1年前の今日、とある部品メーカーの内定式に出てて、本当ならいまごろ海外営業職というので働いているはずだったのに。1年前の明日、1本の電話で人生変わってしまった。当時の人生かけたネタ日記が今はもう見られないのが少し残念だ。あぁそうか、あれから1年か。
入社して5ヶ月目を超えた先月辺りから、加速度的に仕事に慣れてきた。ずっとかなわぬ目標だった記事の出稿ペースもクリアできるようになり、先輩からは「そろそろどういう記者を目指すのか考え出したほうがいい」と言われる。大別すると、雑報を量産するタイプか、特ダネをコツコツ書くタイプか、その2種類なんだそうな。正直、どっちでも良いと思う。
けっきょく今の仕事に就いて何をしたいのか。未だに見えてこないのが問題だ。正直なところ、どこそこの会社が新製品を出すとか事業を強化するとかM&Aだとか、どうでもいいやとも思う。だってそれは誰が書いたって同じ記事になるのだから。かといって社説とかエッセイとかコラムとかを書きたいわけでもない。別に何かを表立って主張したいとは思わない。
ここから先は、夢物語だ。
かつては、現場を見れば何かが分かると信じていた。だけどそうじゃなかった。野菜畑の中で農家の話を聞いても、おにぎり工場の中で従業員の話を聞いても、年商一千億の経営者に話を聞いても、どこかで見た日常の1コマに変わりはなかった。農家だろうが従業員だろうが経営者だろうが、それぞれ立場は違っても、それぞれの日常を過ごしているにすぎなかった。
この半年で、はたしてどれだけ印象に残った取材があっただろうか。夢を語る人もいたし、悩みを抱える人もいた。だけどそれは、隣にいる友人と話すこと以上に、特別なものでもなかった。
世の中は、どこかへ向かって確かに動いているのだけれど、実は単に、何十億かの日常が同時並行で進んでいるだけのことなんだろう。そしてそれを、未来の学者は歴史と呼び、細かい名前を付け、幾つもの貌を与えるだろう。私たちが生きている、この時間を、直に過ごしたわけでもないのに。
今を紡ぐ言葉が欲しい。それは単に、どこかで何かが起きているというものじゃなくて、うごめいている、とでも言えばいいだろうか、毎日毎日生まれるニュースたちの、更にその奥にあるものを、顕わにしたい。今生きているこの社会、この時代は、一体なんなのか、と。そんな、青臭い想い。
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