前潟都窪の日記

2005年11月11日(金) 仮説 小野小町は男であった4

 大町は生まれた子供を女児として育てるにあたっては男根を切除するという大胆なことをおこなった。そして、出羽国へ国司として赴任することになっていた一族の小野良実に嬰児を女児として密かに託したのである。小野良実には実子の女の子がいたが、小町と別け隔てなく育てた。

 小野良実によって出羽国で幼年期を女児として育てられた小町は長ずるに及んで和歌の才能を開花させた。出羽国から帰京した時は十五才の年頃になっており、母大町の勧めによって仁明帝の更衣として宮廷に出仕したが、容姿端麗で顔も美形なので絶世の美女との評判であった。詠む恋の歌は情熱的で仁明天皇朝のサロンに集まる文化人達の憧れの的であった。特に次の歌は小野小町の恋の情熱を伝えるものとして有名である。
「思いつつぬればや人の見えつらむ 夢としりせばさめざらましお」
「わびぬれば身をうき草のねをたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ」
 小町が才媛であることを伝える話は幾つもあるが、次の物語は謡曲「草子洗い小町」として古くから愛好者によって謡われているものである。


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2005年11月10日(木) 仮説 小野小町は男であった3

 小野氷見の娘大町姫が弘仁元年の大嘗祭の五節舞姫に選任され天皇の寵愛を受けて男子を出産したのは翌弘仁二年九月のことであった。折りしも、薬子の変が発生し世情が騒然としているときであった。年初来体調をこわして病気がちであった今上天皇に対し病気が快癒した平城上皇が寵愛する尚侍(ないしのかみ)藤原薬子とその兄藤原仲成らに唆されて重祚を目論見、東国に赴き挙兵しようとして失敗した事件である。この事件で小野岑守は近江国固関使として鎮撫にあたった。薬子は自殺し平城上皇は頭を丸めて出家し失意のうちに奈良旧京の宮殿で十四年の余生を送ることになるのである。 

 小野氷見の娘大町は、密かに男兒を出産したが、女児として育てることにした。大町がそのように決意したのは次のような理由からである。今上天皇の後宮に住む皇后、后、夫人嬪等が生んだ皇子、皇女の数は五十人以上にものぼり生母の身分が高いか低いかでその生涯は決まっていた。男であれば皇位継承権はあるが、母が皇后でなければ、まず皇位につくことはできない。皇后に男子のない場合、后、夫人、嬪の生んだ男子に皇位継承権が廻ってくることもあるが、今までの歴史ではなまじ皇位継承権を持つが故に非業の死を遂げざるを得なかった例は枚挙に暇がないくらいである。その皇子が優秀であればあるほど政争の具として利用され命を全うする事ができない。例えば、遠くには山背大兄皇子、有間皇子、大津皇子、近くには早良皇太子、伊予親王等がある。その点女子であれば、母親の身分が高ければ高い程結婚の相手が少なくなるという問題はあっても、皇位継承権を巡って命をとられるということはない。


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2005年11月09日(水) 仮説 小野小町は男であった2

