前潟都窪の日記

2005年02月04日(金) 密葬 連載の23

多市と寿子の関係の3

 多市の行動は早かった。寿子の両親のところへ単身乗り込んで寿子を嫁に欲しいと申し込んだ。突然の話しに田中健吉は戸惑ったが、吾一の弟であるから無下にも断れない。そこは大人の智恵で玉虫色の返事でその場を切り抜け何はともあれ、多市を引き取らせた。

 その噂が姉久仁子のところへも伝わった。久仁子は寿子から婚約のことを聞いていたので実家へ急行し父親の田中健吉にその旨を伝えた。困惑したのは健吉であったが、ここはひとまず多市の方へ事情を話して断ろうということになった。

 田中健吉から断りの返答を得てひるむような多市ではなかった。反対しているのが長女の姉の久仁子であることを知ると反対者を説得することから始めようと智恵をめぐらせた。教職にあるものが一番嫌がることはなんだろうと考えて、それは職場でスキャンダルの噂が流れることだろうと思いついた。やくざのよく使う手である。

 多市は久仁子の務める学校へ出かけて面会を求め、二人の結婚に反対する理由をとことん問い詰めた。こんなことが数度に及んだ。



2005年02月02日(水) 密葬  連載の22

今岡多市と寿子の関係その2

 多市が盆に帰省したとき、兄嫁静子の妹寿子が遊びにきていた。そこで初めて多市は寿子に会ったのであるが、その美貌と賢そうな立ち居振る舞いにぞっこん惚れ込んでしまい、この人を嫁にとまで思い込むようになったのである。
 一方寿子は来年高等女学校を卒業することになっており、彼女には町長の息子で慶應大学へ在学している意中の人がいた。彼も来年卒業する予定で二人が卒業したら結婚しようということで婚約していた。しかしこれは二人だけの間の密約でまだ両親には双方打ち明けてはいなかった。

 寿子は教師をしている姉の久仁子だけには二人の関係を密かに相談し、折りを見て両親に話して貰うことにしていたのである。

 そうとは知らぬ多市は寿子を嫁に貰いたいから仲介を頼むと義姉に当たる静子に依頼したのである。秘密にしていたとはいえ、静子は姉の久仁子からそれとなく寿子が町長の息子と婚約していることを知らされていたので、多市に対して仲介は出来ないと婉曲に断ったのである。静子にも家柄不釣り合いの自分の結婚に不満を持っており、妹にはこの思いを味わせたくないと思ったからである。



2005年02月01日(火) 密葬  連載の21

今岡多市と寿子の関係1

 寿子が今岡多市にみそめられて、求婚され結婚したのには複雑な親族関係がからんでいた。

 今岡多市は東北地方の古い農家の次男であり、その実家は長兄が家督を引き継ぎ農業を営んでいた。長兄今岡吾一の嫁今岡静子は同じ町内で郵便局を営む田中健吉の次女であった。そして寿子は田中健吉の三女であった。従って今岡吾一と静子の夫婦と今岡多市と寿子の夫婦はお互いに、夫側は実の兄弟、妻側も実の姉妹という関係であった。

 当時の農村では結婚には家柄ということが重視され、例え農業を営んでいても昔庄屋であった家系は家柄が良いとされていた。しかし士農工商という身分制度の名残は家柄の格付けにも影響があり、士族の末裔は例え貧乏していても庄屋よりも上に各付けされた。

 田中健吉は士族の末裔であり田舎でも素封家として知られていたが、何しろ二男五女を設け五人の子女達は高等女学校を卒業させていたから家計は火の車であった。

 一方次男の多市は若い頃から一旗上げようという気持ちがあり、上京して大工に弟子入りして腕を磨き、独立して請け負い工事が出来るまでになっていた。

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2005年01月30日(日) 密葬 連載の20

事件の背景 寿子と福吉の関係

潮が朝淑子から聞いた話し
事件の背景

 1)寿子には慶応出身の婚約者がいた。
 2)多市に見初められ、家のため説得されて嫁に行った。
 3)姉の久仁子が結婚に反対したので、多市は教師をしていた久仁子の職場まで押しかけ反対する久仁子を懐柔しようとしたことがある。

