HOME MAIL
2003年08月02日(土)
理解できないことが前提であること
■ 他人のことは分かりようがない。だからこそ、言葉や肉体によるコミュニケーションに意義があり、言葉の不足や不適切で誤解が生じないように努めるのだ。だから、別段親密な関係を築いていない人に「ツーカー」なやりとりを求められても困る。そんな一週間だった。どれほど親しくなっても、他人を理解できると思うのは横柄な誤解だ。

■ 中学生による幼児殺害事件が騒がれた直後は、我が子の手をつなぐ親の姿がそこら中に見られたが、最近は事件直後ほどではなくなったように思う。こういった事件は、テレビや新聞がなければ知ることができない。そして、テレビや新聞がなければ、子の手をつなぐことはなかったのかもしれない。子を守る行為さえも一時的な扇動によるとしたら、母性や父性はどこに行ってしまったのかと思う。

■ ヘッドホンをつけて大音量で音楽を聴くと、聴力が衰えたり、音楽に心を預けて考えることを一切止めてしまう傾向があるので、控えることにした。 //


2003年07月12日(土)
呵責
■ 朝、洗濯と掃除をする。角ハンガーを買ったので、狭いスペースにも洗濯物を存分に干すことができる。以前の住まいに係る公共料金のうち、まだ払っていないものがあったのでコンビニで支払う。インターネットの料金は、2ヶ月分滞納をしていた。その滞納の事実を忘れていたおかげでプロバイダーから郵便物が届いていたが、その郵便物が督促状であることも今朝ようやく気付いた。危ない。一方、今の住まいにインターネットは不要だが、パソコンには用事がある。しかし、そのパソコンは110個近くあるキーのうち、半分が利かなくなっている。パソコンの販売店が発行した保証書を探しているが、見つからない。一通りの家事が済み、部屋で遠藤周作の「海と毒薬」を読む。そして、読み進めているうちに転寝してしまう。

■ 40分後に転寝から覚め、なんとなく築地に出掛ける。月島では商店街に寄る大きな祭りが行われており、通りに沢山の出店が開かれていた。お好み焼を買ったが、買った直後に食欲がなくなってしまい捨ててしまう。もうしばらく散歩をしてから上野に戻ったら、雨が降り始めた。家で布団を干していることをすぐ思い出し、慌てて帰る。けれど、家の近所はちっとも雨が降っていなかった。冷静さを一挙に取り戻して布団をしまった。

■ 「海と毒薬」を読み終える。胸に訪れるべき呵責が訪れないケースは、確かに存在する。 //


2003年06月16日(月)
一週間後
■ カメラが欲しいと思っているが、全くの初心者である僕は何を買ったらいいのかわからなかった。そこで先日、大学の写真部に所属している友人にお奨めのカメラを尋ねてみた所、Nikonの「FE2」を紹介された。それって高いんじゃないのと訝っていたら、中古のカメラを取り扱っているカメラ屋さんまで教えてくれた。まだ知り合って間もないというのに、完全に見透かされている。

■ 過去の思い出は美化したくなるもので、その衝動は、概して自分が傷つきたくないがために働くものだ。けど、過去をあまりに良く解釈していると真実性が損なわれてしまう。自分の精神衛生と真実性とを天秤に乗せてみれば、真実性に傾く。今、自分を正当化する必要はない。 //


2003年06月06日(金)
予感の矢を的から抜くべきであること
■ 夜、一人でボーリングに行く。近頃、一人ボーリングが気分を高揚する絶好のイベントとなっている。今日は自己ベストの203点を出すことができてすっきりした。

■ 先日実家に寄った際に抱いた嫌な予感が的中してしまい、日曜に母が倒れた。しかし、10日ほどの入院を要するものの、大事には至らなくて安心した。仕事を極力定時で切り上げて、見舞いに行くようにしている。母だけでなく、健康そうに見える誰もが明日不意に事故や病気に見舞われる蓋然性を持っている。そのことを常に念頭に置かなければいけないと自ら諭す良心がある一方で、人とのつながりを邪魔に思っている部分も自認せざるを得ない。

■ 今いる会社で自分が何を成そうとしているのかだとか、自分が何者になりたいのかといった問題に対し、回答やその考察を避けている。最近、現状に甘えすぎだ。どうしようもないが故にどうにかしようとしていた困窮の時期を、少しでも思い出す必要がある。考えることを止めたらいけない。 //


