モスクワ留学日記
もくじ


2004年11月20日(土) 大雪

モスクワ マイナス3度 引き続き大雪

ほとんど嵐だね。
横殴りの細かい雪がじゃんじゃん降ってて
顔痛いったら。

でもまるで小麦粉か何かのような
さらっさらの雪だから
スキーとかめっちゃ気持ちいいだろうなー

せめて近所の坂で尻すべりでも・・と思ったら
お子様ごっさりいらっしゃいまして

ちょっと年齢的に無理デシタ。

◇◇◇

マグローーーーー!!!
なぜか夕方から頭がマグロ一色。
うぅまぐろまぐろー

やっぱ一番好きな食べ物ってまぐろだね。
生でも焼いても何でもいいね。赤身限定だけどね。
一時帰国したら築地でも行くかな


2004年11月19日(金) 地下鉄ロック

モスクワ マイナス6 大雪

じゃんじゃん降ってます雪。
昨日の積雪が4センチで今日の分は10センチって。
すっかり雪景色のモスクワ。いい感じ。

しかし交通渋滞、サイアクの極み。
昨日1日の事故発生件数は300強ですってよ。

◇◇◇

久しぶりに地下鉄に乗った。
通勤時間帯は激混みやね。
途中、えらいタテ揺れな区間があって。

当たり前だけどみんな揺れるじゃないですか。
(上下に)ゆらんゆらん…

心の中でイエィ…イエィ…!ってつぶやいたら
ちょっと楽しかった。

地下鉄ロックは健在だ。


2004年11月18日(木) 拾い物

モスクワ 1度くらい?

病欠。
いやーーーな夢見たなぁ。
仕事電の途中でガチャンと切られちゃう夢。

・・・夢じゃなくて現実だったかも・・・?!あれれ、、

◇◇◇

一人心の中で
マーツーケーン サーンーバーー♪
が流れまくりな昨今ですが
またも楽しい拾い物。とぅ〜〜〜!!

→→→キタカントー


2004年11月17日(水) ボロ靴いやん。

モスクワ マイナス2〜マイナス5 雪

雪が降るようになったので、靴を変えた。
これからモスクワを目指す皆様は
滑らない靴を用意されたし。

◇◇◇

春くらいに買った革靴がそれはそれは履きやすくて。
買ってからずっと履き続けてた。
靴底がすり減っちゃってて、ちと恥ずかしかったけども
もう3足くらい買っておけばよかったというくらいお気に入りで。

でも底がつるつるなので、雪道はムリ。
昨日なぞはコケそうになりつつ、ヨロヨロ歩きつつ。。

◇◇◇

そこで久々に登場の安全靴。
これまた10年近く履いてるような気がするけれど
歩きやすいのよねぇ。ぼろぼろだけどお気に入り。

どうも靴とかバッグとか、状態が悪くなっても
お気に入りをとことん使い続ける傾向あるのねぇ。

しかしながらフォーマルが基本のモスクワにおいては
着崩しや履き崩しは悪い意味で目立つわけですよ。

普通に足元見られますから。
ボロ靴なぞ問題外ですよ。
お話になりませんね風の。


まぁつまりアレだ。
新しい靴買わなきゃって話ですよ。泣。
バッグも穴あきなぞ使ってる場合じゃないって話ですよ。泣。


2004年11月15日(月) 寿印

モスクワ 0〜3度 晴れ。さっむ。

朝のメールチェック。
新着メッセージを開くと。


「風の便りで寿と聞きました。
おめでとうございます。」






!!!!!!




いつのまにかヨメにいってたらしい私。

そのうち子持ちになってそうなウワサ。






ええと、、、、






ヨメ行きの話があったのは確かですが、、、




むしろシュラバ模様で、、、





ヨメどころか恋愛すらアヤシイ現実ですよってに。







誰かもらえ。
くらいな勢いですがどうしましょうか。





ウワサっておそろしー





んもー仕事に生きるしか!




2004年11月13日(土) 大切な人たち

モスクワ 2〜7度 強風。さむ。


大家さんが少年に対してキレてます。
大声で叱り飛ばしてます。こわー。

◇◇◇

でもこんな日常の声もあまり嫌な感じしないのね。
私がホームステイをやめられないのは
このへんの、人がいる生活感なんだと思う。
安いし、安全だし、すこぶる平和に暮らせてていい所すよ。

◇◇◇

モーレツに久しぶりに、北海道時代の友達と電話で。
およそ連絡をとっていなかったから、
モスクワのみほでーすの返答には
長ーい沈黙のあとの
「ををををーーーーー!!!」だったり
「ええええーーーーー!!!」だったり、
とにかく驚かせてしまいました。

