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2005年02月11日(金)
貰ったお金をその場で使い果たすこと
 僕が籍を置く会社は卸売業なので、通常は一般消費者に商品を直接販売することがない。ただし例外として、年に2回ほど社員が直接商品を売っている。今日がそのセールの日で、浜松町近辺のフロアで販売を手伝った。引越し前日に手伝う必要は特別なかったけれど、日当がその場で貰えるのが魅力なので参加した。しかし、夜に打ち上げで飲みに行ったら、日当の殆どが無くなってしまった。何しに行ったのか良く分からない、本末転倒な日だった。 //


2005年02月10日(木)
部屋の賃貸借契約を交わすこと
 明後日で寮を出るため、管理人さんに挨拶した。ガス、水道、電気の契約は自分で解約する必要があるようだ。管理人さんが手続きしてくれるものと勘違いしていた。一通り電話して、ガスと電気については立会う日程を調整した。同日に寮を出る社員が荷物を積み上げるために車を停めていると、僕の依頼した運送業者のトラックが荷物を積みにくいため、寮の近くに車を停める時間帯をこの社員と取り決めた。若干の荷造りを含めて、寮の中で今日出来ることは午前で一通り完了した。


 午後、市役所で転出の手続きを済ませ、引越し先の近所にある不動産屋に足を運ぶ。その不動産屋の営業Tさんと共に電車を乗り継ぎ、池袋の不動産屋に入る。そこで、新しい部屋の賃貸借契約を交わす。宅建業法35条に基づく重要事項の説明、東京における住宅の賃貸借に係る紛争の防止に関する条例施行規則に基づく敷金の精算などのガイドラインを記載した東京都ルールの説明を経て、賃貸借契約書に記名・捺印した。この池袋の不動産屋が真っ当な店で安心した。今後もお世話になるだろうと思い、人形町で買った菓子折りを渡した。契約が済んでからは転入先の墨田区に赴き、区役所で転入の手続きをした。ギリギリ5時に間に合った。その後は、新しい部屋で家具をどこに置くかを予め決めるために採寸した。


 会社の寮に戻ってからはビールを飲みながらネットサーフィンをして、深夜に友人とメッセンジャーで会話した。 //


2005年02月09日(水)
苦戦をテレビ観戦すること
 明日で退職する方が、ノートパソコンのデータをMOに保存したいという。「勝手に保存すればいいじゃん」と放置すればいいのかもしれないけれど、二つの理由で放っておくわけにはいかない。一つは、この退職者がパソコンに不慣れで、外付MOドライブをノートパソコンに接続できないことだ。もう一つは、社内で活用・加工した情報を退職後も保有できるかというセキュリティ面での問題だ。なので、全面的に手伝うことにした。メールとインターネットのお気に入りについては、MOに移したデータを自宅のパソコンに復元するのが難しいだろうと想像し、その場で画像つきマニュアルを作って手渡した。


 サッカーの日本代表vs北朝鮮代表戦は、予想以上に日本が苦戦していた。ゲームを中盤で組み立てる唯一の存在である小笠原は、FKで先取点を取ったことは素晴らしかったけれど、全体的には自分でボールを持ち過ぎて、日本の持ち味であるべきパスワークを封じる基点になってしまったように思う。 //


2005年02月08日(火)
まだやわらかいこと
 新しい部屋の契約が明後日で、引越しが4日後だ。それなのに、日程が目前に近づいている実感が少なく、誰が引っ越すのか分からないくらいだ。誰かに頼まれて荷造りをしているような錯覚もある。このような心理状態に至っているのは、やはり突然退寮を告げられて、しかも部屋の契約日を決めた直後に退寮を取り消された経緯が大きいと思う。


 同じ会社の人たちと近隣で暮らさなければならない寮生活は、想定よりずっと強い圧迫だった。一時期は私生活の大部分を寮に住まない一般社員に他言されたり、就寝中にドアを叩かれたりして、会社を辞めた方がいいのかもしれないと真剣に考えたこともある。家賃が安い経済的利点を重んじた代償は小さくなかった。だから、寮を出ることに今も迷いはない。転居先の暮らしは、寮のそれよりも自由で自律性が高くなる確信もある。けれど、この引越しが能動的・活動的に進まないのはなぜだろう。その理由は、過去2回の引越しと違って、きっかけが受動的だからだ。浦和に転居した時は(失敗に終わったけれど)公務員試験に集中する環境を作るためだったし、この寮に来た時は少しでも貯蓄するためだった。そして、これらの能動的なきっかけが引越し作業に力をもたらしてくれた。


