凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2013年10月23日(水) 五百円玉サイズ

一学期は精神的に不安定になるアユム。
二年生の時は自傷行為が出て
どうしたものか、悩んだけれど
三年生はとりあえず
毎朝グズグズ体調不良を言う程度で済んだ。
落ち着いてきたのかなぁ…と油断していたら、
四年生の今年、くっきり五百円玉位の範囲で髪が抜け落ちていた。

えっと、これって、そういう事だよね…

とりあえず髪の分け目を変えてピンでとめたり
結んだりして、分からないようにして様子をみる事にした。

やっぱりストレスとか、だよね多分。
今年はそれ程体調不良も言わなくなったようで
安心していたらこれかぁ。
どこか不調がでるんだなぁ。

ストレスの原因は、やっぱり新しいクラスなんだろう。
今までと同じように、次第に落ち着いていくかも。
今までも二学期になったら大分落ち着いて
三学期になったらケロッとしてたものね。

そう思いながらパートの忙しさもあって、
様子をみると思いつつ放置していた。
髪は徐々に円形の形が崩れていって、
生えてきてるのかな…といった感じだった。

が、二学期。
今度は百円玉位のサイズを発見。
前回の五百円玉の場所もまだ薄く
地肌が透けてみえるのに。

今回はパートが休みの日に
病院で診てもらった。
とはいえ、近所のヤブで有名な皮膚科。
大丈夫かな…と不安ではあるが
通うのが便利なので…

「小学生に意外と多いんですよ」と先生。
「ほっといても自然に生えますから
神経質にならなくて良いですよ」

そう思ったから、ほっといたんだけど、
繰り返すのは問題よね…
そのうち周囲にバレて
からかわれるようになったらかわいそうだし。

やっぱりここは一回先生に話さないといけないかなぁ。
でも電話するタイミングが合わない。
アユムがいるときにかけて本人に聞かれたくないし
昼休みとかに電話するのもどうかなぁと悩むし。

だって担任の先生、30代前半の男の先生なんだけど
目を見て話してくれないし、
懇談会の時もバリバリ緊張してるし
雑談なんか絶対できないで、さっさと教室からいなくなるし
今までにない、頼りなさ。
相談したら、先生の方が体調不良になるか
精神的にどうかなるんじゃ?と
心配になる感じなんだもの。

なんて言ってるうちに、
またアユムの髪が抜けるような事があったら大変だし
パートが休みの今のうちに
早めにどうにかして先生に話さないといけないんだけど。

台風のせいか、私が連日頭痛でダウンしている。
人の体調の前に自分の体調をどうにかしなきゃ…


2013年09月11日(水) 入院二日目(夜)

夕食が終わるあたりから部屋も静かになっていく。
消灯は10時。
たっぷり眠り続けた自分はなかなか眠れるはずも無く
スマホでYoutubeとか見て眠くなるのを待った。


お向かいのベッドの方が寝苦しそうにしていたのは気がついてた。
夜中二時頃、嘔吐する音が聞こえた。
とっさにベッドにかけより、枕もとのティッシュを渡し、背中をさする。
「あぁ起こしてごめんなさいね」
「いえ、寝すぎて眠れず起きてたので。
こうすると楽ですか?さすらない方がいいですか?」
お向かいさんは黙って目を閉じる。
拒否されないから、続けていいんだろう。

大きな点滴は抗癌剤と言っていた。
かぶった帽子はそういう事なんだろう。
嘔吐するにも吐くものが無いのはずっと絶食だからか。
「お水飲みますか?勝手に冷蔵庫開けますよ?」と
冷蔵庫から水を取り出し渡す。
一口湿らす程度に飲み、辛そうに呻く。

隣の窓際のベッドの方が起きて来る。
「あら、変わりますよ」と交代して背中をさすってくれる。
「昨日までは調子良かったのにねぇ
久しぶりにお風呂に入って疲れたのかもねぇ」とささやく。
「かわいそうにねぇ辛いねぇ」とささやきながら背中をさする。
お向かいさんは「ごめんなさいねぇ」と力なく言いながら吐き気を堪える。
「かわいそうにねぇ。換わってあげられたらねぇ」
窓際の方はささやきながらさすり続ける。

吐き気はなかなか治まらない。
「看護士さんから膿盆借りてきますね」と言ってナースセンターへ行く。
夜勤の看護士さんに言うと「持って行きますね」と言われる。

夜中の病室。
看護士さんの小さな「大丈夫ですか」の声。
「疲れが出たんでしょうねぇ」と窓際の方。
小さく呻き、時々嘔吐しようとするも、吐くものが何も無く呻くお向かいさん。

少し落ち着いてきた頃
看護士さんが「皆さん有難うございます。大丈夫ですからもう寝てください。」と言う。
これ以上はお向かいさんも心苦しく思うかも…とベッドへ戻る。



「かわいそうにねぇ」

辛い治療を受けている人に、そんな言葉をかけるのは
あまりに酷いと思う。けど。
同じ立場同士なら、その言葉は救いになるんだろうか。
その辛さを知っているもの同士なら、「かわいそうに」も
驕り高ぶった言葉ではなく、傷を舐めあう慰めになるんだろうか。


分からない。私はたかだか二晩入院しただけで退院する健康体だから。
これから死ぬまで人工肛門で「こんな体になってまで生きてなきゃいけないのかしら」と呟いていたお隣さんの言葉に返す言葉もなかったし
二ヶ月前、私が入院していた時もこのベッドにいた
(通路側だったので偶然見かけて覚えていた)
このお向かいさんの、長い入院生活の辛さも
腸の癒着を繰り返して入退院をし続ける窓際さんの苦労も
糖尿病で食事制限をしながらもどんどん視力が奪われていく
寿司屋のおかみさんの苦労も
全部、他人事なので、その辛さが分からない。

「かわいそうに」なんて、どれだけ人の苦労を見て
自分の幸せをかみしめているんだ、と怒りがわく言葉は言えない。

でも、同じ苦しみを分かち合う人同士なら、違うんだろうか。
「かわいそう」といわれて、救われた気持ちになるんだろうか。

その気持ちは分からない方が幸せなんだと思う。
「かわいそう」と言う事も、言われる事もない幸せ。





私の検査結果は五段階の三。
ほっとくと癌化するタイプだった。
次の検査は二年後。
その時異常なければ更に二年後で、
そこでも異常なければ大丈夫でしょう、との事。


私がこの病室の皆さんの年齢になった頃、
どうなっているんだろう。
私も、皆さんも。


そんなこんなの、二泊三日の入院生活でした。





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