2004年10月17日(日)
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紙くずよりもなお軽く
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ここ数ヶ月、読むことよりもむしろ金を使うことに喜びを感じているんじゃないかってほど新刊を買いまくってきたために、部屋の本棚からあふれるほどの蔵書が生じてしまっている。その蔵書は一見まとまりもないのだが、3つに分類することに決めている。1つ目は「また読むかもしれない本」。つまり、読んでみて良かった、好きだなぁという奴。2つ目は「もう読まない本」。一通り読んでみたけれど、もういいや、ふーんという奴。そして最後に、「買ってみたけど読まない本」。あれ、書店内を行きつ戻りつして選んだ本のはずなのに、つまらなく思う、もしくは、今の自分には必要ないと思われる奴。
それはさておき。今回は本の話を書くのではなく、金の話なのだ。
いや、さっき夕方帰宅して財布の中をみると151円しか入ってなくて。夕食をどうするのか、二週間ためた洗濯物をどうやってクリーニングに出すのか、煙草をどうやって買うのか、と。クレジットカードの類は所有していないこともあり、頼みの綱はいつものように銀行のキャッシュカード。ATMまで行ったなら、「システム整備のため、ただいまお取り扱いしておりません」。あちゃー。居間の机の上に散乱した小銭をかき集めても1000円に満たない。
んで、冒頭の本の話が出てくるわけで。「もう読まない本」と「買ってみたけど読まない本」を、近所のブックオフまで持っていき、2180円を手に入れる。これなら明日まで大丈夫とほっとしたのもつかの間、ためまくった洗濯物に2300円も取られた。惣菜屋でサバ煮とから揚げ、コンビニで牛乳と納豆を買って、久々の自炊。つっても、炊飯器のスイッチを押すだけの。・・・えーと、何の話だったか。最近、収拾付かなくなることが多い。
つまりは、なんで預金があるのに、本を売って飯代にあてるなんてことをしてるのか俺は、という話らしい。普段から現物を持っておけばすむことなのだけれど、今住んでいる地域は空き巣が多く、あまり家に小金を置いておきたくない。そもそも、タンスの中などに小金があるならば、わざわざATMから下ろすまでもなく、先にそちらを使ってしまうだろう。面倒くさいから。そんなふうに、ちまちまと数万ずつ引き出しながら、日々を暮らしている。
そんな暮らしを、どこか不気味に思ったりする。働いた対価としてお金をもらう。そのお金は機械の中にある。キャッシュカードを通じて手に入れられる。便利だけど、少し心もとない。別にいまさら物々交換がいいだとか、給料は封筒に入ったものを手渡されたほうがいいというわけじゃない。ただ、例えば昔居酒屋で働いてた時に、月末に渡される封筒の中の1万数千円と、今もっと働いて得ている給料と、どちらが有難いかというと・・・。
ふと思い出すのは、「ドラえもん」の「デビルカード」の話。そのカードを一振りすると、300円が出てくる。ただし、1回につき1ミリ背が縮んでしまう。そんな話と同じように、キャッシュカードを使うたびに、金銭感覚か、もしくは、もっとさらに別の感覚を、少しずつ、失っているような気がする。
だからまぁ、カードの類はあまり持ちたくないのです。便利だろうけど。
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