山本は角寿司へ顔を出した。お客として寿司をつまみながら板前相手に世間話をしていた。山本の得意先カードに記入する情報を集めるために角寿司の家族のことについて当たり障りのない話題から誘導していた。 「誰か来て頂戴。佳子の様子がおかしいのよ」 二階の方から突然ただならぬ女の声がした。 「お嬢さんが」 山本の相手をしていた板前が二階へ急いで上がって行った。それと入れ代わりに角寿司の女主人が動転しながら階段を下りてきた。 「早く救急車を呼んで頂戴」 「どうされたんですか」 「佳子がガス中毒で死にそうだわ。早くお医者を」 板前が慌てて電話に飛びついた。 「ちょっと失礼」 山本が二階へ上がって行って見ると佳子と呼ばれた若い娘が書き散らした習字の半紙の上に俯くような姿勢で横たわっている。部屋の隅には火の消えたガスストーブが置いてある。先に上がってきた板前が開けたらしく窓は開放されているがなす術もなく、お嬢さんお嬢さんと叫びながら体を揺すっている。山本は状況を見て酸素欠乏だと思った。 板前に手伝わせて佳子を仰向けに横たえると板前に脈をとるように指示していきなり、口移しの人口呼吸を始めた。 「まだ脈がある。早く医者を」 板前が喜びのこもった声で叫んだ。 山本は人工呼吸を施しながら松山一朗の事故死のことを思い出していた。 あのときは、人工呼吸が遅れたために助かる命を助けることが出来なかった。そのために自分は会社を飛び出すことになってしまった。今また同じような状態で妙齢の女性が死線を彷徨っている。何としても助けなければならない。まだ脈は残っているのだから人工呼吸を丹念に続ければきっと助けられる。山本は額に汗を流しながら人工呼吸を続けた。佳子の胸の隆起が両手の掌に奇妙な感触を与えた。 やがて近所の医者が駆けつけカンフル注射を打ち終えたところへ救急車がやってきた。 「もう大丈夫です。人工呼吸が適切に行われたので、危ないところでしたが命はとりとめました。やがて意識も回復することでしょう。病院まで私がついて行きます」 医者はそう言い残すと慌ただしく救急車に乗り込んだ。 騒ぎを聞いて駆けつけた桑山が病室の枕元に立つと佳子はばつの悪そうな顔をしたが、表情には喜色が溢れている。 「ヨッちゃん、大変だったそうじゃあないか。それでも命か助かってよかったね。ヨッちゃんにもしものことがあったら、僕の人生に張りがなくなる」 桑山は佳子の顔を覗き込みながら形のよい唇をじっと眺めた。佳子の命を助けたという男の痕跡を捜し出そうとする目つきであった。 「御免なさい。ご心配かけちゃって。でももうすっかり良くなったのよ。明日は退院してもよいそうよ」 「山本という人は病院へきたのかい、どんな人か僕も会ってみたいね」 「脱サラの貸しおむつ屋さんよ。でも命の恩人ね。貸しお絞りをうちのお店へ入れたくて、最近時々来るのよ。でも変な人。商売の話は全然しないで世間話ばかり」 「ヨッちゃんに口移しの人工呼吸をしたんだって。憎い野郎だ」 「あら、だってあの場合仕方がないわよ。もし山本さんがあの時お店へ来ていらっしゃらなければ、今頃私はあの世へ行っていたかもしれないわ」 「でも口移しの人工呼吸なんてよく思いついたものだね」 「前に人工呼吸をしていれば助けられた人を知識がなかったばかりに手遅れで死なせてしまった苦い経験があるんですって」 「なるほど、それにしても何故、酸素欠乏なんかになってしまったんだい」「展覧会へ出す作品を書いていたのよ。寒いものだから部屋を締め切ってガスストーブを焚いていました。そのために部屋の酸素が不足したらしいの。何だか頭が痛いなあと思っているうちにすっーと気が遠くなってきて、気がついたときにはこのベッドの上に寝かされていたわ」 「危ないところだったね」 「そうよ。母が来てくれなかったら、そのまま死んでいたでしょうね」 「お母さんと山本という男は命の恩人というわけだ」 「あの時たまたま山本さんがお店に遊びにきていらっしゃらなかったら、病院へ運ばれる途中で駄目になっていたかもしれませんわね」 桑山は山本に対して妬ましさを覚えた。佳子の気持ちが山本に動きかけている。偶然のできごとであり、あの場合それがもっとも適切な処置であったとはいえ、佳子の唇を無断で奪った山本に対して佳子は感謝している。強力なライバルが出現した。まだ会ったことのない山本に対して桑山は敵意を感じた。桑山は山本に会ってどんな男か確かめてみようと思った。 この場合都合のよいことに、新聞記者という職業は桑山の意図をカムフラージュしてくれる。酸素欠乏事故の取材にかこつけることができる。 桑山は体内に闘志が漲ってくるのを感じながら病院を後にした。
サラリーマンを辞めて自分の責任において商売をすることになり、一番気を配ったことは健康管理である。欲にかられて日曜祭日に関係なく働けば仕事はいくらてもあったが、何でも自分で処理しなければならない事業者の立場にたったとき体が資本だということが実感として判った。山本は近くのテニスクラブの会員となり、一週間に一回はどんなに忙しい時でもテニスコートに通って汗を流すことにした。
いつものように、コートでボールを打ち込んで汗をかきシャワーで流した後、楽しみの一つになっている冷えたミルクを飲んでいると後ろから声をかけられた。 「山本さん。お久し振りですこと。お仕事の方も順調のようですね」 「やあ。これはこれは、増田さん。ここへはよく来られるんですか」 「毎日来ていますわよ」 「それは知らなかった。じゃあ、相当うまくなったでしょう」 「山本さんは毎週水曜日に来られているでしょう。今日で確か五回目の筈ですわ」 「よく知っていますね。何故そんなことを」 増田喜美江は妖艶な笑みを湛えている。いつも増田喜美江の行動には面食らわせられることが多い。 「びっくりなさったでしょう。貴方の行動が監視されているようで」 「全くだ。尾行されているのかもしれない」 「種明かしをすれば簡単なことですわ。このテニスクラブのオーナーは私なのですよ」 「ほう。それは大したものだ。何時からオーナーになったんですか。社長さん」 「私の父が経営しているんですよ。私はそのお手伝い」 「それでは関東石油を辞めてからここでずっと仕事をしていたということですか。それで貴方が突然会社を辞めた理由が判った」 「ここの他にもテニスクラブを五箇所とゴルフの練習場を二箇所、スイミングクラブを二箇所持っていますのよ」 「大した財閥だね。儲かってしょうがないでしょう」 「ところが、なかなか難しい問題が沢山あるのよ。良いインストラクターやコーチを確保するのが難しいのね。山本さんのような方にテニスクラブの方を見て戴けると助かるんですけれどね。如何ですか」 「突然のことなのでいきなりそう言われても返事のしようがありませんね」「私は冗談で言っているのではありませんよ。お仕事のほうもあるでしょうから良くお考えになって下さい。私は山本さんが会社を辞められた時、一緒に会社を辞めましたが、そのときから山本さんを狙っていたのですよ」 「それはどういう意味」 「私の会社でスカウトしたいということですわ」 「考えておきましょう。食えなくなったらお世話になるかもしれない」 山本には不可解であった増田喜美江の退職の動機がやっと納得できた。
山本は早速兄のところへ住み込んで翌日から兄について廻り商売の見習いを始めた。 いくら実の兄が成功し勧めるからと言っても旧帝大の工学部出身者が全然畠の違う商売を始めようとすることは通常の常識では異常としか考えられない選択であった。
兄は人の生活に必要不可欠ではあるが誰も好き好んでやりたがらないことに目をつけて、これを企業化していくことが、これからの社会で成功するビジネスであるという持論を持っていた。その手始めに弟の山本には貸しおむつをやらせようとしていた。この商売はこまめに客先を廻って、汚れたお絞りやおむつを回収し新しいものと交換する。汚れたものは専門のクリーニング工場へ納めればよいのである。商売のこつは、客先に気に入られて信用をとり如何にして新しい客層を開拓していくかというところにあるように思えた。
