豊岡淑子発信の内容証明郵便続き
2)話題は両親今岡多市、今岡寿子の老齢化のこと及び現有財産の現況のこと であり、今岡多市が話しを始めた。 3)今岡多市の発言中に今岡福吉が突然姉の胸ぐらを左手で掴んで、理由もな く児島稔子の顔面を二回激しく殴打した。この打撃を受けて児島稔子は隣り の部屋まで殴り飛ばされ、仰向けにひっくり返った。尾てい骨ひび割れ、左 顔面打撲傷、右手親指ひび割れの傷害を受けて全治3カ月の通院治療を余儀 なくされた。 4)この傷害事件に関して被害者児島稔子に対し加害者今岡福吉と招集者今岡 多市からは謝罪の言葉は一切なかった。 5)病院から治療を終えて帰宅後、被害者児島稔子及び現認者豊岡淑子からの 抗議と謝罪の要求に対して会議の招集者として調停すべき立場にある今岡多 市及び加害者の今岡福吉はこれを一切無視した上、被害者へ陳謝の言葉を発 するでもなく、見舞いに訪れるでもなく今日に至っている。 6)この事件以来絶交状態が継続し現在に至っている。
3.事実確認と謝罪の請求 現認者豊岡淑子は再三にわたり、招集者今岡多市と加害者今岡福吉に対して この暴行事件の事実を認め被害者に謝罪するよう請求したが二人は一切これ を無視し続けた。今岡多市には会議招集者としての責任から、今岡福吉に対 しては加害者としての責任から、この事件があった事実を認め、被害者に対 して加害者と共に謝罪することを請求する。 以上
4.発信人 豊岡淑子 (記名押印)
5.発信人の住所 ○○市○○○町○丁目○○四番地○○号
6.差し出し日 平成一五年五月 日
7.名宛人の住所 今岡多市 ○○市○○区○○町○丁目○○番地○号 今岡福吉 ○○市○○区○鶴町○丁目○○番地○号
豊岡淑子発信の内容証明郵便
今岡多市様 今岡福吉様 暴行傷害事件に関する事実確認の請求
冠省 娘としてこのような文書を父親に対して発信しなければならないことを悲しく思います。しかしながら、実母の逝去にあたって生前にお見舞いすることもかなわず、葬儀にも出席できない状況にたちいたった原因は主題の暴行傷害事件にあります。この事件には未だけじめがつけられていないので、人間としての筋を通すため以下の通り、事実の確認を敢えて求めます。なおこの文書の形に致しましたのは、父の招集した一月二十九日の会合に出席を嫌がる姉を説得して出席させ、事件に遭遇しましたので、その場に居合わせた者の責任としてこの事件に決着をつけて頂かない限り同様の傷害事件が再発する可能性を懸念しているからであります。私の現認した事実をお二人に確認して頂かない限り、姉ともども身の危険を感じお二人に顔を会わせることもできない心理状態です。どうか心情をお察しの上、発生した事件の真実を正直に確認して下さいますよう切にお願い申し上げます。敬具
1.暴行傷害事件の発生について 1)日時.平成十一年一月二十九日午後 2)場所.○○市○○区○○町○丁目○○番地○号 3)加害者.今岡福吉(弟) 4)被害者.児島稔子(姉) 5)現認者.今岡多市(父) 6)現認者.今岡寿子(母,故人) 7)現認者.豊岡淑子(本人)
2.事件の経緯について 1)当日父今岡多市より子供達三人に集まって欲しいとの連絡があったので,姉の児島稔子、弟の今岡福吉及び本人豊岡淑子が上記第1項2)号記載の今岡多市・寿子宅へ集まった。この時会合への出席を嫌がる姉児島稔子を豊岡淑子が説得して会合に参加させた。
今岡建設の従業員からの報告
児島稔子は寡婦である。夫は新進気鋭の医学徒であったが、大学の医局に席を置きながら、開業した診療室での過労がたたって15年前に心筋梗塞で急死した。稔子は夫の死を契機に父今岡多市の経営する不動産管理会社の経理担当者として13年程勤務したことがある。その頃事務所の掃除にパートタイマーとして務めていたオバチャンの国塩玲子から電話が入った。
