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2022年04月26日(火) ■ |
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約1ヶ月の「行方不明体験」 |
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この年齢になって、自分の人生を見つめるために、約1ヶ月を費やした。 この期間、不安と怒りと焦りと・・もろもろの感情が脳裏に浮かび、 未だ解決に至ったかどうかわからないけれど、少し落ち着いた。 他国では「徴兵制度」があり、世間と一定期間隔離されることにより、 自分を見つめる機会、祖国を考える機会としていることを、 以前、何かの本で読んで、この一言でも取り上げた。 今回は、知識だけで理解しようとしたのと違い、 心の痛みや不安を伴いながら、リアルに体験できた気がする。 「毎日が日曜日」なんて、一週間もすれば、あっという間に飽きる。 そして、テレビが友達になってしまうと、ほとんど外に出ない。 足腰が弱る、気力が出ない・・の症状が出る前に、 残りの人生の時間を有意義にするための、何かを見つけたい。 そのためには「1ヶ月」の「行方不明体験」は、意味があったと思う。 ただ、今度は、なかなかエンジンがかからない。 いや、エンジンの掛け方を忘れてしまったのかもしれない。 そのために、数週間は、暖気運転が必要かもなぁ。
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2022年04月25日(月) ■ |
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卵って・・大切に守る形をしているの |
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映画「天使の卵」(冨樫森監督)から。 直木賞作家・村山由佳さんのベストセラー小説と知って、 楽しみに観始めた。 ただ、あまり大きな事件や、アクシデントが起きない ラブストーリーだけでは、やや物足りなさを感じる。 タイトルに近い会話はメモした。 本物の卵に似せた、ニセの卵、偽卵を見せてこう言う。 「本物は人間が孵化させて、その間、 親鳥を安心させるために与えるんだって、ニセの卵でも、 春妃(ハルキ)が温めてたら、何かが生まれそうだ」 「なんだろ?」「天使!!」・・ この会話、なんだかくすぐったいな、と思った。 その後、こう続ける。「卵って、天からの手紙でね。 この命をよろしくお願いしますって、 大切に守る形をしているの」と。 恋愛とは関係ないかもしれないけれど、 「卵って、大切に守る形」という視点は頷ける。 どこも尖っていない丸い形は、そういう意味かもな、と。 丸形って力が分散して一番強いのだから。
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2022年04月24日(日) ■ |
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どこに行けば会えるんだ? |
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3月末までは、ほぼ365日、時間は未定だけど、1日は一度、 観光案内所に顔を出していたので、高い確率で、 私に会うには「清水町観光案内所」で待ち合わせればよかった。 4月からは、その「いつもいる場所」がなくなったので、 まずは、どこで会うか、を決めるところから連絡が入る。(笑) 「無職」になるって、そういうことなんだな、と苦笑い。 この1ヶ月、一番多かった問い合わせは なんと「どこに行けば会えるんだ?」だったから、面白い。 そう、打ち合わせをしなければならない場合の対策、 言い換えれば、これからの「待合せ場所」づくりが急務。 まぁ、堅く考えず、多くの人が立ち寄ってくれる「居場所」、 そんなものが欲しくなったのは、事実である。 なかなかないんだよなぁ、考えてみたら、そういう場所が。
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2022年04月23日(土) ■ |
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柿田川にはアマガエルルがいない? |
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ほぼ一年中、柿田川公園を定点観測のように、 写真・動画・音・・と撮り続けているが、 田植えの季節に、耳に付くカエルの鳴き声だけば、 なぜか、あまり録音した記憶がない。 「柿田川にはアマガエルがいない?」をメモに残した。 録音しながら耳にするのは、季節によって変わる鳥たちと、 いくつかの種類のセミや、秋にピッタリの昆虫の鳴き声。 そう言えば、アメンボやサワガニ、カタツムリも、 嫌ってほど見るのに、オタマジャクシもあまり見ない。 こんな水辺だから、いないってことはないだろうけれど、 目にすることも稀だし、鳴き声を耳にすることもない。 住民が生活している住宅街では目にするのだから、 250〜500メートル範囲内に住んでいるはず、と推察するが、 不思議なことだなぁ・・と思う。 この好奇心が続く限り、柿田川の定点観測はやめられない。 だって、どんどんわからないことが増えていくんだもの。