貸しおむつの場合には特にこのことが言えた。お絞りの場合には決まった店へ決まった時間に廻っていけば纏まった数が捌ける仕組みになっているので商売自体は安定しているが、貸しおむつの場合には一件毎に扱う数が小さく客先も特定していないので客先の口コミによる宣伝が大切であった。
山本は兄のもとで一ヵ月程見習いをすると大体商売のやり方を覚えたので山本自身の客を作ることに専念した。兄も早く独立させてやりたいと考えており、そのことについては異論はなかった。兄は専門のクリーニング工場も持っているので、客を開拓しさえすれば発展の余地は相当残されていると思った。
山本は同窓会の名簿を大学、高校、中学と取り出しアパートに入居している同窓生にダイレクトメールを発送し電話をかけることから始めた。卒業以来始めて山本と交信する者が殆どであったが誰も山本の奇抜な商売に驚いていた。丁度山本の年代の同窓生は結婚したてか結婚後3年位の者が殆どなので貸しおむつの新しい客先を開拓するには好都合であった。大阪、神戸、西宮周辺の団地のアパートや社宅に入居している同窓生は数えていけば50人ほどいた。新しく取引の始まったお客に対しては、新しいお客を一件紹介して貰う毎に紹介者に対して手数料を支払うことにした。
アパート住まいの若い主婦達はこの申し出に飛びつき次から次へと山本に新しい客を紹介してくれた。大学出の貸しおむつ屋さんという物珍しさもあった。持ち前の人当たりの良い物腰がアパートの主婦達に気に入られて、口伝えに山本の客はどんどん増えていった。
1年程で山本は兄のもとから独立し貸しビルの一室を借りて配達専門の使用人を3人雇い入れライトバンも三台持つことができるようになった。山本はアパートの主婦対象の貸しおむつ専業ではお客の入れ代わりが激しいのでやはり兄のやっているように大口の需要があり客層の安定しているお絞りにも力を入れることにした。喫茶店、料理屋、寿司屋、キャバレヒ、バー、スナック、ホテル廻りに多くの時間を割くようにした。こういうところでは既に同業者が出入りしていて新しく注文を取ることは難しかったが山本は根気 よく何回も顔を出して少しずつではあるが注文がとれるようになった。
山本は生来、人の心を読むのがうまかったので、こういう店へ出入りするときには、商売の話はしないで世間話をして帰るようにしていた。世間話の中で必ず経営者やその家族の趣味、嗜好、誕生日を聞き出すことを忘れなかった。
根気よく出入りを続ける山本に同情して試しにその使用量の何分の一かでも納めてみろということになると山本はすかさず御礼と称して家族の趣味、嗜好にあった贈り物を届け家族の誕生日にはプレゼントをすることにした。経営者の家族に気に入られるようにすることが、商売のこつであることを山本は信じていた。山本の根気よい営業が効果を現し逐次大口のお絞りの注文が増えてきだした。
ある日、山本は難波の「角寿司」へ遊びにきて世間話をして、例によって家族の趣味、嗜好、生年月日を聞き出して店へ帰ってきた。いつものように聞き出してきた情報を山本が工夫して作った得意先帳に記入した。 門川作造。 大正6年1月17日生。盆栽いじり。 門川久枝 大正9年7月22日生。芝居。 門川 久 昭和20年1月17日生。書道。独身。関西で板硝子会社勤 門川佳子 昭和22年7月3日生。書道。旅行。独身。 務 注 角寿司は作造が包丁一本で作り上げた。今では喫茶店、レストラン、ビジネスホテルを経営す。職人気質の作造を攻略することに工夫を要す。 このように記入してその日の仕事を終えた。
山本は貸しおむつ屋の方は軌道に乗りかけたが、我ながら変な商売を始めたものだと思う。兄が山本に勧めてくれて始めた商売ではあるが、商売を始めるに先立ち 「貸しおむつ屋は主婦のサシスセソ業のセ業を分担企業化したものだ。これも余暇時代の産物さ」 と言っていたことを思い出しなるほどそうだと実感が湧いてくるのである。
兄の説明によればサは裁縫のサである。シは躾け、スは炊事、セは洗濯、ソは掃除ということである。家庭の主婦は昔から家庭にあって家事に従事していた。家事といえば裁縫、躾け、炊事、洗濯、掃除に尽きる。一昔前はこのサシスセソ業に随分時間をとられたものである。化学繊維、合成繊維はまだ発明されておらず、靴下を一枚とりあげても、木綿製であり二日も履くと爪先、踵の部分に穴が開いた。穴のあいた靴下の繕いをするのは一仕事であった。既製品の服もサイズが豊富に揃っているわけではなく、布地を買ってきて子供達の背丈を計り、肩幅の寸法をとり、胴回りに巻き尺をあてて裁断し自分でミシンを踏んでいた。
子供達は母親のそんな姿を見て、母を尊敬し母の編んでくれた手袋をさすごとに母の姿を思い出したものである。
それが今は、靴下の穴かがりをする主婦はまずいない。布地を買ってきて 子供の服を縫ってやろうと考える母親もいない。靴下は穴が開けば捨てるものであり、子供の服はデパートかスーパーマーケットのバーゲンセールで吊るしを買うものだと信じている。
家庭の主婦から裁縫という仕事は無くなった。
炊事も主婦の大切な仕事である。米をといで薪を割りかまどにかけて炊いたものである。湿った薪の火付きが悪く、煙を目に入れて涙を流しながら火吹き竹を吹いたものである。
「はじめチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋取るな」等という飯炊きの諺もあった。生活の智慧というものである。 ところが、今は米こそ研ぐがカップで秤量したあとは電気釜に入れてスイッチを入れさえすれば、立派な御飯が出来上がる。マヨネーズは食料品店で買ってくるものだということは知っていても、卵を割ってポールに入れサラダ油を注ぎながらかき廻して作るのだということを知っている主婦は殆どいない。ここでも炊事という重要な仕事が安直に片づけられるようになってしまった。おふくろの味がなくなってハムのぶつ切り、目玉焼きと誰が作っても同じ味覚のものとなってしまった。
洗濯にしてもたらいや洗濯板なんかは探しても見つけられない時代物になってしまった。洗濯機に投げ込んでスイッチを入れておけば乾燥されて出てくるのである。
掃除。これもまた便利な道具がある。はたきをかけて、茶殻を撒いて箒で掃いたりすることもなくなってしまった。
裁縫、炊事、洗濯、掃除と主婦の五大家事のうち四つまでが、一昔前に較べて手間のかからない仕事に変質してしまった。若い主婦達は便利な洗濯機があってさえ、自分の生んだ子供達のおむつを洗うのを嫌う。貸しおむつ屋を使い、使い捨ての紙おむつを使いたがる。
そのお蔭で山本の商売である貸しおむつ業なるものも存在理由が認められるようになってきた。その意味では文化生活のお蔭で主婦が楽をし楽に慣れてしまったから山本達の商売が成り立っていくのである。
裁縫、炊事、洗濯、掃除と四つの家事を簡単におそらく一昔前の十分の一位の時間で済ますことのできるようになった現代の主婦達は時間をもてあましだした。豊富に使える余暇時間。この時間をどのように使うか。豊富な時間は子供の躾け(教育)に向けられるようになった。ママゴン、教育ママの出現である。
大学生の入学試験に付き添い、会社の入社試験にまで母親が付き添ってくるようになってしまった。学習塾が繁盛する理由はそこにある。これからは躾けに着目した産業が栄えることになるだろう。時代の背景がそのようにできている。
兄の説明は説得力を持っていた。自分の生業の存在理由を家庭の主婦の仕事と結びつけて説明してくれた兄の熱っぽい口調に山本は心を動かされて、この道に入ったのである。山本は自分の行為に理屈をつけないと行動できない性質の男であったといえる。いや、自分の行為に後から理由づけができないと不安になる男であると言った方が正確かもしれない。