 4)いやいやながら結婚した夫だから長男福吉が生まれると夫に対する反感から溺愛するようになった。本人の要求には父親に内緒で常に小遣いを与えていた。例えば社長職を継承してからも書家の時岡瑞梅氏の告別式に多市の代理で福吉が行くことになり、淑子と寿子宅で落ち合ったことがあるが、福吉は黙って手の掌を返して出すと寿子は二つの香典袋を渡していた。多市と福吉の分である。淑子が「何よこれ。」と訝ると「何時もこうなのよ」と寿子は言った。例えばガス・水道・電気代・新聞代等についてもすべて寿子負担になっていた。これも父に内緒。

 5)豊岡 潮が退職して京都に隠遁していた頃、淑子も京都に出かけてY市には留守勝ちであった。この間、家政婦を雇いながら、児島稔子が家事を手助けしていた。これは嫁の昌子が世話をしてくれないからである。



2005年01月29日(土) 密葬 連載の19

送りつけてきた密葬の写真

 今岡寿子の密葬を営んだ時、受け付けを担当した従兄弟の良正君が稔子と淑子のところへ密葬の模様を撮影した写真を送ってきた。

 稔子は怒り心頭に達して封を切りかけたが内容は確かめないで、良正へ返送し、余計なことをするなと電話で抗議した。いつものやり口で自分は手を下さず周辺の者を操ってさぐりを入れる多市の策謀だと感じたのである。

 豊岡淑子は開封して確かめてみた。故人の写真は一枚もなく、祭壇に飾られた供花とその名札を見せつけるために送ってきた様子がありありと判る。今岡福吉の親戚が多いのが印象に残る写真ばかりである。淑子は一瞥しただけで破り捨てた。実の父親の愛情がひとかけらも感じられない写真であった。これは懲らしめるためにも山岡検事のアドバイスもあるが、暴行傷害事件について刑事告発しなければならないと考えた。 

 また児島稔子が不在で留守の朝、田舎から従兄弟を呼びよせて49日までに線香をあげに連れてきて欲しいと依頼し、律儀者が男気を出して早朝児島宅を訪問するなどという懐柔策も敢えてとる男である。心の隅に残っていたまさか父がそこまでするかという気持ちが吹っ切れたと淑子は思った。



2005年01月28日(金) 密葬 連載の18

刑事事件として告発を検討

 刑事事件として告発のことも考えて稔子は関係条文を調べてみた。

傷害罪 暴行罪
 こうすれば怪我するだろうと故意に他人を攻撃し、その結果として相手が怪我をすれば傷害罪(刑法204条)となり、10年以下の懲役または30万円以下の罰金か科料。それで死亡させたら、傷害致死罪(刑法205条)となり、2年〜15年の懲役。また、自ら人を傷害させなくても現場で勢いを助ければ、現場助勢罪(刑法206条)となり、1年以下の懲役または10万円以下の罰金もしくは科料。

 これに対し、暴行の故意をもって他人の身体に暴行を加え、傷害するに至らなかった場合は暴行罪(刑法208条)となり、2年以下の懲役、30万円以下の罰金、または拘留か科料。傷害罪には未遂罪の規定がないが、その大部分が暴行罪に該当する。例えば、殴ろうとしたが相手によけられた場合も暴行罪となる。暴行は殴る、蹴るだけでなく、身体に影響を及ぼす病原菌、腐敗物、光、音なども含まれる。

時効
 刑事事件の時効には2種類あり、ひとつが刑事訴訟法250条の公訴時効、もうひとつが刑法31条の刑の時効。
 公訴時効とは、犯人が逮捕されずに、ある一定期間を過ぎてしまうと犯人を起訴することができない時効のこと。一般に時効といえばこちらを指すが、時効の期間は罪状によって異なる。(↓)

 死刑にあたる罪(殺人・現住建造物等放火など) 15年
無期懲役・禁錮にあたる罪(通貨の偽造・変造など) 10年
10年以上の懲役・禁錮にあたる罪(強盗、窃盗など) 7年
10年未満の懲役・禁錮にあたる罪(単純横領など) 5年
5年未満の懲役・禁錮または罰金にあたる罪(暴行など) 3年
拘留または科料にあたる罪(軽犯罪など) 1年