 従五位下陸奥介小野氷見の第三子岑守は嵯峨天皇の皇太子時代から侍読、近臣として仕えた。小野氷見には岑守の異母妹にあたる娘があり大町と呼ばれていた。
「岑守、賀美能皇太子が即位されて弘仁の治世が始まったが、帝の御機嫌はどうかね」と氷見は退出してきた岑守に聞いた。
「それが必ずしも御機嫌麗しいとは言い兼ねる状況なのです」
「どうしてだね」
「平城上皇との仲がどうもしっくりいかないからのようです」
「何故なのだ」
「平城天皇は、もっと天皇として治世にあたりたいと考えておられたようですが、病のために弟の賀美能皇太子にやむなく譲位されたのです。ところが天皇就任を固辞されていた賀美能皇太子は皇位を譲ずられて、嵯峨天皇として即位されるや七日後には法令をだして観察使の特典である食封を停止し、代償として国司を兼任させ公解稲の配分に与からしめる措置を素早くとってしまわれたのです。観察使の制度は平城天皇が創設されたものですから、上皇の感情をいたく傷つけることになってしまったらしいのです。もともと病が治れば重祚したいとの意向を持ったうえでの譲位でしたから、今上天皇が上皇の意図を無視して勝手なことをおやりになるという感情をお持ちになったようです」
「それは困ったことだ。由々しい問題に発展しなければよいが」
「上皇の病も大分軽快されたようですが、本復とまではいえないようです。そもそも平城上皇が今上天皇へ譲位されたのは病気が治らないのは早良親王や伊予親王の怨霊に祟られているからであり、皇位さえ退けば怨霊の禍から逃れることが出来、命を永らえることができると考えられたからなのですが、一進一退を繰り返しており本復する気配がないのです。そのために住まいを変えれば怨霊の禍がすくなくなるという陰陽師の勧めで既に五回も遷宮されましたが効果がありません」
「それは難儀だね。今度は平城京へ遷宮するという噂が流れているが、本当かね」
「そうなんですよ。そのため天皇も上皇に気を使われて藤原仲成を平城宮へ遣わして上皇のための新宮を造営しようと力を入れられているのです」
「ところで、今度の大嘗祭には小野氏からも五節の舞姫を進上してお上の内寵を戴くよう考えることが小野氏の繁栄にとって大切なことだと思う。そこで大町姫を進上しようと思っているがどうだろう」と氷見は岑守に言った。
「そうですね。大切なことですね。少し運動してみましょう」

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2005年11月08日(火) 仮説 小野小町は男であった1

      仮説小野小町は男であった
                           
                                    
 新嘗祭は、陰暦十一月の中の卯の日に天皇が、新穀を天神地祇に献上し自らも親しくこれを食する儀式である。天皇の即位後初めて行うものを大嘗祭という。翌日行われるのが、豊明の節会で天皇が豊楽殿へ出御して新穀を食し諸臣にも賜る。賜宴のあと五節舞姫の舞があり禄や叙位等の儀式が行われる。五節舞姫は天武天皇が創設したもので袖を五変翻して舞うところから五節舞といわれ、天皇直属の舞であり感謝・服従・臣従を意味するものである。大嘗祭には五人の五節の舞姫が任じられるが、叙位に預かる上に、天皇の燕寝に侍る慣行があったので権門、貴族は競って娘を進上した。

 嵯峨天皇は在位年数14年間(809〜821)であったが、24才から38才までの青壮年期にあたり内寵を好んだ結果、后の数は少なくとも29人以上であり、皇子皇女の数は50人以上に及んだという。


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2005年11月07日(月) 雀と強盗 

    雀と強盗             
                                      
1.
                         
 大寒に入り、シベリア方面から寒気団が、日本列島の上空に張り出してきた。布団の中で腕時計を眺めながら、一分でも長くとうたた寝の快楽を貪った中年の銀行員が、意を決して布団を抜け出してからの行動は素早かった。歯を磨き、髭を剃りながら頭の中で、家を出るまでの身支度の手順を考えている。
 今日は茶色の背広にしよう。服は洋服箪笥の右端の方に入っている筈だ。ネクタイは昨日、取引先の社長からフランス土産だといって貰ったのが、鞄の中に入っている。あれが茶色の背広に似合うだろう。Yシャツはクリーニング屋から夕方届いたのが下から二番目の引き出しに入っている。
 靴は下駄箱の一番下の段に茶色のが仕舞ってある筈だ。今日は寒そうだから厚手のオーバーにしたほうがいいだろう。オーバーは妻に言って出しておいて貰おう。
 中年の銀行員は外気の寒さに思わずオーバーの襟をたてて駅へ急いだ。
 今日は何か変わったことがあるかもしれない。あの頑固者の工事会社の社長が、定期預金をしてくれるかもしれないと思いながら、いつもの惰性で足が動いていた。
                                      
2.
                         
