7. 京浜銀行横浜支店の支店長横山文蔵は、横浜中署で乗り逃げ強奪事件を担当している桑山刑事や、取材にきた新聞記者達との応接で忙しい一週間を送った。最初の事件は8月25日午後1時頃発生した。 京浜銀行横浜支店の取引先、天川商事の社長天川啓吉は現金70万円を引き出して駐車場に止めてあった自家用車に乗り込み,五分ほど走った所で、信号にひっかかった。ブレーキを踏んで停車しかけたところを後ろからきた車に追突された。 天川が車から降りて追突した車の運転手と短いやりとりをしてから、車の破損状態を調べているうちに追突した車の運転手が天川の車に乗り込み逃走した。置き去りにされた車のエンジンキーは抜いてあり、その後の調べで埼玉県で盗まれた車であることが判った。天川は70万円を車の物入れに入れておいたので、車と現金を盗まれたのである。天川が目撃した犯人は黒眼鏡をかけており、長髪で鼻髭を蓄えた大柄の若い男であったという。 第二の事件はそれから五日ほどのちに起きた。京浜銀行横浜支店から従業員の給料として230万円ほどの現金を引き出して帰社する途中の佐藤産業の社長佐藤浩が全く同様の手口の盗難に遭った。犯人はやはり黒眼鏡をかけた若い男で髭をきれいに剃っていた。 横山文蔵は、第一の事件が起きた時、中署の桑山刑事の訪問を受け、色々取り調べられた。店の外で発生した事件なので表向きは大変困った振りを装っていたが、内心では大して気にもしていなかった。「盗られる方に油断があるからつけこまれるのだ」と心の中で嘯いていた。ところが、一週間のうちに二件も続いて同じような手口の事件が続くとそうもいかなくなった。自分の店が犯罪の舞台として利用されることは、客商売上非常に迷惑なことである。二件とも銀行の外で発生した盗難なので、銀行には直接の損害も責任もなかったが、新聞に報道されたために一躍有名になってしまった。
警察署へも何回か足を運んだし、刑事の取り調べにもつきあわなければならず、新聞記者達への応対もあった。そのことの方が煩わしかった。とりわけ桑山刑事が、手口の似ていることからこの二つの事件よりも前に発生した早坂龍一の乗り逃げ事件の犯人も今回の事件の犯人と同一人ではないかと睨んで、鋭い質問を浴びせてきたときには閉口した。 「支店長、早坂工業の社長早坂龍一氏が4〜5日前に同じような手口で車を乗り逃げされています。早坂さんは、当日銀行から金は下ろさなかったのでしょうか。手口から考えると車だけ乗り逃げしたというのがどうもよく判らないのです。どうせ乗り捨てにするのですからね」 「当日、早坂社長は融資の打ち合わせに来行されただけで、お金は下ろしていません」横山は平然と答えたが肝を冷やした。 早坂の匿名預金は何億の単位である。もし今回の事件がきっかけとなって匿名預金を徹底的に糾明されたら、隠し通せる自信がなかった。だが、警察としても被害者の早坂から現金盗難については被害届けがないのでそれ以上追求することが出来ないらしく、桑山刑事が質問を打ち切ったので胸をなでおろした。
定期預金の中に無記名定期預金というのがある。預金者の住所氏名を伏せたまま銀行が定期預金を預かる制度である。この制度は戦後日本経済復興の過程で、家庭の箪笥に死蔵された現金を吸い上げ殖産興業に有効に利用しようという目的で設けられた制度である。預金者の秘密保持という機能があったので所期の目的を達成することができた。しかし、日本経済の復興が完了し、高度成長時代を迎えると預金者の秘密保持という副次的機能の方に重点が置かれた運用となり、資産家や成り金達の財産隠しのために専ら利用されるようになってしまった。そして脱税の金や犯罪の臭いのする金までが、無記名式定期預金として預けられている。預金を集めなければ商売にならない銀行は、お客にこの無記名式定期預金をするよう競って勧めた。銀行にとっては、札に色がついているわけではないから、この無記名式定期預金は預金量を増やすには都合のよい武器であった。
横山文蔵は自ら勧めて早坂龍一に莫大な額にのぼる無記名式定期預金、偽名預金をさせていたので、相手がたとえ警察であっても自分の口から早坂の隠し財産の存在を匂わすような証言は信義上できないのである。ロッキード事件に関連して、右翼の大物児玉氏の裏金が司直の手による銀行調査から暴き出されたことが世間の耳目を集めた直後だけに、横山文蔵は桑山刑事の追求を恐れていたのである。桑山刑事の取り調べが終わってから密かに早坂に会った。
「早坂さん、車を乗り逃げされたとき、金は盗られなかったでしょうね。警察で調べに来ましたよ」 「そうですか。支店長、まさか変なことを喋らなかったでしょうね。私はあの日、お宅の銀行へ行きましたが、現金は下ろしませんでしたから金を盗まれる筈がありませんよ。そうでしょう、支店長」 早坂は言外に脅しの籠もった言い方をして横山文蔵の目を見据えた。
警察の推測では犯人はどこかで車を盗んできて、京浜銀行横浜支店の近くに駐車し、銀行から出てくるお客を監視している。目星をつけたお客が車に乗るのを見届けてからこれを尾行し、交差点の赤信号で停車しかけたところを追突する。追突事故で気を逸らせておいて、相手の車に乗り込み、現金を乗せたまま逃亡する。追突させた車の鍵は抜いておいて、追跡できないようにする。逃走してからは、近くの駅へ車を乗り捨て、金だけ持って行方をくらます。実に巧妙な手口である。二つの事件に共通していることは、
1)両人とも下ろした現金を銀行名の刷り込んである紙袋に入れて手に持って銀行から出てきたこと。(犯人から見れば、現金を持っているということが一目で判る) 2)現金の入った袋は車のポケットに入れるか助手席に置いていたことなどである。 第一の事件が起きてから、京浜銀行横浜支店では、現金を下ろして帰るお客に対して、必ず現金は身につけて帰るよう注意を喚起し、帰路万一、追突事故に遭ったときには、エンジンキーを抜いてから車を降りるように呼びかけた。一方横浜中署でも第三の事件の発生を警戒して私服刑事を張り込ませた。こうした動きを察知したのか、第三の事件は発生しなかった。
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6
京浜銀行の横浜支店から300万円の現金を下ろしてきた早坂龍一は愛車のマーキュリーを運転して、産業道路の一つ手前の交差点に差しかかった。 早坂が交差点に入りかけたとき信号が変わった。いつもの早坂なら躊躇うことなくアクセルを踏み込んで通り抜けるのだが、今日は大事な現金を持っているという意識が彼の行動を慎重にさせた。アクセルを踏むべきかブレーキを踏むべきか一瞬躊躇した。ほんの僅かな時間迷った後、早坂はプレーキを踏み込んで急停車した。愛車のマーキュリーがタイヤの軋む音をたてながら静止しかけた時、後続の車に追突された。鈍い衝撃音がした。前につんのめるような衝撃をうけたが、幸い体は何処にもぶっつからなかった。衝撃の程度からして、車の後部はかなり損傷したにちがいない。