「このたびはご愁傷さまでした。密葬だったそうですね。今日会社で会長さんと社長さんからお母様の逝去のことが従業員に報告されました。聞けば告別式にも出席できなかったようなので、お話の内容をお知らせします」と切り出して以下のようなことを報告した。
1)従業員全員を集めて会長と社長から今岡寿子さんの逝去の報告があった。 2)従業員に知らせなかったのは故人の葬式は質素に密葬でとの遺言があったからである。 3)葬式は身内だけで営んだが実に心の籠もった素晴らしい葬式であった。 4)赤色の法衣を纏った最高位の法印さま他高位の僧侶が4人も導師を務めてくれた。 5)料理も最高のもので身内をもてなし、参会者は故人の遺徳を偲んだ。 6)以上のようなことであるが、写真をわざわざ見せながら如何に金をかけて葬式を営んだかということを強調していたことが印象に残った。
内容証明郵便の発信
暴行傷害事件の事実確認の請求 1.日時 平成11年10月○日 2.場所 ○○市○○区○○町○○番地 3.加害者 今岡福吉(弟) 4.被害者 児島稔子(本人) 5.現認者 今岡多市(父)、今岡寿子子(母 現在故人)、豊岡淑子(妹)
6.経緯 今岡多市が子供達3人に話しておきたいことがあると言って児島稔子、豊岡淑子、今岡福吉を自宅に招集した。今岡多市から「年をとってきたので今後のことについて話しておきたいことがあるし相談したいこともある」と切り出し1)自分も老齢化したこと、2)現在の財産の現況、3)今後についての相談という順序で話しが進む予定であった。今岡多市が現在の財産の状況について言及中、突然今岡福吉が立ち上がり姉稔子の顔面左側を2回殴打した。殴打されたことにより、児島稔子は仰向けにひっくり返り、尾てい骨ひび割れ、右手親指ひび割れ、右側顔面打撲のため全治3ケ月の通院治療を余儀なくされた。この暴行傷害事件について児島稔子、豊岡淑子、娘児島勝子の抗議と謝罪の要求に対して、今岡多市は会議招集者としてけじめをつけさせる立場にありながらこれを無視した。加害者の今岡福吉も同様、これを無視し、事件はなかったことにしようと画策した。そして現在に至るも謝罪の言葉もないまま絶交状態が続いている。
7.事実確認の請求 児島稔子は今岡福吉に対して上記第6項記載の事実があったことを認定するよう請求する。
8.現認者の証言 上記6項記載の事実があったことを同席者として現認したことを証言す る。豊岡淑子(記名 押印) 9.名宛人 今岡多市 10.差し出し人 児島稔子 11.差し出し人の住所 ○○市○○区○○町○○番地 12.本信の差し出し日 平成15年5月15日
幼友達の田舎の従姉を使って画策
稔子と淑子の母方の従姉から稔子宛に電話があった。「初七日には叔母ちゃんのところへ線香あげに上京するから稔子ちゃんのところへもお邪魔するわ」と言う。密葬故、告別式に参加できなかったからだろう、田舎の人は律儀だなと思いながら受け答えをした。ところが「稔子ちゃんも事情は色々あるだろうが、そのことは横においておいて線香だけは一緒にあげに行きましょう」と言う。様子がおかしいなと思って詰問すると今岡多市から電話があって、親の葬儀にもでないような親不孝者の娘でも線香だけはあげたいという気持ちは持っているだろう。不義理してきっかけが掴めないでいるだろうから一緒に連れてきてくれないかと懇願されたのだという。 「私は弟の暴行傷害事件のけじめをつけて貰わない限り、焼香にもいけない」と断ったのだと淑子に訴えてきた。幼い頃から仲の良かった従姉を使って懐柔しようと画策しているのである。傷害事件に関して謝罪してしまえば、弱みをつくることになるから強弁して事件はないことにしたいのである。そしてそうした伝聞証拠を作るために娘を悪者にしたてあげて色々と画策が続くのである。欲ぼけの権化と化してしまったなとの思いが強い。
幸福の四辺形