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2022年04月22日(金) ■ |
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あの女は、私に対して少しの罪悪感も持っていな |
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映画「マスカレード・ナイト」(鈴木雅之監督)から。 今までに何度も「東野圭吾さん」原作の作品を観てきた。 冒頭にしばらく流れる「タンゴ」の必要性がわからず、 ちょっと戸惑ったことを記しておく。 気になるフレーズは、 「ホテルにはホテルマンにしか見えないものがある」 「ホテルに来られるお客様は皆仮面をかぶっています。 その仮面を守って差し上げるのが、我々ホテルマンの仕事なんです」 「きっとラヴ・アフェアだと思います」 「ラヴ・アフェア?」「不倫の隠語です」 「駆け引きでは気持ちは伝わりませんよね」 「人は不思議なもんでルールの中で生きていると、 いつしかルールを守ることが目的になってしまうことがあります」 「あの女は、私に対して少しの罪悪感も持っていない。 私は怒りで体が震えました」 こうした犯罪事件は、日本国内でも日常茶飯事に起きているから、 悲しいことに驚くことは少なくなってしまったが、 私の好奇心は、常に犯人の「犯行理由」から始まるから、 この台詞を選んだ。 「体が震えるほどの怒り」は「罪悪感」の有無だったのか。
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2022年04月21日(木) ■ |
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命懸けの抵抗を、ナチスに見せつけてやります |
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映画「1941 モスクワ攻防戦80年目の真実」 (バディム・シメリェフ監督)から。 確かに「ナチスドイツの侵攻からモスクワを防衛し、 第2次世界大戦の流れを変えたとも言われる 『モスクワ攻防戦』を描いたロシア製戦争大作」であるが、 あまりにタイミングがいいので、もしかしたら プロパガンダの作品かな・・と疑いたくなった。 それは、立場変われば・・と言うしかないほど、似ている。 私が気になってメモした台詞は、 当時のナチスドイツ兵、ソ連兵、どちらの台詞なのか、 今のロシア兵、ウクライナ兵、どちらの台詞なのか。 以下・・単語、地名を入れ替えるだけで、別の作品ができる。 「大佐、モスクワが占領されたら元も子もないだろう。 ナチスがモスクワに進軍してる。どんな攻撃を受け、 どんな相手に遭遇しようと我々は決して屈しない。 たとえ死を迎えようとも、我々は英雄として死ぬ」 「我々の辞書に『降伏』という文字はない」 「パパ戦争に行くの?」「いや違う、訓練に行くだけだ」 「英雄になれ」 「俺たちの身を守るのではなくモスクワも守りに来た。 母国の心臓を守れ、モスクワのために戦え」 「みんな生きたまま焼かれました。 若者はモスクワと母国を守るために戦っている」 「でもなぜ母国は彼らをほっとくの。 せめて生き残っている者を助けるべきよ」 「命懸けの抵抗を、ナチスに見せつけてやります」・・ 気になるのは、私たちに何を伝えたかったのか、だろうな。
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2022年04月20日(水) ■ |
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映画みたいな「戦争画像」よりも「爆音」 |
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マリウポリ攻防戦、アゾフ大隊「公式YouTubeより」と書かれた 画像をテレビで見ていると、まるで映画を見ているようだ。 驚くほどのアングルの下に、字幕でも表示されれば、 まちがいなく、映画と勘違いするほどの出来だと思う。 この映像で、私たちは何を感じて、どうすればいいのか・・ この戦いを毎日のように、テレビ画面を通じて眺めていると、 恐怖感を感じることは、ほとんどない。 目から入る情報は、もう麻痺していると言うしかない。 実はこんな「爆音」の中で生活しています、という耳から入る情報、 もちろん、嗅覚とか味覚とか触覚とかも含め、 視覚以外の五感から得られる刺激が必要だと、と思う。 「どか〜ん、バリバリバリ・・」みたいな爆音に耐えている ウクライナ国民の現状を、知らせるべきなんじゃないのかな。