車の接触事故が起きた時には、早く車から降りて相手の機先を制し、先に第一声を発した方が事後の交渉を有利に展開することが出来る。 早坂は運転席から降りると大声で怒鳴った。 「気をつけろ」 追突した車からも早坂の声に誘い出されたかのように、サングラスをかけた体格のいい若い男が降りてきた。顎には髭を蓄えている。 「どうも済みません。申し訳のないことをしました。お怪我はなかったでしょうか」体に似合わずサングラスの若い男は、頭をペコペコ下げながら謝った。 早坂は相手から下手に出られると怒ってみるのも大人気ないと思ったので衝突部の被害の状況を調べることにした。被害者なのだから、相手に車を修理させなければなるまいと考えながら、衝突部を調べていると、突然早坂のマーキュリーが排気ガスを勢いよく吐き出して動きだした。 追突してきた車の若いサングラスの男が何時の間にか早坂の車に乗り移っている。異変に気がついた時には、早坂のマーキュリーは現金300万円の入った紙袋を助手席に置いたままスピードを上げて走り去った。
慌てた早坂は置き去りにされた加害者の車に乗って追跡しようとしたが、エンジンキーが抜いてある。追いかけようにも足がない。傍らを通る車は見知らぬ顔で通りすぎていく。都会の無関心であろうか、わざわざ車を止めて声をかけてくれる人もいない。 警察に届けでれば交通事故を偽装した300万円強奪事件として緊急手配してくれるであろうし、盗まれた車はマーキュリーなので、人目につきやすい。自分の車だからナンバーも判っている。犯人は直ぐ捕まるであろう。だが盗まれた金の出所を警察に追求されると困る事情があった。 早坂は暫く思案した。 「300万円といえば大金だ。警察というところは疑い深いところだから、確かに300万円車に置いてあったかどうか、第三者の証言か物的証拠を求めるであろう。そうすると,横山支店長に確かに300万円引き出したという証言をして貰わなければならなくなる。匿名預金の存在を警察に教えるようなものだ。新聞にも報道されるだろう。三百万円だけにとどまればいいがそれ以外のものまで調べられたら事が面倒になる。却って藪をつついて蛇を出す結果にならないとも限らない。300万円は諦めた方がよさそうだ。だが、車のほうはどうだろう。盗まれた車にはナンバーがついているから犯人はきっと車をどこかで乗り捨てるだろう。犯人の心理としていつまでも盗んだ車に乗っている筈がない。まして、300万円という大金を盗んだばかりだ。被害者から直ちに盗難届けが出されることは当然予想しているだろう。乗り捨てられた車は放っておいてもナンバーが登録してあるのだから自分のところへ戻ってくる筈だ。その時、車の盗難届けを出しておかなければ不審に思われるかもしれない。理由を調べられたら厄介だ。300万円とられたことは犯人と自分しか知らないことだ。自分さえ黙っていれば、犯人が捕まって自供しない限り、誰にも判らないことだ。恐らく追突して乗り捨てられた車も何処かから盗んできたものだろう」 ここまで考えて早坂は結局追突事故に遭って、車を乗り逃げされたことだけを警察へ届け出た。300万円盗まれたことは自分の胸にだけ納めておくことにした。犯人の特徴は小柄で黒眼鏡をかけた中年の男と届けておいた。犯人が捕まらないで車だけ戻ってくればいいと思ったからである。犯人が捕まって早坂が300万円盗まれたことが明るみに出ては困るのである。 早坂は小さな工事会社の社長である。鉄骨工事を得意とし、日本の高度成長期には面白いほど儲けた。早坂は要領のよい男である。人生とは演技であると信じている。悲しい振りをした方が得なときには内心で大笑いしながら悲しい振りをすることができる。楽しい振りをした方が得な時には、例え肉親が死んだ時であっても楽しくてたまらないといった表情、態度を装うことができる。それぐらいの演技ができなければ、このせち辛い世の中で成功する資格がないと信じている。うまく立ち回ることに人生の生き甲斐を感じているような男である。儲けた金を早坂は裏金として数億円も蓄えた。脱税の金である。材料の架空仕入れ、架空人件費の支払い、売り上げの過少計上等およそ企業の脱税に使われる手口は色々研究して巧妙に隠し財産を蓄えていった。 今日盗難にあった300万円も表に出すことが出来ない金である。早坂が一番恐れているのは税務署である。ロッキード事件が発覚してから,そのとばっちりで隠し預金が見つかり、国税局の査察に入られ会社倒産の憂き目をみたという同業者の話も聞いている。早坂が今日出してきた金も京浜銀行の横浜支店に預けておいた無記名定期預金を満期解約したものである。この300万円を解約するについても、支店長と解約するか、更新するかでやりとりがあった。銀行はお客からコストの安い預金を集めて、資金需要のあるお客へ高い金利で融資し、金利差を稼ぐたとによって成り立っている事業である。一定期間払い戻ししなくて済む定期預金は安定した貸し出し資金として豊富に集めたがる。あの手この手で預金熱めに狂奔する。 「人事移動で支店長が交替したから名刺代わりに預金をお願いします」 「支店開設10周年記念キャンペーンには預金を宜しく」 「当行の合併5周年記念として預金にご協力下さい」というように事あるごとに預金を勧誘する。汚れた金であろうと清潔な金であろうと選ぶところはない。ただ預金を増やせば支店の成績が上がるのである。 早坂も事業をやっていく上で銀行から融資を受けられないと採算の上がる利幅の大きい仕事の引き合いがあっても受注することが出来ない。 早坂の経営する早坂建設工業株式会社は従業員70人程の小企業である。大手の建設会社の下請けをしているのだが、工事代の回収はサイトの長い手形であり、職人達に支払う人件費は現金払いである。このため、請け負い工事が完成するまでの間は立て替え払いが必要となり、工事代を回収してからも今度は受け取り手形を割引して貰わなければならない。常に銀行から融資を受けなければ会社を経営してゆけない。 銀行から融資を受けるためには、必ず見返りに預金を要求される。一千万円の資金を調達しようとすれば、不動産担保をとられた上、最低300万円位の定期預金をしなければ資金の必要なときに直ぐ借りることができない。 早坂は表向きの資金の効率化をはかるために、裏金を取引銀行に匿名預金として預けている。小企業が銀行と対等に渡り合って金融引き締めの時期にも融資を受けることができるのは裏金預金のせいである。莫大な立て替え資金が必要となる請け負い工事を業としている小さな工事会社にとって裏金造りは必要悪である。 早坂が車の盗難届けを出した翌日、警察から連絡があって、早坂のマーキュリーは川崎駅前に乗り捨ててあることが判明した。また早坂のマーキュリーに追突した車は、二日程前に東京都内で盗まれ、盗難届けの出ていた車であることも判明したが犯人は捕まらなかった。
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5.