今岡一族のあまりにも金銭に執着する価値観に嫌気をを感じて潮は仕事の面では袂を分かち、生活の面では敬遠してきた経緯がある。今岡一族が金銭欲の権化と化していく過程はこれから追々明らかになっていくが、ここでは潮が幸せと考える状態はどんなものなのかを述べてみたい。
幸福の四辺形という言葉で知られているが、 その一辺は健康であること。 第二辺は文化生活ができる程度の多少の金銭があること。 第三辺は身辺の人間関係がうまくいっていること。 第四辺は自己実現できていること。 この四つの条件が整っていれば幸せと考えることにしている。
最近第三辺に多少ゆがみが生じてきているが、価値観の異なる世界に住む人達とは没交渉であればいい。芭蕉や西行のような境地も悪くないと考え初めている。
お曼陀羅 潮は毎朝起き出したら最初に仏壇に向かってお茶を供え、線香を焚き般若心経を読唱するのが日課になっている。見るとはなしに隣の床の間にかかっている掛け軸を見た。普段は季節折々の軸がかかっているのだが、弘法大師の画像を中心にして四国八十八ケ所の札所のご朱印が取り巻いたお曼陀羅に替わっている。豊岡家の亡き両親の命日でもないし、暦の上でも仏事に関係のある日でもない。このお曼陀羅は9日からかかっている。9日は義母寿子の命日である。告別式に出席できなかった妻淑子の母を失った悲しさと父多市と弟福吉に対する怒りの激しさを表すために豊岡家の床の間に敢えて掲げたお曼陀羅なのだと思うと淑子のいじらしさが不憫に思えた。
このお曼陀羅は義母寿子が岳父多市とともに生前四国八十八箇所を遍路して廻り、札所で頂いたご朱印を掛け軸にしたものである。車を利用して廻ったであろうから、一日何か所かを巡ったことであろう。丁度その頃、潮の父が亡くなったのでその供養のためにと寄贈して貰ったものである。それほど仏心の篤い岳父と義母だったのに今回の娘淑子に対する仕打ちはちょっとひどすぎる。そんな感慨を抱きながら懐旧の念に浸っていたが、ふと疑念が生じた。これは果たして本人達が自ら一つ一つご朱印を集めてその集大成として軸にしたものだろうか。汚れもなく実に見事に出来上がっている。
義母寿子の告別式の営みは密葬という不自然な方法で行われたことと思い合わせれば、このお曼陀羅は商売人が売っている完成品を購入してきたものではないのだろうか。世の中すべてが金だという価値観を持っていた岳父多市と一緒の旅だったからありえないことではない。
そんなことに思い至って愕然とした。今まで淑子が自分の両親のことを悪しざまに批判するのに対して、肉親だからことさらにきついことを言っているのだろうと思っていた。
潮は淑子とは異なって、岳父と義母の人間性に対する見方はをもっと高く評価しようとしていたのだが、ここに思い至って見方を変えなければいけないなと思った。今は寿子の冥福を祈るのみである。
策謀する悪魔の心を持った父子
淑子が稔子姉と一緒に留子叔母のところへ昌志叔父への線香あげに出かけると言って出かけた。告別式の様子を聞きたいからであろう。 帰ってきての話しは、以下の通りである。 「9日の今岡寿子の死亡判明直後、朝早くからY市在住の主なる親戚、田中肇、田中ウタ子、登内信子、登内悟志が国光病院に集められ密葬の打ち合わせをした。ここで箝口令がひかれた。そして皆のいる前で児島と豊岡に電話した。
児島がでたので多市と激しいやりとりがあった。そのとき多市は「6年間も出入りをしないでおいて母親が死んだからと言って親を脅迫するとは何事だ」と大きな声で言って電話をガシャンと切った。傍にいる人には児島の声が聞こえないから多市の激昂した声だけが印象に残っている。
豊岡のところは留守番電話がでただけなので話しができなかった。
そのあと豊岡稔子から多市に電話があった。淑子さんからですよと取り次ぐと 「どんなに騒いでも財産は残っていないぞ」と大きな声で言うのが聞こえた。ここでも淑子さんの言葉は聞こえなかったが激しいやりとりだった。
