モスクワ留学日記
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2009年03月13日(金) |
ロシア生活12年総括 |
モスクワ プラス1度 晴れ!ぴっかー!
春うらら〜♪のモスクワです。 日も長くなってきて、おぅ、きたきた・・!という感じ。
仕事で屋内に詰めてることが多いので 四季の移り変わりをあまり感じないまま過ごしていますが、 こんな優しい春の1日はのんびりと散歩でもしたいな〜
◇◇◇
2月28日、モスクワで披露宴をやりました。 たくさんの友人やお世話になっている方々に祝福され、見守られ、 笑顔に包まれた温かいパーティとなりました。
幹事チームには司会から余興司会、 ビデオ係、演奏、音楽係、小道具作成、ヘアメイク担当など それぞれの分野でいっぱいお世話になりました。 写真家、店のスタッフのみんな、 そして日本から来てくれた母さんにもたくさん手伝ってもらいました。 人生における一大イベントにたくさんの方にご協力いただき、 たくさんの愛に包まれ感動的な1日を過ごせたこと、本当に幸せでした。
心から感謝感激です。本当にどうもありがとうございました!!!
披露宴が近づくにつれありえないくらいやることが出てきて、 結局、前夜までみんなでばったばたと準備に追われていました。
それまでの多忙の極みで体重がするする落ちて、 当日はドレスがちょっとゆるくなったのはうれしい誤算でしたが、 とにかく元気に当日を迎えられることができて何よりでした。
◇◇◇
モスクワ生活は1997年の秋からなので、 早いものでもう12年目になります。
ロシア国費留学生として ルムンバ(民族友好)大学の予備学部で語学研修を1年。 希望学部がないからとロシア教育省に掛け合い、 教育大学の心理学部に移してもらって5年間。
寮にポツンと一人になった時の物悲しさは今でも思い出します。 ベッドと机と椅子に自分のスーツケースのみ、 カーテンもない部屋に一人きり。 トイレ・キッチン・シャワーは共同で、 衛生面も使い勝手も表現できないほどに最悪で ただただ呆然としてしまったあの頃。
寮生活時代はゴキやねずみ、カラスに食材を狙われ、 寮の職員にはモノを盗まれ、深夜に警官の見回りで部屋に入られたり、 寒さと病気にさいなまれ、ついには入院。。
しかも搬送されたのは感染者隔離病棟で、 夜中にうををををぉぉ・・・キェェェェーーとか叫び声聞こえる精神病棟の近くで、 こっちが神経いわしそうだった。 ついたての向こうがむき出しの便器、逃げ出せないように窓には鉄格子、 食事は小さな窓から出し入れの独房仕様。
私ロシアに来て なんでこんなとこにいるんだろうってちょっとわからなくなった。
赤痢の疑いで入れられた独房におたふくの女の子が入ってきて。 退院から2週間、私の両頬はオタフクで腫れあがった。
病気ではないのに病院(しかも独房)に入れられ、オタフクうつされ、 腫れが引くまで大学にも行けず、ふんだりけったりのスタートだった。
寮を出てホームステイを始めて、 ロシアンおばーちゃんの生態をつぶさに観察しつつ それなりに平和な日々だったけれど、 ステイ先に麻薬中毒者が転がり込んできて 手癖は悪いわ夜中に暴れるわ・・・ 死の危険を感じたのはあれが初めてだった。
大学の授業は難しく、 最終学年の5年生の頃は本当にドロップアウトしそうだった。
なんとか卒業できて、さてちょっとのんびりしようかなと思っていた矢先、 友人から仕事の紹介をされて、やってみますかねーと引き受けたのがきっかけで 次から次へとステップアップすることになった。
学生時代6年、仕事人になってから6年。 何度となく泣いて、くじけて、へこんで、自分を責めたりもうダメだと思ったり。
でもそんな時にはいつも、周りが助けてくれた。 友達や友人や家族やホームページの読者さんなどに力をもらった。 いつもいつも、誰かに助けてもらった。
不思議とロシアを離れようと思ったことはなくて、 どんなに苦しくても、振り返ったり立ち止まる余裕もないほどに、 がむしゃらだった気がする。
そしてがむしゃらだったからこそ、 助けてくれる人に恵まれたのかもって思います。
貧乏留学生からスタートしたロシア生活は、現在 仕事で大事なポストを任され、プライベートでは良いパートナーに恵まれ、 愛猫と共に暖かい家で充実した日々を送れるまでになりました。泣ける。
自分の成長っぷりに泣ける。
今までのつらい事も、悲しかったことも、投げ出しそうになった事も、 やってられっか!と腐ったことや、他にも色々あったけど あきらめなくて本当に良かった!と思います。
みんなも あきらめないでー!