キューピット化粧品会社から田代光一の使っていた訪問先リストを貰ってきた青山刑事は印のついているお客から一つずつ訪問して聞き込みをして歩いた。 田代光一のお客は何れも中流以上の家庭の主婦が多かった。子供達が小学校の高学年か中学生になって、やっと煩わしい育児から解放された年代の主婦達であった。子供を学校へ送り出し、夫を勤めに出した後、手持ち無沙汰をもてあましている主婦が田代光一のお客には多かった。
夫は会社では中間管理職として夜の帰りが遅く、日曜祭日には接待ゴルフで家にいないことが多く、子供達は子供達で学校から帰ると学習塾へでかけてしまう。心の中に何となく空白が出来、盛りを過ぎかけた女としての自分を毎日の生活に感じ始めた年配の主婦達は、言葉巧みな化粧品の売り込みに手もなく引っかかっていた。 「いや、奥様はまだお若いですよ。これからですよ」 「奥様は美人の上に、家庭を切り回していらっしゃる主婦としての貫祿と、母としての賢さが滲み出ていらっしゃる。そういう方にこそキューピット化粧品は向いているのです」という売り込みの文句に、最初は退屈凌ぎにからかい半分応対していたのだが、いつの間にか田代の固定客にされていたのである。 聞き込みに廻った青山刑事に警察手帳を見せられて、何を勘違いしたのか「刑事さん主人にだけは内緒にしておいて下さいね。後生だからお願いします。田代さんとのことが主人にばれたら離婚されてしまいますもの」と哀願する主婦もあり、青山刑事の失笑う買った。
田代光一は夫にも子供にも相手にされなくなり、毎日の生活に退屈しきっている主婦達の心の空白を巧みに衝いて情事の相手役をつとめながら、化粧品の売り込みを続けてきたことが浮かび上がってきた。 田代光一のリストに二重丸のついしいるお客は五人ほどあったが、これは肉体関係を結ぶに至ったもので、青山刑事から田代が殺されたことを聞かされると、殺人の嫌疑をかけられることよりも浮気が夫に知られることの方を恐れ、密会の場所を素直に教えた。この種の女のアリバイ調査には青山刑事も神経を使った。田代光一殺しの犯人を探し出すのが目的であり、家庭騒動を巻き起こすのが目的ではないと自分の心に言い聞かせながら。
一重丸のついていた者は十人ほどいたが、お茶に誘ったり,ボーリングに行ったりした程度の関係であった。アリバイ調査は気骨の折れる聞き込みであったが、顧客リストに名前の載っている主婦達には、田代光一が殺された日のアリバイは何れも成立した。また、田代光一を殺さなければならない程の動機を持つ者は見いだせなかった。
田代光一の生前からの交遊関係からは、プレイボーイ振りが浮かびあがった。しかし、相手の女性も遊びと割り切っており、キューピット化粧品の社長が言っていたように、遊びをセールスにうまく利用している点は流石であった。特に痴情のもつれとか、三角関係などという問題が浮かび上がってこないので、この面から田代殺しの犯人を捜し出すことは困難ではないかと予想された。
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4. 田所刑事が、五菱銀行新宿支店から持ち帰った資料が捜査会議に提出された。 「山本太郎という男の身元を割り出す必要があると考えましたので、五菱銀行から聞き出してきた住所地の太田区六郷○○へ行ってみました。この番地に建物はなく、五年程前から貸し駐車場として使われています。地主は近所に住む米屋なので、山本太郎という人物が近所に住んでいるかどうか尋ねてみましたが、聞いたことのない名前であると言うのです。念のために区役所で山本太郎を同所同番地で調べてみましたが、住民登録もされていません」 田所刑事は捜査会議で考えを纏めながら報告した。
「山本太郎が実在しない人物で偽名であるとすれば、死んだ田代光一と同人物である可能性も出てきます。五菱銀行新宿支店から入手してきか山本太郎の筆跡と田代光一の筆跡を鑑識で調べて貰いましたところ、田代光一と山本太郎は同一人物の可能性が極めて強いということです。そこで、田代光一が山本太郎という偽名をつかって預金口座を開設した理由が問題になってくると思います」 「つまり、表向きに出来ない金を預けるために偽名口座を開設したということですか」田所刑事の説明をうなづきながら聞いていた青山刑事が横から口をはさんだ。 「そうです。山本太郎名義で開設された預金口座は、田代光一が人目をはばかる黒い金を出し入れするために開設したものと考えられます。しかも、預金は振込であり、払い出しはキャッシュカードが利用されています。自動支払機から現金の払い出しをすれば、伝票に筆跡も残らないし、銀行の窓口で係員に顔を見せる必要がありません。五菱銀行新宿支店で調べたところによりますと、9月15日の振込は東邦銀行銀座支店より、サカモトタカシ名義で行われていました。10月1日の振込は千代田銀行神田支店よりフジカワケンイチ名義で、11月5日のは邦国銀行川崎支店よりナカガワツトム名義でそれぞれ振り込まれていることが判明しました。なお、何れも現金で振り込まれています。これから先は私の推測になりますが、サカモトタカシ、フジカワケンイチ、ナカガワツトムも偽名ではないかという気がします。振込地銀行へ行って調べればサカモトタカシ、フジカワケンイチ、ナカガワツトムの漢字名と住所は判りますから、実在の人物か架空の人物かはすぐ判ると思います。もし、これら3人の人物が実在していれば、山本太郎こと田代光一との関係を問いただすことにより、今回の事件のある程度の輪郭がはっきりするだろうと思います」
田所刑事の報告は捜査会議の出席者に事件解決への明るい希望を持たせるものであった。 「山本太郎名義の普通預金口座開設後、少なくとも6回金の出し入れがあったのに山本太郎は何故か通帳に記載して貰っていない。金の預け入れは他行よりの振込み、引き出しは自動支払機からとくれば、何か犯罪に利用されているという臭いがするね。しかも、死んだ田代光一は商品取引で大穴をあけているから、田所刑事のいうように田代光一と山本太郎が同一人物とすればフジカワケンイチ、サカモトタカシ、ナカガワツトム達を恐喝していたのかもしれない。先ず振込み人の身元を洗ってみよう」 議長は一つの捜査方針を打ち出して捜査会議を終えた。
直ちに、東都銀行銀座支店、千代田銀行神田支店、邦国銀行川崎支店へ係員が派遣されサカモトタカシ、フジカワケンイチ、ナカガワツトムについて聞き込みが開始された。サカモトタカシは坂元高志で住所は横浜市中区寿町○○、フジカワケンイチは富士川健一で住所は東京都山谷△△△、ナカガワツトムは仲河 勉で住所は東京都千代田区丸の内×××ということが判明した。各銀行に聞き込みに廻った捜査員は振込依頼書のコピーを入手して表示されている住所地へ裏付け調査に出向いた。
表示されている住所地はいずれも実在したが、該当する番地には坂元高志富士川健一、仲河 勉のうち誰も住んでいなかった。 坂元高志の住所地は横浜市の簡易宿泊街で、表示されている番地には公衆便所が建っていた。 富士川健一の住所地も東京の簡易宿泊所が多数存在する地域で、山谷△△△番地には大衆食堂「誠食堂」が労務者相手の店を出していた。 仲河 勉の千代田区丸の内×××番地は日本の代表的なオフィス街であり、示された番地には30階建ての高層ビルが建っており、昼間は1万人近くの人々が出入りするが、夜間は警備会社のガードマンが数人駐在するだけというところである。 一方入手した振込依頼書を筆跡鑑定したところ、書体は変えてあるが、坂元高志、富士川健一、仲河 勉の筆跡には極めて高い類似性が証明された。つまり3人は同一人である可能性の強いことが示唆された。 山本太郎の筆跡は坂元高志、富士川健一、仲河 勉の何れとも類似性はなく、別人であろうと推定された。 捜査本部では、五菱銀行新宿支店に開設された山本太郎名義の口座を介して、坂元高志、富士川健一、仲河 勉という三つの偽名を持つ謎の人物Xと死亡した山本太郎こと田代光一の間に金銭の授受があったものと推定した。 ここにきて田代光一の死亡事件は他殺の疑いが濃くなり、殺人事件として本格的に捜査することになった。 坂元高志、富士川健一、仲河 勉という三つの名前を持つ謎の人物はミスターXと呼ばれることになり、ミスターXを捜し出すことに重点が置かれたが、捜査は最初から困難が予想された。ミスターXに関する資料があまりにも乏しかったからである。 坂元高志、富士川健一、仲河 勉がそれぞれ、9月12日、10月1日、11月5日に立ち寄った東都銀行銀座支店、千代田銀行神田支店、邦国銀行川崎支店で当日振込依頼を受け付けた窓口の女子行員にどんな人相風体の人物であったかと尋ねたが、誰も記憶していなかった。 新映像配信システム資料請求(無料)はこちら