沢村に別れを告げて車中に戻ると増田喜美江が斜め向かいの座席に座っておりにこやかに会釈するのが目に入った。 「増田君どうしてこんなところへ」 「びっくりしたでしょう。私も大阪へ行くところです。関東石油は昨日で辞めました」 「何故辞めたの」 「山本さんのいらっしゃらない会社なんかつまらないからですわ」 「会社を辞めるのはあなたの自由だが、何も私が辞めたからと言ってそのことを理由にされたんでは困るじゃぁないか」 「困ってください。そのほうが楽しいわ」 「馬鹿なことを言ってはいけないよ。少なくとも私には迷惑だ」 「大阪には私の両親がいますわ」 「それではご両親と一緒に生活するんだね」 「そうです。山本さんのお役に立ちたいから、両親のところへ帰ります。落ちつかれたら連絡して下さいね。私と交際して良かったと思う日がきっときますわよ」 増田喜美江は自信ありげに言うと世話女房気取りで沢村が脱いだ背広を受け取り折り畳んで網棚へ乗せた。 「それにしても、不思議だなあ。増田君と偶然とは言え同じ車両のしかも向かい合った座席に乗り合わせるなんて」 「偶然だと思われますか」 「というと何か細工をしたのかな」 「ふふふっ、それは秘密」 「どういうたとなんだ」 「だって、秘書課にいますと、乗車券の手配をするのはお仕事のうちですもの。入手しにくい切符を確保するための特別のルートを持っていますわよ。今回山本さんの切符を手配したのは私ですから一枚余分に手配しておいただけのことですわ」 「それにしても唐突に会社を辞める気になったものだね」 「山本さんだって同じようなものですわ」 「それはそうだが、僕の場合は会社に見切りをつけたこととサラリーマン生活がいやになったから、止むを得ない事情があったわけだ」 「私も会社に見切りをつけたことは同じことですし、山本さんの将来に賭けてみようと決心したからですわ」 「これからどうなるか判らない不安定な生活に、飛び出そうとしているんだよ」 「そこが魅力なのよ。将来に夢があるのは楽しいことですわよ」 「僕には君の好意は判るが責任は持てないよ。後で後悔しても知らないよ。君が大人の遊びをしようというのなら話は別だが」 「私が勝手に決めたことですから大人の遊びで結構よ」
増田喜美江は意味ありげに微笑むと、鞄から蜜柑を取り出して山本に勧めた。大阪までの車中の時間は山本にとって一面では楽しくもあり、また一面では、薄気味の悪いものであった。増田喜美江の真意を計りかねたからである。大阪へ到着すると山本のお茶への誘いを断って増田喜美江はアドレスを書いた紙を渡し人混みの中へ消えていった。
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山本は会社から30万円ほどの退職金を受け取ると常泉寺へ出掛け松山一朗の霊に花を供え線香を焚いて別れを告げた。住職に頼んでお経をあげて貰った。
大阪では山本の実兄が手広くクリーニング業を営んでおり最近副業で始めた貸しおしぼりが市内のホテルや梅田、心斎橋、難波界隈のバー、キャバレー、料亭に好評で商売は繁盛していた。山本は関東石油在社中からサラリーマンなんか辞めて兄の商売を手伝ってくれないかと何回も勧誘を受けていたのである。
将来第三次産業とりわけサービス業の時代がくるのははっきりしており、事務機器のように進歩の速いものや、レジャー用品、衣装類のように流行を追い陳腐化するのが早いものはリースで間に合わせようという時代が必ずくるから、この分野へ早く進出しておいた方がいいというのが兄の持論であった。その手始めに始めた貸しお絞りがうまくいっているので、今度は貸しおむつを手掛けてみたいということであった。資本は大してかからず商売に工夫をすればいくらでも発展の余地があり、これからの目のつけどころは、新興団地のアパートやマンションに出入りして注文をとることだと教えられていた。ある程度客層が安定すれば、次から次へと口コミで新しい客を紹介して貰え、一つの部門として独立することも可能であることを会う度に吹き込まれていた。
関東石油在社中は兄の勧誘もただ聞き流していたのだが、今回の事件が起こってから兄に相談したところ、そんな冷たい会社に義理立てする必要はないから明日にでも大阪へ来いと兄が積極的に勧めてくれたので、関東石油を辞める踏ん切りがついたのである。 山本は常泉寺を後にして新幹線に乗り大阪へやってきた。
新横浜駅へは報国工業の沢村が一人だけ見送りにきてくれていた。 「山本さん。私が至らなかったばっかりにあなたにはとんだ御迷惑をかけてしまいましたね。大きな借りを作ってしまいました。何時かきっとこの借りはお返ししますよ。何かお役に立つことがあれば何時でも気楽に相談して下さい」 山本は沢村の気持ちが嬉しかった。松山の事故があってからは何かにつけて力を貸してくれ、激励してくれたのも沢村であった。関東石油の同僚や友人達は口でこそ、関東石油のやり方を非難し同情もしてくれたが、親身になって相談に乗ってくれる者はいなかった。現に大阪へ新天地を求めて出掛けていく山本を見送りにきてくれたのは沢村一人だけである。 「沢村さん、最後までお世話になりましたね」 山本は万感の思いを込めて沢村の手を握った。
山本が関東石油を退職するらしいという噂が流れたとき、自分の会社へこないかと誘ってくれたのも沢村であった。関東石油の待遇よりも遙に良い条件を提示され、心が動かないでもなかったが、宮仕えを二度としたくないという気持ちが強かったので山本は沢村の申し出を断った。 「山本さんが強い決意をお持ちなら無理には勧めないことにしましょう。山本さんは失礼だが、私の見るところ組織の中では納まって行けないお人だ。御自分で何かおやりになった方が成功するという風に私は見ていました。苦労はあるかもしれませんが、お兄さんと二人で事業をなさることはいいことだと思います。山本さんならきっと成功しますよ」 沢村は強く引き止めるでもなく山本の前途を激励してくれた。山本が大阪へ引き上げることが決まると山本の荷物を送り出してくれたのも沢村であった。
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テニスコートにすらりと伸びた脚を惜しげもなく陽に曝して岡元美代子が立っている。激しいラリーの応酬。岡元美代子が陽に焼けた顔に白い歯を覗かせて打ち込んできた。茶色のアンツーカーコートの隅に白球がバウンドした。ラケットを右手に持って球を追っかけようとするが、足が動かない。球は逃げてしまった。
山本は夢を見ていた。球が逃げたところで目が覚めた。時計をみると一時間程眠りに落ちたようである。山本はここ数日、岡元美代子と会っていないのに気がついた。
岡元美代子は関東石油の秘書課に勤めている女子事務員である。美代子は東京女子大学の英文科を卒業して二年前に関東石油へ入社した。父が山王グループの商事会社の常務取締役の要職にあり、関東石油の社長とは懇意にしている。
関東石油では4年制の女子大学卒業生は採用していないので、本来ならば岡元美代子は関東石油には就職できないのであるが、父の縁故で入社したわけである。岡元美代子はうりざね顔の美人である。その均整のとれた体の線とすらりと伸びた脚線美にはミニスカートがよく似合った。彼女が入社したときは、関東石油の独身社員が騒いだ。美代子が入社したのはどうやら花婿候補を見つけるためらしいという噂がまことしやかに流れたからである。 サラリーマンから出世して山王商事の常務になった美代子の父は、美代子も将来有望なサラリーマンと結婚させたいという考えを持っていた。サラリーマンの妻となるためには、自分でも勤めの経験を持っていたほうが結婚してからも夫がよく理解できるだろうという親心から美代子を関東石油へ入社させたのである。噂は出鱈目ではなかった。
美代子は学生時代テニスをしていたので入社すると直ちにテニス部へ入部した。関東石油のテニス部員は男子20名で女子は10名であった。山本は学生時代テニスで鳴らした腕をもっていたので、入社してからもテニス部に席を置き、美代子が入社したときにはキャプテンをしていた。
美代子がテニス部へ入部するという噂が流れるとテニス部の入部希望者が急に増え、50名の大世帯になってしまった。テニスコートは本社と横浜工場と共用で関東石油横浜工場内に設けられており、本社の部員は工場まで出掛けてくることになっていた。