 人事部門による今回の顛末はずっと忘れられないと思うけれど、今回の経緯についてはもう割り切るしかない。資格試験の勉強をもっと真剣に取り組んでいれば、理不尽に環境を変えさせられる怒りは更に増幅されていたのだろう。他人や環境に左右されている自分の弱さに否がある事実も、今後のために等身大で受け止める必要がある。


 それにしても、発泡酒の「やわらか」が美味しすぎる。けれど、昨夜と同じ過ちを犯してはいけない。なので今夜は、引越しの作業が一定の度合い進んだらその都度「やわらか」を飲むことができる、いわば報酬制を導入してみた。すると、昨日の駄目さが嘘のように作業は進んだ。明日は、サッカーワールドカップのアジア最終予選(日本vs北朝鮮)を見ながら、残りわずかな荷造りを済ませようと思う。


 この日記を書いている際、視野の左端にクラッカーを見つけた。燃えるゴミにしてもいいのだろうか。 //


2005年02月07日(月)
やわらかさに身をまかせること
 予算を冷静に分析したら、ソファを買っている場合ではないと知った。机、椅子、カーテン、冷蔵庫、電子レンジ。これだけで予算に達してしまうと思う。今後のスケジュールを考えると、今日は多くの荷造り作業が必要な日だった。にもかかわらず、仕事の憂さを発泡酒で晴らしてしまい、何もせずすぐに寝た。発泡酒の「やわらか」の優しい飲み心地がいけないのだと、酒のせいにしてみる。典型的に駄目だ。


 ユーザーにとって本当に使いやすいシステムを考えることも大事だ。けれど、使いやすさだけを求めるとシステムがブラックボックスになってしまう。情報システム部門とユーザーとの情報格差が不必要に拡がってしまいそうで怖い。 //


2005年02月06日(日)
罵声を掻き消せなかったこと
 昨夜師匠の店から帰る時、時速40kmで自転車を漕いでいたらチェーンが外れた。今日の午前に自転車屋でチェーンを交換してもらった。洗濯機がなくなったので、1週間分の洗濯物をコインランドリーで洗った。午後は、ソファや机を下見するために新宿に出掛けた。in The Roomで黒い机に魅力を感じ、OZONEでは78万円の自転車と56万円の椅子に圧倒された。カフェモカを飲んで一休みした後、何故か引越しに関連のない靴を買って、無印良品では欲しい物が一つも見つからずに帰宅した。家に着いてからは本棚の書籍を半分だけ段ボールに詰めた。


 新宿に向かう際、常磐線の北千住駅でカップルが乗車してきた。女性は日本人で、男性は東南アジア系と思われる。どちらも20代だろうか。座席は全て埋まっていたので、かれらは開いたドアの反対側に立っていた。すると間もなく、男性の携帯電話が鳴りだした。大音量のユーロビートだ。男性は着信した電話に出て、数分間の会話をした。僕はその一連の行為に若干の不快を覚えたけれど、よくある光景の一つだと自らを諭して読書に戻った。しかし、乗客の全員が見逃したわけではなかった。50代の男性が座席から立ち上がり、アジア系の男性に注意を始めた。初めのうちはその正義感に敬服していたけれど、その敬意はすぐに訂正しなければならなくなった。中年男性の注意が中傷に変わってきたのだ。「こいつらはこのくらい言ってやらないと分からないんだよ、国へ帰れ。強制送還だ」なんて、相手の人権を無視した過誤の罵声だ。中年男性は、逃げるように次の駅で電車を降りた。カップルの女性は、男性に抱きつきながら泣いていた。 //


2005年02月05日(土)
洗濯機との惜別と友人との再会
 引っ越すための本格的な荷造りをする初日だ。転居先の部屋やベランダに洗濯機置場がないため、今まで使っていた洗濯機は処分することにした。今日の午前に訪ねてきた近所のリサイクル業者に3,500円を支払い、洗濯機を引き取って貰った。製造年が5年以内なら売り物として使えるので、買い取ってもらえたそうだが、6年が経過していた。製造年があと1年遅ければ良かったのにと一瞬思ったけれど、直後に「6年も使ってたのか」と名残惜しくなった。でも、転居先に置けないのだから仕方ない。ついでに椅子とカラープリンタも引き取ってもらったら、部屋は急に閑散とした。その後、押入れの奥に意味なくしまっている小物や読まなくなった書籍を無為に処分したり、インターネットでソファの購入を検討していたら、夕方になっていた。クリップや紙片などの小物で部屋が雑然とし、寝るスペースがない。それなのに狭い空間で無理やり横たわったら3時間ほど眠ってしまった。慌てて起きて小物を一挙に捨てて布団を敷く空間を作り、今日の作業を終えた。


 夜は、師匠の店に出掛けた。師匠の友人と55ヶ月振りに再会した。あまりに美しく変貌していて、最初は気付かなかった。 //


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