留学生ではなくなった現在もこの「モスクワ留学日記」を維持しているのは、 自分にとってのモスクワの原点をいつでも思い出せるように、 そして今もこれからも日々勉強というスタンスで、自分に妥協しないためでもあります。
国費留学という形で受け入れてくれたロシアに感謝しているし、 色々な体験をさせてくれた刺激的な国への興味は尽きません。
結婚を機に、ロシア生活12年を振り返ってみましたが なんで?どうして?というワケのわからない事のほうが圧倒的に多くて この12年でずいぶん神経太くなって心臓の毛も増えたことでしょう。
いつまで毛を増やし続けるかわかりませんが、 まだしばらくモスクワ生活を続けますので、 これからもこのページに時々お立ち寄りいただければと思います。
お、またぶつかってるな とか
お、元気そうだな なんてって
ここでの奮闘が誰かの刺激になったなら、うれしい限りです。
モスクワ 0度〜プラス2度
べしょべしょな道路で服が汚れる。。
◇◇◇
あまり気持ちを入れすぎるな。
信頼しすぎて裏切られて 痛い思いをするのはお前だ。
痛い思いを
この数年のうち
何度か
実体験として繰り返しています。
人を見たら泥棒と思え
簡単に人を信用するな
情は必要ない
悲しいかなこれが現実なのかと。
もっと割り切った、もっとドライな
おめーらどーせ的な
そんな心づもりであたらないと
ずたボロの雑巾のようになってしまうよ。
本当の信頼関係を築ける人って
とっても少ないのかもしれないね。
モスクワ 昼マイナス9度 夜 マイナス6度 くもり
例によって寒暖の差が激しいモスクワからこんにちは。 どっかり雪が降ったりしてますが、ざくざく片してるので ほぼ路面は見えてます。真っ黒ん。
◇◇◇
あっちゅー間に2月ですが、どうしたものか。
あーれもこれも抱えつつ、大丈夫か>自分
ロシア女性と結婚の話をしていた時、 彼女はこんなことを言いました。
「ハタチそこそこで結婚して、
すぐ子供を産んで
子育てで7年ほど時間取られたら、
その後仕事を探すのも
キャリアを積むのも難しくなる。
私の友達の多くは専門を学んだのに
それを活かせないまま今を過ごしているわ。
女性は出産・育児に時間を取られて
キャリアアップを手放す人も多いのよ」
と。
人それぞれだから、ブランクを経ても第一線に戻る人もいるだろうし
家族との時間をより大切にする人もいるだろう。
私は…
どうなるかなぁ。
少なくとも今は、仕事中心の生活を送っていて
気がつけば うわーもうこんな時間…というのがほぼ毎日。
この調子で毎日過ごしていたら
あっという間におばーさんになってしまいそう、、、
モスクワ 最高気温 2度 最低気温 -2度
横殴りのみぞれが時折降り注ぐモスクワ。 地味に道路が凍ってたりして、すり足歩行。
◇◇◇
新婚生活を送っています。
ウホッ
幸せ。
なんだろうな。
安心感が違う。
幸せも、困難も、 家族で共有して乗り越えていくんだという
今までにない感覚。
思えば親から自立して
孤独に闘った時代あり
友に励まされ、助けられ、力をもらい、
自分の壁を超えてきた今までの人生。
もうダメって何度も思って
自分を責めたり傷つけたこともあったけど
困難の壁が高ければ高いほどに、がむしゃらに向かって
壁をぶち破ってきたと思う。
これからもきっと妥協のない人生。
自分の世界を広げて、より多くの可能性と刺激のある人生を
パートナーと一緒に歩んでいきたいぜ。
目指すはチャーミーグリーン♪(古い)
モスクワ 最高気温0度 最低気温−2度 くもり
降った雪がとけてぐしゃぐしゃ。 きったなーい春先風味な道路事情。
◇◇◇
改めて、今年どんな1年だったかを思い出していたのですが、
一言で表現すると、色々な経験をできた濃いぃ1年だったと言えます。
個人的なビッグイベント、良縁に恵まれ、 プライベートは充実できました。
新年に高野山に登り、修行 写経してきた甲斐があったってもんです。 健康にもまぁまぁ恵まれた年になりました。
ところでツイている人とそうじゃない人って確かにいるように感じますが、 概ねおおらかな人のほうが人生を楽しめているようですね。
同じ状況下でも、楽観的に物事捉えると、 見える世界も違ってくることはよくあります。
視点の切り替えができるかどうかにかかってきますが、 できるだけ広い視野を持ちたいものです。
■どうして運のいい人はいつもツイているのか http://labaq.com/archives/51147415.html
◇◇◇
前向き思考を目標に頑張ってきた2008年。
色んな苦しいこともありましたが、 総括としては目標達成できたと思います。
この日記はなかなか更新できず、心配をおかけしましたが 皆様には励まされ、勇気付けられ、いつもながら大変お世話になりました。
インターネットという不特定多数の方が閲覧できる媒体で、
仕事人というくくりもあり、
表現できることには限りがあります。
それでもこの日記が皆様の何かのきっかけになれたなら
うれしいなと思います。
皆様どうぞ良いお年をお迎えください!
