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2003年12月16日(火)
裁く根拠

■ フセイン元大統領を拘束して、ようやくアメリカは戦争の当初の目的を成した。どのような根拠や論拠で誰が彼を裁くのか。いまいち想像できない。イメージが先行して、彼の行いを十分理解していないのが僕の問題だ。 //


2003年12月14日(日)
草の花
■ 読書は、福永武彦の「草の花」が熱い。

■ 槇原敬之作詞の「世界に一つだけの花」に

     「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」

というセンテンスがある。この歌詞に救いを見出した人がいるのかも知れないが、誰もが持っている「特別さ」にどれほどの価値があるのかと思う。生きているだけで褒めてもらえるのなら苦労はないし、僕からも全ての人を褒め称えなければならないのは面倒だ。槇原敬之の歌が好きなだけに、この歌に癒しや救いを容易く見出す一時期の世相には嫌気を覚えた。 //


2003年11月24日(月)
心から痩せたいと思うこと
■ 今日は一日中買い物をした。上野で洋服屋と今日が閉店日の靴屋を冷やかして、秋葉原で実家の父が使う電話機を買い、新宿で本と服を買った。坊主頭にしてもらう時間は足りなかったので、明日の朝に持ち越す。

■ 入社当初と比べて明らかに体重が増えている。太ると歩くのが辛くなったり腹が出たりするけれど、一番辛いのは顔の輪郭がのっぺりとしてしまうことだ。痩せたい、痩せたい、痩せたい。けど、そう思っているだけでは痩せないのでランニングをすることにした。あとは、少しだけ食事を制限する。具体的には缶コーヒーの摂取を禁じている。菜食に転向するのも有効だろうけれど、手の込むことをやるとすぐ飽きるのが目に見えているからこの案は保留しておく。ランニングといえば、昨日DVDで映画「フォレスト・ガンプ」を観た。トム・ハンクスが髭を生やして走る姿を見て僕も走らないとと思わされたと同時に、意外と髭が似合うことに驚いた。

■ 本は、柳美里の「魚が見た夢」を読み終えて、昨日から三島由紀夫の「金閣寺」に手を着けている。勉強関係では、在庫管理の入門書とコンピュータ関係の資格の教科書を並行して読み始めている。将来の指針がほんの少しだけ見えて勉強すべきことも徐々に明らかになり「いよいよ本当にやらないといけない」という焦りと期待が迫り上げている。

■ ダイエットや勉強などのように一人でできることについては問題がないけれど、仕事は別だ。報告者として真面目に話している途中で下らない冗談を言われると、胸倉を掴みたくなってしまう。冷静でいられるだけの忍耐がほしい。

■ 今週の金曜はいよいよエレグラ。すごく楽しみで、何故か少しだけ怖い。 //


2003年11月09日(日)
写真を重ね続けること
■ 金曜日の深夜、新宿のロフトプラスワンで催された「東京ロンドン化計画」に行く。このイベントに踊りに来たのは2回目で、知り合いは一人もいない。けれどとても良心的かつ刺激的なイベントで、一人で来ても楽しく踊り狂うことができた。スタッフの一人と知り合うこともできた。朝5時半に終わって、新宿駅前の屋台でラーメンを食べてから帰宅する。

■ 土曜は起きたら午後4時になっていた。しかも脚が筋肉痛で微熱もある。ぼんやりとテレビを見ているうちにうたた寝したら、そのまま日曜になっていた。もっと体力が欲しい。この日は、出身大学の卓球部が他大学と例年行う定期戦の日でもあったが、このような疲労感は想定できていたので予め後輩の誘いを断っていた。判断は、正しかった。

■ 今日。昼前に近所の小学校で衆院選の投票を済ませた後、洗濯をしながらネットワーク関連の入門書を再読する。夜は、選挙特番を見ることにする。

■ 昨日の朝にシャワーを浴びながら、頭の中でずっと気にし続けていて大きな球体を形成していた他人の言葉やその一節のかたまりが、ポツンと小さな粒になっている感覚を持った。生きている間はあらゆる瞬間にシャッターが焚かれていて、その写真を重ね合わせたものが今の自分の姿なのかもしれない。 //


2003年11月02日(日)
回避
■ 来春に新人が入社して、今住んでいる会社の寮を出て行かなければならない可能性が少しあるんじゃないかと踏んでいる。しかし現時点では新しい部屋を借りるためのお金が足りない。で、「ルームシェアってどうなんだろう」と興味を持ち始めている。しかも、家族でも会社の人でもない、全くの他人がいい。そんなうまい話があるだろうかと思ってネットで調べると、ルームメイトを募集し合うコミュニティサイトを見つけた。来年の4月まで結論を急がないで、赤の他人と一緒に住むことの実際をこのサイトで垣間見ようと思う。ただ、もしも僕が赤の他人と住むことになったら、現在実家に一人で暮らしている父はどう思うだろう。肉親である自分よりも全くの他人を選ばれたら、良い思いをしない気がする。

■ 今月最後の金曜日に幕張メッセで催されるテクノイベント「Electraglide」の予習をすべく、柏のCDショップでLFOの「Sheath」を買う。シンプルな音作りが好感触だ。UnderWorldはともかく、他の出演者について少しお勉強してから当日を楽しみたい。UnderWorldは「Born Slippy 2003」とか、過去の名曲を焼き直している場合ではない。邦楽で例えれば、T-BOLANの「じれったい愛'98」みたいで悲しい。ダレンが抜けても「Two Months Off」を作れたんだから、無理に商業的な奮起をしなくてもいいのにと思う。