美代子はテニス部の中で一躍スターになり、女子部員の中には反感を持って退部する者もいたが、女子が退部しても男子の入部希望者が多かったのでテニス部としては部員の数が増える結果となった。退部した女子はいずれも部の中では女王的な存在であった。顔に自信があるかスタイルに自信を持った女達で男からちやほやされることに生き甲斐を感じるような連中である。 彼女達が去った後にも居残る女子もいたがそういう女子部員達は平均的な女子事務員で自ら中心になってクラブ活動を盛り上げて行こうというほどの積極性は持ち合わせていない。テニスを楽しみ運がよければ未来の夫を見つけようという女達である。彼女達は美代子の周りに集まった。美代子には生まれつき人を魅きつけるものがあった。
学生時代に鍛えただけに技術は高く男子部員でも彼女と試合して勝てる者は少なかった。美代子がテニス部の女王になるのに時間はかからなかった。美代子にはテニス部の男子部員からは勿論のこと、会社の独身男性から度々誘いがかかった。美代子はそうした誘いに対しては一対一の行動はとらなかった。必ずテニス部の仲間か、同期生の女子を伴ってグループで交際した。彼女の行動には賢い母の躾けが反映していた。それでも山本はテニス部のキャプテンの特権を行使して、美代子と二人だけで映画を見に行き夕食を共にしたことが一回だけあった。その時の短時間の語らいの中で美代子が山本に好意を寄せているらしいことは言葉の端々に窺うことができた。
山本は次第に美代子に魅かれていった。美代子の魅力もさることながら、美代子の父が山王グループの経営層にいることの方が山本にはもっと魅力があった。完成された管理社会の中で組織の頂点に早く登り着くためには、本人の実力もさることながら、組織の頂点にいる人の引きを得ることが一つの条件であった。
美代子が好意を寄せていると思われる男性は関東石油の中に山本を含めて三人に絞られるようになった。本社総務課の橋本と横浜工場製油課の栗原が山本のライバルであった。この三人のうち誰が美代子を射止めるだろうかという噂が独身男子の話題に登るようになっていた。それというのもこの三人が美代子の父から自宅へ麻雀の相手として招待を受けたからである。 山本、栗原、橋本は揃って美代子の自宅へ訪問する機会が多くなった。しかし、彼らは一人だけで訪問することはなかった。三人の間には、抜け駆けしないという黙契のようなものが成立していた。三人はお互いに牽制しながらも、美代子の父から麻雀の誘いがかかるのを期待して待つようになっていた。山本が美代子に会ってみようと思いついたのは、その日がテニス部の練習日だったからである。
松山一朗の事件があってからテニスの練習をさぼっていたので思い切り白球を追っかけてみたいと思った。美代子とネットをはさんで激しく白球を打ち合ってみたい衝動にかられた。そしてテニスの終わったあとで、次の日曜日にいつものメンバーでマージャンをしに行ってもいいかと申し込んでみようと思った。美代子とテニスをすることも楽しかったが、麻雀をしながら美代子の父に、今回の事件についての感想を聞いてみたいという気持ちがあった。山本が終業後、テニスコートへ久し振りにでかけてみると何時も山本より早くきて練習をしている筈の美代子の姿が見えない。 「岡元君は」 同じ秘書課の増田貴美江に聞いてみた。 「岡元さんはお休みよ。お気の毒様」 「会社も休んだのかい」 「いいえ、会社には出勤してらしたわ」 「どうしたんだろう。岡元君がテニスをさぼるなんて珍しいな」 「テニスよりデイトの方が楽しいんですって」 増田喜美江は悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。 「何だって、相手は誰だ」 「まあ、そんなに怖い顔をして。山本さんは知らなかったの、最近お見合いをなさって、交際を続けていらっしゃるそうよ。相手の方は東大出のエリートで大蔵省にお勤めなんですって」 「そんな馬鹿な」 「栗原さんも、橋本さんも同じことを仰ったわ。そんな馬鹿なって。山本さんも道化の役をやらされていたのね」 「道化だと」 思わず声が大きくなった。 「三人とも鳶に油揚をさらわれたようなものね。関東石油では栗原さん、橋本さん、山本さんが岡元さんのお父様のお相手をするために麻雀に誘われていたのは有名な話だわ。皆さん鼻の下を長くしてせっせとお通いになったようですけれど、とんだ見当違いをなさっていたわけね」 「見当違いだって」 「そうなのよ。だから道化なのよ。岡元さんのお父様があなた方三人をお誘いになったのは、女姉妹ばかりの美代子さんに、男友達と親の監視のもとでお付き合いをさせるためだったのよ。岡元さんは決して一対一の交際をなさらなかったでしょう。お母様のさしがねらしいわ。岡元さんのご両親は男というものを研究させるために、関東石油の秘書課へ入社させたということだわ」 「君は誰からそんなことを聞いたのだ」 「社長からよ」 山本は痛烈な一撃を食わされた思いだった。 「山本さん。お相手をお願いします」 増田喜美江はラケットを右手に持ってアンツーカーコートを小走りに駆けて行くとサーブの球を打ち込んできた。増田喜美江がいつもになく元気に張り切っているのに彼は気がつかなかった。
山本の心に退職の気持ちが芽生えたのはこの瞬間であった。一度心の奥に芽生えた辞意はほむらのようにたちまち大きくなり、動かし難い決意に育っていった。山本は喜美江と球を打ち合いながら、自分は丁度テニスの球のような存在ではないかと思った。ラケットに打たれてあっちへ飛び、こっちへ飛んでいる。自分の意思で飛んでいくことができない。
松山一朗の事故の原因は関東石油の安全よりも生産を重視した会社の考え方に最大の原因があるにもかかわらず、それを指摘した自分が責任をとらされる。そしていままた、岡元美代子の両親の考え方を知らされた。
最初から道化の役を与えられて、有頂天になっていた自分が浅ましくもあり、情けなかった。岡元美代子を妻にして美代子の父の威光を利用し、出世の足がかりにしようと潜在意識の中で考えている自分の甘さを知った。
自分でどうすることも出来ない機構のことを思った。組織の固さというものを知った。組織というものは、要になって動かす立場にたてば組織を動かすという面白さがあるが、現在の自分の立場は組織の中で動かされているに過ぎない。岡元美代子の父親のように組織の頂点に立てば、関東石油の社長を動かし自分の娘を入社させ、山本、栗原、橋本達の純真な気持ちを踏みにじるようなことまでできる。
松山一朗の事件で示された総務部長や、製造部長のように組織の中で、何とかして頂点に近づきたいと願い保身にだけ窮々としている管理者がいる。また林田のように首にならなかっただけでも幸福だと考える男もいる。そこには主体性を持って行動する人間は見られない。山本はサラリーマンであることが嫌になった。少なくとも関東石油にいる限り、今回の事件でハンデキャップを負ってしまったので、先の望みが薄くなってしまった。林田の姿に自分の将来を見るような気がしてくる。
山本は大阪でクリーニング屋を大規模にやっている兄のことを思い出していた。兄からは自分の責任で事業をやってみるのは面白いことだから、山本にも兄の仕事を手伝わないかと今年の正月帰省したときに冗談のように勧められていた。そのときは冗談として笑い飛ばしていたが、今回のようなことがあると、真剣に考えてみなければならないことのように思えてくる。
山本は配置替えの通知を受けた翌日、辞表を提出して10日後にはさっさと会社を辞めてしまった。辞表を提出したとき工場長は型通り、慰留したが結局辞表を受理した。山本が辞表を提出したということを聞きつけて同僚やテニス部の仲間が集まり、会社の仕打ちは冷た過ぎる。組合で取り上げて問題にしようと熱っぽくいきまき心配してくれる者もいたが、山本は丁重に断り自分の意思を通した。
増田喜美江が山本さんが辞めるなら私もやめようかしらと言い、求愛の謎をかけてきたのには閉口した。
