*** Diary ***
>> 仕事
2005年11月15日(火) <<
明日から、急遽仕事です。相変わらず、臨時です。
てか、昼過ぎに連絡が来て「明日からいいですか?」と聞かれ、ニート寸前の私が「NO」とは言えず(私を見る母の目が、「NO」と言えば飯抜きと言っているようだった)、笑顔(電話じゃ見えんだろうに)で「やりまーす」と言ってしまったため、行かざるをえなくなりました(なんかホント嫌々だなぁ・・・)まぁ、電話してきた方が、知ってる方なので断れなかったと言うのもある。 でも、仕事が11月いっぱいってどうよ?半月ないじゃん・・・ちょうど今日で失業手当が終了したので、ちょうどよかったと言えばちょうどよかったんだけど・・・半月か・・・でもでも、一応12月16日からまた臨時行くし。今回とは違う課だけど。だから声かかったんだろうとも思うし。書類のチェックらしいのですが、それは前の課で結構やってたんで、得意と言うわけでもないけどできるから、ま、いっか。 しかし、どうしようか・・・最近、朝7時起きなのに、明日から6時半に起きれるか・・・それが問題だ。しかも寒いし。でも、暑いよりかはましかな。 てことで、更新が遅いうちのサイト、さらに遅くなる予感。あぁ、でも、ギルは祝いたい・・・がんばれ、自分!! |
>> 秋の安芸の宮島
2005年11月13日(日) <<
大学時代の友人たちと、宮島に紅葉狩りに行ってきました。
いや〜、めっちゃ楽しかったです。みんなに会うのは夏以来で、久しぶり〜なんて思ったけど、それ以前は1年以上会ってなかったような気がする・・・極端だなぁ、私らは。 宮島、紅葉きれいでした。もう少し後かなぁって思ったんですが、そうでもなかったです。きれいに染まってました。紅葉谷をふらふら歩いて。少し寒かったですが、それもまたよしってことで。 友人たちと話してると、ホントみんな変わらないんですよね、しみじみするくらい。てか、お前ら(自分を含め)もっと大人になれよって気もするんですが、でもあの雰囲気がいいんですよねぇ。なんだかホッとしますよ。人嫌いなものですから、人と会ったり話したりするのがすっごい嫌なんですが、彼女らは全然そんなこともなく、逆に話してると元気になる感じです。てか、普段かなり老け込んでますからね、私・・・いや、いいよ、ホント。そのままも君たちでいてね、って感じで。 しかし、わたくし、安芸の宮島をなめてましたね。紅葉シーズン、これほど人が多いとは。どこ見ても観光客観光客観光客のオンパレード!!何度人に轢かれそうになったか!!昼飯くいに入っても20分待ちと言われ、もみじまんじゅう買おうと思えば人に揉まれ、列に並べば前に進まず・・・普段はあんなに閑散としているくせに!!と、よく行く人間は思うのですよ。仕方ないとは思いつつも。休日に行くもんじゃないなぁっと思いましたね。 ロープウェー乗ろうと思ったら、却下されました。まぁ、前止まったしね。もっと体力あったら、弥山登ってもよかったんだけどなぁ・・・筋肉な子がふたりいたんで、彼女らなら行けたかもな・・・(筋肉な子って、何だよ・・・ジムで鍛えてるんだって。上腕二頭筋がムキムキになってきて、嫌なんだってさ) どうでもいいけど、宮島の鹿は大人しかったです。奈良の鹿に比べて、小さいし、啼かないし。無闇矢鱈に人に餌要求しないし。近づくと奈良の鹿は寄ってくるんですが、宮島の鹿はそれに比べると割りとクールで、こっちを見もしねー。いや、それでいいのさ。人も嫌いだけど、動物はもっと嫌いだから。(だったら、なんで地球で生きているんだ、私?) 行きも帰りも当たり前ですが、フェリーにのるんですよ。で、船着場から出て行った船を見てると、凄かったですね。そんなに大きくないので、室内に入れない人たち(及び外にいたい人たち)がデッキに溢れていたんですが、遠目に見るとまるで集団密入国のよう・・・デッキの人たちが今にも海に飛び込むんじゃないかと、ドキドキ(期待感)して見ていました。いや、そこで飛び込んでもどこにも亡命できませんけどね。でも、見ていて楽しかったなぁ。そんな船に、私たちも乗ったんですけどね。 そんなこんなで(どんなだ?)で、楽しかったですよ。紅葉も見れたし、みんなといっぱいしゃべったし。充実してました。デジカメ3台あった割には、人物写真は殆どないですが。景色ばっか。でも、いいんです。また会えるし、宮島も行こうと思えばいつでもいけるし。奈良もよかったけど、身近なところに友達と行くのも、やっぱりいいものです。12月に、また遊ぼうと予定を立てているので、それも楽しみです。やっぱり、好きだなぁ、あの子達。 |
>> 美!!