 一羽の雀が銀行内に飛び込んで一寸した騒ぎがあった。開店前でシャッターがまだ開いていなかったので、通用口から入ってきたのだろう。女子行員はキャッキャッ陽気に騒いでいる。両手をVの字に曲げて肩を震わせながら怖がっている女子行員もいる。
 箒を持ち出してきて雀を叩き落とそうとしている若い男の行員がいた。
 雀は行内の騒ぎをよそに、高い天井から吊り下げられたシャンデリアの上に止まって人間共の騒ぎを見下ろしている。中年の銀行員がどこから見つけてきたのか、採虫網と脚立を持ち出してきて素早く雀を捕らえてしまった。 可哀相だから逃がしてやろうと言う者もあれば、焼いて食べようという者もある。鳥籠に入れて飼ってみようと言う者もある。
 雀は中年の銀行員が子供の教材に貰い受けることになった。彼は伝票を仕舞っておく段ボールの箱を捜し出してきて千枚通しで空気孔を作り、雀をその中へ放した。雀は寒さのせいか暴れもせずにおとなしかった。
                                      
3.
                         
 中年の銀行員は、猟銃を抱えた若い男がサングラスをかけ、マスクをして入り口から入ってくるとカウンターへ近づいて行くのを目撃した。はてな、今日は防犯演習の日だったかなと考えていると、雀を箒で叩き落とそうとした若い男が、その猟銃を抱えた男に飛び掛かっていった。
 ズドンという鈍い発射音がした。若い行員はのけぞるようにして崩れ落ちた。キャーという女子行員の悲鳴。
「動くな。動くと撃つぞ」
 サングラスの若い男は,叫びざま天井と床に向けて一発ずつ発射した。
 逃げまわり悲鳴をあげていた行員と来客は動くのをやめて声を出さなくなった。防犯演習ではなくて、本物の銀行強盗だという認識が、一瞬間のうちに居合わせた人々の脳裏に刻みこまれた。この強盗は人を殺すことを何とも思っていないようだ。
 中年の銀行員は、入り口の硝子戸を開けて制服の警官が右手にピストルを構えながら入ってくるのを目撃したとき、まずいなと思ったが口がこわぱって声が出せなかった。
 バーンという物のはじけるような音がすると、制服の警官は前へ崩れ落ちて動かなくなった。パーンと再び銃声がした。反対側の入り口から同じようにピストルう構えながら入ってきた制服の警官も前者と同じように倒されてしまった。行内には重苦しい空気が漂い静寂が支配した。
                                      
4.
                         
 犯人の声だけがいたけだかに響き渡った。
 行員は全員犯人の前に一列に並ばせられた。右端から男子行員、女子行員来客という順番で。
「責任者は前へ出ろ」
「私が責任者の支店長だ」
 初老の眼鏡をかけた大柄な男が一歩前へ出ると
「十五数える間に五百万円用意出来なかったから、こんなことになったんやお前が悪いからや」これだけ言うとズドンと腹部へ発射した。支店長は倒れて両手をピクピク動かしていたが、間もなく動かなくなった。
                                       
5.
                         
 ガサ、ゴソという紙をはひっかくような音がした。
「なんだ」犯人は猟銃を音のする方向へ発射した。
 ガサゴソという音は前よりも大きくなった。
「あの音は何だ。お前調べてこい」犯人は中年の行員に命じた。
「今朝、店の中に迷い込んできた雀を段ボールの箱に入れているのでその音です」中年の銀行員は犯人の顔色を窺いながらおずおずと答えた。
「可哀相なことをするな。逃がしてやれ」
「可哀相なのはこちらですよ。どうか逃がして下さい」中年の銀行員はチャンス到来とばかり犯人に懇願した。
「お前ら大切な人質や。逃がすわけにはいかん。雀は逃がしてやれ」
 中年の銀行員はおそるおそる段ボールの箱に近づくと、段ボールの箱の蓋を開けた。雀はバタバタと飛び立ち、行内の天井裏を慌ただしく逃げまわった。
「うるさい」犯人は雀に向かって発射した。雀は石ころでも落ちるように落下した。
「逃げようとする奴はこうなるんや」犯人は銃口を並ばせた人質達の方へ向けながらニタリと笑った。
「オイ、お前。あそこに倒れとるポリ公が死んだか生きとるか確かめて来いナイフで耳を切ってみるんや」犯人は中年の銀行員に銃口を向けた。
「そんな酷いことを」中年の銀行員は銃口に怯えながら思わず口走った。
「なにおっ」犯人が声を発するのと猟銃の発射音が同時に聞こえた。
 中年の銀行員は右肩を撃たれて倒れ、床の上を転げまわった。
「おい。今度はお前の番だ。剃刀を持ってきて、あの男の右耳を切り取ってこい」犯人は身近にいた若い男子行員に命じた。
「はい」
 目の前で何人もの人間が虫けらのように射殺されるのを見せつけられたその若い男子行員は、顔を真っ青にして、剃刀を右手に持つと、まるで魔法にでもかかったように、今、倒れた中年の銀行員の傍らへ近寄ると、右耳を剃刀で切り取った。鮮血がほとばしり、ギャッーという声がした。
                                      
6.
                         