 市の弁護士相談で確認したら暴行と傷害と二つの罪状があるから時効は7年であると確認できたので、取り敢えず内容証明郵便で事実確認と謝罪の請求の文書を発信した。



2005年01月27日(木) 密葬 連載の17

友人の山田検事に相談

 潮が朝4時過ぎに起き出して受信箱を見ると検事の山田からメールが入っていた。今日新横浜で会って意見を聞きたいと申し入れてあったメールに対する快諾の知らせであった。
 プリンスホテルでお茶を飲みながら相談した。
 彼の見解。
 1)内容証明郵便は相手に対して宣戦布告の意味を持つ。従って法律的な対策を準備してから出すのが一般。今回のケースでは相手を硬化させるという結果に終わることが懸念される。
 2)この内容証明郵便は法律的には意味がない。
 3)福吉の書いた相続権放棄の文書は法律的には無効であるが、これはそのことを知っていて書いたとすれば、本人は相当の悪だ。
 4)全体を聞いていてよく判らない点は父親と姉の本心である。
 5)父親に対する正当な相続権は主張したほうがよい。母親の遺産に対する相続権は放棄するという風にでたほうがこじれずに済んだかもしれない。
 6)遺言が公正証書になっているかどうかで相続の様相が替わってくる。
 7)母親の所有になっている土地、建物の登記がどうなっているか調べる必要はある。
 8)株価の評価は類似会社比較法によって算定することになる。
 9)暴行傷害事件は事実として残るから内容証明にする必要はなかった。
 10)血の繋がりは一方的に切ろうとしても切れるものではなく、骨肉の争いになると孫子の代まで関係修復が難しくなる。
 11)淑子の場合は弱い点がなにもないから、関係修復は難しくはない。
 12)福吉の妻彰子が相続の中に入ってくるには母の遺言にその旨が記載されて家庭裁判所で手続きがなされていなければならない。
 大体以上のような見解を示してくれた。



市の無料相談に行く

 Y市に無料弁護士相談というのがあるのを聞いて、稔子は内容証明郵便の原稿をもって相談に行った。一日25人まで受け付けるとのことで3時間程待ってやっと相談できた。身内の暴行傷害事件のことで相談と言ったら、4年も前の暴行傷害事件のことであり、告訴もしていないようなので、それだけでは相談の対象にならないと断られかけた。

実母が死亡したので財産が絡む問題だと言うと相談に乗ってくれた。「無料相談といいながら弁護士も金になりそうな事件しか親身にはならないのよ。その弁護士がいうには、実母の死亡後3ケ月以内にいやでも相続に関して親族の同意書に印鑑を貰いにくるからその時まで待っていればいいではないか」というような話しだった。

内容証明郵便については「期限も切っていないしこれを無視されたときどうするということが書いてないからこれでは無視されたらそれだけのことですよ。」と言われた。訴訟に持ち込むようであれば、有料になるが相談に乗るから私を指名してくれと言って名刺と案内書を渡された。ということであった。稔子の本心は訴訟してまでとは考えていないが法定遺留分だけは貰いたいとの意志である。



2005年01月26日(水) 密葬 連載の16

市の無料相談に行く

 Y市に無料弁護士相談というのがあるのを聞いて、稔子は内容証明郵便の原稿をもって相談に行った。一日25人まで受け付けるとのことで3時間程待ってやっと相談できた。身内の暴行傷害事件のことで相談と言ったら、4年も前の暴行傷害事件のことであり、告訴もしていないようなので、それだけでは相談の対象にならないと断られかけた。

実母が死亡したので財産が絡む問題だと言うと相談に乗ってくれた。「無料相談といいながら弁護士も金になりそうな事件しか親身にはならないのよ。その弁護士がいうには、実母の死亡後3ケ月以内にいやでも相続に関して親族の同意書に印鑑を貰いにくるからその時まで待っていればいいではないか」というような話しだった。