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2022年04月19日(火) ■ |
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役目を終えたら呆気なく消されてしまう |
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今回(第15回)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は泣けた。 佐藤浩一さん演じる「上総広常」の死に方は、 定年後、予定していた再任用制度も活用せず、 地元の観光振興に向けて、3年間頑張ってきたつもりが、 最後は活躍の場を取り上げられてしまった感じの私と、 少しダブったからかもしれない。 解説には「上総広常」について、こう書いてあった。 「頼朝を助け、御家人たちの中でも存在感を示してきたが、 彼のことが疎ましくなった頼朝の策謀によって、 最後は抹殺される。歴史の変革期に忽然と現れ、 役目を終えたら呆気なく消されてしまう。 近藤勇にとっての芹沢鴨、それが広常だ」と。 私に存在感があったかどうかはわからないけれど、 権力のある者に疎まれると、こういう結果になる、 これだけは、今後も肝に銘じておきたい。 ただ、その権力を取り上げるのも、必要かもなぁ。
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2022年04月18日(月) ■ |
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宣戦布告をしていないから「紛争」? |
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巷では、ロシアとウクライナの戦争について、 多くの人がコメントをしているけれど、 「ところで、ロシアってウクライナに対して、 宣戦布告したっけ?」というフレーズをメモした。 宣戦布告とは、ある国が他国と 「戦争状態にある」ということを意志表示すること。 あるいは「宣戦」「開戦宣言」「戦争宣言」という、 場合もあるようだ。 宣戦布告が行なわれた後で国家間が 武力を使って争うことを通例では「戦争」というが、 宣戦布告がないまま武力を使う争いは 「事変」や「紛争」と言うらしい。 気になって、ネットを探してみたら、 「事実上の宣戦布告」と言うフレーズは見つけたけれど、 「宣戦布告」した記事が見つからない。 と言うことは・・宣戦布告をしていないから「紛争」?
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2022年04月17日(日) ■ |
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100人もの客がホテルの奥にあるチェンバーズから脱出します |
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映画「ホテル・ムンバイ」(アンソニー・マラス監督)から。 ハイジャックや爆破、銃殺など、多くのテロ事件が、 事実に基づいて映画化されるけれど、作品にしやすいのか、 犯人たちの動機が、単なる宗教や差別などの問題だけなのか、 どうして繰り返して起こるのか、私には理解できない。 自分たちの想定した敵に対して、一心不乱に突っ込むなら、 どうぞ、勝手におやりください、と言えるけれど、 それまで普通に真面目に生きてきた一般人をターゲットとした 無差別の殺人については、何度同じようなテロ作品を観ても、 感情移入もできなければ、解りたいとも思わない。 さらに、こういった事件の被害を拡大させるのは、 金持ちのわがままか、現場にいないマスコミ、と決まっている。 「落ち着いて静かにしてましょう。ここが犯人にバレないように」 そう説明しているのに、その静けさを破るのは、 「家族に会いたい、開けて」「ドアを開けろ」と威張り散らす 金持ちの人たち。 外に連絡を取るのは「居場所がばれる」と心配していたのに、 「私は客だぞ!」と大声をあげ、罵倒する。 それを受けたマスコミも「脱出作戦の情報が入りました。 「100人もの客がホテルの奥にあるチェンバーズから脱出します」 テレビを見ていたテロの首謀者が、実行犯に無線連絡、 「チェンバーズに行け、大勢が逃げる」と。 そして、逃げ遅れた何人かが銃殺されてしまうシーン。 本来なら、テロ事件の犯人を憎みたいのに、逆になってしまった。 もしかしたら、監督が伝えたかったのは、 金持ちとマスコミに対する警鐘かもしれないな。(汗)
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