 銀行強盗事件は犯人が疲労して隙を見せたとき、突入のチャンスを狙っていた機動隊の狙撃隊員に狙撃され解決した。犯人は逮捕されて病院へ運ばれた。
 中年の銀行員も救急車で病院へ運ばれた。右耳を切り落とされ、右肩に散弾10発を受け、重傷であったが一命はとりとめた。強盗犯人は病院で手術を受けたが意識を回復しないままに息う引き取った。
 犯人に撃ち落とされた雀はごみ箱に捨てられた。
                                      
7.
                         
 中年の銀行員の耳を切り落とした若い銀行員は、事件解決後、奇妙な言動をするようになった。刃物を見ると「僕の耳を切り落としてくれ」と懇願するのである。
     (了)                                
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2005年11月06日(日) 息子からの便り

   息子からの便り               

「老人は、多年にわたり、社会の進展に寄与してきたものとして敬愛されかつ健全で安らかな生活を保証されるものとする」と老人福祉法の第二条には、老人福祉の基本理念が高らかにうたわれている。

 それにもかかわらず、寝たきり老人が一人寂しく、看取ってくれる身内もないままに、餓死していたとか、病気を苦にして80歳過ぎの老夫婦が、大金を残したまま心中したという気の毒なニュースが時々新聞やテレビで報道される。
 このような悲しいニュースを注意して見ていると、共通して言えることは老夫婦だけで、もしくは配偶者の一方を失って一人だけで寂しく生活していたという人達が多いことである。

 このような不幸な老人の中には、身寄りもなく、蓄えもなく、収入もなくしかも病身で、あるのは絶望だけという全くお気の毒な人達もいるが、中にはかなりの蓄えもあり、身内もあるという人達が含まれている。前者の場合の救済は国家の老人福祉政策の強力な展開を待たなければ、如何ともなしがたいが、問題は後者の場合である。
 ある程度の蓄えがあり、身内もありながら、死に急がなければならない程老人を孤独に追い込んだものは何か、ということを考えてみなければならない。
                                  
「お母さん、さっき山田の伯母さんのところへ遊びに行ってきましたが、とても喜んでおられましたよ。それに最近、顔の表情に安らぎが出てこられましたね」
「そうなのよ。つい先日も勉さんから、手紙が届いたとかで、伯母さんは大変喜んでおられましたよ。勉さんも、最近では、生活に多少ゆとりが出来たらしく、時々お小遣いを送ってくるようになったようよ。伯母さんは、勉さんから届いた手紙を大切に仕舞っておいて暇さえあれば、何度も読み返しては寂しさを慰めておられるのよ。お母さんもその姿を見るとつい目頭が熱くなるわ。勉さんが早く立ち直って、帰ってきてあげるのが、伯母さんには一番嬉しいことなのよ。充さんがあんな死に方をしたので、伯母さんも、充さんのことは忘れようとして随分苦しまれましたからね。幸い、幸代さんと一緒に暮らしておられるから、伯母さんも何とか今日まで耐えてくることができたと思うのよ」

 久し振りに寸暇を盗んで、田舎の両親の許へ帰省した私は、近くのアパートでひっそり暮らしている山田の伯母さんのお見舞いをしたのである。

 山田の伯母さんは、父の姉で今年86才になる。山田の伯母さんほど女として、妻として、人の子の母として、また人間として、世の中の辛酸を嘗め尽くして何度も絶望の底に突き落とされながら、なお一筋の望みに生を託して人生を生き抜き、今、静かに晩年を安らぎの中に明日をまちながら過ごしている人を私は身近に見たことがない。