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「その通りだ。君に悪者になって貰うのが一番良い解決法だと思う。君は不本意かも知れないが、担当者段階でのミスとしておかないと大変なことになる。作業工程の妥当性にまで調査の手が伸びると操業停止にまで問題が発展することもありうる。操業停止にでもなれば、会社の損失は莫大なものになる。勿論作業工程の妥当性についての検討も行われなければならないが、それは社内的な問題として検討し、次回の定修工事に生かせばいいのであって警察に関与されることは避けなければならない。君も将来のある体だから不本意なことはよく判るが、長い目でみれば一つの経験として将来に生かせると思う。決して悪いようにはしないから、君の段階で責任の追求がストップするように考えて貰いたい。くどいようだが、君の判断で作業指示を発したと証言して欲しいのだ」
「私も自分の担当の所で発生した事故ですからその限りでは責任を感じていますし、酸素濃度検定をもっと念入りにやっておけばよかったという後悔もしています。しかし、残念なのは工程会議で私の意見が聞いて貰えなかったことです。しかし、起こってしまったことを後から悔やんでみても仕方がないことはよく判っています。私も関東石油の社員ですから、会社に及ぶ被害が最小限で済むよう善後策を講じなければならないということも理解できます。仰るように、私の段階で問題が解決されるよう努力してみます」 山本は釈然としない気持ちで答えた。工場長に一礼してから工場長室を出たが、胸の中にはふっきれないものが残った。
翌日山本は警察に呼ばれて調書を取られた。警察で調書をとられた者は山本の他にも工務課長の林田、安全課の大浦、矢口がいた。 警察での取り調べが終わって一週間が過ぎたが松山一朗の遺族は依然として現れなかった。
工務課長の林田と山本は今回の事件で書類送検されることになった。林田は山本の上司である。山本が書類送検されてから数日後、山本は社内でも閑職とされている技術室へ配置替えを命じられた。林田は工場長付きの辞令を貰った。
山本と工務課長の林田が書類送検されることで、この事件が落着するとすれば、関東石油にとってはまずまずの結果といえるものであった。 山本は送検されることは覚悟していたが、送検された時点ですぐ閑職へ配置換えされるとは予想していなかった。関東石油としては、官庁筋に対する姿勢を示したものであり、社内的には一般社員に対して今回の事故の責任の所在を明らかにするという意味を持つものであった。
山本は配置替えを申し渡されたとき、会社の措置は性急すぎると思った。送検されるということは、業務上過失致死の容疑をかけられたということであって、まだ司法的な判断が下されたわけではない。容疑をかけられただけで誰が見ても左遷と受け取れる技術室への配置換えを会社が行ったのは明らかに会社が山本に責任ありと判断したことを示している。山本は冷めた気持ちで工場長から配置換えの申し渡しを受けた。
その日山本は帰りに林田をおでん屋へ誘った。 「林田さんは今回の会社の措置をどう受け止められますか」 「人一人殺しているのだから止むを得ないと思う。僕は甘受するしかないと思っている」 「私は直接の担当者として、林田さんにまでご迷惑をかけてしまって申し訳ないと思っています。人一人が死んだのは事実ですから、処置自体に不服を言うつもりはありませんが、もっと大きな責任が追求されないところが私には納得できないのです」 「どういう意味だね」
「林田さんも工程会議では工期35日説を主張されましたね。それに対して製造部長は30日説を主張しました。そのことです」 「ああ、そういう意味か。愚痴になるから言いたくはないが、今回の定修工事は製造部の横暴に押し切られた面があるのは事実だ。そのために、危険な作業が随分多かった。だけど、一旦命令となった以上はこれに従わなければならないのが組織というものだ。そこでは個人の善意や良心はどこかへ忘れられてしまう」
「私はそうじゃぁないと思うのです。製造部長の上向きの姿勢に問題があると思うんです。本社の意向ばかり気にして現場の意向は考えない。自分の保身のことだけしか考えていないんですよ。我々が送検されることで責任を免れてしまっている。そして追い打ちをかけるように今回の人事です」
「僕も内心では口惜しいと思っているよ。だけどサラリーマンというのは辛いもので、君とこうやって酒を飲みながらせいぜい悪口を言って、憂さを晴らすことぐらいしかできないんだ。君も承知のように、僕は昨年やっと念願の家を建てた。借金だらけだ。会社の処置が冷たいと言って会社を飛び出すことも出来ない。50を過ぎたこの年では職を新たに見つけることも出来ない。忍の一字しかないんだ。屈辱に耐えて会社の措置を受け止めるより仕方がないんだ。首にならなかっただけでも有り難いと思っているんだ」
山本は、寂しい気持ちで林田と別れた。林田から激しい言葉を聞きたかった。例えごまめの歯ぎしりと言われようと犬の遠吠えと言われようと、林田と一緒に怒り狂ってみたかった。だが、現実の林田の姿は初老を迎えた生活に追い回されている哀れな男にすぎなかった。首にならなかっただけでも有り難いと思っているという林田の言葉が頭にこびりついた。
山本はその晩一晩まんじりともしなかった。眠らなければと気ばかり焦るのだが、頭は冴えて色々な想念が、消えては現れ現れては消えた。
タンクの中で二本ぶら下がっていた松山一朗の足。ピーポピーポーと間の抜けたサイレンを鳴らしながら遅ればせにやってきた救急車、松山の遺体を取り巻きながら勝っ手なことを叫んでいる群衆、器用な手つきで松山の目蓋を開いた若い医師、常泉寺に姿を現した車椅子に乗った犬山勇次、度のきつい眼鏡をかけてしたり顔に話しかけてくる総務部長、鼻の頭の汗をしきりに拭っていた葬儀屋、工程会議で製造部に押し切られて首を縦に振った工務部長、執拗に問い詰めてくる刑事、時間の脈絡なしに次から次へと現れてくるのは、いずれも今回の事件に繋がりのある情景ばかりである。
山本は眠らなければとウイスキーをコップに注いで一息に飲み干した。焼ける熱さが喉元を走り抜けた。
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山本正は松山一朗の労災事故死により、業務過失致死の容疑で基礎されてから会社の冷たさを知った。関東石油では会社の幹部に責任が及ぶのをくい止めようと画策した。その画策が見え透いた露骨なものであるだけに山本はやりばのない憤りを感じた。 山本正は報国工業の沢村が出た後、入れ代わるようにして工場室へ呼ばれた。 「山本君、御苦労様。そこへかけたまえ」 総務部長が折り畳み椅子を指しながら言った。度のきつい眼鏡のガラスが渦巻きのように光った。 「はい。今回は私の監督不十分のため会社にご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」 山本は深々と頭を下げてから腰を下ろした。 「今、いろいろ対策について考えていたところだが、君は今回の事故の原因を何だと思うかね」 「定修工事の作業工程に無理があったことが根本的な原因だと思います」 山本は工務部長の顔をみながら答えた。工務部長は山本の視線をそらすように下を向いた。山本は工務部長のそんな態度を見ながら、定修工事開始前に行われた工程会議のことを思い出していた。
その工程会議では製造部と工務部とで、工期をめぐって、大論争が行われた。定修工事をできるだけ短期間で切り上げようと主張する製造部と工期を長くしたいとする工務部との間の論争である。製造部は製造計画に基づいて一日でも早く定修工事を切り上げて貰いたいと主張し、一日工期が延びると一億円売り上げが減ると説いた。
これに対し工務部では安全確保上、製造部で主張している30日の工期では無理で、少なくとも35日は必要であると言い張った。生きている設備の一部を止めて修理をするので、有毒ガスを完全にパージして安全な環境のもとで工事を進めるためには、製造部のいうように五日間工期を短縮することは、危険であると主張した。限られた予算の中で工期を五日間短縮することは、作業能率も低下するし事故の発生しない保証ができないとまで言った。工務部の中でも山本は特に強く35日説を主張した。だが、生産第一主義の製造部が安全第一主義の工務部の意見を押し切った。
