A Thousand Blessings
2004年1月〜最新|ひとつ前に戻る|ひとつ先に進む
「句会で≪千≫をテーマに一句作ることになったら、誰もかれも千の風でね、 やんなっちゃったよ。どうしてああいうのをいいと思うのかね? あの歌が言いたいことは理解できるけど、でも、嫌いだよ、ああいう歌い方。」
俳人であるオフクロの弁。 俳人ではない僕は音楽的な見地から発言すると、 あのリズム感の極端に欠如したベルカントな歌い方と デンツーマンであるアライマンが 作ったメロディーのあまりの盗作ぶりに一回聴いて、うんざり。 以後、街角であの歌を耳にするたびに、とにかくその場から逃げだす習性がついてしまった。 世間を狭くしてどうする、千の風。と、ばかりに。
音楽をバカにしているんだと思う。音楽の伝える情報量の多さに気付かない人間が 作り出した代物だと考える。たとえば、くるりの「言葉はさんかく」からユーミンの「パール・ピアス」 まで、優れた音楽の提示できる世界は実に幅広く、奥深い。 そこには当然作り手の才能が関わってくるのだが、もうひとつ受け手の能力も 重要だと思う。「この程度のものをデンツーマンから送りつけられても、こちとら納得できません!」と 送り返すだけの目と耳と腕力が必要。だって、舐められてるんだから。 なのに、句会じゃみんな千の風。うんざりするだろ、普通。でも、実は異常とも思えるほど 誰もうんざりしてない。アカデミックなものに対するチャカシとしてあの歌唱を真似するのは 正しいが、本気でベルカントされたらたまらない。このクソ暑い8月に老いも若きも朗々と・・・。 何となく、「一杯のかけそば」を思い出したのは僕だけ?
「さだまさしの、納豆みたいな糸引きソングに似てるよね?」とオフクロ。
正解!いい耳してるぜ。さすが。
−私のお墓の前で 泣かないでください −そこに私はいません 眠ってなんかいません
「眠ってなんかいません」にメロディーをつけるのは、困難。 百恵のこれっきり〜これっきり〜♪を作曲した当時の宇崎の才能をもってしても無理。 メロディがついた瞬間に言葉が笑ってしまうのだ。 その証拠に、アライマンのメロディは苦肉の策の付点音符でしょ?(笑)
音楽が舐められてるなぁ・・・と思ってしまう。
響 一朗
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