■ 今年があと2ヶ月で終わる。早い。就職してから来月で1年になり、今年は初めて通年で会社に属していたことになる。それが関連するかは分からないけれど、この1年くらいで人と接するのが苦手、というか嫌になってしまった。大事なことを話したら多くの他人に放言され、黙っていたら愚痴を受ける壺にされてばかりだ。そして、そんなことをノートやWebの日記に書く自分も嫌だ。この負の螺旋から抜け出す必要は感じている。けれど、経験上こういう時は行動が裏目に出るので、もう少しじっとしていようと思う。「なんかいいことないかな」と言うのが口癖な人がいるが、今の僕に「いいこと」は要らない。「とにかく何も悪いことが起きませんように」という思いで一杯だ。

■ 本は、前から気になっていた貫井徳郎「慟哭」を読み始めている。 //


2003年10月31日(金)
相談に乗り終わること
■ 大学時代の友人と交わされていたメールのやりとりが終わった。あっさりとしたものだった。

■ 大学を卒業してからの5年間、その友人は、時にアルバイトをしたり時に実家でのんびりと過ごしてきた。一般的な見地からすれば、彼女は「若年失業者」と括られて社会への適応性を問われるのだろうが、僕はそういう生き方もいいんじゃないかと思っている。実際、僕も大学を出てから4年くらい定職に就かず、ちょこっと働いたり部屋で漫画を読んでいたり、街でCDを買ったりしていた。失業率が高いという社会的・時代的な背景が僕にそういう生活をさせたのではなく、自ら選んでこういう生活をしてきた。そのような過去を特に後悔していないし、新卒入社した人とは異なる視野を持って現在の仕事に取り組んでいることを利点に思っている。OJTで劣っている面を否めないけれど、それはご愛嬌だ。新卒で会社に入った場合にも遅れて入社した場合にも、それぞれ長所と短所がある。

■ もし自分が大学を出てからの丸5年経って就業経験が一切ないとしたら、6年目の今はどう過ごしているだろうかと考えてみる。しかし「6年目」は結局これまでの5年間の延長にしかならない気がするし、それで十分だと思う。その友人が今のタイミングで「定職に就きたい」と僕にメールで相談してきたのは、5年で作った線の延長から外れたいという意思の表れなのだろう。けれど、これまでの線から別の線へ踏み出すためには、運が必要だと思う。しかも、その運は何らかの行動を前提とするものだ。例えば、宝くじで1億円を当てるにも「1枚300円のくじを買う」という行動が必要だし、たまたま1億円分の宝くじが道に落ちていたとしても、当たりくじだといいなというちょっとした期待や老婆心、そして「拾って交番に届ける」という行動がなければ、1割の1,000万円は貰えない。

■ 今までとは別の線に踏み出すために必要となる「行動」をとった上で「面接で緊張しないためにはどうしたらいいかな」と相談してくるならば、僕の体験を話すことができるし、それを参考にするかどうかは本人次第だ。しかし実際に相談されたのは、彼女が行動に出る前についてだった。「やりたい仕事」と「やれる仕事」のどっちに向かっていったらいいのか、という相談だ。しかし、やりたいこととやれることの比較考量は仕事観に限定されない、人生観の一つだろう。そんな大きなことに口を出すわけにいかない。そんな内容のメールを送ったら、「ありがとうございました」と締め括られた。「やりたいことをやりなよ」と書いてほしかったのかもしれないが、それで失敗したと思われても責任を取れない。相談事には適切なサイズがあることを学習させられた。
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2003年10月26日(日)
諦めたりおいしいものを食べること
■ 昨日は土曜出勤日だった。午後4時半まで働いてから帰宅して、父に実家に呼ばれた。いつの間にここまで料理ができるようになったのか、父は鯛を煮たり、ほうれん草をひたしたりしていて、沢山の品の料理を作って出してくれた。あまりに多くて食べきれなかったけれど、おいしかった。久しぶりに話をすることも出来て良かった。一人暮らしの部屋に帰ってからは、下らない映画を観ている途中で眠くなってしまって、そのまま朝まで寝た。

■ 僕の勤めている会社はファッションに関連があるのに、会社のホームページはファッションとほど遠いところにある。ホームページを更新、運用する部署は僕のいるところと別だけれど、どうにかして更新の機会を貰えないかと思っている。せっかく質もデザインもナイスな商品を扱っているんだから、それを広告するツールは存分に活用すべきだ。

■ 先週の日曜日、久しぶりに文章を一つ書いてホームページに載せることができた。半年近くも更新できなかった原因は、パソコンが壊れていたことも一つにあるけれど、文章を書く気持ちがまるで湧いてこなかったのがとても大きい。別に小説家でも批評家でもないので執筆が人生そのものと言うつもりは毛頭ない(それに、もし小説家だとしても執筆が人生とイコールだとしたら寂しい)けれど、僕にとって文章を書くエネルギーは生きるエネルギーと比例関係にある。文章を書く気持ちは生命力を計るバロメーターだ。

■ 人と接する時の気持ちの持ち方を変えることにした。仕事をしていて「なんでこんなことも分からないんだ」と苛立ってみたりしたけれど、その背景には「自分を理解してほしい」という期待、願望が顕在していた。誰かが誰にでも理解を求める姿勢を示すと嫌気を覚えたが、僕も同類だったことにようやく気付いた。他人は自分のことを分からない。何も言葉で伝えていなければ、それは更に当然だ。誰も僕を分からないし、僕は誰のことも知らない。だからこそ、言葉や時に身体を使ったコミュニケーションが必要となる。相互理解が足りないことを認めるのは一種の諦念だ。けど、その諦めがあるからこそコミュニケーションの必要性を理解することができる。それだけ考えたら、この1週間は明瞭な気持ちで過ごすことができた。

■ 今日は、友人の通う高校が文化祭を催しているのを見に行った。パンもビーフシチューもおいしかった。 //


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