 山田の伯母さんは農家の4人兄弟姉妹の長女として生まれ20才で造り酒屋の長男の許へ嫁入りした。夫との間には女児の幸代をもうけたが、夫の女道楽に泣かされ、姑に嫁いびりの限りをつくされた。それでも、根が善人の伯母は夫や姑の仕打ちに耐えて、嫁として妻としての勤めによく励んだ。幸代の誕生に2年遅れて夫が妾に男の子を生ませた。家と家が婚姻し、女の腹は借り物の時代であった。幸代が4才の時夫は病死し、男児に恵まれなかった伯母は幸代と一緒に婚家から離縁され親元へ返された。伯母の離縁と相前後して婚家では妾の生んだ男子を嫡男として入籍した。
 話し好きで世話好きの伯母も余程辛かった時代だったとみえ、当時のことは口をつぐんで語りたがらない。

 間もなく、農家の山田家へ後妻として、幸代を連れて再婚した。再婚先には幸代より2才上の先妻の子、充がいた。再婚先の夫は働き者で伯母を愛し幸代を充と分け隔てすることなく可愛がった。夫との間には男の子、勉を設けた。夫婦仲円満で3人の子供は仲良く生育した。伯母の人生で最も幸せな時期であった。

 充と幸代が長じて年頃になったとき、二人の義兄妹は結婚し、勉は商業学校へ進学した。勉は勉強好きで成績も良く、戦後の就職難の時代に大手の繊維会社へ就職出来て、青雲の志を抱き親元を離れて東京へ赴任した。

 充、幸代の若夫婦も伯父伯母に似て、よく働き、何不自由ない暮らし向きであったが、充、幸代夫婦の間に子供が生まれないのが、伯父伯母夫婦の唯一の気掛かりであった。

 伯父・伯母、充・幸代の老若二夫婦が幸せな生活を送っていた頃、中学生であった私は、松茸狩りや兎捕り、魚釣り、夏祭りに招待され楽しい思い出を幾つも残している。

 私が大学生になって親許を離れ、伯父伯母とも疎遠になった頃、勉が東京に土地を買って自家を新築したので、伯父伯母が山林を売って援助したという話しを聞いた。やがて、会社を辞めて勉が独立し、繊維を扱う商事会社を設立して成功しているという噂も聞いた。それと相前後して充の酒量が増え時々酒乱を起こして伯父伯母を困らせているという話しが母の便りで耳に入った。

 私が東京に就職して結婚した後、海外赴任して田舎へも帰れなくなった頃伯母の不幸が始まった。勉が商売を大きくし過ぎて、折からの不況に災いされ、莫大な負債を抱えて倒産したのである。借金のかたに東京の自宅は人手に渡り、伯父伯母も連帯保証人として田舎の山林、田畑の大半を失ってしまった。悪い時に悪いことは重なるもので伯母が脳溢血で倒れ、半身不随になってしまった。

 勉は伯父伯母のお蔭で負債は完済したものの、妻子には逃げられ親許へも顔を出せず行方を隠してしまった。充の酒量は俄に増え酒乱をしばしば起こすようになっていた。それでも伯父が健在のうちは、家族に危害を加えるよしなことはなかったが、伯父が勉の行方を案じながら不幸な晩年を終えてから、充が狂った。
「お前の生んだ子が俺達を食い物にした。勉を何処へ隠した。勉の代わりにお前を殺してやる」
 充は右半身が不自由な伯母を刃物を持って追い回すようになってしまったのである。朝から飲んで歩き、僅かに残っていた山林、田畑を売り飛ばし、酒浸りの毎日に体もいつしか蝕まれていった。

 私の父が叔父として何度か充を戒めたが効き目はなく、充が酒乱を起こす度に生命の危険に晒される伯母と幸代を見かねて、父が引き取り近所のアパートへ住まわせることになった。同時に充と幸代は離婚し、伯母親子は山田の家を捨てた。それから間もなく充は心筋梗塞で看取る者もなく自宅でひっそり死んでいるのが、死後5日程経って発見された。

 伯母と幸代親子が私の実家の近くへ引っ越ししてきてから1年ほど経って行方の判らなかった勉から再起を目指し、小さな商売を始めたという便りが届いた。勉の消息が知れてから伯母の顔に明るさが戻った。
 今、伯母は幸代がレストランへ勤めて得る収入で細々と暮らしながら、勉がきっと元気な姿を見せるであろうと信じている。