しかしうれしいね。帰るよーの知らせに
じゃぁプチ同窓会ねーって流れ。

みんなそれぞれ、色んな人生を歩んでいるけれど
なんか懐かしくて、なんか通じる
大切な友人たち。

◇◇◇

軽くウツかなと思っていたのだけれど
どうやら最近の私は快楽主義者の様子。
悩みがあっても何か楽しいことがあれば
そっちにシフトできてしまう。

これはワタシが変わったのか
ロシア生活のなせるワザか。

そもそも悩みに対する情熱が薄いのか。
実は何も考えていなかったりして。

◇◇◇

週末にかけて体調不良になるのはやっぱり
完全なる「仕事病」の予感。

激ジョブだったり嵐の金曜日だったり
およそ手抜きのヒマなどありえないけれど
それでもけっこう楽しめてる自分がいる。

スタッフとの連携がうまくいってるのは重要ネ。
人間関係築けたら、どこにいたって平和に暮らせる。

つまらないことで笑い合える人たちを
大事にしていきたい。


2004年11月11日(木) ひとりごと

モスクワ 0〜3度



生マツケンサンバ観たい〜〜〜

→→→マツケンサンバ動画

振り付け映像が最高。


2004年11月10日(水) 電磁波

モスクワ 朝0度 昼4度 でもそんなに寒くない。

そういや朝ニュースでやってたよ。
とびきり激しいから気をつけなって。

昨日の夕方から、
どうしようってくらいの頭痛と吐き気で。
久々に泣いたね。ヨワヨワ。

ロシア人に昨日ひどい頭痛でさ、って話したら






「電磁波の影響ね」って。






断言されましたよ。
間違いないって。
ワタシも痛かったって。



気圧か電磁波か。
およそすべての体調不具合はこの2つで説明される。

ストレスとか
そんなヤワな理由はあり得ないね。うん。


2004年11月08日(月) 父帰る<パパ>映画レビュー

モスクワ プラス7度 くもり


「父帰る」のDVDを衝動買いしたものの
なかなか観れずにいたのですが。

ついに先日意を決して観てみました。






・・・・暗い!






なんともいえぬソ連の空気に
息が詰まるようでした。


しかし、気になるんですな。
観終わった後も。暗くて、ソ連で、
おなかいっぱいのはずなのに、
とても深いメッセージが込められているようで
もう一度確認してみたくなるのです。


◇◇◇


後日、偶然にも映画監督
ブラジーミル・マシコフのインタビュー記事を見つけます。

そこには彼自身が24歳の時に両親を亡くした話が載っていました。

24のとき、お父さんが他界。その半年後にお母さんも他界。
親の死に目に会えず、死の現実を受け入れられず、
埋葬に行けなかったマシコフ。

その後17年の長きに渡り、
彼は罪の意識にさいなまれつつも、
地元を訪問できずにいました。

そして、今回の映画制作を始めます。
友人知人のビジネスマンに借金をして。


映画の最後に幻想として現れるパパ。


−パパ!許してパパ!僕があのときしたことを!

涙ながらに許しを請う息子に、父は優しく問いかけます。


−お前が何をしたって?私は何も覚えていないよ、息子よ・・・


◇◇◇


映画公開後、マシコフは両親の墓地を訪れ、
その時の感想をこう語っています。

−両親の墓に来たとき、やっと、気持ちが軽くなった。
彼らが僕を許してくれたんだと、感じたんだ。


◇◇◇


映画「父帰る」はマシコフ自身の
両親に対する懺悔とレクイエムを込めているのだと。
どこか宗教的なのは、このへんなのかもしれません。

背景がわかると、案外入りやすい映画かと思います。
まだご覧になっていない方の、参考になれば幸いです。


2004年11月07日(日) ダウン

モスクワ プラス5度 快晴

昨日は雨の中郊外ドライブに出かけて、
帰り道はけっこう難儀しつつ帰ってきたのですが。

夜メシの時にハライタになり。
今朝こわれ。

そして昼過ぎから顔面痛。
・・・ヤバイ・・と思ってるうちに
扁桃腺腫れ上がり&耳痛。
久々に風邪ですかね。つばも飲めない痛み。泣。

せっかくの3連休も予定を入れてないと
すぐに弱ってしまうわかりやすい体。

そもそも休息の予定だったけれども。
寝とこう。ぐぅ。

◇◇◇

大家さんなどは週末ごとに具合が悪くなる人だけれども
仕事がない=休息すべしと
頭のどっかからサイン発してるんだろうなぁ。

少年(大家の息子)は週末ごとサバイバルゲームしに
どこぞへ出かけていきます。朝から。
迷彩服におもちゃの銃とお弁当と水筒持って。

ちなみに少年、ハタチ過ぎてますけどね。。


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