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3. 五菱銀行新宿支店を調べに行った田所刑事は預金係長に面会を求めた。 応接室に暫く待たされた後、眼鏡をかけ頭髪を七三に分けたいかにも銀行マンらしい身だしなみのよい中年の男が愛想笑いをしながら入ってきた。 「どうも大変お待たせしました。どんな御用でしょうか」田所刑事がポケットから出して見せた警察手帳を覗き込みながら言った。 「ある事件に関係のある山本太郎という人物の身元を調べています。この普通預金通帳の名義人山本太郎さんについてお聞きしたいのですが」 「ちょっと拝見。この人は最近新しく口座を開かれたようですね」預金係長は渡された通帳をめくりながら答えた。 「住所は判りませんか」 「ちょっとお待ち下さい。資料を調べてきますから」 預金係長が調べてくれた資料は次ぎのようなものであった。 住所は、東京都大田区六郷○○で普通預金口座以外には取引がないこと。預金残高は千円であること。キャッシュカードを発行しており、通帳はオープンになっていること。電話番号の届け出はないこと。 「何ですか、そのオープンというのは」 「最近銀行では、お客様へのサービスと事務の合理化をはかるために、コンピューターを駆使したオンラインシステムを採用しています。つまり、五菱銀行の本支店であれば、どの支店からでもお金の預け入れ、払い戻しができるようになっているのです。オープンというのは通帳のここの所へお届け印が押されてありますね。このお届け印を使えばどこの支店からでも預金を払い戻すことができるのです」 「すると、新宿支店で口座を開いて預金した人が鹿児島支店からでも払い戻しできるということですね」 「そうです」 「となると、銀行ではこの届け印を使えば本人以外の人が引き出しに来ても払い戻しするわけですね」 「そうです。ですから私共では、お客様には万一盗難にあったときの用心に通帳とお届け印は別々に御保管戴くように呼びかけております」 「山本太郎さんから印鑑・通帳の盗難届けは出ていないでしょうか」 「目下のところ届け出はありません」 「残高は千円ということですが、お金の出し入れはありませんか」 「台帳の写しを持ってきましたが、最初千円の入金があって、その後10万円の振込が三回あります。払い戻しも10万円宛三回行われています」 日 付 お支払額 お預かり額 残高 52. 9.10 D 1,000 1,000 52. 9.12 FUR 100,000 1001,000 52. 9.15 CD 100,000 1,000 52.10. 1 FUR 100,000 1001,000 52.10. 3 CD 100,000 1,000 52.11. 5 FUR 100,000 1001,000 52.11. 7 CD 100,000 1,000 「日付の欄に書かれているD,FUR,CDという記号は何ですか」 「D というのは現金で預け入れしたという意味です。FUR は振込入金です。CDはキャッシュディスペンサーつまりキャッシュカードを利用して自動支払機からお客様が御預金を払い戻されたという意味です」 「なるほど、すると山本太郎なる人物は、自動支払機から三回とも金を引き出したから銀行員とは窓口で接触しなくても済むということになりますね」「その通りです」 「最初に千円預け入れしたときはどうですか」 「新規に口座を開設される場合には、色々手続きがありますので、窓口で必ず応対することになります」 「最初契約したときの書類には本人の筆跡は残されているでしょうね」 「ええ、住所氏名とお届け印を登録して戴きますので、自筆の筆跡は原簿を見れば判ります」 「それでは、本人の筆跡をコピーして下さい。それから9月12日,10月1日、11月5日の3回の振込は何処の銀行から誰が振り込んだか判りませんか」 「一寸時間がかかりますが、調べればわかります。ただ私どもではお客様の大切な財産をお預かりしておりますので、お客様に御迷惑がかかるようなことになりますと困ります。私の立場上も・・・・・・」 「勿論あなたに迷惑のかかるようなことはしませんよ。この事件には殺人が絡んでいるので協力して戴けませんか」 田所刑事の強い口調に意を決したらしく預金係長は困惑した顔をしながら女子行員に伝票を調べるように命じた。 「キャッシュカードと言うのは誰にでも簡単に使えますか」日頃銀行とはあまり縁のない田所刑事は幼稚な質問だなと思いながら聞いてみた。 「扱い方自体は極めて簡単ですから誰にでもつかえます。当店にも玄関を入った所に置いてありますから、後でご覧になって下さい」 「もしキャッシュカードを盗まれたらどうなりますか」 「盗難に気がついたら、すぐお届け戴くようにお願いしております。お届けがありますと直ちにそのカードが使えなくなるようにコンピューターに指令を出します」 「キャッシュカードの盗難に気がつかなかった場合には」 「キャッシュカードには暗証というものがありまして、通常4桁の数字が使わています。この暗証はご本人しか知らないので、他人にはカードは使えません。それにキャッシュカードは3回間違った操作をすると以後はそのカードは使えなくなるように設計されています」 「暗証を知られてしまった時は」 「残念ながらその時はお手上げです」 「暗証が4桁の数字だと覚えておくのが大変でしょうね。本人が忘れてしまったときはどうなります」 「その時はカードは使えません。しかし忘れないように、御自分の生年月日とか御自宅の電話番号をお使いになればこのことは防げます」 「山本太郎のキャッシュカードの暗証を教えて貰えませんか」 「刑事さんそれだけは勘弁して下さい。捜査令状でもお持ちなら止むを得ませんが法的な根拠なしにそこまでお教えすると私が首になってしまいます」 田所刑事は強制捜査ではないので、それ以上の無理強いはできなかった。
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2. 田代光一の死体を解剖した結果、死因はシアン化カリウムによる中毒死であることが判った。死亡推定時刻は、12月7日午前5時から午後8時までの間と推定された。捜査会議では自殺説と他殺説が検討された。自殺説の根拠は次ぎの通りである。
1)死体の発見された部屋には、外部から人の出入りできる箇所はバルコニー側の硝子戸と廊下側の玄関入り口の2ヵ所しかないが、全部内側から鍵がかけてあったこと。 2)合鍵は3個あり、そのうちの2個が死体と同じ室内で発見され、残りの一個は管理人室の金庫の中に厳重に保管されていたこと。 3)合鍵は複製不可能な電子キーであること。 4)部屋の中は荒されておらず、何も盗まれたものはなさそうであること。 5)室内に残された指紋には田代光一以外のものが発見さなかったこと。 自殺説はかなり説得力を持っていたが、遺書が残されていないという事実は致命的であった。
これに対して他殺説は次ぎの通りであった。 1)遺書が残されていないこと。 2)青酸カリの服毒自殺であれば、青酸カリの入っていた容器か包み紙が死体の周辺にある筈なのに、それがないことは犯人が証拠を隠すために犯行後、持ち去ったと考えられること。つまり、犯人は被害者が毒物を口中に入れ、死亡するのを確認してから現場を立ち去ったと考えられること。 3)部屋の鍵の構造はホテルの鍵と同じような仕掛けになっているので、合鍵がなくても外部から施錠できること。つまり、部屋の中に居る人は合鍵がなくても、戸を開けることが出来る。そして外へ出て戸を閉めれば、自動的に施錠できる構造になっている。従って最初部屋の中に居た犯人が、犯行後、室内から戸を開け外へ出て戸を閉めたと考えてもよいし、何らかの方法で合鍵を手に入れた犯人が、外部から合鍵を使って室内へ侵入し、犯行後合鍵を被害者のポケットに入れて部屋の内から戸を開けて脱出し、戸を閉めれば自動的に施錠できること。
捜査は12月7日の事件当日、215号室へ出入りした者があるかどうかの聞き込みから始められた。同時に田代光一に恨みを持つ者或いは、利害関係を特別に持つ者がいないかどうかが調べられた。
花園マンションは各階に五戸づつあり、全部で20戸あるが、居住者同志で顔を見知っている者は少なく、隣に住んでいながら没交渉の者が殆どであった。都心のアパートで地理的に便利なところにあるせいか、バーのホステスや、ハイミスのOLとか子供のいない共稼ぎの夫婦者或いは田代のような中年の男が住み着いている。住人達はどこか人生に拗ねているところの窺える人達が多かった。お互いに干渉されるのも嫌いだが、干渉するのも御免だという相互無関心の住人達ばかりであった。