有毒ガスのパージには窒素をふんだんに使い、ガス検知と酸素濃度検定を十二分に行えば、安全作業は確保できるという製造部の説得に首を縦に振ったのが工務部長であった。 「君はまだそんなことを言っているのかね。工程会議で議論をして、その問題は充分潰した筈ではなかったのかね」 製造部長が工場長の顔を窺うようにしながら言い放った。 「はい。私は工程会議の席上で事故の起こらない保証はできないとまで言った筈です。私の虞れていた通り事故が起こりました。しかも酸素欠乏状態での死亡事故です」 「君、問題を混同してはいかんよ。有毒ガスによる事故ではなく、酸素欠乏事故なんだよ。有毒ガスは完全にパージされているんだ。酸素濃度検定は充分やったのかね」 「作業着手前の酸素濃度検定ではオーケーでした」 「そうだろう。だから、作業計画に無理があったことにはならないんだ」 製造部長は自分に言い聞かせるような言い方をした。 「しかし・・・」 「どうでしょう。事故の原因を追求するのは、調査委員会を設けて究明することになっているので、そちらの調査結果を待つということにしては。当面大切なことは、警察の取り調べに対して、会社の見解を統一しておくこととマスコミ対策だと思いますが」 工程会議での議論が蒸し返されるのをいち早く防止しようとする意思をあらわにして総務部長が言った。
関東石油会社は旧財閥系の山王化学の子会社で百パーセントの資本が山王化学から出資されている。関東石油の社長は山王化学から派遣されており、横浜工場の工場長、製造部長も山王化学出身である。横浜工場の工務部長と総務部長は関東石油固有の社員であり、工場長や製造部長に対しては公式の場では意見の開陳にも遠慮したところが窺える。もともと関東石油は岩原交通の岩原一誠が自社の車両の燃料を自給しようとの考えから出発した会社である。岩原が経営していた頃は京浜石油と称しており、会社の規模も現在とは比較にならないほど小さいものであった。規模が小さくても個人の資本では装置産業を維持してゆくことは難しかった。
日本の産業が高度成長の時代を迎え、設備の巨大化が進むにつれ岩原一誠は個人で石油会社を経営していくことの非を知り、採算の上がらぬまま痛手が大きくなる前に手を引いた方が得策であると判断し、京浜石油を売りにだしたのである。
時は産業界の資本の系列化が進んでいるときでもあり、自己の系列会社に石油精製部門を持たない山王グループが山王化学の子会社として京浜石油を買収し関東石油と社名を変更した。 首脳陣を山王化学から送り込むとともに、装置産業にふさわしい大型の設備をどんどん造って現在の規模にまで膨脹したのである。山王化学が京浜石油を買収したときには、工場は横浜工場だけであった。山王化学は間もなく水島に最新鋭の精油所を建設し関東石油水島工場とした。
水島工場の建設には横浜工場から約半数の技術陣を転勤させた。水島工場の建設にあたっては日本有数のエンジニアリング会社大日本化工機が設計施工した。 現在の横浜工場の工場長も製造部長も、山王化学による買収後、三代目であり、総務部長と工務部長は京浜石油生え抜きの社員で、買収されたときには何れも係長であった。京浜石油が山王化学に買収されたときの工場長は、関東石油本社の技術部長に収まって取締役の末席に名を連ねている。 総務部長も、工務部長も山王化学出身の工場長と製造部長の顔色を窺いながら自分も大きな失敗さえなければ、取締役の末席ぐらいにはなれるのではなかろうかという期待を持っている。それだけに陰では上に調子よく下には冷酷だという声がささやかれている。
山王化学の人事政策は巧妙である。工場長、製造部長という要職は山王化学よりの派遣社員で抑えるが総務部長、工務部長は京浜石油出身者に委ね重役へ登用の道も残して、プロパー社員の士気が低下しないように配慮している。 現在の関東石油本社の総務部長、工務部長は何れも関東石油の工場で総務部長、工務部長を経験した京浜石油出身の社員であり、重役陣の中に名を連ねさせているのである。 山本正は入社五年目である。大学は旧帝大である大阪大学の工学部を出ている。山本が大学を卒業した昭和40年は高度成長経済がその勢いを蓄えるために一休みした時であった。新聞紙上で不景気と書かれた年である。
旧帝大の工学部出身である山本は不景気であっても就職に困るということはなかった。産業界は不景気の時代だからこそ、次の好景気の時代に備えて優秀な人材を確保しておこうと求人キャラパンを繰り出した。特に旧帝大の工学部出身者は一流企業からの求人をよりどりみどりであった。山本の所にも幾つかの企業から母校の先輩を通じて勧誘があった。中にはキャバレーに連れて行ってくれて豪遊させてくれた某製薬会社に勤めるA先輩のような人もいた。電話がかかってきたり、親展の手紙を貰ったりもした。何れも先輩を使っての凄まじい求人攻勢であった。
山本は先輩や友人の話を聞いて会社選択の基準を作り、基準に合わない会社はどんどん不採用とした。まさに求職者が求人会社を採用するのではないかと思われるような凄まじい求人難の時代であったと言える。 山本の作った会社選択の基準は次のようなものであった。 ・旧帝大出身者の少ない会社であること。 ・今後成長することが予想され、社歴は浅い会社であること。 ・知名度もある程度高く、待遇のよい会社であること。 友人達が好んで超一流企業へ就職したのに較べれば一風変わった選択である。山本は何よりも、早く出世できそうな会社を選んだのである。山本の選択基準からすれば、関東石油はまさにぴたりの会社であった。 山本が予想したように、関東石油は山王化学の子会社であるとはいえ、旧帝大出身者は殆どおらず急成長を遂げており待遇も良かった。入社してみて山本を何よりも喜ばせたのは、入社間もない山本に責任のある仕事を任せてくれたことである。そして社内でも、前途有望の青年であると期待されていた。 山本は横浜工場工務部に配属された。工場は拡張期のため、新しい設備がどんどん増設された。加えて水島工場に技術陣が半数転出していたので、新しい設備の増設工事は入社したての山本が計画段階から携わることになり、大きな権限を与えられた。それは若い山本の野心を満足させるに充分のものであった。 年に一度の定修工事もやり甲斐のあるものであった。短期間のうちに五百人を超える作業員(下請け作業員ではあったが)を指揮して意のままに動かすことは男の本懐であるとまで思った。しかも工務部の若手のやり手という評判があるので、下請け会社の社長や専務があの手この手でご機嫌を取り結ぼうとするのも、若い山本の自尊心をくすぐった。
出入り業者達は競って山本に縁談を持ち込んだ。自分の姪や友人の娘、我が娘と下請け業者の社長達は、山本に先物買いをした。だが、山本は下請け業者の勧める縁談には頑として耳を貸そうとしなかった。業者と縁組すると社内的に色眼鏡で見られることは確実であり、業者に対してけじめをつけておくことが、将来社内で出世するための一つの条件であると考えたからである。 とかく業者と工務担当者との間には黒い噂が流れ勝ちであるが、山本に関してはそのような噂は聞かれなかった。
