昨日英文法概論のテストがあった。 今ひとつ掴めきれてないな〜と思っていた部分がちょうど問題として出されてしまった。 頼りない回答で提出した後に気になってしまいもう一度考えてたら、急に理解できた。 そうか、そういうことだったのか、そっか〜。 で、それを忘れないようにちょっとここに書き留めておく。
a few は期待値や基準値より低い場合にいつでも使われるとのことだが、確か、中学でa few は few と対比させてプラスの意味を持っているということを習った。 例えば、 I have a few books. 私は何冊か本を持っている。 I have few books. 私は少ししか本を持っていない。 その文の話者にとって a few なら少しは持っている、 few なら少ししか持っていないというプラスかマイナスの意味が反映されると習った。 だから a few がプラスの意味であるにもかかわらず期待値や基準値より低い場合に用いられるってどういうこと??って思った。 しかしテキストに載っている a few が用いられている例文をよくよく見てみるとその謎は解けた。 その例文は選挙で、どう考えても当選するような立場にない人が立候補者にいて、こんな人に投票する有権者などいないだろうと当然思われたにもかかわらず、この人に投票した人が全体から見ればほんの極数パーセントだったが何人かはいたという事例だ。 その立候補者の獲得票は全体から見れば確かに少ないだろう。もちろん当選するなんてこともない。でもこんな人でも誰か投票する人がいたということでこの立候補者の獲得票を表すのに a few が使われている。 つまり基準値よりは低いがそれでもよくそれだけ確保しているという肯定的な意味を持つ場合に a few は用いられる。
分かって良かった。 確かにテキストにも a few の定義で「肯定的に」と書いてあるのだがその点にはあまり触れられていないのでちょっと気にはなったんだけど「これってなんだろ」ってな感じで深く考えず通過してしまい理解できていなかった。 今日適当にネット徘徊してたらちょうど誰かがこのテキストのこの部分を読んでまとめた文章があった。 実はテストでもそうだけどこの問題はもともと a few と several を取り上げた問題で、この二つの語の関係性はさほど難しくなく、というより several はなんの難しい点も持っていないので、このネット上の誰かの説明もその点に関しては適切だったと思う。だけど a few に関してその肯定の意味の側面を見落としており、 a few がただ単に期待値や基準値より低い場合に用いられるとしか説明してなかったので、十分でないと思った。もしこの文章を読んで誤ってそれをそのまま信じた人がいたとしたら不幸だと思う。
と言っても自分もテストが終わるまでこのことに気付いていなかったからテストはダメなんだけどね。 とりあえずテストで考えるきっかけを作ってもらえて理解することが出来たのでよかったかなと思う。あとあとだけど。
明日は訳当たっててテストもある。 明後日も訳が当たってるっていうのにこれからまた一日バイトだ。 明後日の方は本当に怒られるかもしれない位に訳せない。 こんなに大変なのにバイトに行かなければならない。 どうしよう。辛い。
授業は1時から。 少し遅刻したけど丁度出席を取っているところで私の名前が呼ばれる直前だった。 セーフ。 結構前の方で呼ばれるから少し損しているんだよね。 ギリギリ派としては。
今やらないといけないことが沢山ある。 なぜまとまってくるのか、不思議だ。 月曜日の演習の訳と6限の中間テスト。 それから火曜日も演習の訳があたっている。 火曜日は量もさることながら内容が私の頭ではついていけない。 しかし先生がかなり厳しいので何て言われるか今から不安だ。 むしろ前に哲学やってたこと知ってるから 2年の中でこんなに早くというか一番に当たってしまったのに。 それにもかかわらずお前それでもやってたのかよ状態だよ。 どうしよう…。 でも土曜日はドームに野球見に行く、、、 そして日曜は丸一日バイト。 しかも初勤務地、こっちも不安だ。 休憩時間は英語やって勉強するつもりだけどそんな余裕もないだろうか。 川口だったら良かったのに。
火曜の演習どうしよう。
今日は5時半に起きてバイト。 一日ただぼーっとしてたら終わった。 もちろん苦痛以外の何ものでもないのだが。 浦和よりもただ立ってるだけでいいから気持ちとしては楽だ。 途中心臓がかなり痛かった。 最近なかったんだけどやはり寝不足の日はまだ痛くなる。 明日は演習でもしかしたら訳が回ってくるかもしれない。 どうなのか、ぎりぎりのところだ。 来週は絶対に回ってくると思うが6限にテストが入ってる。 何でこう上手くいかないのか不思議だ。 最近非常に疲れている気がする。
今日からまた1週間学校が始まる。 普通に生きている人から見れば学校なんて糞面白くないところに わざわざ自分からお願いしてまで行くなんて考えられないと思う。 私の学生生活がそれなりに面白いものなら まぁそれもどう考えたって働くよりは楽だしいいんじゃない、 という見方もあるかもしれない。 でも多分一歩引いて私の学生生活を見てみて面白そうか詰まらなそうか 判定できたとすれば、それはきっとどうみても詰まらないものだと思う。 誰かと笑いあったり、頭が良かったり、はきはきしてたり、快活にしてたり するわけではなく、むしろこそこそ暗く気付いたらそこにいるみたいにしている。 卒業したら今勉強していることが何かに生かせるわけでもないし 生活上得をすることはないと思う。 それでも私の中の何かが学校へと毎日足を運ばせる。 私がなぜ生きるのかその問いに答えるのと同じ部分が私を学校へ向かわせる。 それを無視したり、抑えたりする方がよっぽど苦しい。 何か見つかるかもしれないという期待を抱いて毎日毎日学校の門をくぐる。
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