捜査官の懸命の聞き込みにもかかわらず、事件当日の215号室の人の出入りについては、目撃者も見つからず、何の情報も得られなかった。
花園マンションの住人達の中には、田代光一に対して特別な利害関係や特別な感情を抱く者は見だせなかった。 田代光一の勤務先、キューピット化粧品株式会社を訪問した捜査官は社長に面会した。 「田代光一さんが変死されたことについて何か思い当たることはないでしょうか」 「何も心当たりがありません。私達も田代があんな死にかたをしたので、驚いているのです」 「勤め振りはどうでしたか」 「うちのセールスマンとしては成績の良い方でしょう。販売実績は常にトップクラスにランキングされていました」 「化粧品のセールスと言えば、女子の方が向いているのではないでしょうかね」 「刑事さん、必ずしもそうではないのですよ。化粧品というのは、女性の美しくなりたいという欲望にアピールするものが好まれるものです。ところが化粧品は、種類も豊富だし、品質もどの銘柄をとってみてもそう変わりがありません。数ある化粧品がある中で、当社の扱っている化粧品を売り込むためには、セールスポイントというものが必要になります。当社のセールスポイントは、男子販売員に商品を扱わせて、女性には出来ないサービスをさせるのです」 「もっと具体的に説明してください」 「あっ、これは、変な意味ではありません。つまり、女が化粧するのは、異性を意識するからです。女が女に褒められても喜びませんが、女が男に褒められると喜ぶでしょう。その心理を逆手にとったわけです。顔だちのいいハンサムな男性のセールスマンを使って歯の浮くようなお世辞を言わせて、売り込もうというわけです」 「すると田代光一はお世辞がうまかったというわけですか」 「何しろ実績を挙げていましたからね。訪問先のお客さんには人気がありましたよ」 「訪問先のご婦人と痴情のもつれを起こして恨みを買うというようなことは考えられませんか」 「仕事がら、ご婦人と恋愛感情に陥るようなことはあったかもしれません。でもそれをうまく処理するのが、上手なセールスマンというものですよ。セールスマンというのは商品を売り込む前に、セールスマン自身のキャラクターを売り込まなければなりませんから、相手に好かれるように振る舞っていたと思いますね。そのことが恨みを買うことにはならないと思いますがね」「生活振りはどうでしたか」 「割に派手な方でしたよ。株や商品取引にも手を出して、そちらの方の副収入がかなりあったようですね。でも、最近、商品取引で大損したとこぼしていました。穴埋めするのに給料の前借りを申し出ていましたよ」 「どれぐらいの穴をあけたのでしょうか」 「何でも200万円くらいらしいですよ」 「勤め人が200万円もの借金を残すと大変ですね」 「大変ですよ。私も信用取引だけは大怪我をするから止めるように、何回か注意していたんですが。何しろ、実績を挙げているセールスマンでしたから私生活にはなるべく干渉しないようにしていました」 社長は事件にかかわりあいになるのを避けるような言い方をした。 「田代光一の訪問回数の多かったお客の名前は判りませんか」 社長は事務員に命じて田代のキャビネットから顧客リストを持ってこさせた。田代の使っていた顧客リストには所々,二重丸や一重丸がつけられていた。捜査官は顧客リストのコピーを貰い,印のついているお客から順番に一件ずつ当たってみることにした。
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縁日の金魚鉢 1. 年の瀬も迫った12月8日午前8時、花園マンションの215号室で中年男の変死体が発見された。 通報を受けた渋谷中央署では直ちに係員を現場へ急行させた。 花園マンションは、国鉄渋谷駅から徒歩で10分程のところにあり、鉄筋コンクリート造りの四階建ての建物である。マンションという名がついているが、賃貸しの高級アパートといったほうが分かりやすい。215号室で変死体を発見したのは花園マンションの管理人である。
その日、畳屋が畳の表替えをするため、見積もりにやってきた。各部屋を見て廻った後、留守の部屋も見たいから管理人に立ち会って欲しいということになり、管理人が予備鍵を使って戸を開け、215号室の住人が死んでいるのを発見したのである。 現場へ急行した捜査官は状況を次ぎのように観察した。
1)215号室は6畳の和室と8畳の洋間と6畳程の台所から成っており、洋式のバスとトイレがついている。 2)死体は8畳のソファの上にうつ伏せに倒れており、明らかに毒物による中毒の様相を呈している。 3)死体の周囲にも衣服のポケットの中にも毒物の残りは発見されなかった。部屋の中の屑籠、押し入れのどこにも毒物を入れた容器らしきものも、包み紙も発見されなかった。 4)人が出入りできる箇所は、 廊下側の玄関とベランダ側の硝子戸の二箇所しかないが、どちらも内側から鍵が掛かっていた。 5)上着のポケットとズボンのポケットに部屋の出入口の鍵が一つずつ入っていた。 6)部屋のどこにも遺書は残されていなかった。 7)部屋の中が荒された様子もなく、上着の内ポケットには5万3千円余入っている革の財布が残っていた。財布の中には五菱銀行新宿支店発行のキャッシュカードが入っていた。 8)机の引き出しからは、五菱銀行新宿支店の普通預金通帳が発見された。9月10日付けで口座を新規に開設したらしく、千円の預け入れ記帳がしてあった。通帳の名義人は山本太郎である。
「この部屋の借り主の名前は何という人ですか」 捜査官は死体を発見してまだ興奮のさめやらぬ管理人に尋ねた。 「田代光一さんです」 「田代光一に間違いありませんか」 「間違いありませんとも。賃貸借契約書にはちゃんと田代光一と署名してあります」 管理人は捜査官の質問にむきになって答えた。 「山本太郎という別名を使ってはいなかったでしょうか」 「さあ、そこまでは判りません」 「家族はいませんか」 「独身です。もっとも2年程前に奥さんと死別されたようですが」 「田代さんは何時からこのアパートへ住んでいましたか」 「丁度1年程になります」と管理人は契約書の綴りを指に唾をつけてめくりながら答えた。 「どんな仕事をしていましたか」 「なんでも化粧品のセールスをやっているということでした。ここだけの話ですがね、奥さんがいなくて不自由でしょうと言った時、化粧品のセールスをやっていると、女には不自由しませんよと冗談のように言っておられました」と声をひそめながら管理人が言った。 「すると女出入りも相当あったでしょうね」 「ところがこのアパートへ女の人が訪ねてくるのを見たことがありません。どこかでうまくやっていたのでしょうね」 詮索好きな顔で管理人が答えた。 「部屋の合鍵は幾つあるのですか」 「合鍵は全部で3個あります。そのうち2個は借家人に貸してあります。残りの一つは管理人室の金庫の中に保管してあります」 「合鍵を鍵屋に頼んで作って貰うことはできますね」 「それが駄目なんですよ、刑事さん。電子キーといいましてね、磁石の原理を応用したものなんですが、300万通り以上の組み合わせがあって、合鍵の複製はできません。」 「すると215号室の室内に鍵が二つあったのだから、管理人室の鍵を使わなければ、部屋の中へ入れないということになりますね」 「そうです」 「それでは、215号室の鍵は何時使いましたか」 「田代さんが死んでいるのを発見したときです」 「その他には」 「それ以外には使った覚えがありません」 「管理人室の鍵があなたに内緒で持ち出されたことはありませんか」 「それはありえません。何故なら、金庫の開け方は私と家内しか知りませんから、他の者が 持ち出しようがありません。自殺じゃぁないでしょうか」 捜査官は管理人に田代を殺さなければならない動機も特に見当たらないので、質問を打ち切った。 渋谷中央署では自殺、他殺の両面から捜査を進めることになった。
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2005年10月05日(水) |
無縁仏の来歴22(完結編) |
「あなたも承知の上での処置であればなにも会社を辞めることはなかったのではありませんか」 「その後の会社の処置が許せなかったのです。いきなり閑職への配置換えはないでしょう。まだ容疑者に過ぎず司法的な判断はなにも出されていない段階でですよ。会社は今回の責任は私一人にありとしてトカゲの尻尾切りをしたのです」
