モスクワ留学日記
もくじ


2002年06月23日(日) カンニングペーパー

モスクワ プラス14〜24度 ハレ〜


某サイトの手紙が更新されています。

まだまだ続く試験。むん。

→→→ロシアのカンニングペーパー


     ◇◇◇


mihobani的発言:じんましーん

日焼け止めクリームで肌荒れ。
かゆかゆかゆかゆ…


2002年06月22日(土) オレック・メンシコフ

モスクワ プラス14〜24度 不安定な空模様。雨と風。



珍しく、ワンピースなぞ着てみる。
珍しく、化粧も念入りに。

見慣れないワタシの姿に、勉強しに来ていた友達が目を丸くした。

カバンの中身をしっかり確かめて、いざ出発。




途中で、花束を買う。
真っ赤な、バラの花束。(こんなの欲しい)



1ヶ月前にチケットを購入して、
ずっとずっと待ち遠しかったこの日が、ついに。

オレック・メンシコフ様、舞台の日。



オレック・メンシコフは数々のロシア有名映画の主演をしちゃってる俳優で、
かっこよくて、かっこよくて、かっこよくて、かっこy(以下略)
映画「シベリアの理髪師」でメロメロになったのでした。


今日の舞台はゴーゴリの「賭博師」
モスサヴェタという劇場の屋根裏部屋で客席はわずか100ほど。
東洋人と思しき姿はワタシだけ。

手を伸ばせば届きそうな距離で、
彼らの鼓動が聞こえそうな距離で舞台を観られるシアワセ…

戯曲を印刷して、予習までしていた気合いの入れよう。
どれだけ楽しみにしていたかわかっていただけるだろうか。


舞台がスタートして、オレック様が登場した時の感動と言ったら…もう…なんていうか思わず姿勢正しちゃいましたヮ。

映画まんまのそのお姿、かっこ良すぎでございます(はぁとはぁとはぁと)


しかと網膜に焼き付けるべく、鼻の下伸び放題で見つめましたとも。

1時間40分のその舞台は音響効果もテンポも良く、
汗ほとばしる気合いの演技に大興奮!


終了後。
3度目のカーテンコールでやっと花束を渡すことに成功したワタシ。

間近で見たオレック様はうわぁぁぁーーーーかっこよすぎ。めろめろめろ。

渡し際に「СПАСИБО」言われちゃってうきゃー!!


それだけでどんぶりメシ3杯は軽いぜみたいな
いやそんなに食ってどうすんのみたいな
思わずフッと気を失って抱き起こされたらどうしよーなんて妄想してみたり



実はキンチョーして固まってたんですが。


優しさ溢れる笑顔で「ありがとう」と言われ
生きてて良かった…

マジマジ思ったのでした。





映画やドラマと違って、ナマの一度きりの演技が勝負の舞台の世界。
演技者と観客が一体化して初めて成り立つ部分が大きいので、
こういう小さな舞台で、しっかりその劇を観に来ているお客さんに囲まれての舞台は、
きっと気持ちいいだろうな。


こんなに感動したのは久しぶり。
めろめろは止まず、帰り際思わずベーグル屋に寄って散財。
その後地下鉄に乗るも、何度も乗り換えを間違えて、家とは逆方向に。めろめろ。

結局タクシーを拾って、車内でひとりめろめろしつつ、家路に。


い、いつからこんなミーハーに。。めろめろ。


2002年06月19日(水) 気管支炎

モスクワ プラス14〜23℃ ハレの予報


なんか息苦しいなぁーと近所の病院へ行ったら
気管支炎との診断。

乾いたせきがちょろっと出る程度なんですが
ぜんそく時代を思い出したりしてちょっと郷愁。

クスリを飲んでちと楽になったものの
なぜかムカムカが。

うーむ。寝ろって感じですか。

モスクワ時間の朝4時。


2002年06月17日(月) ミスコン

モスクワ プラス10〜22ド 雨風の予報




ブッ









夜に部屋の電球が切れまして。


ばーちゃんにヘルプを求めると
「1個買い置きがあったヮ。ほれ」と。






きゅるきゅるきゅる… パチ(電気をつける)






☆☆☆ ピッカー!!! ☆☆☆



今まで60ワットだった部屋。
100ワットがマブシイぜ。


部屋のヨゴレはモチロン、毛穴の奥まで見えちまいそうで
妙に白く明るくなった部屋で落ち着かなさを感じつつ
改めて試験勉強に取り組んでいたところ。








バチッ








はかないのぅ…









切れたがな。またしても。
取り替えたばっかりだっての。お約束ですか。



これは「勉強は後にして休むがいい」
という神の思し召しと判断し(?)
テレビなぞつけてみる。







ミスロシア2002





うををををーーー
神は正しかった。


画面はロシア美女美女してますうをー。
数人「それは…」という方もいましたが
いやはやモーレツな美女が総勢70名。



というわけでこれからテレビにクギ付けになります。


     ◇◇◇


mihobani的発言:峠越えても峠

試験をふたつこなしました。ほげぇ(壊)

