2007年08月20日(月)
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一個の知性になりたい
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先日、誕生日を迎えた。27歳。「この歳になると」と言うと年上の方々には失礼かもしれないが、この歳になるともう嬉しいという気にはなれず、「また1つ歳を食っちまった」と少しばかりの憂鬱と何かの諦めすらまじってくる。
社会人なりたての23歳の時、「ひとまず30歳が人生の節目」と考えた。30歳時点で、自分という人間の可能性がある程度はっきりするだろう・・・。何の根拠もないけれどそう思ったし、今もそう思っている。とにかく30歳を一つの基準として、それまでにあれをしようこれをしようと決めることにした。
ただ、23歳だった当時は、関西での生活が始まったばかり。会社勤めも一人暮らしも初めてで暮らしていくだけで精一杯だろう、3年程度で東京に戻るらしい、それなら、先々のことはともかく、好きに(適当に)暮らしゃいい。そんな心持ちで生きてきた。そうして当初の予測通り3年で東京に帰ってきて、いよいよ「節目」に向かってどうすべきか考えるようになった。
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そいいうわけで将来自分はどんな自分になりたいのか、ついさっきも喫茶店でボーっと考えていて、突然、ポンと言葉をひらめく。「一個の知性になりたい」。普通の言い方になおすなら、おそらく「見識を持った人間になりたい」となるだろうけれど、微妙にニュアンスは違う気がする。「一個の」と付くのは、たぶん、一目置かれる、ほかとは違う、ということに近いと思う。
あまりに漠然としていて、具体的でない。まだ意味すらよくわからない。ただ、その言葉は、確かに自分の望むイメージを表現している気はした。
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新聞記者を志したのは、読者として新聞が好きだったことと、世の中の仕組みを知りたいと思ったから。経済担当を希望したのは、世の中は政治・文化・運動など様々な切り口で語ることができるけれど、お金を媒介としてモノやサービスが動く仕組みが、もっとも身近で興味深いと感じたからだった。
幸運にも経済担当の記者として働いている現在、先の「一個の知性」と関連付けて、何についての見識を磨くべきかと考える。一口に経済といっても幅広くて、金融や消費などいろいろなテーマがある。今、漠然と学ぶべきだと考えているのは「税制」。洋の東西問わず、いつの時代も、世の中の重要なテーマであり続けた。これに精通すれば様々なことが見えてくると思う。
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ひとまず、具体的なロードマップが必要だ。本を読むだけじゃ足りない。人に話を聞きに行ったり、何かに所属したり、行動が必要だろう。目先のことでは、ゴルフが上手くなりたい、剣道の稽古に顔を出していない、中国語が使えたら先々便利だろうな、もう少し体を絞らなきゃ、などなど、やりたいこと気になることは幾つもあって、どれにどのように時間を使うかは考え所。
「一個の知性」とか言ったってまだよくわからないから、誰かに話すには値しない。細部を詰めていく必要がある。「羅針盤」と言えるレベルじゃないが「なんとなくあっちの方角」という手がかりをつかみつつあります、という話。
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