「ところで、山本君今回の松山一郎の死亡事故については、いろいろ原因も考えられるだろうし、会社としてもこれを今後の施策に生かしていかなければならないと思う。事故調査委員会も活動を始めているのは君も知っている通りだ。そこで今、大切なことは総務部長がさっき言ったように、対外的に処理する方法を検討することだ。取り敢えず急がなければならないのは、マスコミと警察だと思う。それに労働基準監督署もある。忘れてならないことは我々は組織の一員であるということだ。会社の名誉、対外的な信用これを損なうことなくうまく処理することを考えなくてはならないと思う。よし、仮に会社の名誉や信用に傷がつくとしても、最小限にくい止めなければならない。そのためには君にも覚悟を決めて貰わなければならないこともある」 工場長が煙草を忙しそうにふかしながら言った。ふかした煙草の煙が神経質そうに揺らいだ。 「工場長が言われたように、社外に対する対処の仕方を打ち合わせておきたいと思って、君に来て貰ったわけだ。一番のポイントは会社が安全をなおざりにしているのではないかという印象を与えることが一番困るところだ」 その場を取り繕うような言い方を総務部長がした。 「ですから、定修工事前の工程会議で申し上げたように、工期が短過ぎたことが今回の事故の最大の原因だと私は思います。部長そうではないですか」 「この場合、総論の議論をしても仕方がないんだ。当面どう始末するかという各論に議論の焦点を絞らなければ。さっき報国工業の沢村君がここへ来ていたが、警察で取り調べを受けたそうだ。君にも警察から呼び出しがあると思う。その時我々の言うことがチグハグになっては困る。方針ははっきりしている。関東石油に被害の及ぶことを最小限にくい止めなければならないことだ。そのためには、作業計画には無理のなかったことを主張し、立証することが大切だと思う。そのとき君の証言の仕方が問題になると思う。工期が短かすぎるなどと言って貰っては困る」 製造部長が一気に喋った。 「次に作業指示の問題だ。最終的な責任は勿論工場長にあるわけだが、個々の作業指示についてまで工場長が関与することはない筈だ。そこで大切なことは君が担当者の責任において、独自に判断して作業指示を与えたことを強調して欲しいということだ」 製造部長が続けて言った。 「ですが、作業に着手する前には、有毒ガスの検定も酸素欠乏状態の測定も行って異常がなかったのですから、当然作業指示はゴーの指示を出すことになると思いますが」 「問題はその点だ。ガス検知をやってオーケーだったから作業着手許可を与えた。しかし実際には酸欠であった。だから死亡事故が発生した。ガス検知が充分でないのに作業指示を出した。そこに過失があった。つまり君が独断でガス検知の結果,異常なしと思って作業着手許可を与えた。このように説明するのが無難だと思うんだが」 「それでは全く私が悪者になってしまうではありませんか」
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「具体的には松山一朗を名指してタンクへ入ってポルトを外す仕事をせよという指示は私どもの監督がしますが、タンクへ入ってよいかどうかの指示は関東石油の担当者が私どもの監督に対して行います。何しろ有毒ガスがあったり、可燃物があったり、酸欠状態があったりしますので、関東石油の担当者より指示がなければ、作業員をタンクの中へいれることはありません。そういう意味では関東石油の担当者の指示によるということになります」
「タンクの中の状態が危険な状態であるかどうかの判断は関東石油の係員がするということですか」 「そうです。私どもは施工業者ですから装置の中にどんな物が入っているか判りません。ですからバルブの開閉とかマンホールの開放とか装置についているスイッチ操作とか装置の運転に関することは一切、業者は行いません。仮に命令されて行う場合でも、必ず関東石油の係員の立ち会いのもとに行います。特に定修工事のように生きている工場設備を相手とするときには、作業計画上どのタンクのどのバルブを取り替えるということが判っていても業者独自の判断で着手することはありません。必ず着手前に関東石油の係員の着手オーケーの確認をとってからでなければ、たとえボルト一本でも緩めることはできません」 「松山がベンゾールタンクへ入るについては安全の確認は行われましたか」「はい。タンクの中へ入って作業するようなときには必ず、安全担当の関東石油の社員にガス検知をして貰って安全な状態であることを確認してから、関東石油の担当係員の作業着手命令を得た上で作業を進めます」 「当日ベンゾールタンクへ入ることを指示した、関東石油の担当者は誰ですか」 「工務課の山本正さんです」 「ガス検知をした人は誰ですか」 「安全課の大浦英夫さんと矢口弘さんです」 「山本正は誰の指示を受けて命令しましたか」 「関東石油の職制からすれば、工務課長の林田さんだと思われますが、確認はしておりません」 この後関東石油から報国工業に対して、出されている注文書、工事仕様書工程表、請け負い基本契約書等について調書を取られた。
沢村は二時間に渡る長谷部刑事の取り調べを終えて解放された。 警察署を出たときどっと疲れが頭から首筋を通って体中に流れ渡ったように感じた。沢村は警察では関東石油の過失責任を問題にしているなという感触を得た。長谷部刑事の取り調べの態度から推すと、報国工業に対しては過失責任を問題にしていないようなのでほっとした。
沢村が帰社するのを待ちかねていたかのように、関東石油の総務部長から呼び出しの電話がかかってきた。沢村が関東石油の工場長室へ案内されると工場長を取り巻いて総務部長と工務部長が深刻な顔をして座っていた。
部屋の黒板には今まで善後策について協議していたらしく、当日の事故発生状況の図解と定修工事中の作業管理組織図が書かれていた。 「このたびは、大変ご迷惑をかけてしまいまして申し訳ございません」 「沢村さん。警察ではどのようなことを聞かれましたか」 挨拶もそこそこに総務部長が口を開いた。度のきつい眼鏡がキラリと光り眼鏡のガラスの渦巻きが沢村の目に映った。沢村は警察での供述についてかいつまんで説明した。 「沢村さん、うちの山本の作業着手許可があったから、松山に作業指示を与えたと答えたのですか。それは早まったことをしてくれましたね」
総務部長が工場長の顔をチラリと見てから沢村の方に向き直って言った。「はい。いけなかったでしょうか」 沢村はとぼけながら、それでも恐縮した風を装って応答した。 「もっと慎重に考えて下さればよかったのに。よく調べてからお返事しますとか何とか答えておいて我々に相談してくれればよかったのに」 非難がましい口調で総務部長が言った。度のきつい眼鏡の奥にある目の表情は判らなかった。 「はあ、申し訳ありません。何しろ警察から取り調べられるのは生まれて初めてだったものですから。ありのままを話してきました。御迷惑をかけることになったのでしょうか」 「君、あんたの配下の業者が死亡事故を起こしたんだよ。関東石油の業者ならそれぐらい頭を廻してもよさそうなものを」
工務部長が苦虫を噛み潰したような顔で甲高い声を上げた。 「沢村君は頭が廻るからな」 それまで黙っていた工場長がぽつりと言った。 沢村は案の定、きたなと思った。 工場長、総務部長、工務部長の魂胆は見え透いている。今回の事故については、関東石油では全然関知するところではない。業者の報国工業が、元請けの責任において、独断で作業指示を発したということにしたかったのである。関東石油の過失を取り繕って全責任を報国工業に転嫁し、下請け業者の責任においてこの事故を処理しようと考えていたのは明白である。
「沢村君は頭が廻るからな」という工場長の言葉はそのことう裏付けるような発言であると沢村は理解した。沢村は工場長の言をかりれば頭の廻る男であった。報国工業の切れ者として同業者からも恐れられ、客先からは信頼される反面、警戒されてもいた。だが、巧みな話術とこまめに体を動かし仕事のためには、昼夜構わず動き廻る行動力は客先から重宝がられていた。
沢村は事故発生とともに、報国工業にダメージの少ない処理方法について頭をめぐらせた。一種の動物的な勘が働いた。一番最初に心配したのは、松山の遺体をどうするかということよりも、報国工業の監督が独断でタンクの中へ入るように松山に指示したのではないかということであった。常々部下達には関東石油の係員の許可がなければ、ボルト一本でも緩めるなと言い渡してあるので、まさかとは思ったが、一番気にかかるところであった。