今週も2つ試験がががが…ばたむ。


2002年06月15日(土) ヒョウ2

モスクワ 

ヒョウが降っています!横殴りに。プラス強風。

嵐じゃー


2002年06月14日(金) ばいばいロシア

モスクワ プラス13〜22℃ 雨雨。肌サム。フリース。


ロマンツェフ監督辞任ですか。
てか、あのヨワヨワ(ヨボヨボ・ヨロヨロ)プレーは一体…
18歳のシチョフは肩を震わせ、敗戦に涙して。。


     ◇◇◇

ところで。
うちのばーちゃんもサッカーを見ていたらしい。
「負けは負けだよ!仕方ないじゃないさ。他にどうしろってさ。しょうがないさね。」






…落ち込んでいる様子。

サッカーファンでしたか。おばあさま。







「9日みたいな騒ぎが起こったらたまらないねぇ!
どれだけ破壊すれば気が済むってのさねぇ!
そういやさっき、通りでヘリコプターが低〜い所飛んでてさ。
フーリガンが暴れてないか見回っていたんじゃないかねぇ。
信じられないねぇ彼らのやる事は。
きっとね、共産党員だよ。そう。そうに違いないさ」






お、おばあさま…(控えめに挙手)






共産党はアナタの世代…(目頭を熱くしながら)




     ◇◇◇



ところで街の動きはどうだったかというと。
警官・機動隊(警察わんこまで)約3500人を配置して厳戒体制だった本日。

赤の広場ではカバンの中身チェック。
アルコール販売禁止。持ち込みも禁止。
代わりにミルクシェークが売られてました。かわいい。

計4箇所の街頭スクリーン前に集まったのはわずか1000人ほど。

んでも。
・9日の暴動でカメラに撮られていたフーリガンや
・地下鉄プーシキンスカヤのエスカレーターで電灯を壊したフーリガンや
・戦勝記念公園で発煙筒をたいたフーリガンや
・その他酔っ払いなど

約60人ほどが拘束された模様。


マネージ広場にはジリノフスキー氏も応援に駆けつけ、
負けた悔しさを身体で表現していましたが。。。

ともあれ、ぼちぼち平和だったモスクワ。


試合に負け、うなだれて帰っていくロシア人の姿に哀愁。

広場では惨敗に涙する人多数。

さっくりと日本を後にするロシア選手もがっくりと落ち込んで。。


国単位でスポーツ選手育成に取り組まないと
ロシアはどんどん廃れてしまう。。


     ◇◇◇

mihobani的発言:ところで今日

大学へ行ったものの教授不在。
帰りは大粒の雨に打たれて。
ロシアは負けてるし。

わーん(泣)


2002年06月13日(木) 14日のサッカー中継

モスクワ 15〜24度 曇り後ちらっと雨のち晴れ。


9日、日露戦でロシアフーリガンが大暴れした傷跡は、
未だ周辺地域の各店舗に痛々しい影を落としています。

破壊されたガラスは布で覆うなどの応急処置が取られ、
その上に「営業中」の文字が。

ロシアがリーグ突破をかけて臨む明日のベルギー戦は
日露戦同様、盛り上がるはず。


あの暴動を受けて、大型スクリーンでの放送はもう中止だろう。
誰もが思ったはず。


ところが、また放送するらしいのです。


13日15時14分付けインターファクス社の記事によると、
「またしてもマネージ広場でサッカー中継」との見出し。

その他、市内計4箇所で大型スクリーンによる中継放送の予定。

・マネージ広場(クレムリン前)
・戦勝記念公園
・アルバート通り(レストラン「プラハ」近く)
・ホテル「ロシア」の映画館の横

追記:

上の4箇所での中継放送が決定。
警官2000人が出動し、整備にあたる模様。
尚、現地でアルコールの販売はせず、ソフトドリンクのみ。
プラスチックか紙コップにて販売。


14日の対ベルギー戦はモスクワ時間で10時20分から。



図らずも明日ワタシは大学に行かねばならず、
今から心臓の高鳴りを覚えます。

できることなら自宅待機がのぞましい14日。
在モの皆様、くれぐれもお気をつけ下さい。



2002年06月12日(水) 誕生日の祝い方

モスクワ プラス15〜27℃ あったかおだやか。


今日はロシア人の誕生会に呼ばれて、
滅多にはかないスカートにサンダルで家を出たワタシ。

待ち合わせ場所に着くと

「予定が変わってさー、今日はに行くよー♪」


ってこの格好でかよ。


ロシア人の事ですから、余裕の強行軍。



どこまで行くんじゃーい!と遠吠えしたくなるほど
丘を上り下り小川を渡って森の中を歩き倒し、
軽く5万歩は超えたものと思われます。


なんちゅー誕生会じゃと思いつつ、
さわやかな汗をながしつつ足を真っ黒にしながら歩いた約4時間

森林浴気持ちよかったなー!