そして2009年もよろしくお願いいたします!
モスクワ マイナス5度 雪やこんこ
どさっと雪が降って、モスクワやっとこ雪化粧です。 寒いけどきれい〜
◇◇◇
実は先月の半ばに「家を出て行け」と大家から言われまして、 突然の引越しを迫られ、呆然となったのでした。
なんでも大家の家族が住むことになったとかで、 1ヶ月で出て行けと。
ええええーー。
大家との揉め事ってのはよくある話で、 あぁうちにも来たかとがっくりでした。 年末の忙しい時期に仕事と前倒しの引越し作業でてんてこ舞いでした。
電気ショートで電飾破壊、トイレの水は止まらず、 シャワーヘッドも首からじゃぶじゃぶ水漏れ、 風呂場のタイルは工事で穴開けられたまま、 部屋の天井のペンキは剥がれ落ちハゲハゲ状態という・・・ なるほど使い込まれた4年間。
ボロアパートと呼ぶにふさわしい、 つつましい生活っぷりが発揮されていた空間ですが、 4年の間に溜め込んだモノ・モノ・モノ…
思いきってじゃんじゃん捨てたけれど、それでもたくさんのモノが、、、
引越しは大変でした(涙)
ダンナががっつり手伝ってくれたのでなんとか終わりましたが、
まー最後まで大変だった。。
大家への引渡し日、部屋を磨き上げて鍵を返しましたが あちこちの破壊状態も、 急に出て行けと言った大家の申し訳なさそうな気持ちと相殺で 特に注意もされず平和的引渡し終了と相成りました。
新居はダンナの家で、予定を前倒しで転がり込む形となったわけですが、 寒空の下、路頭に迷うことなく受け入れてもらうことができてよかったです。
人に助けられてここまできましたが、 今後はパートナーとのつながりが一番大きくなるんだろうなぁと実感しました。
モスクワ マイナス5度 雪
2008年12月23日
私ミホバニは結婚しました。
朝モスクワの領事部に婚姻届を出して、受理されました。
戸籍が変わるのは少し後になりますが、
今日から人妻です。ちょっとキケンな響き。人妻。
これまでの人生、色々なことがありましたが
つらいこと、苦しいこと、楽しいこと、うれしいことなど、
これからは二人で共有して乗り越えていきたいです。
幸せに、なります。
※ちなみに、デキ婚じゃーありまへん。
※モスクワ生活&仕事は続けます。
※出会いは「モスクワ留学日記」がきっかけです。
※なのでモスクワ留学日記はマイペースながらも、続けます。
※留学日記改め「モスクワ人妻日記」に改名しま・・・せん。
※というわけで、今後ともよろしくお願いいたします。
皆様良いお年を!!
モスクワ 最高気温プラス8度 最低気温 0度
ちょっと見ない間にドルが・・・・ががg・・・
あいたたた、、、、
久々に見ましたぜ2桁台。。
めーべりめべり(泣)
モスクワ プラス10度 曇り時々雨
出張から戻ると
部屋がトロピカル風味☆(暖房入りました)
===
預けていたうちのにゃんこは
体重が減ってスリムにゃんに☆(預け宅がデカかった)
===
町の色が
美しい黄金色に染まって
紅葉狩りイキテェ☆(郊外が特にキレイ)
===
てなわけでちょっとモスクワを離れてて
戻ってくると色々な発見が。
一番感じたのは、ロシア人のじゃれ度。
そのへんでちゅーは当然ながら
空港の待合ロビーでもひざに乗って抱き合う二人や
機内で席が離れちゃってるのを強引に変えてもらう姿や
ここホテルちゃうで?くらいに二人の世界に入っちゃってる感じが
あーロシアに戻ってきたなーと思う瞬間であります。
最近あまり聞かなくなった気がしてた着陸時の拍手も
久々に聞きました。
ロシア人以外もつられて拍手してるのが微笑ましかったです。
仕事もさもさながら、
週末はロシア色を楽しみに出かけたいなぁー♪
モスクワ 最高8度 4度最低 4度最低
部屋さみーぃ。オフィスもさみーぃ。 コート着て仕事ておかしくねー 手ぇかじかんでシビレてくるておかしくねー
部分的に冷えっひえ箇所があるモスクワです。
◇◇◇
今日はあれこれ仕事やっつけて かなり生産的な1日だったべー☆
こういうのは、いいんでないかい?
腹割って話し合える仲間と
冗談言って笑える仲間と
一緒に前向きに取り組める姿勢と。
恵まれてるなーー自分!
気持ちがあれば、大丈夫だね。
気持ちが弱くなったら助け合えばいいね。
思いやりと、人を敬う気持ちは
疲れたときこそ思い出さないとね。
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