 外国勤務を終えて帰国してからは私も実家へ子供達を連れて帰省する度に伯母を見舞うことにしているが、最近伯母の顔に現れる表情は、不幸な生涯を送ってきた者とは思えない安らぎに満ちている。それは、きっと息子の勉が明日には帰ってくると明日の一日を期待して待つ気持ちがそうさせているのではなかろうかと私は観察している。

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2005年11月05日(土) 泰西名画展2

 高島屋で各階の売り場を覗きながら八階のミレー展会場へ辿りつくと押すな押すなの人混みで、熱気と人いきれでムンムンしている。やっとの思いで入場券を手にして会場へ入ってみると、群衆の肩越しにしか、絵を見ることができない程の混みようである。
 田園風景を背景に配し、働く農夫達を描きだしたミレーの絵は叙情豊かであり、雑踏を忘れて画面の中に没入させてくれる。

 出口近くに羊飼いの少女と題する1870年作の絵が掲げられている。 この絵の下にはバビロンの幽囚というもう一枚の絵が隠されておりx線撮影の結果、そのことが発見されたらしい。

 羊飼いの少女の絵の傍らにはx線で撮影したバビロンの幽囚の写真が展示されている。一度描きあげた絵だが、ミレーの意に沿わない出来ばえであったため、塗り潰されて羊飼いの少女の絵に生まれ変わったものであろう。
 バビロンの幽囚は構図だけは判るが、その色調までは判らない。どのような色の絵だったのだろうかと想像を巡らせてみる。

 このようにx線撮影の結果、下絵に異なったもう一枚の絵が隠されていた例は、7年前のダナエ展の時もそうであったことをふと思い出した。

 下に塗り潰されて日の目をみなかったもう一人のダナエの恨みが、あの日父の魂を呼び寄せたのではないかと当時、何の脈絡もなくふと思ったものである。

 遠くネブカドサネザル二世に捕らえられ、異国の地へ幽囚の身となったユダヤ人達の怨念は陽光を見ることなく、また数百年絵の下に隠されたのであろうか。そんな思いに耽りながら、ミレーの絵の鑑賞を終え、出口の方へ歩を進めたとき、吉川の目に止まったのは、あの黒衣の女であった。何時の間に忍びよったのか吉川の隣で熱心にx線写真で撮影されたバビロンの幽囚を見ているのである。

 吉川は背筋に寒けを感じて、早々に会場を飛び出して雑踏へ逃れ、家路を急いだ。

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2005年11月04日(金) 泰西名画展1

       泰西名画展             
                                   
 昨日までぐずついていた空も、今日は朝からカラット晴れ上がり、先祖の墓参りをするには絶好の行楽日和である。
 秋分の日の一日、吉川は父の墓前に額づき、父が急逝した日のことを思い出していた。それは7年前、丁度今日のような行楽日和の日曜日の一日を、家族揃って、上野の博物館へエルミタージュ美術館所蔵のルーベンスの名作「ダナエ」展を鑑賞に行った日の出来事であった。名作を堪能し、満ち足りた気分で家路につき、玄関を入ったところで電話のベルが鳴っていた。電話は大阪のある薬品会社の工場長として勤務していた父が心筋梗塞で倒れ、救急車で病院へ運ばれる途中絶命したと涙声で告げる母からの悲報であった。
                                 
 墓参りを済ませてから、東京へ岡 鹿之助展とミレー展を見に行こうと子供達を誘ったが高校2年と中学1年の娘達は、中間考査中であるということを理由に吉川の提案をいともあっさり断った。妻は妻で、日曜祭日には会場が混雑してゆっくり見られないから、平日に主婦仲間と一緒に行くつもりであるという。

