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最近の曲は少しよくなってきたような気がする。
平原綾香の「明日」という曲がめちゃくちゃ気に入っている。CDはまだ買ってないけれど、ネット上でライブが見れるので昨日から何度も見ている。それと柴田淳の「未成年」、ミスチルの「くるみ」の3曲をパソコン上で見ている。ちなみに「くるみ」はCDにMPEG画像がついていたもの。
曲だけでなく「白い巨塔」「砂の器」「彼と彼女と彼女の生きる道」などドラマも最近頗る良い。
日本が絶望的な曲り角を曲がって新たな道に向かいはじめてるからかもしれない。
朝から元気な人はあんまりいませんね。
社会人になってもう20年近くなるというのに、通勤電車とか駅の人の流れについていけません。
昨日、ふいとプラットホームから階段をふと見上げると、みんな階段にけつまづかないように下を向いて歩いてることに気がついた。
みんながみんなうつむき加減に、処刑台の階段を登るようにザクッザクッと登っている風景を見上げて、無茶苦茶奇妙な感覚がした。
なんて暗いんだろう。日本の陰りを感じながら、今まで僕自身もそんな風に階段を歩いていたんだろうなあとか思いながら、今日からは違うぞと心に決めました。昨日からとにかく上を向いて歩こうと感じましたね。
うつむき加減に歩いていると、人生もきっとうつむき加減になるんだと思います。
2004年03月22日(月) |
総額表示がはじまりだした |
総額表示というのがはじまりだした。
消費税額を含んだ金額を表示するということだが、なぜ今急にこんなことがはじまりだしたのだろうか?
政府の言い分では消費税抜き表示だとわかりにくいからという理由らしい。しかし消費税がはじまってから別にだれもわかりにくいなどと言ってないと思うし、消費税率3%の時代よりも今の5%の方が計算しやすい気もするんだけどねえ。
この総額表示は本当はこれからはじまる消費税率アップを隠ぺいするためのものに過ぎないのではないだろうか。総額表示にしておけば消費税率を10%とか15%にあげてもわからんと思ったのだろう。
どこの国でもものの価格と別に税額が何%とちゃんと表示している。
それを日本だけ内税の総額表示にして税額を%表示するのをやめようというのだ。馬鹿にされたものだ。最近ゆとり教育とかいって小学生を馬鹿にするように仕向けているが、消費税を暗算できないようにするためにやっているという説もあながち冗談ではないような気がする。
この総額表示の欠陥は、計算方法は従来方式でもいいとしている点だ。
金額450円のものは今買うと、450×105%=472.5円≒472円となるが、この金額を総額表示すると何と「473円」になるのだ。外税方式だと切り捨てになるが、総額表示では四捨五入だからだ。
450円のものを2つ買うと、900×105%=945円となり、472円を総額表示にすると944円となり1円損するからだ。
結局、この例で言うと473円の総額表示のものを購入する場合、1個買ったら472円支払い、2個買うと945円払うことになる。いずれも総額表示より1円安くなってしまうのだ。
総額表示って何なんでしょうね???これが消費者のためなんでしょうか?ぼくからみれば、全然わかりにくいですけどねえ。全然消費者のためになっていない。日本の流通企業も何でこんなアホな政策に反対しないんですかねえ。システム更改費用がもったいないじゃないですか。
2004年03月07日(日) |
ボーイスカウトスキルアップ研修 |
ボーイスカウトのスキルアップ研修とかいうのに出かけた。
室内かと思ったら、外。最高気温5℃の寒い日曜日だった。薄着で死ぬかと思った。地図もって方位磁石の勉強してた時には、横殴りの吹雪で本当に凍死すると思ったよ。
何がうれしくて雪の中で、火おこしとか手旗信号とかテントづくりをしなくてはいけないのかと思ったが、とにかく寒かった。
スカウトのモットーは「そなえよつねに」。。ホンマや。しかし、吹雪の中屋外とは予想できへんがな。。それにしても携帯カイロは役に立つなあ。これなかったらホンマ無茶苦茶になってたかもしれませんでしたよ。
「そなえよつねに」肝に命じとこ。
2004年03月04日(木) |
たったひとりのクレオールを読み終えて |
分厚い本だが、一気に読み終えた。
聴覚障害にたいする教育方法として、「聴覚口話法」「トータルコミュニケーション法」「バイリンガル/バイカルチュラル法」と分類した場合、長男は多分トータルコミュニケーション法をとってきた。
音声日本語が絶対いいと思って今までやって来たが、確かに長男は聴者とのコミュニケーションも難しいし、手話もできない非常に中途半端な状態だ。唯一「書いたものを読むとか字幕を読む」という書記日本語の読解力だけがある感じだ。
著者はバイリンガル/バイカルチュラルをいいとしている。まず、聾者の言語である「日本手話」を母語として身につけたうえで、書記日本語をマスターするという形だ。
トータルコミュニケーションがめざしているものは、音声日本語をマスターし、その上で日本語対応手話でなんとかやっていこうとするものだ。が、この方法は確かに音声日本語がうまくマスターできないままだ。文法構造としての日本語を重要視するやり方だが、完璧かといわれると、はなはだこころもとない。
「ううん。。。」と考えこんでしまう。でも、さっき子どもと話をしたが、長男の場合は結構文法構造をマスターしている方だと感じる。もう少し読書に熱中してもらうように最近は本をどんどんあたえている。公文の国語も始めた。
学校はろう学校だから、日本手話をもっと先輩達から学んでほしいと思っている。
が、その先輩である高等部が分離するという話になっている。手話の継承が学校を分離することで途切れてしまわないか心配だ。教育行政は一体どういう理由でこういうことをしてしまうのだろう。世の中が中高一貫教育に変わってきている時代にわざわざ分離するのは何故?僕たちは何を信じて子どもに教育をすればいいのだろう。。。。
◇◆今日の読書◆◇
「たったひとりのクレオール」 上農正剛著 ポット出版 読了
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