その後告別式で稔子と淑子は母親の面倒をみるのが厭で6年間も寄りつかなかった。姉の稔子の方は母親の死を電話で告げると財産分与のことで私を脅迫した。
次女の淑子のほうはファックスを入れておいたらこれをみて電話をかけてきて私を脅迫した。二人とも財産目当ての悪い娘だから告別式にも呼ばなかったと説明した」ということが判った。
そしてウタ子は今まで食べたこともないような御馳走で精進落としをした。とてもいい葬式だったと言ったと淑子は嘆いていた。
この場所にはウタ子と留子だけしかいなかった。悟志君は告別式の状況をタイプしておいて渡してくれた。彼は出勤していて不在だった。
淑子は死んだ母まで利用して芝居をし、実の娘二人を悪者に仕立てあげて、財産を守ろうという気持ちしかあの親子にはない。こちらは財産分与なんか関係なく、自然の情として母親の死を聞いて悲しみを共有しようと電話したのに父の最初の言葉が 「どんなに騒いでも財産なんかなにも残っていないよ」だった。その役者振りには父とは思えない悪魔性を感じた。あれはもう親ではない。悪魔の心を持った人間だ。すっかり吹っ切れたからこれからは、親はないものとして生きていくと寂しそうに言った。
親戚縁者も不審に思った密葬
潮が書斎で新聞を読んでいると淑子が入ってきて言った。 「今朝、母が生きている夢をみたの。そしてお父さんは頑張って一生懸命生きてきたのだから赦してあげてね。これから稔子の所へ行ってくるよと穏やかな顔をしていうのよ」 「夢を見ているのだろうと思っていたよ。お母さん生きているよね。殺されたんじゃないよねという言葉は僕もはっきり聞いたよ。お母さんがお父さんのことを赦してあげてと言ったのはお母さんが成仏して仏に近づいたということだよ。冥福できるだろう」 「この夢を見たからお姉さんに電話してみたの。そしたらお姉さんは夢をみなかったというのよ」 「お姉さんには多少邪念があるからじゃないのかな」
淑子は田舎の父方の従兄弟の英男に電話したことも話した。 「英男さん母の死に顔はどうでしたか。箝口令が敷かれていて、こちらでは情報が入らないので聞くのだから本当の所を教えて頂戴。殺されたり、自殺したりした様子はなかったですか。」 「叔母さんは小さくなっていたが、穏やかな死に顔だったよ。殺されたり、自殺した顔には見えなかったよ。」 「田舎でも密葬というのはあるのかしら」 「そんなこと聞いたことないな。俺もおかしいから叔父貴に直接何故密葬なのかと聞いてみたら、叔母さんの固い遺言だったと言っていた。福吉君にも別に聞いてみたが、同じように母の遺言だと言っていた」 「俺は合点がいかないのでそれでは改めて本葬があるんだよねと念を押したら言葉を濁して何も言わなかった。帰りの電車の中でも八百屋の康弘君と、金はいくらでもあるのに密葬とはおかしいなと話していたところだ。もう一度叔父貴には確かめてみるよ」
淑子の見た母の夢
未明に目覚めた淑子の夫、潮は日課になっている中国語の勉強のためにボイスレコーダーのマイクを耳に当ててラジオ中国語講座の復讐をしていた。突然、潮は隣に寝ている淑子が夢でも見ているのかうわ言を言ったのをはっきり聞いた。
「お母さん生きているよね。殺されたんじゃないよね。お母さんお姉さんのところへ行くの、送ってあげようか」そして泣き声が聞こえた。
潮は黙っていて心ゆくまで泣かせてあげようと思った。
飼い猫の黒猫が空が白んできたのでニャーと鳴いて餌を催促しているのが聞こえた。 「スディンちゃん、オシッコを教えにきたのね。今御飯をあげますからね」と言いながら淑子が起き出していく気配が聞こえた。
潮は素知らぬ顔をしてイヤーフォンから流れる声に聞き入っていた。
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