあたって、わたしは特に感慨を抱いていません。バリを旅行したことはあるけれど、数日間ホテルとビーチと観光地を往復したくらいで、旅行したことのないひととは違う、深みのある意見など言えるはずもありません。被害にあったひとは可哀想だと思います。でもそれ以上のことは寡聞にして何の意見も出てきませんし、もっといえば他人事だと思っています。背後にはきっとややこしい問題があるのでしょうが、よくわかりません。だから特に何も言うべきことはありません。

こういう、無関心や無知は恥ずべきことだと思います。開き直るのも恥ずかしいことです。しかし、旅行したくらいでその土地に対してすごく関係のあるような気になって、「わたしは実際にこの目でバリを見てきました。バリで出会ったひとはとてもやさしく面白い人たちでした。テロは絶対に許されることではないけれど、戦争はいけません」とかいう感想を述べることがそんなに意義深いことなのでしょうか。よくわからないから黙っていることに比べて、意味があることなのでしょうか。関心があるだけ/他人事でないだけ良いのでしょうか。それならばそんな誰でも書ける感想文を垂れ流すよりも、黙って(でなくてもいいけれど)しかるべきところに寄付をしたほうがずっと有益なことではないかと思います。


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