ゼェゼェ…


     ◇◇◇


ワンポイントアドバイス : ロシア人とのつきあい方

不測の事態に備え、
長時間歩き対応型の服装、靴でのぞむべし。


     ◇◇◇


ワンポイントアドバイス : 森の楽しみ方


1) 緑に囲まれて森林浴




2) リスや野鳥観察でほのぼの




3) キレイどころの水着姿で目の保養





4) ブーメランパンツおっちゃんの悩殺ポーズで涼しげに


2002年06月11日(火) 混乱する現場

モスクワ 15〜28度 今日は暑くなりそう。


9日は混乱した現場の映像が何度もニュースで流れ
アメリカのテロが起こった時のような
悪夢を見る思いで胸が苦しかったです。


試合前からすでに酔っ払いによる小競り合いは始まっており、
ハーフタイムの時点ですでに現場はめちゃくちゃな状況であったと、当事者から聞きました。

今回の暴動は世界にモスクワの恥を晒したことになり、多くの日本人に「やっぱりロシアって怖いね」と印象付ける結果になってしまいました。


今回の暴動には一般ロシア人達もショックを隠しきれない様子。
「なぜあんなことが…」「事前対策はどうなっていたのか…」
と口々に言い、事件後多くの特集番組が放送されています。

一般のロシア人も恐れるフーリガンとは一体何物か。
彼らは14〜17歳くらいの少年で、暴動の中心はスキンヘッド達。極右勢力のネオナチと絡み、前々から暴動の計画があったという説も流れています。

機動隊が到着するまでの約1時間半に及び、彼らはやりたい放題に街を破壊していきました。逮捕者には3〜8年の求刑とのことですが、中心人物らはすでに去ったあとの警察の動き。


結果的に、今後あの広場でサッカー中継はやらないことになりましたが、今回の事件で若者+集団+アルコールがいかに危険であるかを再確認させられました。

ロシアの注目度が増し、プーチンさんもロシアのイメージアップ作戦を図っていた矢先のこの暴動。

一部の暴徒のために、まるでロシア全体がフーリガンのように思われてしまうようで残念ですが、一般市民はごくごく普通の暖かい人たちです。


私たちは、平和な生活を望むだけです。
いま外は、普段と変わらぬ穏やかさで。。。



2002年06月10日(月) ロシアンフーリガン大暴れ

モスクワ プラス9〜20度


日露戦…
負けてしまいました、、、ロシア、、、


思わずロシアを応援していたワタシ。
すげぇ落ち込んだりして…


     ◇◇◇


ところで試合後のニュース。大変なことになってます。

マネージ広場(赤の広場前)に集まったサッカーファン(約2万人)は
試合が負けたことにより暴動を起こしています。

モスクワホテル・国会前に停車していた
車約20台をぶっ壊し、ひっくり返し、7台を炎上させ、
30人以上が怪我。うち病院送りになった人もいる模様。

100〜300人の暴徒集団は武器を持ち
トヴェルスカヤ通りに向かって練り歩いているとか…


中継車と思しき車も破壊されており
大変な騒ぎになっています。


オソロシヤオソロシヤ…


マジで身の危険を感じます。
外に出ないほうが安全ですな。。


続報: 6月9日 モスクワ時間19時

・この暴動により一人が死亡。
・50人以上が怪我。

・日本食レストランの窓ガラスが破られる。

・5人の日本人学生が殴られた模様。


現場は車両の炎上による黒煙が上がり、
救急車や消防車が出動して騒然となっています。


大変です。本当に大変なことになっています。


続報:6月9日 20時20分現在

・フーリガンに取り囲まれた日本人学生はカフェに逃げて
 日本大使館員に保護された模様。一人が怪我。

・マネージ広場でのけが人は100人以上

・救急車で現場に向かった医師がフーリガン暴徒の襲撃にあい、重態。

・逮捕者は一人も無し。警官配備が少なすぎたため。

・事の起こりは日本がゴールを決めた後から。
 酒瓶、火炎瓶を投げ始め、けが人続出。

・ルビャンカ広場では17歳の少年が自殺を試みようとするも警官に保護される。
・ロシアの放送局PTPの車2台も襲われる被害にあった

・日本大使館から「自宅待機」通達が出ています。在モの皆様、しばしニュースに注目しましょう。

・ワタシの自宅近くでも酔っ払いロシア人が大声で何かしら叫び、鳴り物を鳴らしています。怖いです。


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