「臭いな。どうも犯罪の臭いがしますね。ガス検知が充分でなかったのに充分であると錯覚して作業許可の指示を出したとあなたが証言するように仕組まれた犯罪ではないかという臭いがします」 「なんですって。桑山さん、それでは仕組んだのは誰ですか」と沢山が聞いた。 「酸素欠乏による労災事故を仕組んだのは東都プラントで、身元のはっきりしない日雇い労働者を犠牲にすることで自社の商圏を拡大したと推理するとこの事件は説明がしやすくなるのではないでしょうか」 と桑山が新聞記者としての六勘を披露した。
「これは当時の記録を再チェックしてみる必要がありますね」 と沢村が目を輝かせながら言った。 「どうです。沢村さん、東都プラントがなにか仕組んだと思い当たるようなことが何かありませんか」 と桑山は探偵になった気持ちで推理を始めた。 「東都プラントに縄張りを荒されて口惜しいと思ってはいますが、わざと仕組んだと思われるようなことは何もありません」 「東都プラントの策士は誰ですか」 「そうですね。営業の河村でしょうか」 「山本さん、あなたが関東石油で事故のあった工事を担当した当時、あなたに恨みを持っている人はいませんでしたか」 と桑山は聞いた。 「私の性格からして人から恨みを買うようなことはなかったと思います」 「それでは対抗意識を抱いているような同僚とか友人はいませんでしたか」 「そうですね。強いて言えば製造課の栗原君がライバルであったと言えるかもしれませんね」 「ところで河村さん、事故当時の現場付近であなたが何か不審に思うようなことはありませんでしたか」 と桑山が尋ねた。 「もう3年も前の出来事ですから記憶も薄れていますが、現場近くに窒素ボンベの空瓶が一本だけ酸素ボンベに混じって置いてあったのが場違いだなという印象をうけました。そのことが頭にこびりついています」 「あなたが場違いだと感じたのは何故ですか」 「工事現場には酸素ボンベとアセチレンガスのボンベが対になって台車に積まれているのをよく見かけますが、窒素ボンベと酸素ボンベを一緒に置いておくことはないからです。しかも窒素ボンベには空瓶のラベルが貼ってありました」 と沢村が答えると桑山が聞いた。 「窒素ガスの比重は空気よりも軽い筈ですね。密室の中で窒素ガスを放出すれば窒素は天井の方へ溜まりますね」 「その通りです」 「それでは桑山さん。あなたはあの事故はガス検知完了後のベッセルに窒素が密かに放出されたということを疑っておられるのですか」 と山本が口をはさんだ。 「そうです。窒素ガスの溜まっている所へ人間が入れば酸素欠乏のため忽ち呼吸困難になって死んでしまいます。窒素ガスには毒性はありませんが人を殺すことができるのです。今一つ判らないのは、誰がどのようにしてベッセルのなかに窒素ガスを放出したかということです」 「桑山さん、あなたの推理に乗っかって私の推理を言わせて貰いますと、ベッセルの中に窒素ガスをわざと放出したのは製造課の栗原さんでしょう。そしてこのシナリオを書いたのは東都プラントの河村でしょう。栗原さんは山本さんとテニス部の女王岡元美代子嬢をめぐってライバルであったから、山本さんの担当現場で労災事故が発生することは栗原さんにとっては願ってもないことであった。一方東都プラントでは関東石油の横浜精油所に常駐業者として入りたいと狙っていたが、我が報国工業が居直っているので中々入ることができない。若し報国工業の担当エリヤで労災事故が発生すれば報国工業に代わって東都プラントが入り込む口実ができる。しかも、東都プラントの河村氏と関東石油の栗原さんとの親密な交際は事故発生のちょっと前から始まっている。どうでしょうか」 と沢村が自分の推理を披露した。 「なるほど、あの事故がそのようにして企らまれたものであるとすれば、東都プラントや栗原君の行動の意味がよく理解できますね。多分工場長や製造部長はそこまでは知らなかったでしょうね」 と山本が言った。 「はい、私も工場長や製造部長、総務部長は知らなかったと思います。彼らは御身大切だけのサラリーマンですよ」 と沢村も同意した。 「ガス検知後のベッセルにどうやって窒素ガスをいれたのかが、謎として残りますね」 と桑山が頭を振りながら言った。三人ともこの謎をどう解くかがこの事件を告訴できるか否かの鍵になるという点では意見が一致した。 角寿司へ集まった山本、桑山は両親に抱かれて4年振りに我が家へ帰ってきた門川 久の遺骨に万感の思いを込めて焼香した。人生の無常、不思議な出会い、判っていながら悪を懲らしめることのできない苛立ちを象徴するかのように香煙が揺らいでいた。(了)
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「これはこれは、山本さん。お久し振りです。すっかり御無沙汰してしまいまして。如何ですか、ご商売の方は順調にいっていますか・・・はい、お蔭様で私の方も貧乏暇なしであいかわらず、ばたばたしております」 如才ない受け答えを沢村はした。 「ところで沢村さん。例の松山一朗の遺骨の引き取り手は判りましたかね」 「あいにく、まだ判らないのですよ。労働基準監督署からは労災保険の遺族給付金の受け取り手がないため、お金が宙に浮いて困っているという苦情の電話を貰ったばかりですよ。私の方も早く遺族に引き取って貰わないと成仏できないのではないかと気をもんでいるんですよ。警察の方へも時々問い合わせているのですが、さっぱり手掛かりがないようです」
「そうですか、遺骨の身元を特定する遺品のようなものは何も残されていないのですか」 「何しろ名前が偽名でしょう。本名が全然判らないのです。それに生前の写真が一枚も残っていないので、手掛かりが何一つ無いんですよ」 「遺品の中にも本名は残されていないのですか」 「手掛かりらしいものと言えば、警察で領置している神戸銀行製の手帳だけです。その手帳にはカレンダーに○印が四箇所ばかりつけてあって、ページの何枚かには達筆で流行歌の歌詞が書きつけてあるそうです。山本さん、また何で急に思い出したように、そんなことを聞かれるのですか。何か手掛かりでもありましたか」 「いや、私の知り合いの人で、失踪している人がいるのでね。ひょっとするとと思っただけのことなんですよ。それでそのカレンダーの○印は何処へついているんですか」 「ちょっと待って下さい。日記を調べてみますから。一度電話を切ります」 山本にはある予測があった。身元を隠して死んだ人がもしカレンダーに○印をつけるとすればそれは家族の生年月日とか、電話番号ではないかと思ったのである やがて沢村から電話が入った。 「山本さんどうもお待たせしました。やっと見つけ出しましたよ。1月7日、5月26日、7月3日、7月22日の所に○印がついているようですね。何の意味があるのでしょうか」 山本はメモに書き取ったカレンダーの日付を得意先台帳の門川家のところで並べてみた。それは見事に一致するではないか。 門川作造 大正6年1月17日生 門川久枝 大正9年7月22日生 門川 久 昭和20年1月17日生 門川佳子 昭和22年7月3日生 「沢村さん、もしかすると遺骨の身元は私の知っている人かもしれない」 「何ですって。それは誰なんです。一体」 びっくりしたような声が受話器の奥から問いかけてくる。 「名前は門川 久。私が今の商売で得意先を獲得するため最近出入りを始めた角寿司という寿司屋があるんですがね、そこの長男が謎の失踪をしてから2〜3年経っているんです。今聞いた手帳のカレンダーの日付が角寿司の家族の誕生日と一致するんですよ。門川作造、この人は門川 久の父で大正6年1月17日生まれ、母の門川久枝が大正9年7月22日生まれ、門川 久この人が長男で現在行方不明なんですがね、生年月日は昭和20年1月17日、妹の門川佳子は昭和22年7月3日に生まれています」 山本は自分の口から出る言葉が興奮のため、うわずっているのに気がついた。 「なるほど。それは大発見だ。でも山本さん、偶然の一致ということもありますよ」 「そうです。私も今それを考えていたところなんです。だが、それを確かめてみる方法があります」 「どんな方法ですか」 「沢村さん、確か今、手帳に流行歌の歌詞が書き残されていると言われましたね。その手帳は警察に領置されているんでしょう」 「そうか、判りました。門川 久の筆跡と手帳の筆跡とを比較してみればよいのですね」 「そうです。門川 久の筆跡の残された手紙かメモでも遺族から預かって明日にでもそちらへ行くことにします」 「判りました。警察へは私のほうから連絡しておきましょう」 沢村も興奮した声を残して電話を切った。