事故の第一報を沢村が耳にしたとき、沢村が第一にしたことは、腹心の尾崎に命じて作業指示の流れを具体的に調べさせたことである。次に東都プラントの謀略でないかというのも気になるところであった。 松山の葬儀に関東石油として花環をだすべきか出さざるべきかについて総務部長と工務部長でもめているらしいという情報をキャッチしたとき沢村は覚悟した。関東石油が責任を転嫁してきたときには断固としてこれを拒否しなければならない。しかも後に尾をひかない巧妙な方法で。たとえ、沢村自身の立場が苦しくなろうとも、責任を転嫁されることだけは報国工業の経営者として免れなければならないと思った。もし客先大事とばかり、そのような言い分を受け入れたときに待ち構えているのは、そのような重大事故を起こした業者は出入り禁止にすべきであるという声が出てくるのは火を見るより明らかであった。
それが組織の論理であり、大企業に勤めるサラリーマンの保身の論理なのである。言い含める時には、必ず面倒をみるからここは泣いてくれないかと言っておきながら、承知させてしまうと手の掌をかえしたように冷たくなるのである。沢村は下請け業者の弱さと大企業の冷酷非情さというものを長年の経験を通して肌で感じ取っていた。
関東石油の幹部から因果を含められようと厭味を言われようと拒否すべきものは拒否しなければならない。 今回のケースでは沢村にとって、また報国工業にとってラッキーだったのは、関東石油から手が廻る前に、沢村が警察の取り調べを受け事実関係を証言したことである。 沢村はただひたすらバッタのようにお辞儀をして、仏頂面をした総務部長、工務部長、苦虫を噛み潰したような顔をしている工場長に別れを告げて帰宅した。
『あなたがたは管理者だと言って威張っているが所詮はサラリーマンだ。保身の術だけ考えて小田原評定している間にこちらは生活の智慧で先手をとらせて貰いましたよ』と沢村は言葉にならない言葉を胸の中で繰り返しながら頭を下げていた。彼は葬儀を報国工業の責任において実施しようと決定した社長の見通しのよい決断に人知れず感謝した。それはオーナーだからこそできる意思決定であった。
関東石油内部で、今回の事故の事後処理について議論百出している間に、犬山組の画策を封じて素早く野辺の送りを済ませてしまった手際の良さが面倒な問題の発生するのを防止した。 葬儀の後犬山組から関東石油へ数回、嫌がらせの電話があったり暴力団らしいやくざ者が徒党を組んで関東石油へ金をゆすりに来たが報国工業に対しては何もなかった。 事故発生から二週間ほど経って今回の事故について関東石油の係員山本正が業務上過失致死の容疑で起訴されたことを沢村は知った。このニュースを聞いてから間もなく山本が退職するという噂が流れた。
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翌日の新聞には『遺体の引き取り手のない葬式・・・ここにも大企業の犠牲』という見出しで松山一朗の事故と葬儀の模様が報道された。 記事は関東石油会社の安全管理体制にメスを入れるという論調で一貫しており、大企業の発展はこうした下請け企業の作業員の犠牲の上に成り立っているという論旨であった。日本新聞に記事が載った日、報国工業の沢村に警察から呼び出しがあった。 国道沿いに建っている古ぼけた鶴見警察署の長谷部刑事を沢村が訪ねていくと刑事は椅子を勧めた。隣りの机ではパジャマを着て手錠をかけられた背の高い男が中年の刑事に尋問されていた。話の様子では空き巣狙いが捕まって取り調べを受けているようである。
「報国工業の沢村でございます」 沢村が名刺を出すと長谷部刑事も机の引き出しを開けて、名刺を取り出した。 「長谷部です。ほう、重役さんですか。まあかけて下さい」 「失礼します」 沢村が腰を下ろすと刑事は世間話もないままに用件に入った。 「早速ですが、先日の松山一朗の事故死について、お聞きしたいので来て貰いました。先ず、報国工業は関東石油会社とどういう間柄の会社ですか」 「私どもは関東石油さんより,仕事を戴いて工事する配管工事の会社です。「関東石油さんの下請け工事業者です」 「報国工業に関東石油の資本は入っていますか」 「入っておりません」 「被害者の松山一朗はあなたの会社の従業員ですか」 「いいえ」 「それでは、松山一朗が従事していた仕事があなたの会社とどういう関係にあるのか説明して下さい」 「事故の発生した工事はベンゾール製造装置定修工事です。私どもは関東石油会社さんより定修工事として五つのプロックに分けて注文を戴いておりますが、ベンゾールの定修工事はその中の一つです。今回のベンゾール製造装置の定修工事は私どもが元請け会社となって山中工業に発注しました。山中工業は仕上げや機器の据え付けには定評のある会社です。私どもでは請け負い契約ですからそこから先どのような経路を辿って松山一朗のところまで流れていったかは判らないわけです」 「山中工業とお宅の会社との間には請け負い契約が結ばれているということですね。その契約書を見せて下さい」
「そうです。契約書はこれです」 沢村は予め用意してきたベンゾール製造装置定修工事についての注文書と請け書の写しを鞄の中から取り出して長谷部刑事に渡した。この注文書も事故発生後、関東石油で慌てて作成し報国工業へ届けられたものであった。 「山中工業が更にその仕事を次の業者へ発注したかどうかについては知っていますか」 「はい、正直申し上げて、今回の事故が発生するまで知りませんでした。請け負い契約の本旨から言って私どもでは山中工業さんがどのような施工方法でやられようと仕様通りの工事を納期までに完了して納めて戴ければよいからです。勿論元請け会社ですから山中工業さんの作業についての監督は私どもでやりますが、山中工業さんが自分のところの社員の手を使ってやろうと或いは下請け作業員の手を使ってやろうとそれに対しては口を挟むことはありません」 「それでは山中工業の発注先は判らないということですか」 「今回の事故が発生してから、仕事の流れを私なりに調べてみました。それで初めて判ったのですが、山中工業さんは更に仕事を二つの工区に分割して松野組と葦原機工に発注しております。海野組は極東工業を通して犬山組を使っていたことが判りました。松山一朗は犬山組の臨時工でした」 「すると関東石油、報国工業、山中工業、葦原機工、海野組、極東工業、犬山組という六段階があるということですね」 「はあ、そういうことです」 「随分多くの手を通ったものですね。私も孫受け、曾孫受けというところまでは知っていたが、六次下請けというのは初めてだね」 「どうも申し訳ありません」 「何もあなたが謝る必要はないんですよ。沢村さん。事実を正直に話して貰えればいいんですから」
長谷部刑事はハイライトの箱から一本取り出して、口にくわえながら言った。沢村は慌ててポケットの中からライターをまさぐりだして火をつけてやった。 彼は中小企業の経営者として役人を怒らせたら、どんなに怖いかということを肌身にしみて知っているので、感情を害さないように言葉を選択しながら応答した。 「工事の発注形態については判りました。ところで、作業指示の流れといいますか、末端の作業員が仕事をするまでの流れを説明して下さい」 「客先から工事仕様書というものを頂ますので私どもでは仕様書に基づいて作業を進めます。私どもが下請け業者を使う場合にも工事仕様書を与えて仕様書に基づいた仕事をさせます。勿論仕様書の他に施工図、詳細図面、材料表、工程表といったものもありますので、これらの資料を基にして作業を進めます」 「それでは松山一朗が当日タンクの中に入って作業をするということも仕様書の中に書かれているわけですか」 「そんな細かなことまでは書かれていません」 「私が聞きたいのは一般論ではなくて、当日の松山一朗の作業は誰の指示によってなされたかという具体的なことです」 「松山一朗にタンクへ入ってフランジを止めてあるボルトを外せという指示は元請けである私どもの監督がすることになります」 「関東石油の係員は全然関与しないのですか」
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