2005年11月12日(土) <<
久々に、新しい漫画を買いました。それも、なんか異様に私らしくない漫画を。
織田綺の「美!!」って漫画です。大学時代に友人が、この人の漫画を貸してくれたことがありました。別にそれで買ったわけではなく、書店で1巻だけ立ち読みが出来て、それを読んだら続きが読みたくなったと、そういうことです。本屋の思う壺・・・だって、風の大陸もZEROも秋に新刊が出るはずなのに、なかなかでないんだもん。寂しくなってつい買ってしまったのですよ。 こんな恋愛メインのそれだけの漫画って、今まであんまり買ったことなかったんですよね。特に小コミ系。いや、小コミ系ってエロいの多いじゃないですか。あれ、どうかと思うんですよね・・・少女コミックでしょう?少女に売っていいんか?他に小コミで読んだことあるのって、快感フレーズだけだし。あれも借り物。しかも最後まで読んでない。でも、今更特に最後が気になるわけでもなし。小コミで買ったことあるの、おおや和美の漫画だけだ。乙姫とか世紀末てっぺんBOYとか・・・懐かしいなぁ・・・でも、あれはエロくない。小コミって昔からあんなのだったんですかね?いや、私りぼんからLaLaとかWingsに行った人間なので。小コミとか知らないんですよね〜。はて? しかし、こんな恋愛ものよくよく考えたら、10年くらい買ってないような気がします。特に最近は疎遠ですね〜。まぁ、漫画自体今あんまり読まないんですが。最近(といっても、半年くらいさかのぼって)買った漫画を思い出してみると・・・最遊記RELOADでしょ、ピアノの森でしょ、ZEROでしょ・・・そんなもんか。少な!!しかも色気がないし。人に借りたのを入れれば、スキップビートとはちクロがあるから、少し色気が出ますか。でもなぁ、はちクロはともかく、スキップビートはまだそこまで色気はないですから、なんか微妙・・・ 家あさって、恋愛ものってどんくらい出てくるかなあ?橘裕くらいか?りぼん系が2種類ほど昔のが残ってるんで、それもありですかね。あとは・・・思い当たらん・・・まぁ、BLはまってましたから、全部そっちへ行ってしまったせいでしょうかね。なんか、私の青春って何なんだろうなぁ・・・ 家をあさるついでに、本再び売りまっせ!倉庫あさったら、変なのが出てきましたんで。絶愛とか持ってたんだなぁ・・・としみじみしましたね。驚いた。おおや和美も半部は処分、半分は売りに出します。10円でも1円でもいい。いい加減、置き場がないし、家傾くし。 一応箱詰めも終えて、後は取りに来てもらうのを待つばかり。とっとと、持って行っちゃってください。ちなみに、次のも準備中!これで少しはさっぱりか!でも、また本買う予定・・・へらねぇ・・・ |
>> 遊白
2005年11月11日(金) <<
Yahooのニュースを見ていて知りました。高橋ひろさんが亡くなられたそうです・・・
高橋ひろさんと言えば、私と同じ世代の人はご存じだと思います。幽遊白書のED「アンバランスなKissをして」を歌われていた方です。 遊白はOPもEDもみんないい曲だなぁ、と思ってました。もう忘れましてけどね、昔のことですから。でも、遊白で同人やったな、友達と。8人くらいの集団でサークルやってましたけど、実質話書くのはふたり、漫画書くのはひとり、挿絵程度がひとりと、まぁ、こんな感じでしたけどね。因みに私はペーパー担当・・・薄。 すっかり遊白系のCDも録音したテープも処分してしまったので、久々にこの曲が聴きたくなったのですが、聞けそうにありません。そう言えば、これの替え歌を歌っていたような・・・「アンバランスな・・・」を「アデランスな・・・」とか言って、くだらないことやってました。アホやなぁ、ホント。でも、結構好きだったんですよ、この歌。 「太陽がまた輝くとき」も高橋ひろさんでしたね。 関さん好きとして、つい繋げてしまいますが、SAMURAI DEEPER KYOのキャラソンで関さんが歌った、紅虎の曲「生直肝要之事」の作曲をされたのが、高橋ひろさんでした。CDのカードで名前を見た時は「あの遊白の高橋ひろさんか?」と、あまり確信が持てていなかったのですが、どうやらこの高橋ひろさんのようです。 私の勝手なことなんですが、微妙に不思議な繋がりだなぁと思ったものです。因みに「生直肝要之事」は普通に読めません。「きすぎかんようのこと」だそうですが、誰が読めるか・・・ 本田美奈子さんといい、高橋ひろさんといい、実際に知っているわけではないですが、歌声をテレビやCDで聞いたことがある方が、若くして亡くなられるのは悲しいものですね。 おふたりのご冥福をお祈りいたします。 |