山本はこの発見を桑山に教えるかどうか迷った。みたところ桑山は佳子に相当熱をあげている。桑山は山本にとっては佳子を巡ってライバルの立場にいる。遺骨が門川 久のものであった場合の得失を山本は考えてみた。
桑山は長男で新聞記者である。もし門川 久が死亡していたことになると門川佳子は角寿司を相続することになるであろう。その時には配偶者としては寿司屋を継いでくれる夫を望む筈である。佳子に寿司屋を継ぐ気持ちがなくても少なくとも両親は寿司屋を継がせたいと考えるのが常識である。となると新聞記者という職業を持つ桑山には佳子と結婚できる可能性は小さくなる。一方山本の場合にはサラリーマンに嫌気がさしてお絞り屋を始めたという履歴がある。しかも次男だから両親の老後をみなければならないという制約もない。更に佳子が酸素欠乏で死線を彷徨ったのを助けたという実績があり、父の作造も最近しきりに謎をかけてきている。山本自身としては脱サラして仕事が軌道にのりかけているところだし、チャンスさえあれば仕事の範囲を拡大していきたいという気持ちは充分ある。佳子を妻にし角寿司という暖簾を手に入れることが出来ればこんな都合のよいことはない。 山本は桑山に会ってみることにした。 山本が日本新聞社に電話すると桑山は丁度出先から帰ってきたところであった。この前話題になった関東石油の例の身元不明の遺骨のことについて手掛かりが得られたので調査方法について相談したいと言うと、桑山は新聞記者特有の好奇心を剥き出しにして是非話を聞きたい。今急ぎの原稿を書いているから二時間後に日本新聞社近くの喫茶店へ来てくれと言った。
山本は桑山と会うまでの時間を角寿司で過ごすことにした。門川 久の筆跡の残された書き物を手に入れておきたかった。 「山本さん。佳子が大変お世話になったので山本さんに何かお礼をしたいと考えていたのですが、どうでしょう、うちのビジネスホテルで使うお絞りを山本さんのところから納めるようにして貰えませんか」 作造は山本の顔をみるなり言った。 「それはどうもありがとうございます。ところで門川さん、こちらの御長男の久さんの手紙がありましたらちょっと見せて戴けませんか」 山本の唐突な申し出に作造は面食らった。 「何でまた」 「久さんの手掛かりがつかめるかもしれないのです」 「ほんとですか、久は今どこにいるんです」 「はっきりしたことはまだ言えないのですが、久さんの持ち物ではないかと思われる手帳がみつかったんですよ」 「どこでてすか」 「横浜の警察です」 「警察で。まさか久が悪いことをして捕まったんではないでしょうね。うちにはまだ何の連絡もきていませんが」 「いや久さんの行方が判ったわけではないんです。門川 久と名前の書いてある手帳を拾った人がいましてね」 「どこで拾ったんですか」
「横浜です。お恥ずかしい話ですがね、この前私が横浜へ行ったとき、スピード違反をして鶴見警察で取り調べを受けたんです。その時財布の入った鞄を拾ったと言って届けてきた人がいるんです。その鞄の中に手帳が入っていましてね。手帳に門川 久という名前が記入してあるんです。住所が書いてないんで誰が落としたか判らないんですよ。警察でも困っていました。たまたま私の隣でそんなやりとりがありましたので、もしかしたらこちらの久さんの物ではないかと思ったわけです。住所が入っていなかったので私も何とも言えなかったのですが、こちらへ帰ってきてから筆跡鑑定して貰えばと思いついたんですよ。もし筆跡が一致すれば、久さんは横浜にいんることになる。そして落とし物に気がついて届けでるかもしれない。そんな風に考えましてね、そのことをお知らせにきたんですよ」
山本は苦しい嘘をついた。まだあの遺骨が門川 久のものであるという確証は掴んでいない。確証をつかむための資料を入手するための嘘である。 久が失踪してから日数も経っているので作造にしてみれば、既に諦めているではあろうが、確証をつかまないうちはまだ希望を残しておいてやったほうがよい。山本の思いやりであった。 「そうですか。横浜へ行かれたのですか」 「ええ、ちょっと親戚に不幸がありましてね」 また嘘をついた。
「門川 久なんて名前は平凡ですから同姓同名は沢山あるでしょう。でも親というものは馬鹿な者でしてね、どこかに元気で生きているだろうと思っているんですよ。山本さんがわざわざ心配して知らせて下さったその気持ちが嬉しいんですよ」 作造は久枝を呼んで門川 久の手紙を探させた。山本は横浜の警察へ付いて行きたいという久枝を宥めすかして門川 久から久枝宛に出された3年前の消印のある葉書を受け取ると桑山に指定された喫茶店へ急いだ。
民芸品の調度で設えられた喫茶店はウエイトレスも絣の和服を着ており、落ちついた雰囲気を漂わせていた。山本がコーヒーを注文し終えたところへ桑山が入ってきた。 山本は手短に手帳のカレンダーの日付と門川一家の家族の誕生日が一致する事実と久枝から預かってきた久からの葉書を桑山に見せた。 山本の話を聞いていた桑山は葉書を食い入るように見つめてから言った。 「なるほど、山本さん。私もきっとその遺骨は門川 久のものだと思いますね。この葉書を鶴見警察へ持ち込んで、筆跡鑑定をして見なければ、断定は出来ないが、まず間違いないでしょうね。それにしても門川 久が何故人足にまで身を落としてそんな所で事故死したのかが判りませんね」 「これから鶴見警察署へ行ってこようと思っています。何かそのあたりの事情がわかるかもしれないと思うのですが」 「私が今の話を聞いて変だなと思ったのは、事故死だという前提で全てが運んでいますが、犯罪の匂いは全然なかったのかということです。山本さん、その点はどうなんですか」
「犯罪?」 山本は虚を突かれる思いであった。今まで考えてみさえもしなかった発想である。 「そうです。第三者として話を聞いていると犠牲者の身元が未だ判明しないということは巧みに仕組まれた犯罪であったのではないかという素朴な疑問が湧いてくるのですが」 「私は今まで、犯罪という疑問は持ったことがありませんでした」 「私は遺体の引き取り手のない葬式の取材をしたとき、極東石油の総務課長が顔の筋肉をひくひくさせながら取材を中止させようとしていた姿を覚えていますよ。あのときは広報担当者として会社の不名誉になることだから、極力取材を拒否しようとする行為だとあまり気にもしないで受け止めていましたが、今考えてみると不自然な気がするんですよ」 桑山は山本の顔を覗き込むようにしてじっと目を見据えた。 「そう言われると会社の幹部の対応も事故の責任を下へ下へと押しつけようとする態度に終始していたのが思い出されますね。私はサラリーマン特有の保身の術だと理解していましたが、掘り下げてみれば何かが出てくるかもしれませんね」
「犯罪には必ず動機がなければならないのですが,若し門川 久の死亡事故が殺人事件であったとして、彼の死亡によって得をする者は誰かということです。会社の取引で得をするも者がいるのかどうかということが一つの着眼点でしょうね。あの事故は定修工事中の事故ですから、工事発注に関係した損得を考えてみると判りやすいかもしれませんね。どうです、山本さん何か思い当たることはありませんか」 「あの事故の後私は直接の担当者として鶴見警察で取り調べを受けましたが警察では単なる労災事故という観点から業務上の過失責任を明らかにするという捜査をしていたようです。殺人事件という疑いは全然持っていなかったのではないかと思いますよ」
「まあ、それはともかくとして、松山一朗という身元不明であった仏が門川 久なのかどうかということだけでもはっきりさせる為には鶴見へ行かなければならないでしょう。私も一緒にいきますよ。ところでこの事実は角寿司の両親や佳子さんには知らせてあるのですか」 「ただ手掛かりがつかめるかもしれないとしか言ってありません」 「その方がよいでしょう。それにしても門川 久が変死していたと知ったら両親は嘆くでしょうね。ひょっとしたら行方が判るかもしれないという儚い希望をもっていただけにその落差は大きいですね」 桑山は職人気質の門川作造がどのような嘆き方をするのだろうかまた佳子はどんな顔をするだろうかと、その時の場面を想像しながら言った。 「それを思うと切なくって。今から気が重いですよ」 山本は佳子の悲嘆にくれる姿を思い浮かべながら言った。 報国工業の沢村からの早く状況して欲しいとの要請を受けて、山本と桑山は日程の調整をし鶴見警察で待ち合わせることにした。山本は新幹線で行くことにしたが、桑山は四国での別の取材を済ませてから高松空港から飛行機で駆けつけることにした。 鶴見警察で落ち合った山本、桑山、沢村は長谷部刑事に門川 久が母の久枝宛に出した葉書を手渡した。警察に領置されている松山一朗の手帳の筆跡と照合し松山一朗と門川 久が同一人物であるか否かを筆跡鑑定して欲しいと依頼したのである。