内容証明郵便については「期限も切っていないしこれを無視されたときどうするということが書いてないからこれでは無視されたらそれだけのことですよ。」と言われた。訴訟に持ち込むようであれば、有料になるが相談に乗るから私を指名してくれと言って名刺と案内書を渡された。ということであった。

稔子の本心は訴訟してまでとは考えていないが法定遺留分だけは貰いたいとの意志である。



2005年01月25日(火) 密葬 連載の15

内容証明郵便投函に対するリアクションへの備え

 潮が囲碁会から帰ってくると妻の淑子が考え抜いた結果やはり覚悟を決めて闘うべきだと思いなおし、内容証明郵便を投函してきたという。そこで潮と一緒に今後この結果として発生するであろうと予測される多市、福吉父子の動きに対応する方針を以下の通り打ち合わせした。

1.母親に生前会えなかったことへの怒りが今回内容証明郵便を投函させた行動の原点。

2.多市、福吉父子から5月19日付け内容証明郵便(以下5/19信という) に対する反応があったとき。
 1)多市、福吉父子の考え方(解決案)を内容証明郵便で送って貰う。会って話しをすることには身の危険を感じるし、言葉で言っただけのことは反故にされる虞があるから証拠能力のある文書にして貰わないと信用できないのがその理由。
 2)送られてきた内容を吟味してこちらの返事をする。

3.5/19信に対して何の反応もなく無視した時。
 1)5/19信に対する返事を内容証明郵便で回答するようこちらも内容証明郵便により、期限を切って督促する。
2)期限内に返答のない場合には以下の措置をとることを予告する。
  a 告別式に出席した17人の親戚に対して「稔子、淑子が告別式に出席できなかった理由」と題して真相を説明した手紙に5/19信を添えて送りつける。
  b 東福岡町役場に対して「家庭内暴力を容認する今岡多市のような人格破綻者を東福岡町名誉町民に選任した選任者の責任を究明する」趣旨の文書に5/19信を添えて投書する 。
c 家庭内暴力調査機関、人権擁護団体、マスコミに対して真相究明を訴える。
  d 会社の従業員に対して「会長、社長の偽善者振り」を知らせる手紙に5/19信を添えて投函する。
  e 会社の取引先に対しても上記dと同様の方法をとる。
  f 警察の防犯係、民生委員に会談に立ち会ってもらう。 



2005年01月24日(月) 密葬 連載の14

内容証明郵便発信を一時保留した理由

 潮がボートの練習から帰ってくると妻の淑子が内容証明郵便は出さなかったという。娘の志保が言うには被害者である伯母の稔子がこの手紙を出すのを躊躇しているのはそれなりに理由があると思う。善意でしたことが思わぬところで足を引っ張ることになるよと忠告してくれたのでよく考えてみようと思い投函はしなかったと話した。君の身内のことだから君の判断にまかせるということで話しは終わりにしたが、志保のいう足を引っ張ることになるよという意味がよく理解できなかった。

 昨夜寝つかれないままに考えたらしい。「やはり内容証明郵便はだすべきだと思う。」と稔子は明け方布団の中で、潮に問わず語りに話し始めた。
「多市、福吉の立場からすれば、財産分与のことしか頭にないから守りの姿勢になっていると思うの。私は自然の感情として母親の葬儀にも出席できないような状況を作り出した上、訃報に接して電話した時、開口一番どんなに騒いでも財産は残っていないよと言った父のその言い方が赦せないのよ。財産分与を少しでも欲しいお姉さんとは立場が違うのよ。そこの所は多市も福吉も判っているから稔子に同情して抵抗している淑子を落とすにはどこが泣きどころかと考えると思うのよ。すると私の一番困ることは娘や孫に迷惑が及ぶことなの。まして志保の夫の義久さんは大学の助教授で今が一番大切なところでしょ。怪文書でもばらまかれたらそのことだけでもう教授の道は閉ざされることになるのよ。そのことだけが心配なの」

 この言葉を聞いて昨夜志保が思わぬところで伯母様の足を引っ張ることになるよと言った意味が理解できた。志保は大学関係者に怪文書などをばらまかれることを心配しているのだ。それを婉曲に表現したのではないかと理解した。淑子もそのことは心配している所でそのために思い悩んでいる様子であった。                              


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