>> 病気
2005年11月07日(月) <<
本田美奈子さんが、急性骨髄性白血病のため、亡くなられましたね。
ビックリしたのと、正直ショックでした。ファンだったとかそう言うわけではないのですが、病気が病気なだけに残念です。 昨晩、兄から聞いた母が「病気に負けちゃったんだね」とぽつりとこぼした言葉が、胸に響きました。 白血病と聞くと、他のがんに比べあまり身近にある病気ではないんじゃないかなぁ、と思うんですが、私にとってはあまり他人事ではなかったりします。いえ、別に私が白血病というわけではなく。 10年くらい前だと思います。私の身近な人も白血病にかかりました。うちの母です。母は、急性ではなく慢性だったのですが、白血病にはかわりありませんね。 この頃、まだ学生で、お子様だった私は、いまいちことの重大さをわかっていませんでしたが、父や兄はきっと凄く落ち込んでいたと思います。実際、この時、父の髪はどっと白くなってしまいましたから。 町の小さな病院で看護婦をしていた母は、調子が悪いといって先生に検査して貰ったそうです。結果、白血球が異常に多いため、先生の知り合いが院長をしている国立病院(今は独立医療法人ですが)を紹介して貰い、そこで詳しく検査したところ、白血病だと診断されたそうです。このころは、まだあまり本人に告知したりしなかったように思うのですが、国立病院の先生は「あなたは看護婦だから、黙っていてもわかってしまうでしょうから」と、母に直に告知したそうです。 それから直ぐに入院しました。 母は、とても運がよかったと思います。発見が早期だったこともひとつですが、何よりドナーが直ぐに見つかったことです。 戦後直後の生まれの母は、7人兄弟の6番目でした。既にひとりは亡くなっていたのですが、まだ他に5人兄弟が残っていました。まず、兄弟たちと骨髄の型なのかよくわからないんですが、兎に角移植が出来るかを検査したそうです。で、その中にひとりだけいたんです、移植が出来る人が。本当ならドナーを捜して待たなければならなかったんですが、母は直ぐ身近にいたんです。 入院してからわりと早い時期に、移植手術をしました。先生からは、当時50前後だった母に「高年齢での手術の前例があまりないので、成功するかはわかりませんよ」と言われていたそうです。でも、無事成功しました。 手術してから1年ぐらいして、母に骨髄を提供してくれた伯父は亡くなりました。心臓の発作だったらしく、布団の中でひとりで亡くなっていたそうです。残った兄弟たちは「あんたの中に、おるんじゃね」と言っていたそうです。母もそう思ったようです。 あれから10年。母は今も元気です。後遺症や薬の副作用で、体の中ぼろぼろと言えばぼろぼろなんですが、でも毎日自転車で買い物に出かけ、ご飯を作り洗濯をしています。何より、母は毎日笑っています。文句言ったり、怒ったりするけど、でも、笑っています、私の側で、隣で笑っています。本当に、嬉しいです。このようなニュースを見ると、実感します。お母さん、生きてるんだなぁって。生きてるって素晴らしいことなんだなぁって。 母は「もう、いつ死んでもいいよ」何て言ってますが、まだまだ健在ですよ。未だに病院にひと月に一回は行かないといけないし、涙が出ないし、腰を圧迫骨折してるし、白内障の手術も帯状疱疹にもなりましたけどね・・・元気です。きっと、亡くなった伯父が「お前、大丈夫か。まだまだしっかりやれよ」と見守ってくれているんだと思います。 伯父には本当に感謝しています。遺骨は、伯父がいた大阪ではなく、実家の方の墓に入っています。だから、お盆なんかには、祖父祖母と一緒に、伯父さんにも挨拶しています。伯父さんは亡くなってしまいましたが、伯父さんの命の欠片が、今も母の中で生きています。母も伯父さんも伯母さんも、きっとそう思っていることでしょう。 昔は看護婦だった母が、病気や健康面では兄弟や両親の面倒を見ていたんですが、最近は母が一番重い病気をしたものですから、他の兄弟から心配され面倒を見てもらっています。「なんだか、可笑しいね」と母も笑っていましたが、「いいんじゃない、それも」と私も笑っておきました。 今日も今日とて、病院通いとお買い物。無理をしていることも知っていますが、それでもテレビを見たり馬鹿な話をして大笑いしています。 母に関わったいろんな人に、感謝感謝です。そして、母にも感謝です。 「ありがとう」 |