筆跡鑑定の結果は予想通り同一人物の筆跡であることが判明した。 この結果を前にして三人三様の受け取り方をした。
山本はこれで門川佳子と結婚できると考えた。山本は神の操る運命の糸を感じざるを得なかった。自分が会社を辞めざるを得なくなった直接の原因である労災事故の被害者が身元不明のまま3年過ぎていたのに、たまたま知り合った門川佳子の行方不明の兄と同一人物であったとは。
桑山は筆跡鑑定の結果は間違いであって欲しいと願った。門川佳子の行方不明の兄がほんとに死んだのなら、彼女と結婚できる可能性は殆どゼロになる。客観的な資料は、そのことを雄弁に物語っている。これは犯罪に違いない。門川 久は殺されたのだ。殺した犯人を探しださなければならない。ひょっとすると山本が犯人であるかもしれない。恋仇に対する敵意は異常な形をとってエスカレートするものである。
沢村は長い間、無縁仏であった門川 久がやっと身内のもとへ引き取られることになってよかったと素直に喜んだ。そして山本が新しく開拓した分野で成功していることを聞いて嬉しく思った。
「沢村さん、事件後定修工事の発注関係に何か変化はなかったでしょうか」と桑山が聞いた。 「あのことがあってから、特命受注ではなくなり東都プラントと競争見積りをやらされていつも苦戦していますよ」 と沢村が答えた。 「東都プラントの河村さんは元気ですか」と山本が懐かしそうに沢村に聞いた。 「非常に羽振りが良くなって肩で風を切って歩いていますよ」 「東都プラントは何時から関東石油の常駐業者になったのですか」 「確かあの労災事故が起きてからです」 と沢村が答えた。 「沢村さん、その事に報国工業として東都プラントの謀略を感じませんでしたか」 「私どもとしては他人の不幸を食い物にしやがってと口惜しい思いをしましたが、死亡事故を起こしたあとでもあるし、お客さまの指示ですから止むを得ない処置であるとして甘受しました」 と沢村が答えた。 「山本さんが会社をお辞めになったのは何故ですか」 と桑山が何か思いついたように言った。 「会社のエゴイズムと上司達の責任転嫁が許せなかったからですよ。私も若かったのですね」 「どんな責任を転嫁されたのですか」 と桑山が促した。 「定期修理工事の工程を安全重視の観点から余裕のあるものに組み直すという私の提案を生産計画優先の理由のもとに検討もせずに却下したことです」 「そのことは警察や労働基準監督署の取り調べの時にはっきりおっしゃいましたか」 「言っていません」 「何故ですか」 「私だって関東石油の管理者のはしくれです。会社が営業停止処分を受けることになるかもしれないから、そのことだけは喋らないでくれと工場幹部から頼まれれば喋るわけにはいかないでしょう」
「それからほかにはどんな責任を転嫁されたのですか」 「作業着手前にガス検知を充分行って基準に照らし安全圏内だったから作業着手オーケーの作業指示を出したのに死亡事故が発生しました。つまり私がガス検知が充分でなかったのに、錯覚してガス検知はオーケーであると判断した所に過失があったとして責任をとらされたことです」 「あなたは作業着手前のガス検知は充分であったと思っていたのでしょう」「そうです」
「それなら何故ガス検知が不十分なのに充分であると錯覚して作業指示を出したなどと自分に不利になるような証言をしたのですか」 「私が罪を被れば四方丸く納まると考えたからです」 「ガス検知結果の数値はあなたご自身の目で確認されましたか」 「勿論確認しました」 「確かに安全圏内の数値でしたか」 「そうです」 「取り調べの時にもガス検知の数値は確認されましたか」 「係官が確認しました」 「問題にはなりませんでしたか」 「安全圏をかなり上回っている数値だと言われました」 「反論しなかったのですか」 「取り調べの始まる直前の打ち合わせで測定結果の数値を安全圏すれすれのところへ改ざんすることになっていましたから反論することはできませんでした。私が責任を被るにはそれが一番よい方法だったのです」 「結論はどうでした」 「私と私の直属上司が書類送検されただけでこの事件は収まりました」
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山本は桑山という新聞記者の訪問を受けた。角寿司で佳子に人工呼吸を施して人命を救助したことについてそのときの状況を説明して欲しいというのである。
山本は死亡事件に至らなかったのだからできることなら記事にはして貰いたくなかった。 「あの場合部屋の状況を判断して酸素欠乏だということが判りましたので、何の躊躇いもなく口移しの人工呼吸をしていました。とにかく一刻も早く酸素を供給してあげなければという考えしかありませんでした。幸い佳子さんも元気を回復し大事に至らなかったのは何よりです。新聞に出さないで貰いたいのですが」 「よく咄嗟に人工呼吸が必要だということが判りましたね」 「過去に苦い経験があったからです」 「新聞に書かれると何か都合の悪いことでもあるのですか」 「別にそういうわけでもありませんが、今度のことが売名行為のように受け取られるのが困るんですよ。それにプライバシーに関することでもありますから」 「あなたの気持ちは尊重しましょう。この程度の事件ではニュースバリューがないので記事にしても没になるだけでしょう。私が小耳にはさんだところではあなたは、前にも酸素欠乏の人を助けようとして人工呼吸が間に合わなくて助けることができなかったという経験をお持ちだそうですね。よかったらそのことを話して戴けませんか」 「どうしてそんなことを聞きたいんですか。あのことは私にとっては触れて貰いたくない厭な思い出なんです。そのために転職まですることになったのですからね」 「ほうそのために転職。今のお仕事の前にはどちらかへお勤めだったのですか」
桑山はいつの間にか新聞記者の本性を表していることに気づいていない。「関東石油の工務課にいたんですよ」 「関東石油ですか。一流会社じゃあないですか」 「定修工事中に酸素欠乏で一人の作業員が死にましてね。気の毒にその作業員は今でも未だ身元が判らないで、遺族の手には渡っていないでしょう」
桑山の頭の中を光のようなものが通り抜けた。
「何ですって。それではあの引き取り手のない遺体の葬式。その時の工事責任者があなたでしたか。あの事件ならよく知っていますよ。私が取材に行ったんですから」 「えっ。それではあの時の記事を書いたのはあなたですか」 今度は山本が驚く番だった。 人間というものは過去に共通の体験を持っていると何故か親近感を持つものである。桑山と山本の関係が丁度それであった。二人の話題はいつの間にか松山一朗の身の上に移っていった。 桑山は山本の話を聞きながら、これはもう一度現地へ行ってフォローアップしてみると何か面白い記事が書けるのではないかと思った。 「ところで、山本さん。佳子さんの唇の感触はどうでしたか」 桑山は山本を試してみるつもりで軽く聞いた。 「何てことを言うんだ。生きるか死ぬかの境目にいる人間を前にしてそんな気持ちが起きると思うかい。不謹慎な言い方はやめてもらいたい」 山本が本気で怒ったのを知って桑山はこれは相当手強い相手が出現したと思った。
この事件があってから桑山は佳子との結婚のことを真剣に考えるようになった。競争相手が出現すると火に油を注ぐように恋心というものは火勢を強めるものである。
一方山本も佳子の酸素欠乏事件があって以来、角寿司へお絞りを納品するようになっていた。一日に一回は当然のこととして顔が出せるようになっていたのである。山本は角寿司へのお絞りの集配は自ら行うことにした。佳子に会うチャンスを自分だけの手に留保しておきたかったからである。それに事件以来父親の作造がすっかり山本を気に入ったらしく、密かに佳子の婿養子にと考えている様子が言葉の端々に窺えるのである。生まれは何処だとか何人兄弟だとか、好きな人がいるかとかそういう身元調査的な話題を好んで取り上げるのである。
山本は作造との付き合いの中で作造の長男で佳子の兄にあたる人が失踪し行方不明になっていることを知った。この話を聞かされた時、山本はふと今常泉寺で眠っているあの身元不明の遺骨は久のものではないかと考えてみたりした。山本は思いついて報国工業の沢村に電話してみた。
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