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2005年07月12日(火)
スマッシュを打ったり打たれること
 夕方、出身大学の体育館に赴いて後輩を相手に卓球の試合をした。戦績は3勝2敗だった。2ヶ月ぶりにラケットに触ると、どうしても初戦がままならない。ただ、負ける理由をブランクに求める行為は、熱心に練習をしている現役生に水を差すだけで、それをするくらいならば最初から顔を出すべきではない。だから、できることならば本来の卓球を取り戻しながらも、なおかつ試合でも勝たないといけない初戦だった。初戦の負けは、仕事などを言い訳に卓球から逃れようとした報いのようなものだ。僕には「横綱卓球」をできるほどの技量などない。だとすれば、とにかく相手を凌駕する気概を持って、少しでも脚をストライクゾーンまで動かすしかない。その意識を念頭に置いて、2戦目以降は一層集中して臨んだ。イメージの通りには体現できなかったものの、どうしても1点を取らなければならない場面では出すべきサーブを出せたり、踏みとどまるべき無駄な強打を抑えることができた。これは適度な高揚を用いた成果だと思う。精神力は、体力が前提となる。もし卓球ができる機会がなくても体力を維持・向上させることはできるので、次に迎える機会でよりイメージに近い卓球を体現させるために準備くらいはしておきたい。


 卓球をした後は、後輩たちと共に大学近くの店でビールを飲んだりピザを食べたりした。現在大学生や大学院生の後輩と一緒にいても、学生時代に戻りたいとは思わない。戻りたいと思ったら懸命だった学生時代の自分に失礼だし、後輩たちも今の僕と同じように「29歳」という時を迎えるからだ。家庭的・金銭的などの環境が一人一人違うのは当たり前だが、時間は割と誰にでも平等に過ぎる。誰かと比べる必要のない時間があれば、それは過去・現在・未来を問わず、完全にその人のものだ。 //


2005年05月25日(水)
出張明け
 札幌での3日間は、それまでのダイエットや倹約を台無し以上にした。けれど、食べ物が本当に美味しかったので後悔はまるでない。また痩せればいいし、普段の生活を質素にすればいいだけだ。


 出身の大学卓球部が、関東学生リーグで不本意な戦績に終わった。卓球部との関係を疎遠にしていたけれど、これを機に少し練習に参加してみよう。 //


2005年05月22日(日)
札幌出張の半ば
 札幌出張の2日目。朝9時半からパソコンやプリンタをいじる。ケーブルをモールの中に取り込んだりもして肉体労働的だ。一昨日までの研修では頭ばかりを使っていたので、仕事で身体を動かすことが出来て良かった。作業は順調に進み、午後5時に終わった。ホテルで少し休んでから、札幌市内を一人散策する。本屋で「おいしい おいしい」を買い、楽器店でギターの弦を買った。東京でもできる買い物を札幌で済ませるのはどうなのだろう。夜は「魚作」でにしんの刺身などをつまみながら日本酒を飲んだ。


 作品に対する一番の酷評は黙殺だ。だとすれば、意見を創出させるような作品を作らないといけない。 //


2005年05月20日(金)
メモ
 柄にもなく筋トレをしたせいで腰痛がひどい。早足で歩こうとすると腰に響くので、どうしても歩幅が小さくなる。おかげで歩くのがかなり遅く、今朝は何十人に追い越されたことだろう。


 今日から、村上春樹「国境の南、太陽の西」を再読している。明日からは2泊の出張だ。 //


2005年05月19日(木)
Off-JT
 全4日間でデータベース関連の研修を受けていて、今日3日目が終わった。この研修で習っている内容は、システム担当者ならば誰もが知っているはずのものだ。しかし僕は、OJTで学べると想定していて勉強を怠っている内に今日まで来てしまった。足りない知識をようやく補うことができて良かった。あとはここからどう進化していくか。自分の能力不足を棚に上げて会社の不満をこぼす前に、成すことはある。誰かを非難する場合でもないし、誰かに嫉妬して気持ちを沈める必要もない。


 新調したスーツを着るために減量を試みているけれど、まるで痩せない。夕食を食べすぎなのだろう。 //


2005年05月13日(金)
メモ
 酔って携帯電話をいじると宜しくない。夜中に友人に電話をかけ、メールを誤送信している。


 黄金週間に散文を書いた時は闇の中にいる心境だった。その散文の続きを書くために、その闇を取り戻すべきなのだろうかと自問する。


 先月の脱線事故でJR西日本が責め立てられているが、責める権利は遺族にしか持てないと思う。 //


2005年05月10日(火)
理解は誤解かもしれないこと
 小説にもギターにも、ましてや参考書にも触れる気が無いとき、銀色夏生「庭を森のようにしたい つれづれノート(13)」を手に取っている。


 「誤解されることはとてもやるせないことだけど、そういえば、世の中は、誤解されないことのほうが少ないようなものかもしれない。他人に正当に認められないからと言って、がっかりするのはやめよう。他人に正当に認められようと望むことこそ、甘い夢だ。きっと人は人のことをほとんど誰もわからない。
 そして、ちゃんと自分を見てくれた人から、けなされすぎもせず、ほめられすぎもせず、ちょうどよく自分を認めてもらった時には、本当にうれしいものだ。」


 僕も、他人を誤解してないことの方が限りなく少ないのだろう。相手を少しでも分かったつもりになって得意になるのではなく、分からないという現実を認めて踏まえながら、それでも放たれる相手の個性を大切に掴みたい。


 ベランダの防護ネットを全て取り除いたら、容赦なく鳩が集って困っていた。けれど、手摺りのすぐ上にテグスを張ったら鳩は来なくなった。これで夏には隅田川の花火大会をベランダで存分に楽しむことができる。防護ネットで9階からの眺望を損ねている隣人に勧めたいくらいだ。


 消費したものをリストにして笑みを浮かべるのではなく、自ら生産するものを胸中で静かに誇りにしていく意志を持てたら、僕の文章はもう少し良くなるのかも知れない。 //


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