2003年05月25日(日)
変わろうと思う気持ちのみ先行すること
■ 引越しが済んでから今日で2週間が経つ。会社の寮に住むこと自体に抵抗はなく、慣れてきた。

■ 今日はDVDで映画「グッド・ウィル・ハンティング」を観てから実家に寄った。母親が不健康に太ったように見えて気になる。帰りに、出身の小学校へと散策した。知人の学年による卒業記念である前方後円墳は十数年の時を経て原型を失い、その墳の土に被っていた土管が露呈していた。

■ 眼鏡をやめてコンタクトにしようかと迷う。 //


2003年04月29日(火)
引越し作業初日
■ 能力を誇示できる人が羨ましい。しかし、自分がそういう人間になりたいかと言えば、そうでもない。

■ 午前10時に起き、引越しの作業を少しだけ始めることにする。本棚にある本のうち、部屋の引渡し日までは読まないであろう本を段ボールにしまった。作業をしているうちに思い出の品が出てきて涙腺が緩む。引越しが黄金週間の更に1週間後に延びそうなので今から焦る必要もないと思い、本を半分整理しただけで作業を終了する。あとは、床を水ぶき。すっきりした。

■ なんとなく横浜に行きたい衝動に駆られて京浜東北線に乗ったが、更なる行き当たりばったりで、新橋で電車を降りる。散歩していたら安い床屋さんが見つかったので入り、髪を切ってもらう。さらに歩いて八重洲ブックセンターで小説の文庫本を一冊買い、東京駅構内の飲み屋さんでビールを飲む。家に帰ってからは映画「ミザリー」を見て寝る。 //


2003年04月26日(土)
短歌と酒と結婚
■ 金曜。定時で仕事を切り上げる。そして、歌人とイラストレーターとのコラボレーション企画である「テノヒラタンカ」のイベントを青山まで見に行く。歌人な友人とその友人に会うことができた。イベントの中で、イラストから連想して各自が短歌を作るというコーナーがあって、僕は可愛い亀の絵からイメージして短歌を一つ詠んだ。読み手というか聞き手がどのような短歌を求めているのかを珍しく強く意識して作ったのに対し、ある程度の反応があったのは一つの成果だった。けれど、短歌ひとつを作るのに20分というのは、時間がかかりすぎだ。もう少し、言葉の瞬発力が欲しい。

■ 短歌のイベントが終わって電車で帰り、自宅の最寄り駅から帰路へと歩み始めたところ、卓球部の後輩が泥酔して路上で寝ていた。彼を介抱する卓球部員はお酒を飲んでいなかったらしいが、介抱の経験が殆どなくて何もできずに戸惑っていた。介抱係の後輩と少し話していると、もう一人の介抱係が買出しから帰って来た。帰って来たばかりの彼はコンビニのビニール袋からスポーツドリンクを取り出し、眠っている後輩に無理やり飲ませようとしていたが、反応は帰ってこなかった。僕は、タクシー代3000円を介抱係に渡し、適当に見守ってからその場を後にした。そして、後輩の泥酔の発端である卓球部の新歓コンパに顔を出した。新入生は3人いた。僕の近くにいる新入生は、生ビールをこれまで中ジョッキで10杯飲んだのでもう限界だと訴えていた。10杯も飲んでいてまだ無事だとは。かつての僕ならばここでも心を鬼にして酒を飲ませていたけれど、嫌がっている奴に酒を飲ませるなんて勿体無いという考えに行き着いた。
翌日に行われる結婚式のスピーチは、この時点で200字程度しか思いついていなかった。

■ 土曜日。出勤日だが、予め休みを取っている。スピーチのセリフを考えるが、いまいち文章にならない。結婚式は、大学時代の卓球部の先輩が主役で、彼は今でも僕が最も親しんでいる先輩だ。兄のような存在の先輩に、公でどのような言葉をかけたらいいのか。原稿が未完のまま出発の電車に乗り、会場に着いてから引き続き文章を練って、ようやく完成した。けど、お酒を飲んでいたせいか、実際にスピーチの出番が回ってきたら原稿を読みながら喋るのが馬鹿馬鹿しくなって、全てアドリブでスピーチした。新郎の先輩には、2次会で一緒に飲んでいたときに「いいスピーチだった。ありがとう」とお礼を言われた。安心した。

■ ほんと、色々な結婚がある。新郎の先輩と話しながら思った。 //


HOME MAIL  INDEX 

My追加