 家族と別れた吉川は、中年の寂しさとわびしさを胸に秘めて、ブリジストン美術館に身を置き、岡 鹿之助の詩情溢れる色彩美の世界に没入していった。芸術の秋とあって会場には人があふれ丹念にノートにメモをとる人、足早に通り抜ける人、連れに解説しながらゆっくり歩いていく人等いつもながらの展覧会の光景である。 
 ところが、さっきから吉川の隣にいる中年の女性はどうも気になる存在である。黒いスーツを着た小柄なその女性は、眼鏡をかけておりお世辞にも美人とは言えない容貌でどこか陰鬱な雰囲気をたたえている。
 彼女はどういうわけか、吉川が移動すると同じように移動し、吉川と並んで常に同じ絵を見ているのである。
 最初は別に気にもしていなかったが、吉川に寄り添うようについてこられると意識せざるを得ない。

 彼女から離れようと思いわざと足早に次の絵へ移ると、彼女も陰のように移動するし、ゆっくり時間をかけて、やりすごそうとしても吉川が動くまで動こうとしない。彼女の視線は絵に向けられており、吉川のことなんか全然意識していないというような顔をしている。変な人だなと思いながら、絵を見終わって会場から表通りへ出ると彼女も続いて往来へ出てきた。往来の雑踏の中でやっと彼女の姿が見えなくなったので、死に神から解放されたような気分で今度はミレー展の会場へ向かって足を運んだ。


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2005年11月03日(木) ローラの結婚(最終回)

 ローラの語るところによれば、ローラの父は理髪業をしているが、何故か生まれ故郷 ことを話したがらなかった。九州の片田舎で生まれ、九州の地で理髪業の修行をした後上京し、現在地で理髪屋を開業すると同時に現在の母と結婚しローラを養子に貰ったと教えられていた。

 短期大学を本業して就職し最初に配置された課の独身男性と交際が始まり結婚を決意したとき、出生の秘密を知ることとなった。その秘密とは九州の田舎で理髪業を営んでいた祖父には、男二人と女一人の子供がありローラの父は長男であった。父の弟と妹は小さい頃から仲が良く妹は大きくなったら小兄ちやんのお嫁さんになるんだと言っていたということである。子供達が思春期を迎えた頃、父の弟と妹が人の道を踏み外し妹が妊娠してしまったのである。この嬰児を長男である父が養子にして育てたのがローラであるというのである。なんともおぞましい話であるが、これでローラのような美人で聡明な女性が何故八才も年下の男性と敢えて結婚するかの謎がとけたと加賀美は思った。それにしても、本人の所為ではないがこれだけの宿命を背負った女性を包容して、敢えて結婚に踏み切った珠洲河昴の若いが故の無鉄砲な勇気とひたむきな愛情に一種の羨ましさを感じるのであ た。


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2005年11月02日(水) ローラの結婚7

「部長、この前の御報告をしたいので少しばかり、お時間を頂けないでしょうか」と帰 り支度を済ませたローラが、加賀美の机の側ヘ来て言った。
「うまく進んだかね、今日は大した仕事もないからお茶でも飲みに行こうか」
 会社の近くにあるルノアールという喫茶店でコーヒーを注文すると、加賀美は単刀直入に切り込んだ。
「結婚することに話は纏まったの」
「はい。お陰様でなんとか纏まりました」
「相手は誰ですか。まさか社内の人間ではないでしょうね」
「ところがそうなんです、会社の工事課にいる珠洲河昴さんです」
「えっ、入社二年目の彼が」
「よく、社内の噂にもならずに巧くやったね」
「苦労しました」
「御両親は了解されましたか」
「はい。苦労しましたが、やっと納得してくれました」
「一番反対された点は何処でした。年齢ですか、それとも経済基盤」
「両方です。特に経済基盤のことを言われました。でもこれは子供ができるまで共稼ぎすれば克服できることですし、親と同居することにしましたので家賃もかかりませんし」
「それは良かった。だけど子供が生まれたら、幼稚園だ、学校だで費用は掛かるし働くことも難しくなると思うがね」
「それは、覚悟のうえです。母が孫の面倒は見てあげると言ってくれていますし」

「でも、どうしても分からないのは、あなたのように美人で聡明な女性が何故年下の男性と結婚するかということです。いくら流行りとは言え8才も年下とは」
「今だから言いますが私には人間のタブーを破った血が流れているのです」この言葉を口にした時のローラの顔は青ざめていたが、目の輝きは何かを思い詰めたもののみが持つ有無を言わせぬ険しいものであった。


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